平家物語 巻第五  (流布本元和九年本)
 

 都還(みやこうつり)

治承四年六月三日の日、福原へ御幸なるべしときこゆ。このひごろ都うつりあるべしときこえしかども、たちまちにきんみやうのほどとは、おもはざりしものをとて、きやうぢうのじやうげさわぎあへり。みつかとさだめられたりしかども、あまつさへいまいちにちひきあげられて、ふつかになりぬ。ふつかのうのこくに、ぎやうがうのみこしをよせたりければ、しゆしやうはこんねんさんざい、いまだいとけなうましましければ、なにごころもなうぞめされける。しゆしやうをさなうわたらせたまふときのごとうよには、ぼこうこそまゐらせたまふに、これはそのぎなし。おんめのとそつのすけどのばかりこそ、ひとつおんこしにはまゐられけれ。ちうぐう、いちゐん、しやうくわうもごかうなる。せつしやうどのをはじめたてまつて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、われもわれもとぐぶせらる。平家にはだいじやうのにふだうをはじめまゐらせて、いちもんのひとびとみなまゐられけり。あくるみつかのひ、福原へいらせおはします。

入道相国の弟、いけのちうなごんよりもりのきやうのさんざう、くわうきよになる。おなじきよつかのひ、よりもり、いへのしやうとてじやうにゐしたまふ。くでうどののおんこ、うだいしやうよしみちのきやう、かかいこえられさせたまひけり。せふろくのしんのごしそく、はんじんのじなんにかかいこえられさせたまふこと、これはじめとぞうけたまはる。にふだうしやうこくやうやうおもひなほつて、ほふわうをばとばのきたどのをいだしまゐらせて、みやこへくわんぎよなしたてまつられたりしが、たかくらのみやのごむほんによつて、おほきにいきどほり、また福原へごかうなしたてまつり、しめんにはたいたして、くちひとつあきたるうちに、さんげんのいたやをつくつて、おしこめたてまつる。しゆごのぶしには、はらだのたいふたねなほばかりぞさふらひける。たやすうひとのまゐりかよふべきやうもなければ、わらんべなどは、ろうのごしよとぞまうしける。きくもいまいましう、あさましかりしことどもなり。ほふわう、「いまはよのまつりごとをしろしめさばやとは、つゆもおぼしめしよらず。

ただやまやまてらでらしゆぎやうして、おんこころのままになぐさまばや」とぞおほせける。「平家のあくぎやうにおいては、ことごとくきはまりぬ。さんぬるあんげんよりこのかた、おほくのだいじんくぎやう、あるひはながしあるひはうしなひ、くわんばくながしたてまつて、わがむこをくわんばくになし、ほふわうをせいなんのりきうにおしこめたてまつり、あまつさへだいにのわうじたかくらのみやうちたてまつて、いまのこるところのみやこうつりなれば、かやうにしたまふにや」とぞひとまうしける。みやこうつりはこれせんじようなきにあらず。じんむ天皇とまうすは、ぢじんごだいのてい、ひこなぎさたけうがやふきあはせずのみことだいしのわうじ、おんはははたまよりひめ、かいじんのむすめなり。かみのよじふにだいのあとをうけ、にんだいはくわうのていそなり。かのとのとりのとし、ひうがのくにみやざきのこほりにして、くわうわうのほうそをつぎ、ごじふくねんといひしつちのとひつじのとしじふぐわつにとうせいして、とよあしはらなかつくににとどまり、このころやまとのくにとなづけたる、うねびのやまをてんじて、ていとをたて、かしはらのちをきりはらつて、きうしつをつくりたまへり。

これをかしはらのみやとなづけたり。それよりこのかた、だいだいのていわう、みやこをたこくたしよへうつさるること、さんじふどにあまり、しじふどにおよべり。じんむ天皇よりけいかう天皇までじふにだいは、やまとのくにこほりごほりにみやこをたてて、たこくへはつひにうつされず。しかるをせいむ天皇ぐわんねんに、あふみのくににうつつて、しがのこほりにみやこをたつ。ちうあい天皇にねんに、ながとのくににうつつて、とよらのこほりにみやこをたつ。そのくにかのみやこにして、みかどかくれさせたまひしかば、きさきじんぐうくわうこう、おんよをうけとらせたまひ、によたいとして、きかい、かうらい、けいたんまでせめしたがへさせたまひけり。いこくのいくさをしづめさせたまひて、きてうののち、ちくぜんのくにみかさのこほりにしてわうじごたんじやう、やがてそのところをば、うみのみやとぞまうしける。かけまくもかたじけなくやはたのおんことこれなり。くらゐにつかせたまひては、おうじん天皇とぞまうしける。そののちじんぐうくわうこうは、やまとのくににうつつて、いはれわかざくらのみやにおはします。おうじん天皇は、おなじきくにかるしまあかりのみやにすませたまふ。にんとく天皇ぐわんねんに、つのくになんぱにうつつて、たかつのみやにおはします。りちう天皇にねんに、またやまとのくににうつつて、とをちのこほりにみやこをたつ。はんせい天皇ぐわんねんに、かはちのくににうつつて、しばがきのみやにすませたまふ。いんぎよう天皇しじふにねんに、またやまとのくににうつつて、とぶとりのあすかのみやにおはします。

ゆうりやく天皇にじふいちねんに、おなじきくにはつせあさくらにみやゐしたまふ。けいたい天皇ごねんに、やましろのくにつづきにうつつてじふにねん、そののちおとぐんにみやゐしたまふ。せんくわ天皇ぐわんねんに、またやまとのくににうつつて、ひのくまのいるののみやにすませたまふ。かうとく天皇たいくわぐわんねんに、つのくにながらにうつつて、とよざきのみやにおはします。さいめい天皇にねんに、またやまとのくににうつつて、をかもとのみやにすませたまふ。てんぢ天皇ろくねんに、あふみのくににうつつて、おほつのみやにおはします。てんむ天皇ぐわんねんに、なほやまとのくににかへつて、をかもとのみなみのみやにすませたまふ。これをきよみばらのみかどとまうしき。ぢどうもんむにだいのせいてうは、ふぢはらのみやにおはします。げんめい天皇よりくわうにん天皇までしちだいは、ならのみやこにすませたまふ。しかるを桓武天皇のぎよう、えんりやくさんねんじふぐわつみつかのひ、ならのきやうかすがのさとより、やましろのくにながをかにうつつて、じふねんといつししやうぐわつに、だいなごんふぢはらのをぐるまる、さんぎさだいべんきのこさみ、たいそうづげんけいらをつかはして、たうごくかどののこほりうだのむらをみせらるるに、りやうにんともにそうしていはく、「このちのていをみさふらふに、さしやうりう、うびやくこ、ぜんしゆじやく、ごげんむ、しじんさうおうのちなり。もつともていとをさだむるにたれり」とまうす。

これによつておたぎのこほりにおはしますかものだいみやうじんに、このよしをつげまうさせたまひて、えんりやくじふさんねんじふいちぐわつにじふいちにち、ながをかのきやうよりこのきやうへうつされて、ていわうはさんじふにだい、せいざうはさんびやくはちじふよさいのしゆんじうをおくりむかふ。それよりこのかただいだいのみかど、くにぐにところどころへ、おほくのみやこをうつされしかども、かくのごときのしようちはなしと、桓武天皇ことにしつしおぼしめして、だいじんくぎやう、しよこくのさいじんらにおほせて、ちやうきうなるべきさうとて、つちにてはつしやくのにんぎやうをつくり、くろがねのよろひかぶとをきせ、おなじうくろがねのゆみやをもたせて、まつだいといふとも、このきやうをたこくへうつすことあらば、しゆごじんとならんとちかひつつ、ひがしやまのみねに、にしむきにたててぞうづまれける。さればてんがにこといでこんとては、このつかかならずめいどうす。しやうぐんがつかとていまにあり。なかんづくこのきやうをば、へいあんじやうとなづけて、たひらやすきみやことかけり。

もつとも平家のあがむべきみやこぞかし。桓武天皇とまうすは、平家のなうそにておはします。せんぞのきみのさしもしつしおぼしめしつるみやこを、させるゆゑなうして、たこくたしよへうつされけるこそあさましけれ。ひととせさがのくわうていのおんとき、へいぜいのせんてい、ないしのかみのすすめによつて、すでにこのきやうをたこくへうつさんとせさせたまひしかども、だいじんくぎやうしよこくのにんみんそむきまうししかば、うつされずしてやみにき。いつてんのきみばんじようのあるじさへ、うつしえたまはぬみやこを、にふだうしやうこくじんしんのみとして、うつされけるぞあさましき。きうとはあはれめでたかりつるみやこぞかし。わうじやうしゆごのちんじゆは、しはうにひかりをやはらげ、れいげんしゆしようのてらでらは、じやうげにいらかをならべたり。ひやくしやうばんみんわづらひなく、ごきしちだうもたよりあり。されどもいまはつじつじをほりきつて、くるまなどのたやすうゆきかふこともなく、たまさかにゆくひとは、こぐるまにのり、みちをへてこそとほりけれ。のきをあらそひしひとのすまひ、ひをへつつあれゆく。いへいへはかもがは、かつらがはにこぼちいれ、いかだにくみうかべ、しざいざふぐふねにつみ、福原へとてはこびくだす。ただなりに、はなのみやこ、ゐなかになるこそかなしけれ。なにもののしわざにやありけん、ふるきみやこのだいりのはしらに、にしゆのうたをぞかきつけける。

 ももとせをよかへりまでにすぎきにしおたぎのさとのあれやはてなむ W030
 さきいづるはなのみやこをふりすててかぜ福原のすゑぞあやふき W031
 

2 新都(しんと)

おなじきろくぐわつここのかのひ、しんとのことはじめあるべしとて、しやうけいにはとくだいじのさだいしやうじつていのきやう、つちみかどのさいしやうのちうじやうとうしんのきやう、ぶぎやうのべんには、さきのさせうべんゆきたか、おほくのくわんにんどもめしぐして、たうごくわだのまつばら、にしののをてんじて、くでうのちをわられけるに、いちでうよりしも、ごでうまではそのところありて、それよりしもはなかりけり。ぎやうじくわんかへりまゐつて、このよしをそうもんす。さらばはりまのいなみのか、なほつのくにのこやのかなんど、くぎやうせんぎありしかども、ことゆくべしともみえざりけり。きうとはすでにうかれぬ。しんとはいまだことゆかず。ありとしあるひとは、みなみをうきくものおもひをなし、もとこのところにすむものは、ちをうしなつてうれへ、いまうつるひとびとは、どぼくのわづらひをのみなげきあへり。すべてただゆめのやうなつしことどもなり。つちみかどのさいしやうのちうじやうとうしんのきやうのまうされけるは、「いこくにはさんでうのくわうろをひらいて、じふじのとうもんをたつとみえたり。いはんやごでうまであらんみやこに、などかだいりをたてざるべき。かつがつまづさとだいりつくらるべし」とくぎやうせんぎあつて、ごでうのだいなごんくにつなのきやう、りんじにすはうのくにをたまはつて、ざうしんせらるべきよし、にふだうしやうこくはからひまうされけり。このくにつなのきやうとまうすは、ならびなきだいふくちやうじやにておはしければ、だいりつくりいだされんこと、さうにおよばねども、いかんがくにのつひえ、たみのわづらひなかるべき。まことにさしあたつたるてんがのだいじ、だいじやうゑなどのおこなはるべきをさしおいて、かかるよのみだれに、せんと、ざうだいり、すこしもさうおうせず。「いにしへのかしこきみよには、すなはちだいりにかやをふき、のきをだにもととのへず、けぶりのとぼしきをみたまふときには、かぎりあるみつぎものをもゆるされき。これすなはちたみをめぐみ、くにをたすけたまふによつてなり。そしやうくわのたいをたててれいみんあらけ、しんあはうのてんをおこいては、てんがみだるといへり。ばうしきらず、さいてんけづらず、しうしやかざらず、いふくあやなかりけるよもありけんものを。さればたうのたいそうのりさんきうをつくつて、たみのつひえをやはばからせたまひけん、つひにりんかうなくして、かはらにまつおひ、かきにつたしげつて、やみにけるにはさうゐかな」とぞひとまうしける。
 

