平家物語 巻第六  (流布本元和九年本)
 

 新院崩御(しんゐんほうぎよ)

治承ごねんしやうぐわつひとひのひ、だいりには、とうごくのひやうがく、なんとのくわさいによつて、てうはいとどめられて、しゆしやうしゆつぎよもなし。もののねもふきならさず、ぶがくもそうせず、よしののくずもまゐらず、とうじのくぎやういちにんもさんぜられず。これはうぢでらぜうしつによつてなり。ふつかのひてんじやうのえんすゐもなく、なんにようちひそめて、きんちういまいましうぞみえし。ならびにぶつぽふわうぼふともにつきぬることぞあさましき。ほふわうおほせなりけるは、「しだいのていわう、おもへばこなり、まごなり。いかなればばんきのせいむをとどめられて、むなしうとしつきをおくるらん」とぞおんなげきありける。おなじきいつかのひ、なんとのそうがうらけつくわんぜられて、くじやうをちやうじし、しよしよくをもつしうせらる。さればかたのやうにても、ごさいゑはあるべきものをと、そうみやうのさたありしに、なんとのそうがうらは、みなけつくわんぜられぬ。ほくきやうのそうがうをもつておこなはるべきかと、くぎやうせんぎありしかども、さればとて、いまさらなんとをもすてはてさせたまふべきならねば、さんろんじうのがくしやう、じやうほふいかうがしのびつつ、くわんじゆじにかくれゐたりけるをめしいだいて、ごさいゑかたのごとくとげおこなはる。しゆとはみな、おいたるも、わかきも、あるひはいころされあるひはきりころされて、けぶりのうちをいでず、ほのほにむせんでほろびにしかば、わづかにのこるともがらは、さんりんにまじはつて、あとをとどむるものいちにんもなし。なかにもこうぶくじのべつたうけりんゐんのそうじやうやうえんは、ぶつざうきやうくわんのけぶりとたちのぼらせたまふをみまゐらせ、あなあさましとて、むねうちさわがれけるよりやまひついて、つひにうせたまひぬ。このやうえんはいうにやさしきひとにておはしけり。あるときほととぎすのなくをきいて、きくたびにめづらしければほととぎすいつもはつねのここちこそすれ といふうたをようでこそ、はつねのそうじやうとはいはれたまひけれ。しやうくわうは、をとどしほふわうのとばどのにおしこめられてわたらせたまひしおんこと、こぞたかくらのみやのうたれさせたまひしおんありさま、さしもたやすからぬてんがのだいじ、みやこうつりなどまうすことに、ごなうつかせたまひて、おんわづらはしうきこえさせたまひしが、いままたとうだいじこうぶくじのほろびぬるよしきこしめして、ごなういとどおもらせおはします。ほふわうなのめならずおんなげきありしほどに、おなじきじふしにちろくはらいけどのにて、しんゐんつひにほうぎよなりぬ。ぎようじふにねん、とくせいせんばんたん、ししよじんぎのすたれぬるみちをおこし、りせいあんらくのたえたるあとをつぎたまふ。さんみやうろくつうのらかんもまぬかれたまはず、げんじゆつへんげのごんじやものがれぬみちなれば、うゐむじやうのならひとはいひながら、ことわりすぎてぞおぼえける。やがてそのよ、ひがしやまのふもと、せいがんじへうつしたてまつり、ゆふべのけぶりにたぐへつつ、はるのかすみとのぼらせたまひぬ。ちようけんほふいん、ごさうそうにまゐりあはんとて、いそぎやまよりくだられけるが、はやみちにてけぶりとたちのぼらせたまふをみまゐらせて、なくなくかうぞえいじたまひける。

つねにみしきみがみゆきをけふとへばかへらぬたびときくぞかなしき W042
またあるにようばうの、みかどかくれさせたまひぬとうけたまはつて、なくなくおもひつづけけり。

くものうへにゆくすゑとほくみしつきのひかりきえぬときくぞかなしき W043
おんとしにじふいち、うちにはじつかいをたもつてじひをさきとし、ほかにはごじやうをみだらせたまはず、れいぎをただしうせさせおはします。まつだいのけんわうにておはしければ、よのをしみたてまつること、つきひのひかりをうしなへるがごとし。かやうにひとのねがひもかなはず、たみのくわはうもつたなき、ただにんげんのさかひこそかなしけれ。

2 紅葉(こうえふ)

たかくらのゐんございゐのおんとき、ひとのしたがひつきたてまつることは、おそらくはえんぎてんりやくのみかどとまうすとも、これにはいかでまさらせたまふべきとぞ、ひとまうしける。おほかたはけんわうのなをあげ、じんとくのかうをほどこさせおはしますことも、きみごせいじんののち、せいだくをわかたせたまひてのうへのおんことでこそあるに、むげにこのきみは、いまだえうしゆのおんときより、せいをにうわにうけさせおはします。さんぬるしようあんのころほひは、おんとしじつさいばかりにもやならせおはしましけん、あまりにこうえふをあいせさせたまひて、きたのぢんにこやまをつかせ、はじかへでの、まことにいろうつくしうもみぢたるをうゑさせ、もみぢのやまとなづけて、ひねもすにえいらんあるに、なほあきたらせたまはず。しかるをあるよのわきはしたなうふいて、こうえふみなふきちらし、らくえふすこぶるらうぜきなり。とのもりのとものみやづこ、あさぎよめすとて、これをことごとくはきすててげり。のこれるえだ、ちれるこのはをばかきあつめて、かぜすさまじかりけるあしたなれば、ぬひどののぢんにて、さけあたためてたべけるたきぎにこそしてげれ。ぶぎやうのくらんど、ぎやうがうよりさきにと、いそぎゆいてみるに、あとかたなし。「いかに」ととへば、しかじかとこたふ。「あなあさまし。さしもきみのしつしおぼしめされつるこうえふを、かやうにしつることよ。しらず、なんぢらきんごくるざいにもおよび、わがみもいかなるげきりんにかあづからんずらん」と、おもはじことなうあんじつづけてゐたりけるところに、しゆしやういとどしくよるのおとどをいでさせもあへず、かしこへぎやうがうなつて、もみぢをえいらんあるに、なかりければ、いかにとおんたづねありけり。くらんどなにとそうすべきむねもなし。ありのままにP350そうもんす。てんきことにおんこころよげにうちゑませたまひて、「りんかんにさけをあたためてこうえふをたくといふしのこころをば、さればそれらにはたれがをしへけるぞや。やさしうもつかまつたるものかな」とて、かへつてえいかんにあづかつしうへは、あへてちよくかんなかりけり。またあんげんのころほひ、おんかたたがひのぎやうがうのありしに、さらでだにけいじんあかつきをとなふこゑ、めいわうのねぶりをおどろかすほどにもなりしかば、いつもおんねざめがちにて、つやつやぎよしんもならざりけり。いはんやさゆるしもよのはげしきには、えんぎのせいたい、こくどのたみどもが、いかにさむかるらんとて、よるのおとどにしてぎよいをぬがせたまひけることなどまでも、おぼしめしいでて、わがていとくのいたらぬことをぞおんなげきありける。ややしんかうにおよんで、ほどとほくひとのさけぶこゑしけり。ぐぶのひとびとはききもつけられず。しゆしやうはきこしめして、「ただいまさけぶはなにものぞ。あれみてまゐれ」とおほせければ、うへぶししたるてんじやうびと、じやうにちのものにおほせてたづぬれば、あるつじにあやしのめのわらはの、ながもちのふたさげたるが、なくにてぞありける。「いかに」ととへば、「しうのにようばうの、ゐんのごしよにさぶらはせたまふが、このほどやうやうにしてしたてられたりつるきぬをもつてまゐるほどに、ただいまおとこのにさんにんまうできて、うばひとつてまかりぬるぞや。いまはおんしやうぞくがあらばこそ、ごしよにもさぶらはせたまはめ。またはかばかしうたちやどらせたまふべき。したしきおんかたもましまさず。これをおもひつづくるになくなり」とぞいひける。さてかのめのわらはをぐしてまゐり、このよしそうもんしたりければ、しゆしやうきこしめして、「あなむざん、なにもののしわざにてかあるらん」とて、りようがんよりおんなみだをながさせたまふぞかたじけなき。「げうのよのたみは、げうのこころのすなほなるをもつてこころとするゆゑに、みなすなほなり。いまのよのたみは、ちんがこころをもつてこころとするゆゑに、かだましきものてうにあつてつみををかす。これわがはぢにあらずや」とぞおほせける。「さるにてもとられつらんきぬは、なにいろぞ」とおほせければ、しかじかのいろとそうす。建礼門院、そのときは、いまだちうぐうにてわたらせたまふときなり。そのおんかたへ、「さやうのいろしたるぎよいやさふらふ」とおんたづねありければ、さきのよりはるかにいろうつくしきがまゐりたるを、くだんのめのわらはにぞたまはせける。「いまだよふかし。またさるめにもぞあふ」とて、じやうにちのものをあまたつけて、しうのにようばうのつぼねまで、おくらせましましけるぞかたじけなき。されば、あやしのしづのを、しづのめにいたるまで、ただこのきみせんしうばんぜいのはうさんをぞいのりたてまつる。
 

