平家物語 巻第三  (流布本元和九年本)

1 赦文(ゆるしぶみ)

治承二年しやうぐわつひとひのひ、ゐんのごしよにははいらいおこなはれて、よつかのひてうきんのぎやうがうありけり。なにごともれいにかはりたることはなけれども、こぞのなつしんだいなごんなりちかのきやういげ、きんじゆのひとびとおほくながしうしなはれしこと、ほふわうおんいきどほりいまだやまざれば、よのまつりごとをもよろづものうくおぼしめして、おんこころよからぬことどもにてぞさふらひける。だいじやうのにふだうも、ただのくらんどゆきつながつげしらせたてまつてのちは、きみをもおんうしろめたきことにおもひたてまつり、うへにはことなきやうなれども、したにはようじんして、にがわらひてのみぞさふらはれける。なぬかのひ、せいせいとうばうにいづ。しいうきともまうす。またせききともまうす。じふはちにちひかりをます。にふだうしやうこくのおんむすめ、建礼門院、そのときはいまだちうぐうときこえさせたまひしが、ごなうとて、くものうへ、あめがしたのなげきにてぞさふらひける。しよじにみどきやうはじまり、しよしやへくわんぺいしをたてらる。おんやうじゆつをきはめ、いけくすりをつくし、だいほふひほふひとつとしてのこるところなうしゆせられけり。されどもごなうただにもわたらせたまはず、ごくわいにんとぞきこえし。しゆしやうはこんねんじふはち、ちうぐうはにじふににならせたまふ。しかれどもいまだわうじもひめみやもいできさせたまはず。もしわうじにてましまさば、いかにめでたからんと、へいけのひとびと、ただいまわうじたんじやうあるやうにまうして、いさみよろこびあはれけり。たけのひとびとも、「へいじのはんじやうをりをえたり。わうじごたんじやううたがひなし」とぞまうしあはれける。ごくわいにんさだまらせたまひしかば、にふだうしやうこく、うげんのかうそうきそうにおほせて、だいほふひほふをしゆし、しやうしゆくぶつぼさつにつけて、わうじごたんじやうとのみきせいせらる。ろくぐわつひとひのひ、ちうぐうごちやくたいありけり。にんわじのおむろしゆかくほつしんわう、いそぎごさんだいあつて、くじやくきやうのほふをもつておんかじあり。てんだいざすかくくわいほつしんわう、てらのちやうりゑんけいほつしんわうもおなじくまゐらせたまひて、へんじやうなんしのほふをしゆせられけり。

かかりしほどに、ちうぐうはつきのかさなるにしたがつて、おんみをくるしうせさせたまふ。ひとたびゑめばもものこびありけんかんのりふじん、せうやうでんのやまふのゆかもかくやとおぼえ、たうのやうきひ、りくわいつしはるのあめをおび、ふようのかぜにしをれつつ、ぢよらうくわのつゆおもげなるより、なほいたはしきおんさまなり。かかるごなうのをりふしにあはせて、こはきおんもののけども、あまたとりいりたてまつる。よりまし、みやうわうのばくにかけて、れいあらはれたり。ことにはさぬきのゐんのごれい、うぢのあくさふのごおくねん、しんだいなごんなりちかのきやうのしりやう、さいくわうほふしがあくりやう、きかいがしまのるにんどものしやうりやうなんどぞまうしける。これによつて、しやうりやうをも、しりやうをも、なだめらるべしとて、まづさぬきのゐんごつゐがうあつてしゆとくてんわうとかうし、うぢのあくさふ、ぞうくわんぞうゐおこなはれて、だいじやうだいじんじやういちゐをおくらる。ちよくしはせうないきこれもととぞきこえし。くだんのむしよは、やまとのくにそふのかんのこほりかはかみのむら、はんにやののごさんまいなり。ほうげんのあきほりおこいてすてられしのちは、しがいみちのほとりのつちとなつて、としどしにただはるのくさのみしげれり。いまちよくしたづねきてせんみやうをよみければ、ばうこんそんりやういかにうれしとおぼしけん。さればさはらのはいたいしをば、しゆだうてんわうとかうし、ゐがみのないしんわうをば、くわうこうのしきゐにふくす。これみなをんりやうをなだめられしはかりごととぞきこえし。