3 月見(つきみ)

六月九日の日、新都のことはじめ、はちぐわつとをかのひしやうとう、じふいちぐわつじふさんにちせんかうとさだめらる。ふるきみやこはあれゆけど、いまのみやこははんじやうす。あさましかりつるなつもくれて、あきにもすでになりにけり。あきもやうやうなかばになりゆけば、福原のしんとにましましけるひとびと、めいしよのつきをみんとて、あるひはげんじのだいしやうのむかしのあとをしのびつつ、すまよりあかしのうらづたひ、あはぢのせとをおしわたり、ゑじまがいそのつきをみる。あるひはしらら、ふきあげ、わかのうら、すみよし、なには、たかさご、をのへのつきのあけぼのを、ながめてかへるひともあり。きうとにのこるひとびとは、ふしみ、ひろさはのつきをみる。なかにもとくだいじのさだいしやうじつていのきやうは、ふるきみやこのつきをこひつつ、はちぐわつとをかあまりに、福原よりぞのぼりたまふ。なにごともみなかはりはてて、まれにのこるいへは、もんぜんくさふかくして、ていじやうつゆしげし。よもぎがそま、あさぢがはら、とりのふしどとあれはてて、むしのこゑごゑうらみつつ、くわうぎくしらんののべとぞなりにける。いまこきやうのなごりとては、こんゑかはらのおほみやばかりぞましましける。だいしやうそのごしよへまゐり、まづずゐじんをもつて、そうもんをたたかせらるれば、うちよりをんなのこゑにて、「たそや、よもぎふのつゆうちはらふひともなきところに」ととがむれば、「これは福原よりだいしやうどののおんのぼりざふらふ」とまうす。「ささぶらはば、そうもんはぢやうのさされてさぶらふぞ。ひがしのこもんよりいらせたまへ」とまうしければ、だいしやう、さらばとて、ひがしのこもんよりぞまゐられける。おほみやは、おんつれづれに、むかしをやおぼしめしいでさせたまひけん、なんめんのみかうしあけさせ、おんびはあそばされけるところへ、だいしやうつとまゐられたれば、しばらくおんびはをさしおかせたまひて、「ゆめかやうつつか、これへこれへ」とぞおほせける。げんじのうぢのまきには、うばそくのみやのおんむすめ、あきのなごりををしみつつ、びはをしらべてよもすがらこころをすましたまひしに、ありあけのつきのいでけるを、なほたへずやおぼしけん、ばちにてまねきたまひけんも、いまこそおぼしめししられけれ。まつよひのこじじうとまうすにようばうも、このごしよにぞさふらはれける。そもそもこのにようばうをまつよひとめされけることは、あるときごぜんより、「まつよひ、かへるあした、いづれかあはれはまされる」とおほせければ、かの女房、

 まつよひのふけゆくかねのこゑきけばかへるあしたのとりはものかは W032

とまうしたりけるゆゑにこそ、まつよひとはめされけれ。だいしやうこのにようばうをよびいでて、むかしいまのものがたりどもしたまひてのち、さよもやうやうふけゆけば、ふ
るきみやこのあれゆくを、いまやうにこそうたはれけれ。

 ふるきみやこをきてみればあさぢがはらとぞあれにける

 つきのひかりはくまなくてあきかぜのみぞみにはしむ

と、おしかへしおしかへしさんべんうたひすまされたりければ、おほみやをはじめたてまつて、ごしよぢうのにようばうたち、みなそでをぞぬらされける。さるほどによもやうやうあけゆけば、だいしやういとままうしつつ、福原へぞかへられける。ともにさふらふくらんどをめして、「じじうがなにとおもふやらん、あまりになごりをしげにみえつるに、なんぢかへつて、ともかうもいうてこよ」とのたまへば、くらんどはしりかへり、かしこまつて、「これはだいしやうどののまうせとざふらふ」とて、

 ものかはときみがいひけむとりのねのけさしもなどかかなしかるらむ W033

女房とりあへず、

 またばこそふけゆくかねもつらからめかへるあしたのとりのねぞうき W034

くらんどはしりかへつて、このよしまうしたりければ、「さてこそなんぢをばつかはしたれ」とて、だいしやうおほきにかんぜられけり。それよりしてこそ、ものかはのくらんどとはめされけれ。
 

4 物怪(もつけ)

平家みやこを福原へうつされてのちは、ゆめみもあしう、つねはこころさわぎのみして、へんげのものどもおほかりけり。あるよにふだうのふしたまひたりけるところに、ひとまにはばかるほどのもののおもてのいできたつてのぞきたてまつる。にふだうちつともさわがず、はつたとにらまへておはしければ、ただきえにきえうせぬ。をかのごしよとまうすは、あたらしうつくられたりければ、しかるべきたいぼくなんどもなかりけるに、あるよおほぎのたふるるおとして、ひとならばにさんぜんにんがこゑして、こくうにどつとわらふおとしけり。いかさまにもこれはてんぐのしよゐといふさたにて、ひるごじふにん、よるひやくにんのばんしゆをそろへ、ひきめのばんとなづけて、ひきめをいさせられけるに、てんぐのあるかたへむかつていたるとおぼしきときは、おともせず。またないかたへむかつていたるときは、どつとわらひなんどしけり。またあるあしたにふだうしやうこくちやうだいよりいでて、つまどをおしひらき、つぼのうちをみたまへば、しにんのしやれかうべどもが、いくらといふかずをしらず、つぼのうちにみちみちて、うへなるはしたになり、したなるはうへになり、なかなるははしへころびいで、はしなるはなかへころびいり、ころびあひ、ころびのき、からめきあへり。にふだうしやうこく、「ひとやあるひとやある」とめされけれども、をりふしひともまゐらず。

かくしておほくのどくろどもが、ひとつにかたまりあひ、つぼのうちに、はばかるほどになつて、たかさはじふしごぢやうもあるらんとおぼゆるやまのごとくになりにけり。かのひとつのおほがしらに、いきたるひとのめのやうに、だいのまなこがせんまんいできて、にふだうしやうこくをきつとにらまへ、しばしはまだたきもせず。にふだうちつともさわがず、ちやうどにらまへてたたれたりければ、つゆしもなどのひにあたつてきゆるやうに、あとかたもなくなりにけり。

またにふだうしやうこく、いちのおんむまやにたてて、とねりあまたつけて、あさゆふなでかはれけるむまのをに、ねずみいちやのうちにすをくひこをぞうんだりける。これただごとにあらず、みうらあるべしとてじんぎくわんにして、みうらあり。おもきおんつつしみとうらなひまうす。このむまは、さがみのくにのぢうにん、おほばのさぶらうかげちかが、とうはつかこくいちのむまとて、にふだうだいしやうこくにまゐらせたりけるとかや。くろきむまのひたひのすこししろかりければ、なをばもちづきとぞいはれける。おんやうのかみあべのやすちかたまはつてげり。むかしてんぢ天皇のぎように、れうのおむまのをに、ねずみいちやのうちにすをくひ、こをうんだりけるには、いこくのきようぞくほうきしたりとぞ、につぽんぎにはみえたりける。またげんぢうなごんがらいのきやうのもとに、めしつかはれけるせいしがみたりけるゆめも、おそろしかりけり。

たとへばたいだいのじんぎくわんとおぼしきところに、そくたいただしきじやうらふの、あまたよりあひたまひて、ぎぢやうのやうなることのありしに、ばつざなるじやうらふの、平家のかたうどしたまふとおぼしきを、そのなかよりしておつたてらる。はるかのざじやうにけだかげなるおんしゆくらうのましましけるが、「このひごろ平家のあづかりたてまつるせつたうをばめしかへいて、いづのくにのるにんさきのうひやうゑのすけよりともにたばうずるなり」とおほせければ、そのそばになほおんしゆくらうのましましけるが、「そののちはわがまごにもたびさふらへ」とぞおほせける。せいしゆめのうちに、あるらうをうに、しだいにこれをとひたてまつる。「ばつざなるじやうらふの、平家のかたうどしたまふとおぼしきは、いつくしまのだいみやうじん、せつたうをよりともにたばうとおほせらるるは、はちまんだいぼさつ、そののちわがまごにもたべとおほせけるは、かすがのだいみやうじん、かうまうすおきなは、たけうちのみやうじん」とこたへたまふといふゆめをみて、さめてのち、ひとにこれをかたるほどに、にふだうしやうこくもれききたまひて、がらいのきやうのもとへししやをたてて、「それにゆめみのせいしのさふらふなるをたまはつて、くはしうたづねさふらはばや」とのたまひて、つかはされたりければ、かのゆめみたりけるせいし、あしかりなんとやおもひけん、やがてちくでんしてげり。

そののちがらいのきやう、にふだうしやうこくのていにゆいて、「まつたくさることさふらはず」と、ちんじまうされたりければ、そののちはさたもなかりけり。それにまたなによりふしぎなりけることには、清盛いまだあきのかみたりしとき、じんぱいのついでにれいむをかうぶつて、いつくしまだいみやうじんよりうつつにたまはられたりけるしろがねのひるまきしたるこなぎなた、つねのまくらをはなたずたてられたりしが、あるよにはかにうせにけるこそふしぎなれ。平家ひごろはてうかのおんかためにて、てんがをしゆごせしかども、いまはちよくめいにもそむきぬれば、せつたうをもめしかへさるるにや、こころぼそくぞきこえし。