3 葵の前(あふひのまへ)

それになによりもまたあはれなりしことには、ちうぐうのおんかたにさぶらはれけるにようばうのめしつかひけるしやうとう、おもはざるほか、りようがんにしせきすることありけり。ただよのつねあからさまにてもなくして、まめやかにおんこころざしふかかりければ、しうのにようばうもめしつかはず、かへつてしうのごとくにぞ、いつきもてなしける。『そのかみえうえいにいへることあり、をとこをうんでもきくわんすることなかれ、ぢよをうんでもひさんすることなかれ。なんはこれこうにだもほうぜられず、ぢよはひたり』とて、きさきにたつといへり。めでたかりけるさいはひかな。「このひとにようごきさきとももてなされ、こくもせんゐんともあふがれなんず」とて、そのなを、あふひのまへとまうしければ、ないないはあふひのにようごなどぞささやきあはれける。しゆしやうはこれをきこしめして、そののちはめさざりけり。これはおんこころざしのつきぬるにはあらず、ただよのそしりをはばからせたまふによつてなり。さればおんながめがちにて、つやつやぐごもきこしめさず、ごなうとてつねはよるのおとどにのみいらせおはします。そのときのくわんばくまつどの、このよしをうけたまはつて、「しゆしやうおんこころのつきぬることこそおはすなれ。まうしなぐさめまゐらせん」とて、いそぎごさんだいあつて、「さやうにえいりよにかからせましまさんにおいては、なんでふことかさふらふべき。くだんのにようばうめされまゐらすべしとおぼえさふらふ。しなたづねらるるにおよばず、もとふさやがていうしにつかまつりさふらはん」とそうせさせたまへば、しゆしやうおほせなりけるは、「いさとよ、そこにはからひまうすもさることなれども、くらゐをすべつてのちは、ままさるためしもあるなり。まさしうざいゐのとき、さやうのことはこうたいのそしりなるべし」とて、きこしめしもいれざりければ、くわんばくどのちからおよばせたまはず、おんなみだをおさへて、ごたいしゆつありけり。そののちしゆしやう、みどんのうすやうの、にほひことにふかかりけるに、ふるきことなれども、おぼしめしいでて、かうぞあそばされける。

しのぶれどいろにいでにけりわがこひはものやおもふとひとのとふまで W044

れんぜいのせうしやうたかふさ、これをたまはりついで、くだんのあふひのまへにたばせたれば、これをとつてふところにいれ、かほうちあかめ、れいならぬここちいできたり
とて、さとへかへり、うちふすことごろくにちして、つひにはかなくなりにけり。きみがいちじつのおんのために、せふがはくねんのみをあやまつとも、かやうのことをやまうす
べき。「むかしたうのたいそうの、ていじんきがむすめをげんくわんでんにいれんとせさせたまひしを、ぎちよう、かのむすめすでにりくしにやくせりといさめまうしたりければ、
てんにいれらるることをとどめられたりしには、すこしもたがはせたまはぬ、いまのきみのおんこころばせかな」とぞ、ひとまうしける。
 

4 小督(こがう)

主上(しゆしやう)は、恋慕の御涙におぼしめし、沈ませたまひたるを、まうしなぐさめまゐらせんとて、ちうぐうのおかたより、こがうのとのとまうすにようばうをまゐらせらる。そもこのにようばうとまうすは、さくらまちのちうなごんしげのりのきやうのおんむすめ、きんちういちのびじん、ならびなきことのじやうずにてぞましましける。れんぜいのだいなごんりうはうのきやう、いまだせうしやうなりしとき、みそめたりしにようばうなり。はじめはP354うたをよみ、ふみをばつくされけれども、たまづさのかずのみつもりて、なびくけしきもなかりしが、さすがなさけによわるこころにや、つひにはなびきたまひけり。されどもいまはきみへめされまゐらせて、せんかたもなくかなしくて、あかぬわかれのなみだにや、そでしほたれて、ほしあへず。せうしやういかにもして、こがうのとのをいまいちどみたてまつることもやと、そのこととなくつねはさんだいせられけり。こがうのとののおはしけるつぼねのへん、かなたこなたへ、たたずみありきたまひけれども、こがうのとの、われきみへめされまゐらせぬるうへは、せうしやういかにまうすとも、ことばをもかはすべからずとて、つてのなさけをだにもかけられず。せうしやうもしやと、いつしゆのうたをようで、こがうのとののましましけるつぼねのみすのうちへぞなげいれける。

おもひかねこころはそらにみちのくのちかのしほがまちかきかひなし W045

こがうのとの、やがてへんじもせまほしうはおもはれけれども、きみのおんため、おんうしろめたしとやおもはれけん、てにだにとつてもみたまはず、やがてしやうとうにとら
せて、つぼのうちへぞなげいださる。せうしやうなさけなううらめしけれども、さすがひともこそみれと、そらおそろしくて、いそぎとつてふところにひきいれていでられけるが、
なほたちかへり、

たまづさをいまはてにだにとらじとやさこそこころにおもひすつとも W046

いまはこのよにてあひみんこともかたければ、いきてゐて、とにかくにひとをこひしとおもはんより、ただしなんとのみぞねがはれける。にふだうしやうこく、このよしをつたへききたまひて、「ちうぐうとまうすもおんむすめ、れんぜいのせうしやうもまたむこなり。こがうのとのに、ふたりのむこをとられては、よのなかよかるまじ。いかにもして、こがうのとのをめしいだいてうしなはん」とぞのたまひける。こがうのとの、このよしをききたまひて、わがみのうへはとにもかくにもなりなん、きみのおんためおんこころぐるしとおもはれければ、あるよだいりをばまぎれいでて、ゆくへもしらずぞうせられける。しゆしやうおんなげきなのめならず、ひるはよるのおとどにのみいらせたまひて、おんなみだにしづませおはします。よるはなんでんにしゆつぎよなつて、つきのひかりをごらんじてぞ、なぐさませましましける。にふだうしやうこくこのよしをうけたまはつて、「さてはきみは、こがうゆゑにおぼしめししづませたまひたんなり。さらんにとつては」とて、おんかいしやくのにようばうたちをもまゐらせられず、さんだいしたまふひとびともそねまれければ、にふだうのけんゐにはばかつて、まゐりかよふしんかもなし。なんにようちひそめて、きんちういまいましうぞみえし。ころははちぐわつとをかあまりのことなれば、さしもくまなきそらなれども、しゆしやうはおんなみだにくもらせたまひて、つきのひかりもおぼろにぞごらんぜられける。ややしんかうにおよんで、「ひとやあるひとやある」とめされけれども、おいらへまうすものもなし。ややあつて、だんじやうのだいひつなかくに、そのよしもおとのゐにまゐりて、はるかにとほうさふらひけるが、「なかくに」とおいらへまうす。「なんぢちかうまゐれ。おほせくださるべきむねあり」とおほせければ、なにごとやらんとおもひ、ごぜんちかうぞさんじたる。

「なんぢもしこがうがゆくへやしつたる」とおほせければ、「いかでかしりまゐらせさふらふべき」とまうす。「まことやこがうは、さがのへん、かたをりどとかやしたるうちにありと、まうすもののあるぞとよ。あるじがなをばしらずとも、たづねてまゐらせてんや」とおほせければ、なかくに、「あるじがなをしりさふらはでは、いかでかたづねあひまゐらせさふらふべき」とまうしければ、しゆしやう、げにもとて、おんなみだせきあへさせましまさず。
なかくにつくづくものをあんずるに、まことやこがうのとのは、ことひきたまひしぞかし。このつきのあかさに、きみのおんことおもひいでまゐらせて、ことひきたまはぬことはよ
もあらじ。だいりにてことひきたまひしとき、なかくにふえのやくにめされまゐらせしかば、そのことのねは、いづくにてもききしらんずるものを。さがのざいけいくほどかあら
ん、うちまはつてたづねんに、などかききいださであるべきとおもひ、「ささふらはば、あるじがなはしらずさふらふとも、たづねまゐらせさふらふべし。たとひたづねあひまゐらせてさふらふとも、ごしよなどさふらはずは、うはのそらとやおぼしめされさふらはんずらん。ごしよをたまはつて、まゐりさふらはん」とまうしければ、しゆしやう、げにもとて、やがてごしよあそばいてぞくだされける。「れうのおむまにのりてゆけ」とおほせければ、なかくにれうのおむまたまはつて、めいげつにむちをあげ、にしをさしてぞあゆませける。をしかなくこのやまざととえいじけん、さがのあたりのあきのころ、さこそはあはれにもおぼえけめ。かたをりどしたるやをみつけては、このうちにもやおはすらんと、ひかへひかへききけれども、ことひくところはなかりけり。