をんりやうは、むかしもかくおそろしかりしことどもなり。れんぜいゐんのおんものぐるはしうましまし、くわざんのほふわうの、じふぜんのていゐをすべらせたまひしは、もとかたのみんぶきやうがれいなり。またさんでうのゐんのおんめもごらんぜられざりしは、くわんざんくぶがれいとかや。かどわきのさいしやう、かやうのことどもをつたへききたまひて、こまつどのにまうされけるは、「こんどちうぐうごさんのおんいのり、さまざまにさふらふなり。なにとまうすとも、ひじやうのしやにすぎたるほどのことあるべしともおぼえさふらはず。なかにもきかいがしまのるにんどもを、めしかへされたらんほどのくどくぜんこん、なにごとかさふらふべき」とまうされたりければ、ちちのぜんもんのおんまへにおはして、「あのたんばのせうしやうがことを、かどわきのさいしやうあまりになげきまうすがふびんにさふらふ。ことさらちうぐうごなうのおんこと、うけたまはりおよぶごとくんば、なりちかのきやうがしりやうなどきこえてさふらふ。だいなごんがしりやうをなだめんとおぼしめさんにつけては、いきてさふらふせうしやうを、めしこそかへされさふらはめ。ひとのおもひをやめさせたまはば、おぼしめすこともかなひ、ひとのねがひをかなへさせましまさば、ごぐわんもすなはちじやうじゆして、ごさんへいあんわうじごたんじやうあつて、かもんのえいぐわいよいよさかんにさふらふべし」などまうされければ、にふだうしやうこく、ひごろよりことのほかにやはらいで、「さてしゆんくわんややすよりぼふしがことはいかに」とのたまへば、「それもおなじうはめしこそかへされさふらはめ。

もしいちにんものこされたらんは、なかなかざいごふたるべうさふらふ」とまうされたりければ、にふだうしやうこく、「やすよりぼふしがことはさることなれども、しゆんくわんはずゐぶんにふだうがこうじゆをもつて、ひととなつたるものぞかし。それにところしもこそおほけれ、ひがしやまししのたに、わがさんざうによりあひて、きくわいのふるまひどもがありけんなれば、しゆんくわんがことはおもひもよらず」とぞのたまひける。おとどかへつてをぢのさいしやうをよびたてまつて、「せうしやうはすでにしやめんあるべきでさふらふぞ。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とまうされたりければ、さいしやうききもあへたまはず、なくなくてをあはせてぞよろこばれける。「くだりさふらひしときも、これほどのこと、などやまうしうけざらんとおもひたりげにて、のりものをみさふらふたびごとになみだをながしさふらひしが、ふびんにさふらふ」とぞまうされける。こまつどの、「まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。こはたれとてもかなしければ、よくよくまうしさふらはん」とていりたまひぬ。さるほどにきかいがしまのるにんどもの、めしかへさるべきことさだまりしかば、にふだうしやうこくのゆるしぶみかいてぞたうでげる。おつかひすでにみやこをたつ。さいしやうあまりのうれしさに、おつかひにわたくしのつかひをそへてくだされける。よるをひるにしいそぎくだれとありしかども、こころにまかせぬかいろなれば、なみかぜをしのいでゆくほどに、みやこをば(は)しちぐわつげじゆんにいでたれども、ながつきはつかごろにぞ、きかいがしまにはつきにける。
 

2 足摺(あしずり)

おつかひはたんざゑもんのじようもとやすといふものなり。いそぎふねよりあがり、「これにみやこよりながされたまひたりしへい判官やすよりにふだう、たんばのせうしやうどのやおはす」と、こゑごゑにぞたづねける。ににんのひとびとは、れいのくまのまうでしてなかりけり。しゆんくわんいちにんありけるが、これをきいて、あまりにおもへばゆめやらん、またてんまはじゆんの、わがこころをたぶらかさんとていふやらん、うつつともさらにおぼえぬものかなとて、あわてふためき、はしるともなく、たふるるともなく、いそぎおつかひのまへにゆきむかつて、「これこそながされたるしゆんくわんよ」となのりたまへば、ざつしきがくびにかけさせたるふぶくろより、にふだうしやうこくのゆるしぶみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまふに、「ぢうくわはをんるにめんず。はやくきらくのおもひをなすべし。こんどちうぐうごさんのおんいのりによつて、ひじやうのしやおこなはる。しかるあひだきかいがしまのるにん、せうしやうなりつね、やすよりぼふししやめん」とばかりかかれて、しゆんくわんといふもじはなし。らいしにぞあるらんとて、らいしをみるにもみえず。おくよりはしへよみ、はしよりおくへよみけれども、ににんとばかりかかれて、さんにんとはかかれず。さるほどにせうしやうややすよりぼふしもいできたり、せうしやうのとつてみるにも、やすよりぼふしがよみけるにも、ににんとばかりかかれて、さんにんとはかかれざりけり。ゆめにこそかかることはあれ、ゆめかとおもひなさんとすればうつつなり、うつつかとおもへばまたゆめのごとし。そのうへににんのひとびとのもとへは、みやこよりことづてたるふみどもいくらもありけれども、しゆんくわんそうづのもとへは、こととふふみひとつもなし。さればわがゆかりのものどもは、みなみやこのうちにあとをとどめずなりにけるよと、おもひやるにもおぼつかなし。「そもそもわれらさんにんはおなじつみ、はいしよもおなじところなり。いかなればしやめんのとき、ににんはめしかへされて、いちにんここにのこすべき。へいけのおもひわすれかや、しゆひつのあやまりか、こはいかにしつることどもぞや」と、てんにあふぎちにふして、なきかなしめどもかひぞなき。そうづせうしやうのたもとにすがり、「しゆんくわんがかやうになるといふも、ごへんのちち、こだいなごんどのの、よしなきむほんのゆゑなり。さればよそのこととおもひたまふべからず。ゆるされなければ、みやこまでこそかなはずとも、せめてはこのふねにのせてくこくのぢまでつけてたべ。おのおののこれにおはしつるほどこそ、はるはつばくらめ、あきはたのものかりのおとづるるやうに、おのづからこきやうのことをもつたへききつれ。