「おほばがはやむま」なかにもかうやにおはしけるさいしやうにふだうせいらい、このことどもをつたへきいて、「あははや平家のよはやうやうすゑになりぬるは。いつくしまのだいみやうじんの、平家のかたうどしたまふといふも、そのいはれあり。ただしこのいつくしまのだいみやうじんは、しやかつらりうわうのだいさんのひめみやなれば、ぢよじんとこそうけたまはれ。はちまんだいぼさつのせつたうをよりともにたばうとおほせられつるもことわりなり。かすがだいみやうじんのそののちはわがまごにもたびさふらへとおほせられけるこそこころえね。それも平家ほろび、げんじのよつきなんのち、たいしよくくわんのおんすゑ、しつぺいけのきんだちたちのてんがのしやうぐんになりたまふべきかなんどのたまひける。をりふしあるそうのきたりけるがまうしけるは、「それしんめいは、わくわうすゐじやくのはうべん、まちまちにましませば、あるときはぢよじんともなり、またあるときはぞくたいともげんじたまへり。まことにこのいつくしまのだいみやうじんは、さんみやうろくつうのれいしんにてましませば、ぞくたいとげんじたまはんこともかたかるべきにあらずや」とぞまうしける。うきよをいとひ、まことのみちにいりたまへば、ひとへにごせぼだいのほかは、またたじあるまじきことなれども、ぜんせいをきいてはかんじ、うれへをきいてはなげく、これみなにんげんのならひなり。
 

5 大庭早馬(はやむま)

さるほどにおなじきくぐわつふつかのひ、さがみのくにのぢうにん、おほばのさぶらうかげちか、福原へはやむまをもつてまうしけるは、「さんぬるはちぐわつじふしちにち、いづのくにのるにんさきのひやうゑのすけよりとも、しうとほうでうしらうときまさをかたらうて、いづのくにのもくだい、いづみのはんぐわんかねたかを、やまきがたちにてようちにうちさふらひぬ。そののちとひ、つちや、をかざきをはじめとしてさんびやくよき、いしばしやまにたてこもつてさふらふところを、かげちかみかたにこころざしをぞんずるものども、いつせんよきをいんぞつして、おしよせてさんざんにせめさふらへば、ひやうゑのすけわづかしちはつきにうちなされ、おほわらはにたたかひなつて、とひのすぎやまへにげこもりさふらひぬ。はたけやまごひやくよきで、みかたをつかまつる。みうらのおほすけがこども、さんびやくよきでげんじがたをして、ゆゐこつぼのうらでせめたたかふ。はたけやまいくさにまけてむさしのくにへひきしりぞく。そののちはたけやまがいちぞく、かはごえ、いなげ、をやまだ、えど、かさい、そうじてななたうのつはものども、ことごとくおこりあひ、つがふそのせいにせんよき、みうらきぬがさのじやうにおしよせて、いちにちいちやせめさふらひしほどに、おほすけうたれさふらひぬ。こどもはみなくりばまのうらよりふねにのつて、あはかづさへわたりぬとこそ、ひとまうしけれ。

「てうてきぞろへ」平家のひとびと、みやこうつりのことも、はやきようさめぬ。わかきくぎやうてんじやうびとは、「あはれとくして、ことのいでこよかし。われさきにうつてにむかはう」などいふぞはかなき。はたけやまのしやうじしげよし、をやまだのべつたうありしげ、うつのみやのさゑもんともつな、これらはおほばんやくにて、をりふしざいきやうしたりけるが、はたけやままうしけるは、「したしうなつてさふらふなれば、ほうでうはしりさふらはず。じよのともがらは、よもてうてきのかたうどはつかまつりさふらはじ。ただいまきこしめしなほさんずるものを」とまうしければ、「げにも」とまうすひともあり、「いやいやただいまおんだいじにおよびさふらひなんず」とささやくひともありけるとかや。
にふだうしやうこくのいかられけるさまなのめならず、「そもかのよりともは、さんぬるへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、ちちよしともがむほんによつて、すでにちうせらるべ
かりしを、こいけのぜんにのあながちになげきのたまふあひだ、るざいにはなだめられたんなり。しかるにそのおんをわすれて、たうけにむかつてゆみをひき、やをはなつに
こそあんなれ。そのぎならば、しんめいもさんぽうも、いかでかゆるしたまふべき。ただいまてんのせめかうぶらんずるよりともかな」とぞのたまひける。
 
 

6 朝敵揃(てうてきぞろへ)

そもそもわがてうにてうてきのはじまりけることは、むかしやまといはれひこのみことのぎようしねん、きしうなぐさのこほりたかをのむらに、ひとつのちちうあり。みみじかくてあしながくして、ちからひとにすぐれたり。にんみんおほくそんがいせしかば、くわんぐんはつかうして、せんじをよみかけ、かづらのあみをむすんで、つひにこれをおほひころす。それよりこのかた、やしんをさしはさんで、てうゐをほろぼさんとするともがら、おほいしのやままる、おほやまのわうじ、やまだのいしかは、もりやのだいじん、そがのいるか、おほとものまとりぶんやのみやだ、きついつせい、ひかみのかはつぎ、いよのしんわう、ださいのせうにふぢはらのひろつぎ、ゑみのおしかつ、さはらのたいし、ゐがみのくわうこう、ふぢはらのなかなり、たひらのまさかど、ふぢはらのすみとも、あべのさだたふむねたふさきのつしまのかみみなもとのよしちか、あくさふ、あくゑもんのかみにいたるまで、そのれいすでににじふよにん、されどもいちにんとして、そくわいをとぐるものなし。みなかばねをさんやにさらし、かうべをごくもんにかけらる。このよこそわうゐもむげにかろけれ。むかしはせんじをむかつてよみければ、かれたるくさきもたちまちにはなさきみなり、とぶとりもしたがひき。ちかごろのことぞかし。えんぎのみかどしんぜんゑんへぎやうがうなつて、いけのみぎはにさぎのゐたりけるを、ろくゐをめして、「あのさぎとつてまゐれ」とおほせければ、いかんがとらるべきとはおもへども、りんげんなればあゆみむかふ。さぎはねづくろひしてたたんとす。「せんじぞ」とおほすれば、ひらんでとびさらず。すなはちこれをとつてまゐらせたりければ、「なんぢがせんじにしたがひてまゐりたるこそしんべうなれ。やがてごゐになせ」とて、さぎをごゐにぞなされける。けふよりのち、さぎのなかのわうたるべしといふおんふだを、みづからあそばいて、くびにつけてぞはなたせたまふ。まつたくこれはさぎのおんれうにはあらず、ただわうゐのほどをしろしめさんがためなり。
 
 

7 咸陽宮(かんやうきう)

またいこくにせんじようをとぶらふに、えんのたいしたん、しんのしくわうていにとらはれて、いましめをかうぶることじふにねん、あるときえんたんなみだをながいて、「われこきやうにらうぼあり。いとまをたまはつて、いまいちどかれをみん」とぞなげきける。しくわうていあざわらつて、「なんぢにいとまたばんこと、むまにつのおひ、からすのかしらのしろくならんをまつべきなり」とぞのたまひける。えんたんてんにあふぎちにふして、「ねがはくはむまにつのおひ、からすのかしらをしろくなしたべ。ほんごくへかへつていまいちどははをみん」とぞいのりける。かのめうおんぼさつは、りやうぜんじやうどにけいして、ふけうのともがらをいましめ、くじがんくわいは、しなしんだんにいでて、ちうかうのみちをはじめたまふ。みやうけんのさんぽう、かうかうのこころざしをあはれみたまふことなれば、むまにつのおひてきうちうにきたり、からすのかしらしろくなつて、ていぜんのきにすめりけり。しくわうてい、うとうばかくのへんにおどろき、りんげんかへらざることをふかくしんじて、たいしたんをなだめつつ、ほんごくへこそかへされけれ。しくわうなほくやしみたまひて、しんのくにとえんのさかひにそこくといふくにあり。

おほいなるかはながれたり。かのかはにわたせるはしを、そこくのはしといへり。しくわうさきにくわんぐんをつかはして、えんたんがわたらんとき、かはなかのはしをふまば、おつるやうにしたためて、わたされたりければ、なじかはよかるべき。まんなかにておちいりぬ。されどもみづにはちつともおぼれず、へいちをゆくがごとくにて、むかひのきしにぞつきにける。えんたんこはいかにとおもひて、うしろをかへりみたりければ、かめどもがいくらといふかずをしらず、みづのうへにうかれきて、かふをならべてそのうへをとほしける。これもかうかうのこころざしを、みやうけんのあはれみたまふによつてなり。

えんたんなほうらみをふくんで、しくわうていにしたがはず。しくわうくわんぐんをつかはして、えんたんをほろぼさんとす。えんたんおほきにおそれをののいて、けいかといふ
つはものをかたらうてだいじんになす。けいかまたでんくわうせんせいといふつはものをかたらふに、せんせいまうしけるは、「きみはこのみがわかうさかんなつしことをしろ
しめして、かくはたのみおほせらるるか。きりんはせんりをとぶといへども、おいぬればどばにもおとれり。このみはとしおいて、いかにもかなひさふらふまじ。せんずるとこ
ろ、よきつはものをかたらつてこそまゐらせめ」とまうしければ、けいか、「あなかしこ、このことひろうすな」といふ。せんせいきいて、「このこともれぬるものならば、われまづ
さきにうたがはれなんず。ひとにうたがはれぬるにすぎたるはぢこそなけれ」とて、けいかがもんぜんなるすもものきにかしらをつきあて、うちくだいてぞしににける。

またはんよきといふつはものあり。これはしんのくにのものなりしが、しくわうのために、おやをぢきやうだいほろぼされて、えんのくにににげこもりぬ。しくわうしかいにせんじをなしくだし、えんのさしづならびにはんよきがかうべをもつてまゐりたらんずるものには、ごひやくこんのきんをあたへんとひろうせらる。けいか、はんよきがもとにゆいて、「われきく、なんぢがかうべごひやくこんのきんにほうぜられたんなり。なんぢがかうべわれにかせ。とつてしくわうていにたてまつらん。よろこびてえいらんをへられんとき、つるぎをぬいてむねをささんはやすかりなん」といひければ、はんよきをどりあがりをどりあがり、おほいきついてまうしけるは、「われおやをぢきやうだいを、しくわうていにほろぼされて、よるひるこれをおもふに、こつずゐにとほつてしのびがたし。まことにしくわうていうつべからんにおいては、わがかうべあたへんこと、ちりあくたよりもやすし」とて、みづからかうべをきつてぞしににける。またしんぶやうといふつはものあり。これもしんのくにのものなりしが、じふさんのとしかたきをうつて、えんのくにへにげこもりぬ。かれがゑんでむかふときは、みどりごもいだかれ、またいかつてむかふときは、だいのをとこもぜつじゆす。ならびなきつはものなり。けいかかれをかたらつて、しんのみやこのあんないしやにぐしてゆくに、あるかたやまざとにしゆくしたりけるよ、そのへんちかきさとにくわんげんをするをきいて、てうしをもつてほんいのことをうらなふに、かたきのかたはみづなり、わがかたはひなり。はくこうひをつらぬいてとほらず。「わがほんいとげんことありがたし」とぞまうしける。