みだうなどへもまゐりたまへることもやと、しやかだうをはじめて、だうだうみまはれども、こがうのとのににたるにようばうだにもなかりけり。むなしうかへりまゐりたらんは、まゐらざらんより、なかなかあしかるべし。これよりいづちへも、まよひゆかばやとはおもへども、いづくかわうぢならぬ、みをかくすべきやどもなし。いかがせんとあんじわづらふ。まことやほふりんはほどちかければ、つきのひかりにさそはれて、まゐりたまへることもやと、そなたへむいてぞあくがれける。

かめやまのあたりちかく、まつのひとむらあるかたに、かすかにことぞきこえける。みねのあらしかまつかぜか、たづぬるひとのことのねか、おぼつかなくはおもへども、こまをはやめてゆくほどに、かたをりどしたるうちに、ことをぞひきすまされたる。ひかへてこれをききければ、すこしもまがふべうもなく、こがうのとののつまおとなり。がくはなにぞとききければ、をつとをおもうてこふとよむ、さうぶれんといふがくなりけり。なかくに、さればこそ、きみのおんことおもひいでまゐらせて、がくこそおほけれ、このがくをひきたまふことのやさしさよとおもひ、こしよりやうでうぬきいだし、ちつとならいて、かどをほとほととたたけば、ことをばやがてひきやみたまひぬ。「これはだいりよりなかくにがおつかひにまゐりてさふらふ。あけさせたまへ」とて、たたけどもたたけども、とがむるものもなかりけり。ややありて、うちよりひとのいづるおとしけり。うれしうおもひてまつところに、ぢやうをはづし、かどをほそめにあけ、いたいけしたるこにようばうの、かほばかりさしいだいて、「これはさやうにだいりよりおつかひなどたまはるべきところでもさぶらはず。もしかどたがへにてぞさぶらふらん」といひければ、なかくに、へんじせばかどたてられ、ぢやうさされなんずとやおもひけん、ぜひなくおしあけてぞいりにける。つまどのきはなるえんにゐて、「なんとてかやうのところにおんわたりさふらふやらん。きみはおんゆゑにおぼしめししづませたまひて、おんいのちもすでにあやふくこそみえさせましましさふらへ。かやうにまうさば、うはのそらとやおぼしめされさふらふらん。ごしよをたまはつてまゐりてさふらふ」とてとりいだいてたてまつる。ありつるにようばうとりついで、こがうのとのにぞまゐらせける。これをあけてみたまふに、まことにきみのごしよにてぞありける。やがておんぺんじかいてひきむすび、にようばうのしやうぞくひとかさねそへてぞいだされたる。

なかくに、「おんぺんじのうへは、とかうまうすにおよびさふらはねども、べつのおつかひにてもさふらはばこそ。ぢきのおんぺんじうけたまはらでは、いかでかかへりまゐりさふらふべき」とまうしければ、こがうのとの、げにもとやおもはれけん、みづからへんじしたまひけり。「そこにもききたまひつらんやうに、にふだうあまりにおそろしきことをのみまうすとききしがあさましさに、あるよひそかにしのびつつ、だいりをばまぎれいでて、いまはかかるところのすまひなれば、ことひくこともなかりしが、あすよりおはらのおくへおもひたつことのさぶらへば、あるじのにようばう、こよひばかりのなごりををしみ、いまはよもふけぬ、たちきくひともあらじなどすすむるあひだ、さぞなむかしのなごりもさすがゆかしくて、てなれしことをひくほどに、やすうもききいだされけりな」とて、おんなみだせきあへたまはねば、なかくにもそぞろにそでをぞしぼりける。ややあつて、なかくになみだをおさへてまうしけるは、「あすよりおはらのおくへおぼしめしたつこととさふらふは、さだめておんさまなどもやかへさせたまひさふらはんずらん。しかるべうもさふらはず。さてきみをばなにとか、しまゐらせたまふべき。ゆめゆめかなひさふらふまじ。あひかまへてこのにようばういだしまゐらすな」とて、ともにめしぐしたるめぶ、きじちやうなどとどめおき、そのやをしゆごせさせ、わがみはれうのおむまにうちのつて、だいりへかへりまゐつたれば、よはほのぼのとぞあけにける。なかくに、やがてれうのおむまつながせ、にようばうのしやうぞくをば、はねむまのしやうじにうちかけて、いまはさだめてぎよしんもなりつらん、たれしてかまうすべきとおもひ、なんでんをさしてまゐるほどに、しゆしやうはいまだゆうべのござにぞましましける。「みなみにかけりきたにむかふ、かんうんをあきのかりにつけがたし。ひがしにいでにしにながる、ただせんばうをあかつきのつきによす」と、おんこころほそげにうちながめさせたまふところに、なかくにつとまゐりつつ、こがうのとののおんぺんじをこそまゐらせけれ。しゆしやうなのめならずにぎよかんあつて、「さらばなんぢやがてゆふさりぐしてまゐれ」とぞおほせける。なかくに、にふだうしやうこくのかへりききたまはんところはおそろしけれども、これまたちよくぢやうなれば、ひとにくるまかつて、さがへゆきむかふ。こがうのとのまゐるまじきよしのたまへども、やうやうにこしらへたてまつりて、くるまにのせたてまつりて、だいりへまゐりたりければ、かすかなるところにしのばせて、よなよなめされまゐらせけるほどに、ひめみやごいつしよいできさせたまひけり。ばうもんのによゐんとはこのみやのおんことなり。

にふだうしやうこく、「こがうがうせたりといふは、あとかたもなきそらごとなり。いかにもしてうしなはん」とのたまひけるが、なにとしてかはたばかりいだされたりけん、こがうのとのをとらへつつ、あまになしてぞおつぱなたる。としにじふさん。しゆつけはもとよりのぞみなりけれども、こころならずあまになされ、こきすみぞめにやつれはて、さがのおくにぞすまれける。むげにうたてきことどもなり。しゆしやうはかやうのことどもにごなうつかせたまひて、つひにかくれさせたまひけるとかや。ほふわううちつづき、おんなげきのみぞしげかりける。さんぬるえいまんには、だいいちのみこにでうのゐんほうぎよなりぬ。あんげんにねんのしちぐわつには、おんまごろくでうのゐんかくれさせたまひ
ぬ。てんにすまばひよくのとり、ちにあらばれんりのえだとならんと、あまのがはのほしをさして、さしもおんちぎりあさからざりしけんしゆんもんゐん、あきのきりにをかされ
て、あしたのつゆときえさせたまひぬ。としつきはへだたれども、きのふけふのおんわかれのやうにおぼしめして、おんなみだもいまだつきせざるに、治承しねんのごぐわつには、だいにのわうじたかくらのみやうたれさせたまひぬ。げんぜごしやうたのみおぼしめされつるしんゐんさへ、さきだたせたまひぬれば、とにかくに、かこつかたなきおんなみだのみぞしげかりける。「かなしみのいたつてかなしきは、おいてのち、こにおくれたるよりもかなしきはなし。うらみのいたつてうらめしきは、わかうしておやにさきだつよりも、うらめしきはなし」と、かのあさつなのしやうこうの、しそくすみあきらにおくれて、かきたりけるふでのあと、いまこそおぼしめししられけれ。かのいちじようめうでんのごどくじゆも、おこたらせたまはず、さんみつぎやうぼふのごくんじゆも、こうつもらせおはします。てんがりやうあんになりしかば、おほみやびともおしなべて、はなのたもとややつれけん。
 

5 廻文(めぐらしぶみ)

にふだうしやうこく、かやうにいたくなさけなうあたりたてまつられたりけることを、さすがそらおそろしうやおもはれけん、ほふわうなぐさめまゐらせんとて、あきのいつくしまのないしがはらのひめぎみの、しやうねんじふはちになりたまふをぞ、ほふわうへはまゐらせらる。たうけたけのくぎやうおほくぐぶして、ひとへににようごまゐりのごとくにてぞありける。しやうくわうかくれさせたまひて、わづかにしちにちだにすぎざるに、しかるべからずとぞ、ひとびとささやきあはれける。さるほどにそのころしなののくにに、きそのじらう義仲といふげんじありときこえけり。かれはこたてはきせんじやうよしかたがじなんなり。しかるをちちよしかたは、さんぬるきうじゆにねんはちぐわつじふににち、かまくらのあくげんだよしひらがためにちうせられぬ。そのときはいまだにさいなりしを、ははかかへて、なくなくしなのへくだり、きそのちうざうかねとほがもとにゆいて、「これいかにもしてそだてて、ひとになして、われにみせよ」といひければ、かねとほかひがひしううけとつてやういくす。やうやうちやうだいするままに、ようぎたいはいひとにすぐれ、こころもならびなくかうなりけり。ちからのつよさ、ゆみやうちものとつては、すべてしやうこのたむら、としひと、よごしやうぐん、ちらい、ほうしやう、せんぞらいくわう、ぎかのあつそんといふとも、これにはいかでかまさるべきとぞひとまうしける。じふさんでげんぶくしたりしにも、まづやはたへまゐり、つやして、「わがしだいのそぶぎかのあつそんは、このおんがみのおんことなして、なをはちまんたらうよしいへとかうしき。かつうはそのあとをおふべしとて、ごほうぜんにてもとどりとりあげ、きそのじらう義仲とこそつけたりけれ。つねはめのとのちうざうにぐせられて、みやこへのぼり、へいけのふるまひありさまどもをも、よくよくみうかがひけり。きそあるときめのとのかなとほをようで、「そもそもひやうゑのすけ頼朝は、とうはつかこくをうちしたがへて、とうかいだうよりせめのぼり、へいけをおひおとさんとすなり。義仲もとうせんほくろくりやうだうをしたがへて、いまいちにちもさきにへいけをほろぼして、たとへばにつぽんごくにふたりのしやうぐんとあふがれんとおもふはいかに」とのたまへば、かねとほおほきにかしこまりよろこんで、「そのれうにこそ、きみをばこのにじふよねんまでやういくしたてまつてさふらへ。かやうにおほせらるるこそ、はちまんどののおんすゑともおぼえさせましませ」とて、やがてむほんをくはだつ。「まづめぐらしぶみさふらふべし」とて、しなののくにには、ねのゐのこやたしげののゆきちかをかたらふに、そむくことなし。これをはじめてしなのいつこくのつはものども、みなしたがひつきにけり。かうづけのくにには、たごのこほりのつはものども、ちちよしかたがよしみによつて、これもしたがひつきにけり。へいけのすゑにP363なりぬるをりをえて、げんじねんらいのそくわいをとげんとす。
 

6 飛脚到来(ひきやくたうらい)

きそといふところは、しなのにとつてもみなみのはし、みのざかひなれば、みやこもむげにほどちかし。へいけのひとびと、「とうごくのそむくだにあるに、ほくこくさへこはいかに」とて、おほきにおそれさわがれけり。にふだうしやうこくのたまひけるは、「たとひしなのいつこくのものどもこそ、きそにしたがひつくといふとも、越後のくにには、よごしやうぐんのばつえふ、じやうのたらうすけなが、おなじきしらうすけもち、これらはきやうだいともにたぜいのものなり。おほせくだしたらんに、やすううつてまゐらせてんず」とのたまへば、「げにも」とまうすひともあり、「いやいや、ただいまおんだいじにおよびなんず」と、ささやくひとびともありけるとかや。にんぐわつひとひのひ、ぢもくおこなはれて、越後のくにの住人、じやうのたらうすけなが、越後のかみににんず。これはきそつゐたうせらるべきはかりごととぞきこえし。おなじきなぬかのひ、だいじんくぎやう、いへいへにして、そんじようだらにならびにふどうみやうわうかきくやうせらる。これはひやうらんつつしみのためとぞきこえし。おなじきここのかのひ、かはちのくにのいしかはのこほりにきよぢうしけるむさしのごんのかみにふだうよしもと、しそくいしかはの判官だいよしかぬ、これもへいけをそむいて、頼朝にこころをかよはして、とうごくへおちくだるべしなどきこえしかば、へいけやがてうつてをつかはす。たいしやうぐんにはげんだいふのはうぐわんすゑさだ、つのはうぐわんもりずみ、つがふそのせいさんぜんよきで、かはちのくにへはつかうす。じやうのうちには、よしもとぼつしをはじめとして、わづかひやくきばかりにはすぎざりけり。うのこくよりやあはせして、ひとひたたかひくらし、よにいりければ、よしもとぼつしうちじにす。しそくいしかはの判官だいよしかぬは、いたでおうていけどりにこそせられけれ。おなじきじふいちにち、よしもとぼつしがかうべ、みやこへいつておほぢをわたさる。りやうあんにぞくしゆをわたさるること、ほりかはのゐんほうぎよのとき、さきのつしまのかみみなもとのよしちかがかうべをわたされし、そのれいとぞきこえし。あくるじふににち、ちんぜいよりひきやくたうらい、うさのだいぐうじきんみちがまうしけるは、ちんぜいのものども、をがたのさぶらうこれよしをはじめとして、うすき、へつぎ、まつらたうにいたるまで、いつかうへいけをそむいて、げんじにどうしんのよしまうしたりければ、へいけのひとびと、「とうごくほくこくのそむくだにあるに、さいこくさへこはいかに」とて、てをうつてあさみあはれけり。おなじきじふろくにち、いよのくによりひきやくたうらい、こぞのふゆのころより、いよのくにの住人、かはののしらうみちきよ、いつかうへいけをそむいて、げんじにどうしんのあひだ、びんごのくにの住人、ぬかのにふだうさいじやくは、へいけにこころざしふかかりければ、そのせいさんぜんよきでいよのくにへおしわたり、だうぜんだうごのさかひなるたかなほのじやうにおしよせて、さんざんにせめければ、かはののしらうみちきようちじにす。しそくかはののしらうみちのぶは、あきのくにの住人、ぬたのじらうはははかたのをぢなりければ、それへこえてありあはず、ちちをうたせてやすからずおもひけるが、いかにもしてさいじやくをうつとらんとぞうかがひける。ぬかのにふだうさいじやくは、しこくのらうぜきをしづめて、こんねんしやうぐわつじふごにち、びんごのともへおしわたり、いうくんいうぢよどもめしあつめて、あそびたはぶれ、さかもりけるところへ、かはののしらうみちのぶ、おもひきつたるものども、ひやくよにんあひかたらつて、ばつとおしよす。さいじやくがかたにもさんびやくよにんありけれども、にはかごとにてありければ、おもひまうけず、あわてふためきけるが、たてあふものをばいふせきりふせ、まづさいじやくをいけどつて、いよのくにへおしわたり、ちちがうたれたるたかなほのじやうまでさげもてゆき、のこぎりにてくびをきつたりともきこゆ。またはつつけにしたりともきこえけり。
 

7 入道死去(にうだうしきよ)

そののちはしこくのものども、かはののしらうにしたがひつく。またきのくにの住人、くまののべつたうたんぞうは、へいけぢうおんのみなりしが、たちまちにこころがはりして、げんじにどうしんのよしきこえしかば、へいけのひとびと、とうごくほくこくのそむくだにあるに、なんかいさいかいかくのごとし。いてきのほうきみみをおどろかし、げきらんのせんべうしきりにそうす。しいたちまちにおこれり。よすでにうせなんとすることは、かならずへいけのいちもんにあらねども、こころあるひとびとの、なげきかなしまぬはなかりけり。

「にふだうせいきよ」おなじきにじふさんにち、ゐんのてんじやうにて、にはかにくぎやうせんぎあり。さきのうだいしやうむねもりのきやうのまうされけるは、こんどばんどうへうつてはむかうたりといへども、させるしいだしたることもなし。こんどはむねもりたいしやうぐんをうけたまはつて、とうごくほくこくのきようとらをつゐたうすべきよしまうされければ、しよきやうしきだいして、「むねもりのきやうのまうしじやう、ゆゆしうさふらひなんず」とぞまうされける。ほふわうおほきにぎよかんありけり。くぎやうてんじやうびとも、ぶくわんにそなはり、すこしもきうせんにたづさはらんほどのひとびとは、むねもりをたいしやうぐんとして、とうごくほくこくのきようとらを、つゐたうすべきよしおほせくださる。
おなじきにじふしちにちかどでして、すでにうつたたんとしたまひけるやはんばかりより、にふだうしやうこくゐれいのここちとて、とどまりたまひぬ。あくるにじふはちにち、ぢ
うびやうをうけたまへりときこえしかば、きやうぢう六波羅ひしめきあへり。「すはしつるは」。「さみつることよ」とぞささやきける。にふだうしやうこくやまひつきたまへるひよりして、ゆみづものどへいれられず、みのうちのあつきことは、ひをたくがごとし。ふしたまへるところ、しごけんがうちへいるものは、あつさたへがたし。ただのたまふこととては、「あたあた」とばかりなり。まことにただごとともみえたまはず。あまりのたへがたさにや、ひえいさんよりせんじゆゐのみづをくみくだし、いしのふねにたたへ、それにおりてひえたまへば、みづおびたたしうわきあがつて、ほどなくゆにぞなりにける。もしやとかけひのみづをまかすれば、いしやくろがねなどのやけたるやうに、みづほと
ばしつてよりつかず。