さるほどにてんもあけぬ。されどもかへるべきみちにあらねば、しんのみやこかんやうきうにいたりぬ。えんのさしづならびにはんよきがかうべ、もつてまゐりたるよしをそうもんす。しんかをもつてうけとらんとしたまへば、「まつたくひとづてにはまゐらせじ。ぢきにたてまつらん」とそうするあひだ、さらばとてせちゑのぎをととのへて、えんのつかひをめされけり。かんやうきうは、みやこのめぐり、いちまんはつせんさんびやくはちじふりにつもれり。だいりをばちよりさんりたかくつきあげて、そのうへにぞたてられたる。ちやうせいでんあり。ふらうもんあり。こがねをもつてひをつくり、しろがねをもつてつきをつくれり。しんじゆのいさご、るりのいさご、こがねのいさごをしきみてり。しはうにはくろがねのついぢを、たかさしじふぢやうにつきあげて、てんのうへにもおなじうくろがねのあみをぞはつたりける。これはめいどのつかひをいれじとなり。あきはたのものかり、はるはこしぢへかへるにも、ひぎやうじざいのさはりありとて、ついぢにはがんもんとなづけて、くろがねのもんをあけてぞとほされける。そのなかにあはうでんとて、しくわうのつねはぎやうがうなつて、せいだうおこなはせたまふてんあり。とうざいへくちやう、なんぼくへごちやう、たかさはさんじふろくぢやうなり。うへをばるりのかはらをもつてふき、したにはこんごんをみがけり。

おほゆかのしたには、ごぢやうのはたぼこをたてたれども、なほおよばぬほどなり。けいかはえんのさしづをもち、しんぶやうははんよきがかうべをもつて、たまのきざはしをなからばかりのぼりあがりけるが、あまりにだいりのおびたたしきをみて、しんぶやうわなわなとふるひければ、しんかこれをあやしんで、「けいじんをばきみのかたはらにおかず。くんしはけいじんにちかづかず。ちかづけばすなはちしをかろんずるみちなり」といへり。けいかたちかへつて、「ぶやうまつたくむほんのこころなし。ただでんじやのいやしきにのみならつて、かかるくわうきよになれざるがゆゑに、こころめいわくす」といひければ、そのときしんかみなしづまりぬ。よつてわうにちかづきたてまつり、えんのさしづならびにはんよきがかうべをげんざんにいるるところに、さしづのいつたるひつのそこに、こほりのやうなるつるぎのありけるを、しくわうていごらんじて、やがてにげんとしたまへば、けいかおんそでをむずとひかへたてまつり、つるぎをむねにさしあてたり。いまはかうとぞみえたりける。すまんのぐんりよは、ていじやうにそでをつらぬといへども、すくはんとするにちからなし。ただこのきみぎやくしんにをかされさせたまはんことをのみ、なげきかなしみあへりけり。しくわうてい、「われにざんじのいとまをえさせよ。きさきのことのねを、いまいちどきかん」とのたまへば、けいかしばしはをかしもたてまつらず。

しくわうていはさんぜんにんのきさきをもちたまへり。そのなかにくわやうぶにんとて、ならびなきことのじやうずおはしき。およそこのきさきのことのねをきけば、たけきもののふのいかれるこころもやはらぎ、とぶとりもちにおち、くさきもゆるぐばかりなり。いはんやいまをかぎりのえいぶんにそなへんと、なくなくひきたまへば、さこそはおもしろかりけめ。けいかかうべをうなだれ、みみをそばだてて、ほとんどぼうしんのこころもたゆみにけり。そのとききさきはじめてさらにいつきよくをそうす。「しちせきのへいふうはたかくとも、をどらばなどかこえざらん。いちでうのらこくはつよくとも、ひかばなどかたえざらん」とぞひきたまふ。けいかはこれをききしらず。しくわうていはききしりて、おんそでをひつきつて、しちしやくのびやうぶををどりこえ、あかがねのはしらのかげへにげかくれさせたまひけり。そのときけいかいかつて、つるぎをなげかけたてまつる。をりふしごぜんにばんのいしのさふらひけるが、つるぎにくすりのふくろをなげあはせたり。つるぎくすりのふくろをかけられながら、くちろくしやくのあかがねのはしらを、なからまでこそきつたりけれ。けいかまたつるぎももたざれば、つづいてもなげず。わうたちかへつて、おんつるぎをめしよせて、けいかをやつざきにこそしたまひけれ。しんぶやうもうたれぬ。やがてくわんぐんをつかはして、えんたんをもほろぼさる。さうてんゆるしたまはねば、はくこうひをつらぬいてとほらず。しんのしくわうはのがれて、えんたんつひにほろびにけり。さればいまのよりともも、さこそはあらんずらめと、しきだいまうすひとびともありけるとかや。
 
 

8 文覚荒行(もんがくのあらぎやう)

しかるにかのよりともは、さんぬるへいぢぐわんねんじふにんぐわつ、ちちさまのかみよしともがむほんによつて、すでにちうせらるべかりしを、こいけのぜんにのあながちになげきのたまふによつて、しやうねんじふしさいとまうししえいりやくぐわんねんさんぐわつはつかのひ、いづのほうでうひるがこじまへながされて、にじふよねんのしゆんしうをおくりむかふ。ねんらいもあればこそありけめ、ことしいかなるこころにて、むほんをばおこされけるぞといふに、たかをの文覚しやうにんのすすめまうされけるによつてなり。そもそもこの文覚とまうすは、わたなべのゑんどうさこんのしやうげんもちとほがこに、ゑんどうむしやもりとほとて、じやうせいもんゐんのしゆなり。しかるをじふくのとし、だうしんおこし、もとどりきり、しゆぎやうにいでんとしけるが、しゆぎやうといふは、いかほどのだいじやらん、ためいてみんとて、ろくぐわつのひのくさもゆるがずてつたるに、あるかたやまざとのやぶのなかへはひり、はだかになり、あふのけにふす。

あぶぞ、かぞはちありなどいふどくちうどもが、みにひしととりついて、さしくひなどしけれども、ちつともみをもはたらかさず。なぬかまではおきもあがらず、やうかといふにおきあがりて、「しゆぎやうといふは、これほどのだいじやらん」とひとにとへば、「それほどならんには、いかでかいのちもいくべき」といふあひだ、「さてはあんぺいござんなれ」とて、やがてしゆぎやうにこそいでにけれ。くまのへまゐり、なちごもりせんとしけるが、まづぎやうのこころみに、きこゆるたきにしばらくうたれてみんとて、たきもとへこそまゐりけれ。ころはじふにんぐわつとをかあまりのことなれば、ゆきふりつもり、つららいて、たにのをがはもおともせず。みねのあらしふきこほり、たきのしらいとたるひとなつて、みなしろたへにおしなべて、よものこずゑもみえわかず。しかるに文覚たきつぼにおりひたり、くびきはつかつて、じくのしゆをみてけるが、にさんにちこそありけれ、しごにちにもなりしかば、文覚こらへずしてうきあがりぬ。すせんぢやうみなぎりおつるたきなれば、なじかはたまるべき、ざつとおしおとされ、かたなのはのごとくに、さしもきびしきいはかどのなかを、うきぬしづみぬ、ごろくちやうこそながれけれ。

ときにうつくしきどうじいちにんきたつて、文覚がてをとつてひきあげたまふ。ひときどくのおもひをなして、ひをたきあぶりなどしければ、ぢやうごふならぬいのちではあり、文覚ほどなくいきいでぬ。だいのまなこをみいからかし、だいおんじやうをあげて、「われこのたきにさんしちにちうたれて、じくのさんらくしやをみてうとおもふだいぐわんあり。けふはわづかごにちにこそなれ。いまだなぬかだにもすぎざるに、なにものがこれまではとつてきたれるぞ」といひければ、きくひとみのけよだつてものいはず。またたきつぼにかへりたつてぞうたれける。だいににちとまうすに、はちにんのどうじきたつて、文覚がさうのてをとつて、ひきあげんとしたまへば、さんざんにつかみあうてあがらず。だいさんにちとまうすに、つひにはかなくなりぬ。ときにたきつぼをけがさじとやびんづらゆうたるてんどうににん、たきのうへよりおりくだらせたまひて、よにあたたかにかうばしきおんてをもつて、文覚がちやうじやうよりはじめて、てあしのつまさき、たなうらにいたるまで、なでくださせたまへば、文覚ゆめのここちしていきいでぬ。「そもそもいかなるひとにてましませば、かくはあはれみたまふやらん」ととひたてまつれば、どうじこたへていはく、「われはこれだいしやうふどうみやうわうのおつかひに、こんがら、せいたかといふにどうじなり。文覚むじやうのぐわんをおこし、ゆうみやうのぎやうをくはだつ。ゆいてちからをあはせよと、みやうわうのちよくによつてきたれるなり」とぞこたへたまふ。文覚こゑをいからかいて、「さてみやうわうはいづくにましますぞ」。「とそつてんに」とこたへて、くもゐはるかにあがりたまひぬ。

文覚たなごころをあはせて、さてはわがぎやうをば、だいしやうふどうみやうわうまでも、しろしめされたるにこそと、いよいよたのもしうおもひ、なほたきつぼにかへりたつてぞうたれける。そののちはまことにめでたきずゐさうどもおほかりければ、ふきくるかぜもみにしまず、おちくるみづもゆのごとし。かくてさんしちにちのだいぐわんつひにとげしかば、なちにせんにちこもりけり。おほみねさんど、かつらぎにど、かうや、こがは、きんぶうせん、はくさん、たてやま、ふじのだけ、いづ、はこね、しなののとがくし、ではのはぐろ、そうじてにつぽんごくのこるところなうおこなひまはり、さすがなほふるさとやこひしかりけん、みやこへかへりのぼつたりければ、およそとぶとりをもいのりおとすほどの、やいばのげんじやとぞきこえし。
 
 

9 勧進帳(くわんじんちやう)

そののち文覚は、たかをといふやまのおくに、おこなひすましてぞ、ゐたりける。かのたかをにじんごじといふやまでらあり。これはむかししようとく天皇のおんとき、わけのきよまろがたてたりしがらんなり。ひさしくしうざうなかりしかば、はるはかすみにたちこめて、あきはきりにまじはり、とびらはかぜにたふれて、らくえふのしたにくち、いらかはうろにをかされて、ぶつだんさらにあらはなり。ぢうぢのそうもなければ、まれにさしいるものとては、ただつきひのひかりばかりなり。文覚いかにもして、このてらをしうざうせんとおもふだいぐわんおこし、くわんじんちやうをささげて、じつぱうだんなをすすめありくほどに、あるときゐんのごしよほふぢうじどのへぞさんじたる。ごほうがあるべきよしをそうもんす。ぎよいうのをりふしにて、きこしめしもいれざりければ、文覚はもとよりふてきだいいちのあらひじりではあり、ごぜんのことなきやうをばしらずして、ただひとのまうしいれぬぞとこころえて、ぜひなくおつぼのうちへやぶりいり、だいおんじやうをあげて、「だいじだいひのきみにてまします。これほどのことなどかきこしめしいれざるべき」とて、くわんじんちやうをひきひろげて、たからかにこそようだりけれ。「しやみ文覚うやまつてまうす。ことにはきせんだうぞくのじよじやうをかうぶつて、たかをさんのれいちにいちゐんをこんりふし、にせあんらくのだいりをごんぎやうせんとこふくわんじんのじやう。

それおもんみれば、しんによくわうだいなり。しやうぶつのけみやうをたつといへども、ほつしやうずゐまうのくもあつくおほつて、じふにいんえんのみねにたなびきしよりこのかた、ほんうしんれんのつきのひかりかすかにして、いまださんどくしまんのたいきよにあらはれず。かなしきかな、ぶつにちはやくぼつして、しやうじるてんのちまたみやうみやうたり。ただいろにふけり、さけにふける。たれかきやうざうてうゑんのまどひをしやせん。いたづらにひとをばうじほふをばうず。これあにえんらごくそつのせめをまぬかれんや。ここに文覚、たまたまぞくぢんをうちはらつて、ほふえをかざるといへども、あくぎやうなほこころにたくましうして、にちやにつくり、ぜんべうまたみみにさかつててうぼにすたる。いたましきかな、ふたたびさんづのくわきやうにかへつて、ながくししやうのくりんをめぐらんことを。このゆゑにむにのけんしやうせんまんじく、ぢくぢくにぶつしゆのいんをあかし、ずゐえんしじやうのほふ、ひとつとしてぼだいのひがんにいたらずといふことなし。かるがゆゑに文覚、むじやうのくわんもんになみだをおとし、じやうげのしんぞくをすすめて、じやうぼんれんだいにえんをむすび、とうめうがくわうのれいぢやうをたてんとなり。それたかをはやまうづたかうしてじゆぶぜんのこずゑをへうし、たにしづかにしてしやうざんとうのこけをしけり。がんせんむせんでぬのをひき、れいゑんさけんでえだにあそぶ。にんりとほうしてけんぢんなし。しせきことなうしてしんじんのみあり。ちけいすぐれたり。もつともぶつてんをあがむべし。ほうがすこしきなり。たれかじよじやうせざらん。ほのかにきくじゆしやゐぶつたふ、くどくたちまちにぶついんをかんず。いはんやいつしはんせんのほうざいにおいてをや。ねがはくはこんりふじやうじゆして、きんけつほうれき、ごぐわんゑんまん、ないしとひゑんきん、りみんしそ、げうしゆんぶゐのくわをうたひ、ちんえふさいかいのゑみをひらかん。ことにはまたしやうりやういうぎ、ぜんごだいせう、すみやかにいちぶつしんもんのうてなにいたり、かならずさんじんまんどくのつきをもてあそばん。よつてくわんじんしゆぎやうのおもむき、けだしもつてかくのごとし。治承さんねんさんぐわつのひ文覚」とこそよみあげたれ。
 
 

10 文覚被流(もんがくながされ)

をりふしごぜんには、めうおんゐんのだいじやうのおほいどの、おんびはあそばし、らうえいめでたうせさせおはします。あぜちのだいなごんすけかたのきやう、わごんかきならし、しそくうまのかみすけとき、ふうぞくさいばらうたはる。しゐのじじうもりさだひやうしとつて、いまやうとりどりうたはれけり。ゐんぢうざざめきわたつて、まことにおもしろかりければ、ほふわうもつけうたせさせおはします。それに文覚がだいおんじやういできて、てうしもたがひ、ひやうしもみなみだれにけり。「ぎよいうのをりふしであるに、なにものぞ。らうぜきなり。そくびつけ」とおほせくださるるほどこそありけれ、ゐんぢうのはやりをのものども、われさきにわれさきにとすすみいでけるなかに、すけゆきはうぐわんといふものすすみいでて、「ぎよいうのをりふしであるに、なにものぞ。らうぜきなり。とうとうまかりいでよ」といひければ、文覚、「たかをのじんごじへ、しやうをいつしよよせられざらんかぎりは、まつたくいづまじ」とてはたらかず。よつてそくびをつかうとすれば、くわんじんちやうをとりなほし、すけゆきはうぐわんがゑぼしを、はたとうつてうちおとし、こぶしをつよくにぎり、むねをばくとついて、うしろへのけにつきたふす。すけゆきはうぐわんはゑぼしうちおとされて、おめおめとおほゆかのうへへぞにげのぼる。そののち文覚ふところよりむまのをでつかまいたりけるかたなの、こほりのやうなるをぬきもつて、よりこんものをつかうとこそまちかけたれ。ひだりのてにはくわんじんちやう、みぎのてにはかたなをもつてはせまはるあひだ、おもひもまうけぬにはかごとではあり、さうのてにかたなをもつたるやうにぞみえたりける。くぎやうもてんじやうびとも、こはいかにとさわがれて、ぎよいうもすでにあれにけり。ゐんぢうのさうどうなのめならず。

ここにしなののくにのぢうにん、あんどうむしやみぎむね、そのときのたうしよくのむしやどころにてありけるが、「なにごとぞ」とてたちをぬいてはしりいでたり。もんが
くよろこんでとんでかかる。あんどうむしや、きつてはあしかりなんとやおもひけん、たちのむねをとりなほし、文覚がかたなもつたるみぎのかひなをしたたかにうつ。うたれてちつとひるむところに、「えたりや、をう」と、たちをすててぞくんだりける。文覚したにふしながら、あんどうむしやがみぎのかひなをしたたかにつく。つかれながらぞしめたりける。たがひにおとらぬだいぢから、うへになりしたになり、ころびあひけるところを、じやうげよつて、かしこがほに、文覚がはたらくところのぢやうをがうしてげり。
そののちもんぐわいへひきいだいて、ちやうのしもべにたぶ。たまはつてひつぱる。ひつぱられてたちながら、ごしよのかたをにらまへ、だいおんじやうをあげて、「たとひほ
うがをこそしたまはざらめ、あまつさへ文覚にこれほどまで、からきめをみせたまひつれば、ただいまおもひしらせまうさんずるものを。さんがいはみなくわたくなり、わうぐうといふとも、いかでかそのなんをばのがるべき。たとひじふぜんのていゐにほこつたうといふとも、くわうせんのたびにいでなんのちは、ごづめづのせめをば、まぬかれたまはじものを」と、をどりあがりをどりあがりぞまうしける。「このほふしきくわいなり。きんごくせよ」とてきんごくせらる。すけゆきはうぐわんはゑぼしうちおとされたるはぢがましさにしばしはしゆつしもせざりけり。あんどうむしやは文覚くんだるけんじやうに、いちらふをへずして、たうざにうまのじようにぞなされける。そのころびふくもんゐんかくれさせたまひて、たいしやありしかば、文覚ほどなくゆるされけり。しばらくはいづくにてもおこなふべかりしを、またくわんじんちやうをささげて、じつぱうだんなをすすめありきけるが、さらばただもなくして、「あはれこのよのなかは、ただいまみだれて、きみもしんもともにほろびうせんずるものを」など、かやうにおそろしきことをのみまうしありくあひだ、「このほふし都においてはかなふまじ。をんるせよ」とて、いづのくにへぞながされける。

げんざんみにふだうのちやくしいづのかみなかつな、そのときのたうしよくにてあるあひだ、そのさたとして、とうかいだうよりふねにてくださるべしとて、いづのくにへゐてまかるに、はうべんりやうさんにんをぞつけられたる。これらがまうしけるは、「ちやうのしもべのならひ、かやうのことについてこそ、おのづからのえこもさふらへ。いかにひじりのおんばうは、しりうどはもちたまはぬか。をんごくへながされたまふに、とさんらうれうごときのものをもこひたまへかし」といひければ、「文覚は、さやうのえうじいふべきとくいはなし。さりながらひがしやまのへんにこそとくいはあれ。いでさらばふみをやらう」といひければ、けしかるかみをえさせたり。文覚おほきにいかつて、「かやうのかみにものかくやうなし」とてなげかへす。さらばとて、こうしをたづねてえさせたり。文覚わらつて、「このほふしはものをえかかぬぞ。おのれらかけ」とてかかするやう、「文覚こそたかをのじんごじざうりふくやうのために、くわんじんちやうをささげて、じつぱうだんなをすすめありきけるが、かかるきみのよにしもあうて、ほうがをこそしたまはざらめ、あまつさへをんるせられて、いづのくにへまかりさふらふ。ゑんろのあひだでさふらへば、とさんらうれうごときのものもたいせつにさふらふ。

このつかひにたべ」といふ。いふままにかいて、「さてたれどのへとかきさふらふべきやらん」。「きよみづのくわんおんばうへとかけ」といふ。「それはちやうのしもべをあざむくにこそ」といひければ、「いつかうあざむくにはあらず。さりとては、文覚は、きよみづのくわんおんをこそ、ふかうたのみたてまつたれ。さらではたれにかはようじをもいふべき」とぞまうしける。さるほどにいせのくにあののつよりふねにてくだりけるが、とほたふみのくにてんりうなだにて、にはかにおほかぜふきおほなみたつて、すでにこのふねをうちかへさんとす。すゐしゆかんどりども、いかにもしてたすからんとしけれども、かなふべしともみえざりければ、あるひはくわんおんのみやうがうをとなへ、あるひはさいごのじふねんにおよぶ。されども文覚はちつともさわがず、ふなそこにたかいびきかいてぞふしたりける。すでにかうとみえしとき、かつぱとおきあがり、ふなばたにたつて、おきのかたをにらまへ、だいおんじやうをあげて、「りうわうやあるりうわうやある」とぞようだりける。「なにとてかやうにだいぐわんおこしたるひじりがのつたるふねをば、あやまたうとはするぞ。ただいまてんのせめかうぶらんずるりうじんどもかな」とぞいひける。そのゆゑにや、なみかぜほどなくしづまりて、いづのくににぞつきにける。文覚きやうをいでけるひよりして、こころのうちにきせいすることありけり。われ都にかへつて、たかをのじんごじざうりふくやうすべくんば、しぬべからず。このぐわんむなしかるべくんば、みちにてしぬべしとて、きやうよりいづへつきけるまで、をりふしじゆんぷうなかりければ、うらづたひしまづたひして、さんじふいちにちがあひだは、いつかうだんじきにてぞありける。されどもきりよくすこしもおとろへず、ふなぞこにおこなひうちしてぞゐたりける。まことにただびとともおぼえぬことどもおほかりけり。
 
 

11 伊豆院宣(いづゐんぜん)

そののち文覚をば、たうごくのぢうにんこんどうしらうくにたかにおほせて、なごやがおくにぞすまはせける。さるほどにひやうゑのすけどのおはしけるひるがこじまもほどちかし。文覚つねはまゐり、おんものがたりどもまうしけるとぞきこえし。あるとき文覚、ひやうゑのすけどのにまうしけるは、「平家にはこまつのおほいどのこそ、こころもかうに、はかりごともすぐれておはせしか。平家のうんめいのすゑになるやらん、こぞのはちぐわつこうぜられぬ。いまはげんぺいのなかに、ごへんほどてんがのしやうぐんのさうもつたるひとはなし。はやはやむほんおこさせたまひて、につぽんこくしたがへたまへ」といひければ、ひやうゑのすけどの、「それおもひもよらず。われはこいけのぜんににたすけられたてまつたれば、そのおんをはうぜんがために、まいにちほけきやういちぶてんどくしたてまつるよりほかは、またたじなし」とぞのたまひける。文覚かさねて、「てんのあたふるをとらざれば、かへつてそのとがをうく。ときいたりたるをおこなはざれば、かへつてそのあうをうくといふほんもんあり。かやうにまうせば、ごへんのおんこころをかなびかんとて、まうすとやおぼしめされさふらふらん。そのぎではさふらはず。まづごへんのために、こころざしのふかいやうをみたまへ」とて、ふところよりしろいぬのにてつつんだるどくろをひとつとりいだす。ひやうゑのすけどの、「あれはいかに」とのたまへば、「これこそごへんのちち、こさまのかうのとののかうべよ。