おのづからあたるみづは、ほむらとなつてもえければ、こくえんてんちうにみちみちて、ほのほうづまいてぞあがりける。これやむかしほふざうそうづと
いひしひと、えんわうのしやうにおもむいて、ははのしやうじよをたづねしに、えんわうあはれみたまひて、ごくそつをあひそへて、せうねつぢごくへつかはさる。くろがねのも
んのうちへさしいつてみれば、りうしやうなどのごとくに、ほのほそらにうちのぼり、たひやくゆじゆんにおよびけんも、これにはすぎじとぞおぼえける。またにふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどのの、ゆめにみたまひけることこそおそろしけれ。たとへばみやうくわのおびたたしうもえたるくるまの、ぬしもなきを、もんのうちへやりいれたるをみれば、くるまのぜんごにたつたるものは、あるひはうしのおもてのやうなるものもあり、あるひはむまのやうなるものもあり。くるまのまへには、むといふもじばかりあらはれたる、くろがねのふだをぞうつたりけり。にゐどのゆめのうちに、「これはいづくよりいづちへ」ととひたまへば、「へいけだいじやうのにふだうどののあくぎやうてうくわしたまへるによつて、えんまわうぐうよりのおんむかひのおんくるまなり」とまうす。「さてあのふだはいかに」ととひたまへば、「なんえんぶだいこんどうじふろくぢやうのるしやなぶつ、やきほろぼしたまへるつみによつて、むげんのそこにしづめたまふべきよし、えんまのちやうにておんさたありしが、むげんのむをばかかれたれども、いまだけんのじをばかかれぬなり」とぞまうしける。にゐどのゆめさめてのち、あせみづになりつつ、これをひとにかたりたまへば、きくひとみなみのけよだちけり。

れいぶつれいしやへこんごんしつぱうをなげ、むまくらよろひかぶとゆみやたちかたなにいたるまで、とりいではこびいだして、いのりまうされけれども、かなふべしともみえたまはず。ただなんによのきんだち、あとまくらにさしつどひて、なげきかなしみたまひけり。うるふにんぐわつふつかのひ、にゐどのあつさたへがたけれども、にふだうしやうこくのおんまくらによつて、「おんありさまみたてまつるに、ひにそへてたのみすくなうこそみえさせおはしませ。もののすこしもおぼえさせたまふとき、おぼしめすことあらば、おほせおかれよ」とぞのたまひける。にふだうしやうこく、ひごろはさしもゆゆしうおはせしかども、いまはのときにもなりしかば、よにもくるしげにて、いきのしたにてのたまひけるは、「たうけは保元平治よりこのかた、どどのてうてきをたひらげ、けんじやうみにあまり、かたじけなくもいつてんのきみのごぐわいせきとして、しようじやうのくらゐにいたり、えいぐわすでにしそんにのこす。こんじやうののぞみは、いちじもおもひおくことなし。ただおもひおくこととては、ひやうゑのすけ頼朝がかうべをみざりつることこそ、なによりもまたほいなけれ。われいかにもなりなんのち、ぶつじけうやうをもすべからず、だうたふをもたつべからず。いそぎうつてをくだし、頼朝がかうべをはねて、わがはかのまへにかくべし。それぞこんじやうごしやうのけうやうにてあらんずるぞ」とのたまひけるこそ、いとどつみふかうはきこえし。もしやたすかると、いたにみづをおきて、ふしまろびたまへども、たすかるここちもしたまはず。おなじきしにちのひ、もんぜつびやくちして、つひにあづちじににぞしたまひける。むまくるまのはせちがふおとは、てんもひびきだいぢもゆるぐばかりなり。いつてんのきみ、ばんじようのあるじの、いかなるおんことましますとも、これにはいかでかまさるべき。こんねんはろくじふしにぞなられける。おいじにといふべきにはあらねども、しゆくうんたちまちにつきぬれば、だいほふひほふのかうげんもなく、しんめいぶつだのゐくわうもきえ、しよてんもおうごしたまはず。いはんやぼんりよにおいてをや。みにかはりいのちにかはらんと、ちうをぞんぜしすまんのぐんりよは、たうしやうたうかになみゐたれども、これはめにもみえず、ちからにもかかはらぬむじやうのせつきをば、ざんじもたたかひかへさず、またかへりこぬしでのやま、みつせがは、くわうせんちううのたびのそらに、ただいつしよこそおもむかれけれ。されどもひごろつくりおかれしざいごふばかりこそ、ごくそつとなつてむかひにもきたりけめ。あはれなりしことどもなり。さてしもあるべきことならねば、おなじきなぬかのひ、おたぎにてけぶりになしたてまつり、こつをばゑんじつほふげんくびにかけ、つのくにへくだり、きやうのしまにぞをさめける。さしもにつぽんいつしうになをあげ、ゐをふるひしひとなれども、みはひとときのけぶりとなつて、みやこのそらへたちのぼり、かばねはしばしやすらひて、はまのまさごにたはぶれつつ、むなしきつちとぞなりたま
ふ。
 

8 経の島(きやうのしま)

さうそうのよ、ふしぎのことありけり。たまをのべ、きんぎんをちりばめて、つくられたりけるにしはちでうどの、そのよにはかにやけにけり。ひとのいへのやくることは、つねのならひなれども、なにもののしわざにやありけん、はうくわとぞきこえし。また六波羅のみなみにあたつて、ひとならばにさんじふにんばかりがこゑして、「うれしやみづ、なるはたきのみづ」といふひやうしをいだいて、まひをどり、どつとわらふこゑしけり。さんぬるしやうぐわつには、しやうくわうかくれさせたまひて、てんがりやうあんになりぬ。わづかいちりやうぐわつをへだてて、にふだうしやうこくこうぜられぬ。こころなきあやしのものも、いかがうれへざるべき。いかさまこれはてんぐのしよゐといふさたにて、へいけのはやりをのつはものどもひやくよにん、わらふこゑについてこれをたづぬるに、ゐんのごしよほふぢうじどのには、このさんかねんはゐんもわたらせたまはず。ごしよあづかり備前のぜんじもとむねといふものあり。かのもとむねがあひしつたるものども、さけをもつてきたりあつまり、のみけるが、「かかるをりふしにおとなせそ」とてのみけるが、しだいにのみゑひて、かやうにはまひをどりけるなり。六波羅のつはものどもこれをききつけ、ばつとおしよせ、さけにゑひどもにさんじふにんからめとつて、六波羅へゐてまゐり、つぼのうちにひつすゑさせ、さきのうだいしやうむねもりのきやう、おほゆかにたつて、ことのしさいをたづねききたまひて、「げにもさやうにのみゑひたらんずるものを、さうなくきるべきやうなし」とて、みなかへされけり。じやうげひとのうせぬるあとには、あさゆふにかねうちならし、れいじせんぼふすることは、つねのならひなれども、このぜんもんこうぜられてのちは、いささかくぶつせそうのいとなみといふこともなし。あさゆふただいくさかつせんのいとなみのほかは、またたじなしとぞみえし。
およそはさいごのしよらうのありさまどもこそ、うたてけれども、まことには、ただびとともおぼえぬことどもおほかりけり。ひよしのやしろへまゐりたまひしにも、たうけたけのくぎやうおほくぐぶして、「せふろくのしんのかすがのごさんけい、うぢいりなどまうすとも、これにはいかでかまさるべき」とぞひとまうしける。なによりもまたふくはらのきやうのしまついて、じやうげわうらいのふねの、いまのよにいたるまで、わづらひなきこそめでたけれ。かのしまは、さんぬるおうほう元年にんぐわつじやうじゆんに、つきは
じめられたりけるが、おなじきはちぐわつふつかのひ、にはかにおほかぜふきおほなみたつて、みなゆりうしなひてき。おなじきさんねんさんぐわつげじゆんに、あはのみん
ぶしげよしをぶぎやうにてつかれけるに、ひとばしらたてらるべきなんど、くぎやうせんぎありしかども、それはなかなかざいごふなるべしとて、いしのおもてにいつさいきや
うをかいて、つかれたりけるゆゑにこそ、きやうのしまとはなづけけれ。
 
 

9 慈心坊(じしんばう)

あるひとのまうしけるは、清盛こうはただびとにはあらず。じゑそうじやうのけしんなり。そのゆゑは、つのくにせいちようじのひじり、じしんばうそんゑとまうししは、もとはえいざんのがくりよ、たねんほつけのぢしやなり。しかるをだうしんおこしりさんして、このてらにすみけるを、ひとみなきえしけり。さんぬるじようあんにねんじふにんぐわつにじふににちのよにいつて、そんゑじやうぢうのぶつぜんにいたり、けふそくによりかかつて、ほけきやうよみたてまつりけるところに、ゆめともなくうつつともなく、じやうえにたてゑぼしきて、わらんづはばきしたるをとこににん、たてぶみをもつてきたり。そんゑゆめのうちに、「あれはいづくよりぞ」ととひたまへば、「えんまわうぐうよりせんじのさふらふ」とてそんゑにわたす。そんゑこれをひらいてみるに、「なんえんぶだいだいにつぽんごくつのくにせいちようじのひじり、じしんばうそんゑ、らいにじふろくにちえんまらじやうだいこくでんにして、じふまんぶのほけきやうあり。じふまんごくよりじふまんにんのそうをくやうし、ほつけてんどくせらるべきなり。

そんゑもそのにんずたるうへ、いそぎさんきんせらるべし。えんわうせんよつてくつしやうくだんのごとし。じようあんにねんじふにんぐわつにじふににち、えんまのちやう」と
ぞかかれたる。そんゑいなみまうすにおよばねば、やがてりやうじようのうけぶみをたてまつるとおぼえて、ゆめさめぬ。これをゐんじゆのくわうやうばうにかたりたりければ、きくひとみのけよだちけり。そののちはひとへにしきよのおもひをなして、くちにはぶつみやうをとなへ、こころにいんぜふのひぐわんをねんず。おなじきにじふごにちのよにいつて、またじやうぢうのぶつぜんにまゐり、れいのごとくねんじゆどくきやうす。ねのこくばかり、ねぶりせつなるがゆゑに、ぢうばうにかへつてうちふす。うしのこくばかり、またさきのごとくにをとこににんきたつて、とうとうとすすむるあひだ、そんゑさんけいいたさんとすれば、えはつさらになし。えんわうせんをじせんとすれば、はなはだそのおそれあり。このおもひをなすところに、ほふえじねんにみにまとつてかたにかかり、てんよりこがねのはちくだる。ににんのじゆぞう、ににんのどうじ、じふにんのげそう、しつぽうのだいしや、じばうのまへにげんず。そんゑよろこんでくるまにのり、せいほくにむかつてそらをかけるとおぼえて、ほどなくえんまわうぐうにいたりぬ。

わうぐうのていをみるに、ぐわいくわくくわうくわうとして、そのうちべうべうたり。そのなかにしつぽうしよじやうのだいこくでんあり。かうくわうこんじきにして、さらにぼんぶのまなこにおよびがたし。そのひのほふゑをはつてのち、よそうらみなかへりさんぬ。そんゑはだいこくでんのなんぱうのちうもんにたつて、はるかのだいこくでんをみわたせば、みやうくわんみやうじゆ、みなえんまほふわうのおんまへにかしこまる。ありがたきさんけいなり。このついでにごしやうのざいしやうをたづねまうさんとおもつてあゆみむかふ。そのあひだにににんのじゆそうはこをもち、ににんのどうじかいをさし、じふにんのげそうれつをひいて、やうやうあゆみちかづくとき、えんまほふわう、みやうくわんみやうじゆ、ことごとくおりむかふ。やくわうぼさつ、ゆうぜぼさつ、ににんのじゆそうにへんじ、たもんぢこく、ににんのどうじにげんず。じふらせつによ、じふにんのげそうにへんじて、ずゐちくきふじしたまへり。えんわうとつてのたまはく、「よそうらみなかへりさんぬ。おんばういちにんきたることいかん」。そんゑこたへまうされけるは、「われえうせうより、ほつけてんどくまいにちおこたらずといへども、ごしやうのざいしやうをいまだしらず、たづねまうさんがためなり」。えんわうおほせけるは、「わうじやうふわうじやうはひとのしんふしんにありとうんぬん。それほつけはさんぜのしよぶつのしゆつせのほんくわい、しゆじやうじやうぶつのぢきだうなり。いちねんしんげのくどくは、ごはらみつのぎやうにもこえ、ごじふてんでんのずゐきのくどくは、はちじつかねんのふせにもすぐれたり。

さればなんぢかのくりきによつて、とそつのないゐんにしやうずべし」とぞおほせける。えんわうまたみやうくわんにちよくしておほせけるは、「このひとのいちごのぎやう、さぜんのふばこにあり。とりいだいてけたのひもんみせたてまつれ」とおほせければ、みやうくわんかしこまりうけたまはつて、なんぱうのほうざうにゆいて、かのひとつのふばこをとつてまゐり、すなはちふたをひらいてよみきかす。いちごがあひだおもひとおもひ、せしとせしことの、ひとつとしてあらはれずといふことなし。そんゑひたんていきふして、「ただねがはくは、しゆつりしやうじのはうほふををしへ、しようだいぼだいのぢきだうをしめしたまへ」となくなくまうされければ、えんわうあいみんけうげして、しゆじゆのげをじゆす。さいしわうゐざいけんぞくしこむいちらいさうしんじやうずゐごふきけいばくがじゆくけうくわんむへんざいこのげをじゆしをはつて、そんゑにふぞくす。そんゑなのめならずによろこび、「なんえんぶだいだいにつぽんごくに、へいだいしやうこくとまうすひとこそ、つのくにわだのみさきをてんじて、しめんじふよちやうにやをたて、けふのじふまんぞうゑのごとく、おほくのぢきやうじやをくつしやうじて、ばうばうにいちめんにざにつけ、ねんじゆどくきやう、ていねいにごんぎやういたされさふらふ」とまうす。えんわうずゐきかんたんしたまひて、「くだんのにふだうはただびとにはあらず、まことにはじゑそうじやうのけしんなり。

そのゆゑは、てんだいのぶつぽふごぢのために、かりににつぽんにさいたんするゆゑに、われかのひとをにちにちにさんどらいするもんあり。くだんのにふだうにえさすべし」とて、きやうらいじゑだいそうじやうてんだいぶつぽふおうごしやじげんさいしよしやうぐんしんあくごふしゆじやうどうりやくこのもんをよみをはつて、そんゑにまたふぞくす。そんゑよろこびのなみだをながいて、なんぱうのちうもんをいづるとき、じふよにんのじゆそうら、くるまのぜんごをしゆごし、とうなんにむかつてそらをかけり、ほどなくかへりきたるかとおぼえて、ゆめのここちしていきいでぬ。そののちみやこへのぼり、にふだうしやうこくのにしはちでうのてい
にゆいて、このよしまうしたりければ、にふだうしやうこくなのめならずによろこび、やうやうにもてなし、さまざまのひきでものたうで、そのときのけんじやうには、りつしになされけるとぞきこえし。それよりしてこそ、清盛こうをば、じゑそうじやうのけしんとは、ひとみなしりてげり。ぢきやうしやうにんは、こうぼふだいしのさいたん、しらかはのゐんはまたぢきやうしやうにんのけしんなり。このきみはくどくのはやしをなし、ぜんごんのとくをかさねさせおはします。まつだいにも清盛こう、じゑそうじやうのけしんに
て、あくごふもぜんごんもともにP376こうをつんで、よのためひとのために、じたのりやくをなすとみえたり。かのだつたとしやくそんの、どうしゆじやうのりやくにことならず。
 
 

10 祇園女御(ぎをんにようご)

またふるいひとのまうしけるは、清盛こうはただびとにはあらず。まことにはしらかはのゐんのおんこなり。そのゆゑはさんぬるえいきうのころほひ、ぎをんにようごとて、さいはひじんおはしき。くだんのにようばうのすまひどころは、ひがしやまのふもと、ぎをんのほとりにてぞありける。しらかはのゐんつねはかしこへごかうなる。あるときてんじやうびといちりやうにん、ほくめんせうせうめしぐして、しのびのごかうありしに、ころはさつきはつかあまり、まだよひのことなるに、さみだれさへかきくれて、よろづものいぶせかりけるをりふし、くだんのにようばうのしゆくしよちかうみだうあり。みだうのかたほとりより、ひかりものこそいできたれ。かしらはしろがねのはりをみがきたてたるやうにきらめき、かたてにはつちのやうなるものをもち、かたてにはひかるものをぞもつたりける。これぞまことのおにとおぼゆる。てにもてるものは、きこゆるうちでのこづちなるべし。いかがせんとて、きみもしんもおほきにさわがせおはします。そのとき忠盛、ほくめんのげらふにて、ぐぶせられたりけるを、ごぜんへめして、「このなかにはなんぢぞあるらん。あのものいもころし、きりもとどめなんや」とおほせければ、かしこまりうけたまはつてあゆみむかふ。

ただもりないないおもひけるは、このものさしてたけきものとはみえず、おもふにきつねたぬきのしわざにてぞあるらん。これをいもころし、きりもとどめたらんは、むげにねんなからまし。おなじくはいけどりにせんとおもうて、あゆみむかふ。とばかりあつてはさつとはひかり、とばかりあつてはさつとはひかり、にさんどしけるを、忠盛はしりよつてむずとくむ。くまれて、「こはいかに」とさわぐ。へんげのものにてはなかりけり。ひとにてぞさふらひける。そのときじやうげてんでにひをともいて、これをごらんじみたまふに、ろくじふばかりのほふしなり。たとへばみだうのじようじぼふしにてありけるが、ほとけにみあかしをまゐらせんとて、かたてにはてがめといふものにあぶらをいれてもち、かたてにはかはらけにひをいれてぞもつたりける。あめはいにいてふる。ぬれじとて、こむぎのわらをひきむすんでかづいたりけるが、かはらけのひにかがやいて、ひとへにしろがねのはりのごとくにはみえけるなり。ことのていいちいちしだいにあらはれぬ。「これをいもころし、きりもとどめたらんは、いかにねんなからまし。忠盛がふるまひこそまことにしりよふかけれ。ゆみやとりはやさしかりけるものかな」とて、さしもごさいあいときこえしぎをんにようごを、忠盛にこそくだされけれ。このにようごはらみたまへり。「うめらんこ、によしならばちんがこにせん。なんしならば、忠盛とりて、ゆみやとりにしたてよ」とぞおほせける。すなはちなんをうめり。ことにふれてはひろうせざりけれども、ないないはもてなしけり。