へいぢののちは、ごくしやのまへのこけのしたにうづもれて、ごせとぶらふひともなかりしを、文覚ぞんずるむねありて、ごくもりにこひ、くびにかけ、やまやまてらでらしゆぎやうして、このにじふよねんがあひだとぶらひたてまつたれば、いまはさだめていちごふもうかびたまひぬらん。さればこかうのとののおんためには、さしもほうこうのものにてさふらふぞかし」とまうされければ、ひやうゑのすけどの、いちぢやうとはおぼえねども、ちちのかうべときくなつかしさに、まづなみだをぞながされける。ややありてひやうゑのすけどの、なみだをおさへてのたまひけるは、「そもそもよりともちよくかんをゆりずしては、いかでかむほんをばおこすべき」とのたまへば、文覚、「それやすいほどのことなり。やがてのぼつてまうしゆるしたてまつらん」。ひやうゑのすけどのあざわらうて、「わがみもちよくかんのみにてありながら、ひとのことまうさうどのたまふひじりのおんばうのあてがひやうこそ、おほきにまことしからね」とのたまへば、文覚おほきにいかつて、「わがみのとがをゆりうどまうさばこそひがごとならめ、わどののことまうさうに、なじかはひがごとならん。これよりいまの都福原のしんとへのぼらうに、みつかにすぐまじ。ゐんぜんうかがふに、いちにちのとうりうぞあらんずらん。つがふなぬかやうかにはすぐまじ」とて、つきいでぬ。ひじりなごやにかへりて、でしどもには、ひとにしのうで、いづのおやまになぬかさんろうのこころざしありとていでにけり。げにもみつかといふには、福原のしんとにのぼりついて、さきのうひやうゑのかみみつよしのきやうのもとに、いささかゆかりありければ、それにたづねゆいて、「いづのくにのるにん、さきのひやうゑのすけよりとも、ちよくかんをゆるされて、ゐんぜんをだにかうぶりさふらはば、はつかこくのけにんどももよほしあつめて、平家をほろぼし、てんがをしづめんとこそまうしさふらへ」。みつよしのきやう、「いさとよ、わがみもたうじはさんくわんともにとどめられて、こころぐるしきをりふしなり。ほふわうもおしこめられてわたらせたまへば、いかがあらんずらん。

さりながらもうかがうてこそみめ」とて、このよしひそかにそうもんせられたりければ、ほふわうおほきにぎよかんあつて、やがてゐんぜんをぞくだされける。文覚よろこん
でくびにかけ、またみつかといふには、いづのくにへくだりつく。ひやうゑのすけどの、ひじりのおんばうのなまじひなることまうしいだして、よりともまたいかなるうきめにあはんずらんと、おもはじことなう、あんじつづけておはしける。やうかといふうまのこくに、くだりついて、「くはゐんぜんよ」とてたてまつる。ひやうゑのすけどの、ゐんぜんときくかたじけなさに、あたらしきゑぼしじやうえをき、てうづうがひをして、ゐんぜんをさんどはいしてひらかれけり。「しきりのとしよりこのかた、へいじわうくわをべつじよして、せいだうにはばかることなし。ぶつぽふをはめつし、わうぼふをみだらんとす。それわがくにはしんこくなり。そうべうあひならんで、しんとくこれあらたなり。かるがゆゑにてうていかいきののち、すせんよさいのあひだ、ていゐをかたぶけ、こくかをあやぶめんとするもの、みなもつてはいぼくせずといふことなし。しかればすなはちかつうはしんたうのめいじよにまかせ、かつうはちよくせんのしいしゆをまもつて、はやくへいじのいちるゐをほろぼして、てうかのをんできをしりぞけよ。ふだいさうでんのへいりやくをつぎ、るゐそほうこうのちうきんをぬきんでて、みをたていへをおこすべし。ていればゐんぜんかくのごとく、よつてしつたつくだんのごとし。治承しねんしちぐわつじふしにち、さきのうひやうゑのかみみつよしがうけたまはつて、きんじやう、さきのひやうゑのすけどのへ」とぞかかれたる。このゐんぜんをばにしきのふくろにいれて、いしばしやまのかつせんのときも、ひやうゑのすけどのくびにかけられけるとぞきこえし。
 
 

12 富士川(ふじがは)

さるほどにうひやうゑのすけどの、むほんのよししきりにふうぶんありしかば、福原にはくぎやうせんぎあつて、いまいちにちもせいのつかぬさきに、いそぎうつてをくださるべしとて、たいしやうぐんにはこまつのごんのすけぜうしやうこれもり、ふくしやうぐんにはさつまのかみただのり、さぶらひだいしやうにはかづさのかみただきよをさきとして、つがふそのせいさんまんよき、くぐわつじふはちにちにしんとをたつて、あくるじふくにちにはきうとにつき、やがておなじきはつかのひ、とうごくへこそおもむかれけれ。たいしやうぐんこまつのごんのすけぜうしやうこれもりは、しやうねんにじふさん、ようぎたいはい、ゑにかくとも、ふでもおよびがたし。ぢうだいのきせなが、からかはといふよろひをば、からとにいれてかかせらる。みちうちには、あかぢのにしきのひたたれに、もよぎにほひのよろひきて、れんぜんあしげなるむまに、きんぷくりんのくらをおいてのりたまへり。ふくしやうぐんさつまのかみただのりは、こんぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのよろひきて、くろきむまのふとうたくましきに、いかけぢのくらをおいてのりたまへり。むまくら、よろひかぶと、ゆみや、たち、かたなにいたるまで、てりかかやくほどにいでたたれたれば、めづらしかりしけんぶつなり。なかにもふくしやうぐんさつまのかみただのりは、あるみやばらのにようばうのもとへかよはれけるが、あるよおはしたりけるに、このにようばうのつぼねに、やんごとなきにようばうまらうときたつて、さよもやうやうふけゆくまでかへりたまはず。ただのりのきばにたたずんで、あふぎをあらくつかはれければ、かのにようばう、「のもせにすだくむしのねよ」と、いうにくちずさみたまへば、あふぎをやがてつかひやみてぞかへられける。そののちおはしたるよ、「いつぞや、なにとてあふぎをばつかひやみしぞや」ととはれければ、「いさ、かしがましなどきこえはんべりしほどに、さてこそあふぎをばつかひやみてはさふらひしか」とぞまうされける。そののち、このにようばう、さつまのかみのもとへ、こそでをひとかさねつかはすとて、せんりのなごりのをしさに、いつしゆのうたをかきそへておくられける。

  あづまぢのくさばをわけむそでよりもたたぬたもとのつゆぞこぼるる W035

さつまのかみのへんじに、

  わかれぢをなにかなげかむこえてゆくせきもむかしのあととおもへば W036 

せきもむかしのあととよめることは、せんぞたひらのしやうぐんさだもり、たはらとうだひでさと、まさかどつゐたうのために、あづまへげかうしたりしことを、いまおもひいでてよみたりけるにや、いとやさしうぞきこえし。むかしはてうてきをたひらげに、ぐわいとへむかふしやうぐんは、まづさんだいしてせつたうをたまはる。しんぎなんでんにしゆつぎよして、こんゑかいかにぢんをひき、ないべんげべんのくぎやうさんれつして、ちうぎのせちゑをおこなはる。たいしやうぐんふくしやうぐん、おのおのれいぎをただしうして、これをたまはる。しようへいてんぎやうのじようせきも、としひさしうなつて、なぞらへがたしとて、こんどはさぬきのかみたひらのまさもりが、さきのつしまのかみみなもとのよしちかつゐたうのために、いづものくにへげかうせしれいとて、すずばかりたまはつて、かはのふくろにいれて、ざつしきがくびにかけさせてぞくだられける。いにしへてうてきをたひらげんとて、都をいづるしやうぐんは、みつのぞんぢあり。せつたうをたまはるひいへをわすれ、いへをいづるとてさいしをわすれ、せんぢやうにしてかたきにたたかふときみをわする。さればいまのへいじのたいしやうぐんこれもりただのりも、さだめてさやうのことどもをば、ぞんぢせられたりけん、あはれなりしことどもなり。

おのおのくぢうの都をたつて、せんりのとうかいへおもむかれける。たひらかにかへりのぼらんことも、まことにあやふきありさまどもにて、あるひはのばらのつゆにやどをかり、あるひはたかねのこけにたびねをし、やまをこえかはをかさね、ひかずふれば、じふぐわつじふろくにちには、するがのくにきよみがせきにぞつきたまふ。都をばさんまんよきでいでたれども、ろしのつはものつきそひて、しちまんよきとぞきこえし。せんぢんはかんばら、ふじがはにすすみ、ごぢんはいまだてごし、うつのやにささへたり。たいしやうぐんごんのすけぜうしやうこれもり、さぶらひだいしやうかづさのかみただきよをめして、「これもりがぞんぢには、あしがらのやまうちこえ、ひろみへいでていくさをせん」とはやられけれども、かづさのかみまうしけるは、「福原をおんたちさふらひしとき、にふだうどののおほせには、いくさをばただきよにまかせさせたまへとこそおほせさふらひつれ。いづするがのせいのまゐるべきだに、いまだいつきもみえさふらはず。みかたのおんせいしちまんよきとはまうせども、くにぐにのかりむしや、むまもひともみなつかれはててさふらふ。

とうごくはくさもきも、みなひやうゑのすけにしたがひついてさふらふなれば、なんじふまんぎかさふらふらん。ただふじがはをまへにあてて、みかたのおんせいをまたせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、ちからおよばでゆらへたり。さるほどにひやうゑのすけよりともかまくらをたつて、あしがらのやまうちこえ、きせがはにこそつきたまへ。かひしなののげんじども、はせきたつてひとつになる。するがのくにうきしまがはらにてせいぞろへあり。つがふそのせいにじふまんぎとぞしるいたる。ひたちげんじさたけのしらうがざつしきの、ふみもつてきやうへのぼりけるを、平家のさぶらひだいしやうかづさのかみただきよ、このふみをうばひとつてみるに、にようばうのもとへのふみなり。くるしかるまじとて、とらせてげり。さて、「げんじがせいは、いかほどあるぞ」ととひければ、「げらふはしごひやくせんまでこそ、もののかずをばしつてさふらへ。それよりうへをばしりまゐらせぬざふらふ。おほいやらう、すくないやらう、およそなぬかやうかがあひだは、はたとつづいて、のもやまもうみもかはも、みなむしやでさふらふ。きのふきせがはにて、ひとのまうしさふらひつるは、げんじのおんせいにじふまんぎとこそまうしさふらひつれ」とまうしければ、かづさのかみ、「あなこころうや。たいしやうぐんのおんこころののびさせたまひたるほど、くちをしかりけることはなし。