このこといかにもしてそうせばやとおもはれけれども、しかるべきびんぎもなかりけるが、あるときしらかはのゐん、くまのへごかうなる。きのくにいとがさかといふところに、おんこしかきすゑさせ、しばらくごきうそくありけり。そのとき忠盛、やぶにいくらもありけるぬかごを、そでにもりいれ、ごぜんへまゐりかしこまつて、いもがこははふほどにこそなりにけれとまうされたりければ、ゐんやがておんこころえあつて、
忠盛とりてやしなひにせよ W047とぞつけさせましましける。さてこそわがことはもてなされけれ。このわかぎみ、あまりによなきをしたまひしかば、ゐんきこしめして、いつしゆのごえいをあそばいてぞくだされける。

よなきすと忠盛たてよすゑのよにきよくさかふることもこそあれ W048

それよりしてこそ清盛とはなのられけれ。じふにのとしげんぶくしてひやうゑのすけになり、じふはちのとししほんして、しゐのひやうゑのすけとまうせしを、しさいぞんぢせぬひとは、「くわぞくのひとこそかうは」とまうされければ、とばのゐんはしろしめして、「清盛がくわぞくはひとにおとらじ」とこそおほせけれ。むかしもてんぢてんわう、はらみたまへるにようごをたいしよくくわんにたまふとて、「このにようごのうめらんこ、によしならばちんがこにせん、なんしならばしんがこにせよ」とおほせけるに、すなはちなんをうめり。たふのみねのほんぐわんぢやうゑくわしやうこれなり。しやうだいにもかかるためしありければ、まつだいにも清盛こう、まことにはしらかはのゐんのわうじとして、さしもたやすからぬてんがのだいじ、みやこうつりなどいふことをも、おもひたたれけるにこそ。

「すのまたかつせん」おなじきはつかのひ、ごでうのだいなごんくにつなのきやうもうせたまひぬ。にふだうしやうこくとさしもちぎりふかうおはせしが、どうにちにやまひついて、おなじつきうせたまひけるこそふしぎなれ。おなじきにじふににち、さきのうだいしやうむねもりのきやうゐんざんして、ゐんのごしよをほふぢうじどのへごかうなしたてまつるべきよしそうせらる。かのごしよはさんぬるおうほう元年しんぐわつじふごにちにつくりいだされて、いまびよし、いまぐまの、まぢかうくわんじやうしたてまつり、せんずゐこだちにいたるまで、おぼしめすままなりしが、へいけのあくぎやうによつて、このにさんかねんは、ゐんもわたらせたまはず。ごしよのはゑしたるをしゆりして、ごかうなしまゐらすべきよし、そうもんせられたりければ、ほふわう、「なんのやうもあるべからず。ただとうとう」とてごかうなる。まづこけんしゆんもんゐんのおはしけるおんかたをごらんずれば、きしのまつ、みぎはのやなぎ、としへにけりとおぼしくて、こだかくなれり。たいえきのふよう、びあうのやなぎ、これにむかふにいかんがなんだすすまざらん。かのなんだいせいきうのむかしのあと、いまこそおぼしめししられけれ。さんぐわつひとひのひ、なんとのそうがうら、みなゆるされてほんぐわんにふくす。まつじしやうゑんいつしよもさうゐあるべからざるよしおほせくださる。おなじきみつかのひ、だいぶつでんことはじめあり。ことはじめのぶぎやうには、さきのさせうべんゆきたかぞまゐられける。このゆきたか、せんねんやはたへまゐり、つやせられたりけるゆめに、ごはうでんのみとおしひらき、びんづらゆうたるてんどうのいでて、「これはだいぼさつのおつかひなり。だいぶつでんことはじめのぶぎやうのときは、これをもつべし」とて、しやくをたまはるといふゆめをみて、さめてのちみたまへば、うつつにまくらがみにぞさふらひける。あなふしぎ、たうじなにごとあつてか、だいぶつでんことはじめのぶぎやうにはまゐるべしとおもはれけれども、ごれいむなれば、くわいちうしてしゆくしよにかへり、ふかうをさめておかれけるが、へいけのあくぎやうによつて、なんとえんしやうのあひだ、おほくのべんのなかに、このゆきたかえらびいだされて、だいぶつでんことはじめのぶぎやうにまゐられけるしゆくえんのほどこそめでたけれ。

おなじきとをかのひ、みののくにのもくだい、はやむまをもつてみやこへまうしけるは、げんじすでにをはりのくにまでせめのぼり、みちをふさいで、ひとをいつかうとほさぬよしまうしたりければ、へいけやがてうつてをさしむけらる。たいしやうぐんには、さひやうゑのかみ知盛、さちうじやうきよつね、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじう
ただふさ、さぶらひだいしやうには、ゑつちうのじらうひやうゑもりつぎ、かづさのごらうひやうゑただみつ、あくしちびやうゑかげきよをさきとして、つがふそのせいさんまんよき、をはりのくにへはつかうす。にふだうしやうこくこうぜられて、わづかにごじゆんをだにみたざるに、さこそみだれたるよといひながら、あさましかりしことどもなり。

げんじのかたには、じふらうくらんどゆきいへ、ひやうゑのすけのおとときやうのきみぎゑん、つがふそのせいろくせんよき、をはりがはをへだてて、源平りやうばうにぢんをとる。おなじきじふろくにちのよにいつて、げんじろくせんよきかはをわたいて、へいけさんまんよきがせいのなかへかけいり、とらのこくよりやあはせして、よのあくるまでたたかふに、へいけのかたにはちつともさわがず。「かたきはかはをわたいたれば、むまもののぐもみなぬれたるぞ。それをしるしにうてや」とて、げんじをなかにとりこめて、われうつとらんとぞすすみける。ひやうゑのすけのおとときやうのきみぎゑん、ふかいりしてうたれにけり。じふらうくらんどゆきいへさんざんにたたかひ、いへのこらうどうおほくいさせ、ちからおよばで、かはよりひがしへひきしりぞく。へいけやがてかはをわたいて、おちゆくげんじを、おふものいにいてゆくに、あそこここにてかへしあはせて、ふせぎたたかふといへども、たぜいにぶぜい、かなふべしともみえざりけり。「すゐえきをうしろにすることなかれとこそいふに、こんどのげんじのはかりごとはおろかなり」とぞひとまうしける。じふらうくらんどゆきいへはひきしりぞき、みかはのくににうちこえて、やはぎがはのはしをひき、かいだてかいてまちかけたり。

へいけやがてつづいてせめたまへば、そこをもつひにせめおとされぬ。なほもつづいてせめたまはば、みかはとほたふみのせいは、たやすうつくべかりしを、たいしやうぐんさひやうゑのかみとももり、いたはりありとて、みかはのくによりみやこへかへりのぼられけり。こんどもわづかにいちぢんをこそやぶられたれども、ざんたうをせめざれば、させるしいだしたることなきがごとし。へいけはきよきよねんこまつのおとどこうぜられぬ。こんねんまたにふだうしやうこくうせたまひぬ。うんめいのすゑになることあらはなりしかば、ねんらいおんこのともがらのほかは、したがひつくものなかりけり。とうごくはくさもきも、みなげんじにぞなびきける。
 
 

11 しわがれ声(しはがれごゑ)

さるほどに越後のくにの住人、じやうのたらうすけなが、越後のかみににんぜらる。てうおんのかたじけなさに、きそつゐたうのためにとて、そのせいさんまんよきで、しなののくにへはつかうす。ろくぐわつじふごにちにかどでして、すでにうつたたんとしけるやはんばかり、にはかにそらかきくもり、いかづちおびたたしうなつて、おほあめくだり、てんはれてのち、こくうにしはがれたるこゑをもつて、「なんえんぶだいこんどうじふろくぢやうのるしやなぶつやきほろぼしたてまつたるへいけのかたうどするものここにあり。

よつてめしとれや」と、みこゑさけんでぞとほりける。じやうのたらうをはじめとして、これをきくつはものども、みなみのけよだちけり。らうどうども、「これほどおそろしきてんのおんつげのさふらふに、ただりをまげてとまらせたまへ」といひけれども、「ゆみやとるみの、それによるべからず」とて、じやうをいでて、わづかにじふよちやうぞゆきたりける。またくろくもひとむらたちきたつて、すけなががうへにおほふとみえしが、たちまちにみすくみこころほれて、らくばしてけり。こしにかかれてたちへかへり、うちふすことみときばかりあつて、つひにしににけり。ひきやくをもつてみやこへこのよしまうしたりければ、へいけのひとびと、おほきにおそれさわがれけり。おなじきしちぐわつじふしにちかいげんあつて、やうわとかうす。そのひぢもくおこなはれて、ちくごのかみさだよし、ひごのかみになつて、ちくぜんひごりやうごくをたまはつて、ちんぜいのむほんたひらげに、そのせいさんぜんよきで、ちんぜいへはつかうす。またそのひひじやうのしやおこなはれて、さんぬるぢしようさんねんにながされたまひしひとびと、みなみやこへめしかへさる。にふだうまつどのてんが、備前のくによりのぼらせたまふ。めうおんゐんのだいじやうのおほいどの、をはりのくによりごしやうらく、あぜちのだいなごんすけかたのきやうは、しなののくによりきらくとぞきこえし。

おなじきにじふはちにち、めうおんゐんどのごゐんざん、さんぬるちやうくわんのきらくには、ごぜんのすのこにして、がわうおん、げんじやうらくをひきたまひしが、やうわの
いまのききやうには、せんとうにしてしうふうらくをぞあそばされける。いづれもいづれもふぜいをりをおぼしめしよらせたまひける、おこころばせこそめでたけれ。あぜちのだ
いなごんすけかたのきやうも、そのひおなじうゐんざんせらる。ほふわうえいらんあつて、「いかにやいかに、このころはならはぬひなのすまひして、えいきよくなども、いまは
さだめてあとかたあらじとこそおぼしめせども、まづいまやうひとつあれかし」とおほせければ、だいなごんひやうしとつて、「しなのにあんなるきそぢがは」といふいま
やうを、これはまさしうみきかれたりしかば、「しなのにありしきそぢがは」とうたはれけるこそ、ときにとつてのかうみやうなれ。
 

12 横田河原合戦(よこたかはらかつせん)

八月七日の日、くわんのちやうにして、大仁王会行はる。これはまさかどつゐたうのれいとぞきこえし。くぐわつひとひのひ、すみともつゐたうのれいとて、いせだいじんぐうへくろがねのよろひかぶとをまゐらせらる。ちよくしはさいしゆじんぎのごんのたいふおほなかとみのさだたか、みやこをたつて、あふみのくにかふがのうまやよりやまひついて、おなじきみつかのひ、いせのりきうにしてつひにしにぬ。またてうぶくのために、ごだんのほふうけたまはつておこなひけるこうざんぜのだいあじやり、だいぎやうじのひがんじよにして、ねじににしにぬ。しんめいもさんぱうも、ごなふじゆなしといふこといちじるし。まただいげんのほふうけたまはつておこなひける、あんじやうじのじつげんあじやりが、おんくわんじゆをまゐらせたるを、ひけんせられければ、へいじてうぶくのよしをちうしんしけるこそおそろしけれ。「こはいかに」とおほせければ、「てうてきてうぶくせよとおほせくださる。つらつらたうせいのていをみさふらふに、へいけもつぱらてうてきとみえたり。

よつてかれをてうぶくす。なんのとがやさふらふべき」とぞまうしける。このほふしきくわいなり、しざいかるざいかとさたありしかども、だいせうじのそうげきにうちまぎれて、なんのさたにもおよばず。へいけほろびげんじのよになつて、かまくらへくだり、このよしかくとまうしければ、かまくらどのかんじたまひて、そのけんじやうにそうじやうになされけるとぞきこえし。おなじきじふにんぐわつにじふしにち、ちうぐうゐんがうかうぶらせたまひて、建礼門院とぞまうしける。しゆじやういまだえうしゆのおんとき、ぼこうのゐんがう、これはじめとぞうけたまはる。さるほどにことしもくれてやうわもにねんになりにけり。せちゑいげつねのごとし。にんぐわつにじふいちにち、たいはくばうせいををかす。てんもんえうろくにいはく、「たいはくばうせいををかせば、しいおこる」といへり。また、「しやうぐんちよくめいをうけたまはつて、くにのさかひをいづ」ともみえたり。さんぐわつとをかのひ、ぢもくおこなはれて、へいけのひとびとたいりやくくわんかかいしたまふ。しんぐわつじふごにち、さきのごんせうそうづけんしん、ひよしのやしろにして、によほふにほけきやういちまんぶてんどくいたさるることありけり。ごけちえんのためにとてほふわうもごかうなる。なにもののまうしいだしたりけるやらん、いちゐんさんもんのだいしゆにおほせて、へいけつゐたうせらるべしときこえしかば、ぐんびやうだいりへさんじて、しはうのぢんどうをけいごす。

へいじのいちるゐ、みな六波羅へはせあつまる。ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、そのせいさんぜんよきで、ひよしのやしろへさんかうす。さんもんにまたきこえけるは、へいけやませめんとて、とうざんすときこえしかば、だいしゆひがしざかもとへおりくだつて、こはいかにとせんぎす。ほふわうもえいりよをおどろかさせおはします。くぎやうてんじやうびともいろをうしなひ、ほくめんのともがらどものなかには、あまりにあわてさわいで、わうずゐつくものおほかりけり。さんじやうらくちうのさうどうなのめならず。さるほどにしげひらのきやう、あなふのへんにて、ほふわうむかひとりまゐらせて、みやこへくわんぎよなしたてまつる。「いちゐんさんもんのだいしゆにおほせて、へいけつゐたうせらるべしといふことも、へいけまたやませめんといふことも、あとかたなきそらごとなり。ただてんまのよくあれたるにこそ」とぞひとまうしける。ほふわうおほせなりけるは、「かくのみあらんには、こののちはおんものまうでなどまうすおんことも、おんこころにはまかすまじきことやらん」とぞおほせける。おなじきはつかのひ、にじふにしやへくわんぺいしをたてらる。これはききんしつえきによつてなり。おなじきごぐわつにじふしにちにかいげんあつて、じゆえいとかうす。そのひぢもくおこなはれて、越後のくにのぢうにんじやうのしらうすけもち、越後のかみににんず。あにすけながせいきよのあひだ、ふきつなりとて、しきりにじしまうしけれども、ちよくめいなればちからおよばず。これによつてすけもちをながもちとかいみやうす。

さるほどにくぐわつふつかのひ、越後のくにの住人、じやうのしらうながもち、きそつゐたうのためにとて、越後、では、あひづしぐんのつはものどもをいんぞつして、つがふそのせいしまんよき、しなののくにへはつかうす。おなじきここのかのひ、たうごくよこたがはらにぢんをとる。きそはよだのじやうにありけるが、さんぜんよきでじやうをいでてはせむかふ。ここにしなのげんじ、ゐのうへのくらうみつもりがはかりごとに、さんぜんよきをななてにわかち、にはかにあかはたななながれつくつて、てんでにさしあげ、あそこのみね、ここのほらよりよせければ、越後のせいどもこれをみて、「あはやこのくににもみかたのありけるは。ちからつきぬ」とていさみよろこぶところに、しだいにちかうなりければ、あひづをさだめて、ななてがひとつになり、あかはたどもきりすてさせ、かねてよういしたりけるしらはたを、ざつとさしあげて、ときをどつとつくりければ、越後のせいどもこれをみて、「こはたばかられにけり。

かたきなんじふまんぎかあるらん、とりこめられてはかなふまじ」とて、あわてふためきけるが、あるひはかはへおつぱめられ、あるひはあくしよへおひおとされて、たすかるものはすくなう、うたるるものぞおほかりける。じやうのしらうがむねとたのみきつたる越後のやまのたらう、あひづのじようたんばうなどいふいちにんたうぜんのつはものども、そこにてみなうつとられぬ。じやうのしらう、わがみておひ、からきいのちをいきつつ、かはについて越後のくににひきしりぞく。ひきやくをもつてみやこへこのよしをまうしたりけれども、へいけのひとびとこれをことともしたまはず。おなじきじふろくにち、さきのうだいしやうむねもりのきやう、だいなごんにくわんぢやくして、じふぐわつみつかのひ、ないだいじんになりたまふ。おなじきなぬか、よろこびまうしのありしに、くぎやうにはくわざんのゐんちうなごんをはじめたてまつて、じふににんこしようしてやりつづけらる。くらんどのとうちかむねいげ、てんじやうびとじふろくにんぜんくす。ちうなごんしにん、さんみのちうじやうもさんにんまでおはしき。とうごくほくこくのげんじら、はちのごとくにおこりあひ、ただいまみやこへみだれいるよしきこえしかども、へいけのひとびとは、かぜのふくやらん、なみのたつやらんをもしりたまはず。かやうにはなやかなりしことども、なかなかいふかひなうぞみえし。さるほどにことしもくれて、じゆえいもにねんになりにけり。せちゑいげつねのごとし。しやうぐわついつかのひ、てうきんのぎやうがうありけり。これはとばのゐんろくさいにて、てうきんのぎやうがうありし、そのれいとぞきこえし。

にんぐわつにじふいちにち、むねもりこうじゆいちゐしたまふ。やがてそのひないだいじんをばじやうへうせらる。これはひやうらんつつしみのためとぞきこえし。なんとほくれ
いのだいしゆ、ゆやきんぽうせんのそうと、いせだいじんぐうのさいしゆじんぐわんにいたるまで、いつかうへいけをそむいて、げんじにこころをかよはしけり。しかいにせん
じをなしくだし、しよこくへゐんぜんをつかはせども、ゐんぜんせんじをも、みなへいけのげぢとのみこころえて、したがひつくものなかりけり。
 

巻第六 了



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2000.11.20
2001.10.05Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中