いまいちにちもさきにうつてをくださせたまひたらば、おおばきやうだい、はたけやまがいちぞく、などかまゐらでさふらふべき。これらだにまゐりさふらはば、いづするがのせいはみなしたがひつくべかりつるものを」と、こうくわいすれどもかひぞなき。たいしやうぐんごんのすけぜうしやうこれもり、とうごくのあんないしやとて、ながゐのさいとうべつたうさねもりをめして、「なんぢほどのつよゆみせいびやう、はつかこくにはいかほどあるぞ」ととひたまへば、さいとうべつたうあざわらつて、「ささふらへば、きみはさねもりをおほやとおぼしめされさふらふにこそ。わづかじふさんぞくをこそつかまつりさふらへ。さねもりほどいさふらふものは、はつかこくにはいくらもさふらふ。おほやとまうすぢやうのものの、じふごそくにおとつてひくはさふらはず。ゆみのつよさも、したたかなるもののごろくにんしてはりさふらふ。かやうのせいびやうどもがいさふらへば、よろひのにさんりやうはたやすうかけずいとほしさふらふ。だいみやうとまうすぢやうのものの、ごひやくきにおとつてもつはさふらはず。むまにのつておつるみちをしらず、あくしよをはすれどむまをたふさず。いくさはまたおやもうたれよ、こもうたれよ、しぬればのりこえのりこえたたかふざふらふ。さいこくのいくさとまうすは、すべてそのぎさふらはず。おやうたれぬればひきしりぞき、ぶつじけうやうし、いみあけてよせ、こうたれぬれば、そのうれへなげきとて、よせさふらはず。ひやうらうまいつきぬれば、はるはたつくり、あきかりをさめてよせ、なつはあつしといとひ、ふゆはさむしときらひさふらふ。とうごくのいくさとまうすは、すべてそのぎさふらはず。そのうへかひしなののげんじら、あんないはしつたり、ふじのすそより、からめでにやまはりさふらはんずらん。かやうにまうせば、たいしやうぐんのおんこころをおくせさせまゐらせんとて、まうすとやおぼしめされさふらふらん。そのぎではさふらはず。ただしいくさはせいのたせうにはよりさふらはず。たいしやうぐんのはかりごとによるとこそまうしつたへてさふらへ」とまうしければ、これをきくつはものども、みなふるひわななきあへりけり。

さるほどにおなじきにじふしにちのうのこくに、ふじがはにて、げんぺいのやあはせとぞさだめける。にじふさんにちのよにいつて、平家のつはものども、げんじのぢんをみわたせば、いづするがのにんみんひやくしやうらが、いくさにおそれて、あるひはのにいりやまにかくれ、あるひはふねにとりのつて、うみかはにうかびたるが、いとなみのひのみえけるを、「あなおびたたしのげんじのぢんのとほびのおほさよ。げにものもやまもうみもかはも、みなむしやでありけり。いかがせん」とぞあきれける。そのよのやはんばかり、ふじのぬまにいくらもありけるみづとりどもが、なににかはおどろきたりけん、いちどにばつとたちけるはおとの、いかづちおほかぜなどのやうにきこえければ、平家のつはものども、「あはやげんじのおほぜいのむかうたるは。きのふさいとうべつたうがまうしつるやうに、かひしなののげんじら、ふじのすそより、からめでへやまはりさふらふらん。かたきなんじふまんぎかあるらん。とりこめられてはかなふまじ。ここをばおちて、をはりがはすのまたをふせげや」とて、とるものもとりあへず、われさきにわれさきにとぞおちゆきける。あまりにあわてさわいで、ゆみとるものはやをしらず、やとるものはゆみをしらず、わがむまにはひとのり、ひとのむまにはわれのり、つないだるむまにのつてはすれば、くひをめぐることかぎりなし。そのへんちかきしゆくじゆくより、いうくんいうぢよどもめしあつめ、あそびさかもりけるが、あるひはかしらけわられ、あるひはこしふみをられて、をめきさけぶことおびたたし。おなじきにじふしにちのうのこくに、げんじにじふまんき、ふじがはにおしよせて、てんもひびきだいぢもゆるぐばかりに、ときをぞさんかどつくりける。
 
 

13 五節沙汰(ごせつのさた)

平家のかたには、しづまりかへつておともせず。ひとをいれてみせければ、「みなおちてさふらふ」とまうす。あるひはかたきのわすれたるよろひとつてまゐるものもあり、あるひは平家のすておいたるおほまくとつてかへるものもあり。「およそ平家のぢんには、はいだにもかけりさふらはず」とまうす。ひやうゑのすけ、いそぎむまよりおり、かぶとをぬぎ、てうづうがひをして、わうじやうのかたをふしをがみ、「これはまつたくよりともがわたくしのかうみやうにはあらず、ひとへにはちまんだいぼさつのおんぱからひなり」とぞのたまひける。やがて、うつとるところなればとて、するがのくにをば、いちでうのじらうただより、とほたふみのくにをば、やすだのさぶらうよしさだにあづけらる。なほもつづいてせむべかりしかども、うしろもさすがおぼつかなしとて、するがのくによりかまくらへぞかへられける。かいだうしゆくじゆくのいうくんいうぢよども、「あないまいましのうつてのたいしやうぐんや。いくさにはみにげをだにあさましきことにするに、平家のひとびとはききにげしたまへり」とぞわらひける。さるほどにらくしよどもおほかりけり。都のたいしやうぐんをばむねもりといひ、うつてのだいしやうをば、ごんのすけといふあひだ、平家をひらやによみなして、

  ひらやなるむねもりいかにさわぐらむはしらとたのむすけをおとして W037

  ふじがはのせぜのいはこすみづよりもはやくもおつるいせへいじかな W038

またかづさのかみただきよが、ふじがはによろひすてたりけるをもよめり。

  ふじがはによろひはすてつすみぞめのころもただきよのちのよのため W039

  ただきよはにげのむまにぞのりてげるかづさしりがひかけてかひなし W040

「ごせつのさた」おなじきじふいちぐわつやうかのひ、たいしやうぐんごんのすけぜうしやうこれもり、福原へかへりのぼりたまふ。にふだうしやうこくおほきにいかりて、「これもりをばきかいがしまへながすべし。ただきよをばしざいにおこなふべし」とぞのたまひける。これによつておなじきここのかのひ、平家のさぶらひ、らうせうすひやくにんさんくわいして、ただきよがしざいのこと、いかがあるべからんとひやうぢやうす。しゆめのはうぐわんもりくにすすみいでて、「このただきよをひごろふかくじんとはぞんじさふらはず。あれがじふはちのとしとおぼえさふらふ。とばどののほうざうに、ごきないいちのあくたうににん、にげこもりたりしを、よつてからめうとまうすものいちにんもさふらはざりしに、このただきよただいちにん、はくちうについぢをこえ、はねいつて、いちにんをばうちとり、いちにんをばからめとつて、なをこうだいにあげたりしものぞかし。こんどのふかくは、ただごとともおぼえさふらはず。これにつけても、よくよくひやうらんのおんつつしみさふらふべし」とぞまうしける。おなじきとをかのひ、ぢもくおこなはれて、ごんのすけぜうしやうこれもり、うこんゑのちうじやうにあがりたまふ。こんどばんどうへうつてにむかはれたりとはまうせども、させるしいだしたることもさふらはず。

これはさればなんのけんじやうぞやとぞ、ひとびとささやきあはれける。むかしへいしやうぐんさだもり、たはらとうだひでさと、まさかどをつゐたうのために、あづまへげかうしたりしかども、てうてきたやすうほろびがたかりしかば、かさねてうつてをくださるべしと、くぎやうせんぎあつて、うぢのみんぶきやうただふん、きよはらのしげふぢ、ぐんけんといふつかさをたまはりてくだるほどに、するがのくにきよみがせきにしゆくしたりけるよ、かのしげふぢ、まんまんたるかいじやうをゑんけんして、「ぎよしうのひのかげはさむうしてなみをやき、えきろのすずのこゑはよるやまをすぐ」といふからうたを、たからかにくちずさみたまへば、ただふんいうにおぼえて、かんるゐをぞながされける。さるほどにまさかどをば、さだもりひでさとがつひにうちとつて、そのかうべをもたせてのぼるほどに、するがのくにきよみがせきにてゆきあうたり。それよりぜんごのたいしやうぐんうちつれてしやうらくす。さだもりひでさとにけんじやうおこなはれけり。

ときにただふんしげふぢにもけんじやうあるべきかと、くぎやうせんぎありしかば、くでうのいうしようじやうもろすけこう、「こんどばんどうへうつてむかうたりといへども、てうてきたやすうほろびがたかりしところに、このひとびとちよくぢやうをうけたまはりて、せきのひがしへおもむきしとき、てうてきすでにほろびたり。さればただふんしげふぢにも、などかけんじやうなかるべき」とまうさせたまへども、そのときのしつぺいをののみやどの、「うたがはしきをばなすことなかれと、らいきのもんにさふらへば」とて、つひになさせたまはず。ただふんこれをくちをしきことにおもうて、をののみやどののおんすゑをば、やつこにみなさん、くでうどののおんすゑは、いつのよまでもしゆごじんとならんとちかひつつ、つひにひじににこそはしににけれ。さればくでうどののおんすゑは、めでたうさかえさせたまへども、をののみやどののおんすゑには、しかるべきひともましまさず、いまはたえはてたまひけるにこそ。おなじきじふいちにち、にふだうしやうこくのしなん、とうのちうじやうしげひら、さこんゑのごんのちうじやうにあがりたまふ。おなじきじふさんにち、福原には、だいりつくりいだされて、しゆしやうごせんかうありけり。

だいじやうゑおこなはるべかりしかども、だいじやうゑはじふぐわつのすゑ、とうかにみゆきしてごけいあり。たいだいのきたののに、さいぢやうじよをつくりて、じんぷくじんぐうをととのふ。だいこくでんのまへ、れうびだうのだんかに、くわいりふでんをたてて、おゆをめす。おなじきだんのならびに、だいじやうぐうをつくつて、しんぜんをそなふ。しんえんあり、ぎよいうあり、だいこくでんにてたいれいあり、せいしよだうにてみかぐらあり、ぶらくゐんにてえんくわいあり。しかるをこの福原のしんとには、だいこくでんもなければ、たいれいおこなはるべきやうもなく、せいしよだうもなければ、みかぐらそうすべきところもなし。ぶらくゐんもなければ、えんくわいもおこなはれず。こんねんはただしんじやうゑ、ごせつばかりであるべきよし、くぎやうせんぎあつて、なほしんじやうのまつりをば、きうとのじんぎくわんにてぞとげられける。ごせつはこれきよみはらのそのかみ、よしののみやにして、つきしろくさえ、かぜはげしかりしよ、おんこころをすまして、きんをひきたまひしかば、しんによあまくだつて、いつたびそでをひるがへす。これぞごせつのはじめなる。
 
 

14 都還(みやこがへり)

こんどの都うつりをば、きみもしんもなのめならずおんなげきありけり。やまならをはじめて、しよじしよしやにいたるまで、しかるべからざるよしうつたへまうしたりければ、さしもよこがみをやられしだいじやうのにふだうどの、「さらば都がへりあるべし」とて、おなじきじふにんぐわつふつかのひ、にはかに都がへりありけり。しんとはきたはやまやまにそびえてたかく、みなみはうみちかくしてくだれり。なみのおとつねにかまびすしく、しほかぜはげしきところなり。さればしんゐん、いつとなくごなうのみしげかりければ、これによつていそぎ福原をいでさせおはします。ちうぐう、いちゐん、しやうくわうもごかうなる。せつしやうどのをはじめたてまつりて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、われもわれもとぐぶせらる。平家にはだいじやうのにふだうをはじめたてまつりて、いちもんのひとびとみなのぼられけり。さしもこころうかりつるしんとに、たれかかたときものこるべき。われさきにわれさきにとぞのぼられける。さんぬるろくぐわつより、やどもせうせうこぼちくだし、かたのごとくとりたてられしかども、いままたものぐるはしう、にはかに都がへりありければ、なんのさたにもおよばず、みなうちすてうちすてのぼられけり。

りやうゐんはろくはらいけどのへごかうなる。ぎやうがうはごでうだいりとぞきこえし。おのおののしゆくしよもなければ、やはた、かも、さが、うづまさ、にしやま、ひがしやまのかたほとりについて、あるひはみだうのくわいらう、あるひはやしろのほうでんなどに、しかるべきひともたちやどつてましましける。そもそもこんどの都うつりのほんいをいかにといふに、きうとはやまならちかくして、いささかのことにも、ひよしのしんよ、かすがのじんぼくなどいひてみだりがはし。しんとはやまへだたりえかさなつて、ほどもさすがとほければ、さやうのこともたやすかるまじとて、にふだうしやうこくはからひまうされけるとかや。おなじきにじふさんにち、あふみげんじのそむきしをせめんとて、たいしやうぐんにはさひやうゑのかみとももり、さつまのかみただのり、つがふそのせいさんまんよき、あふみのくにへはつかうす。やまもと、かしはぎ、にしごりなどいふあぶれげんじどもせめおとし、それよりやがてみのをはりへぞこえられける。
 
 

15 奈良炎上(ならえんしやう)

都にはまた、「なんとみゐでらどうしんして、あるひはみやうけとりまゐらせ、あるひはおんむかひにまゐるでう、これもつててうてきなり。しからばならをもせめらるべし」ときこえしかば、だいしゆおほきにほうきす。くわんばくどのより、「ぞんぢのむねあらば、いくたびもそうもんにこそおよばめ」とて、うくわんのべつたうただなりをくだされたりけるを、だいしゆおこつて、「のりものよりとつてひきおとせ、もとどりきれ」とひしめくあひだ、ただなりいろをうしなひてにげのぼる。つぎにうゑもんのかみちかまさをくだされたりけれども、これをも、「もとどりきれ」とひしめきければ、とるものもとりあへず、いそぎ都へのぼられけり。そのときはくわんがくゐんのざつしきににんがもとどりきられてけり。なんとにはまたおほきなるぎつちやうのたまをつくりて、これこそにふだうしやうこくのかうべとなづけて、「うて、ふめ」などぞまうしける。「ことばのもらしやすきは、わざはひをまねくなかだちなり。ことばのつつしまざるは、やぶれをとるみちなり」といへり。

かけまくもかたじけなく、このにふだうしやうこくは、たうぎんのぐわいそにておはします。それをかやうにまうしけるなんとのだいしゆ、およそはてんまのしよゐとぞみえし。にふだうしやうこく、かつがつまづなんとのらうぜきをしづめんとて、せのをのたらうかねやすを、やまとのくにのけんびしよにふせらる。かねやすごひやくよきではせむかふ。「あひかまへて、しゆとはらうぜきをいたすとも、なんぢらはいたすべからず。もののぐなせそ、きうせんなたいせそ」とてつかはされたりけるを、なんとのだいしゆ、かかるないぎをばしらずして、かねやすがよせいろくじふよにんからめとつて、いちいちにくびをきつて、さるさはのいけのはたにぞかけならべたりける。にふだうしやうこくおほきにいかりて、「さらばなんとをもせめよや」とて、たいしやうぐんには、とうのちうじやうしげひら、ちうぐうのすけみちもり、つがふそのせいしまんよき、なんとへはつかうす。なんとにもらうせうきらはずしちせんよにん、かぶとのををしめ、ならざか、はんにやじ、にかしよのみちをほりきつて、かいだてかき、さかもぎひいてまちかけたり。平家しまんよきをふたてにわかつて、ならざか、はんにやじ、にかしよのじやうくわくにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。

だいしゆはかちだちうちものなり。くわんぐんはむまにてかけまはしかけまはしせめければ、だいしゆかずをつくしてうたれにけり。うのこくよりやあはせして、いちにちたたかひくらし、よにいりければ、ならざか、はんにやじ、にかしよのじやうくわくともにやぶれぬ。おちゆくしゆとのなかに、さかのしらうやうがくといふあくそうあり。これはちからのつよさ、ゆみやうちものとつては、しちだいじじふごだいじにもすぐれたり。もよぎをどしのよろひに、くろいとをどしのはらまきにりやうかさねてぞきたりける。ばうしかぶとにごまいかぶとのををしめ、ちのはのごとくにそつたるしらえのおほなぎなた、こくしつのおほだち、さうのてにもつままに、どうしゆくじふよにんぜんごさうにたて、てんがいのもんよりうつていでたり。これぞしばらくささへたる。おほくのくわんびやうらむまのあしながれて、おほくほろびにけり。されどもくわんぐんはおほぜいにて、いれかへいれかへせめければ、やうがくがふせぐところのどうじゆくみなうたれにけり。やうがくこころはたけうおもへども、うしろあばらになりしかば、ちからおよばず、ただいちにんみなみをさしてぞおちゆきける。よいくさになつて、たいしやうぐんとうのちうじやうしげひら、はんにやじのもんのまへにうつたつて、くらさはくらし、「ひをいだせ」とのたまへば、はりまのくにのぢうにん、ふくゐのしやうのげし、じらうたいふともかたといふもの、たてをわりたいまつにして、ざいけにひをぞかけたりける。ころはじふにんぐわつにじふはちにちのよの、いぬのこくばかりのことなれば、をりふしかぜははげしし、ほもとはひとつなりけれども、ふきまよふかぜに、おほくのがらんにふきかけたり。およそはぢをもおもひ、なをもをしむほどのものは、ならざかにてうちじにし、はんにやじにしてうたれにけり。

ぎやうぶにかなへるものは、よしのとつかはのかたへぞおちゆきける。あゆみもえぬらうそうや、じんじやうなるしゆがくしや、ちごどもをんなわらんべは、もしやたすかると、だいぶつでんのにかいのうへ、やましなでらのうちへ、われさきにとぞにげいりける。だいぶつでんのにかいのうへには、せんよにんのぼりあがり、かたきのつづくをのぼせじとて、はしをひきてげり。みやうくわはまさしうおしかけたり。をめきさけぶこゑ、せうねつ、だいせうねつ、むげんあび、ほのほのそこのざいにんも、これにはすぎじとぞみえし。こうぶくじはたんかいこうのごぐわん、とうじるゐだいのてらなり。とうこんだうにおはしますぶつぽふさいしよのしやかのざう、さいこんだうにおはしますじねんゆじゆつのくわんぜおん、るりをならべししめんのらう、しゆたんをまじへしにかいのろう、くりんそらにかがやきしにきのたふ、たちまちにけぶりとなるこそかなしけれ。とうだいじはじやうざいふめつ、じつぱうじやくくわうのしやうじんのおんほとけとおぼしめしなぞらへて、しやうむくわうてい、てづからみづからみがきたてたまひしこんどうじふろくぢやうのるしやなぶつ、うしつたかくあらはれて、はんでんのくもにかくれ、びやくがうあらたにをがまれさせたまへるまんぐわつのそんようも、みぐしはやけおちてだいぢにあり、ごしんはわきあひてやまのごとし。

はちまんしせんのさうがうは、あきのつきはやくごぢうのくもにかくれ、しじふいちぢのえうらくは、よるのほしむなしうじふあくのかぜにただよひ、けぶりはちうてんにみちみちて、ほのほはこくうにひまもなし。まのあたりみたてまつるものはさらにまなこをあてず、かすかにつたへきくひとは、きもたましひをうしなへり。ほつさうさんろんのほふもんしやうげう、すべていつくわんものこらず。わがてうはまうすにおよばず、てんぢくしんだんにもこれほどのほふめつあるべしともおぼえず。うでんだいわうのしまごんをみがき、びしゆかつまがしやくせんだんをきざみしも、わづかにとうじんのおんほとけなり。いはんやこれはなんえんぶだいのうちには、ゆゐいつぶさうのおんほとけ、ながくきうそんのごあるべしともおもはざりしに、いまどくえんのちりにまじはつて、ひさしくかなしみをのこしたまへり。ぼんじやくしわう、りうじんはちぶ、みやうくわんみやうしうも、おどろきさわぎたまふらんとぞみえし。

ほつさうおうごのしゆんにちだいみやうじん、いかなることをかおぼしけん、さればかすがののつゆもいろかはり、みかさやまのあらしのおともうらむるさまにぞきこえける。ほのほのなかにてやけしぬるにんじゆをかぞへたれば、だいぶつでんのにかいのうへにはいつせんしち
ひやくよにん、やましなでらにははつぴやくよにん、あるみだうにはごひやくよにん、あるみだうにはさんびやくよにん、つぶさにしるいたりければ、さんぜんごひやくよにんなり。せんぢやうにしてうたるるだいしゆせんよにん、せうせうははんにやじのもんにきりかけさせ、せうせうはくびどももつて都へのぼられけり。あくるにじふくにち、とうのちうじやうしげひら、なんとほろぼしてほくきやうへかへりいらる。およそはにふだうしやうこくばかりこそ、いきどほりはれてよろこばれけれ。ちうぐう、いちゐん、しやうくわうは、「たとひあくそうをこそほろぼさめ、おほくのがらんをはめつすべきやは」とぞおんなげきありける。ひごろはしゆとのくびおほぢをわたいて、ごくもんのきにかけらる
べしと、くぎやうせんぎありしかども、とうだいじこうぶくじのほろびぬるあさましさに、なんのさたにもおよばず。ここやかしこのみぞやほりにぞすておきける。しやうむくわうていのしんぴつのごきもんにも、「わがてらこうぶくせば、てんがもこうぶくすべし。わがてらすゐびせば、てんがもすゐびすべし」とぞあそばされたる。さればてんがのすゐびせんこと、うたがひなしとぞみえたりける。あさましかりつるとしもくれて、治承もごねんになりにけり。
 

巻第五 了



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2000.11.20 Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中