いまよりのちは、なにとしてかきくべき」とて、もだえこがれたまひけり。せうしやう、「まことにさこそはおぼしめされさふらふらめ。われらがめしかへさるるうれしさも、さることにてはさふらへども、おんありさまをみたてまつるに、さらにゆくべきそらもおぼえさふらはず。このふねにうちのせたてまつて、のぼりたうはさふらへども、みやこのおつかひ、いかにもかなふまじきよしをしきりにまうす。そのうへゆるされもなきに、さんにんながらしまのうちをいでたりなどきこえさふらはば、なかなかあしうさふらひなんず。なりつねまづまかりのぼつて、ひとびとにもよくよくまうしあはせ、にふだうしやうこくのきしよくをもうかがひ、むかひにひとをたてまつらん。そのほどはひごろおはしつるやうにおもひなしてまちたまへ。いのちはいかにもたいせつのことなれば、たとひこのせにこそもれさせたまふとも、つひにはなどかしやめんなくてさふらふべき」と、やうやうになぐさめのたまへども、そうづたへしのぶべうもみえたまはず。さるほどにふねいださんとしければ、そうづふねにのつてはおりつ、おりてはのつつ、あらましごとをぞしたまひける。せうしやうのかたみにはよるのふすま、やすよりにふだうがかたみには、いちぶのほけきやうをぞとどめける。すでにともづなといて、ふねおしいだせば、そうづつなにとりつき、こしになり、わきになり、たけのたつまでは、ひかれていづ。たけもおよばずなりければ、そうづふねにとりつき、「さていかにおのおのしゆんくわんをばつひにすてはてたまふか。ひごろのなさけもいまはなにならず。ゆるされなければみやこまでこそかなはずとも、せめてはこのふねにのせてくこくのちまで」と、くどかれけれども、みやこのおつかひ、「いかにもかなひさふらふまじ」とて、とりつきたまひつるてをひきのけて、ふねをばつひにこぎいだす。そうづせんかたなさに、なぎさにあがりたふれふし、をさなきもののめのとやははなどをしたふやうに、あしずりをして、「これのせてゆけ、ぐしてゆけ」とのたまひて、をめきさけびたまへども、こぎゆくふねのならひにて、あとはしらなみばかりなり。いまだとほからぬふねなれども、なみだにくれてみえざりければ、そうづたかきところにはしりあがり、おきのかたをぞまねきける。かのまつらさよひめがもろこしぶねをしたひつつひれふりけんも、これにはすぎじとぞみえし。さるほどにふねもこぎかくれ、ひもくるれども、そうづあやしのふしどへもかへらず、なみにあしうちあらはせ、つゆにしをれて、そのよはそこにぞあかしける。さりともせうしやうはなさけふかきひとなれば、よきやうにまうすこともやと、たのみをかけて、そのせにみをもなげざりしこころのうちこそはかなけれ。むかしさうりそくりが、かいがんさんへはなたれたりけんかなしみも、いまこそおもひしられけれ。
 

3 御産(ごさん)

さるほどにににんのひとびとは、きかいがしまをいでて、ひぜんのくにかせのしやうにぞつきたまふ。さいしやうきやうよりひとをくだして、

「としのうちはなみかぜもはげしう、みちのあひだもおぼつかなうさふらへば、はるになつてのぼられさふらへ」とありしかば、せうしやうかせのしやうにてとしをくらす。さるほどにおなじきじふいちぐわつじふににちのとらのこくより、ちうぐうごさんのけましますとて、きやうぢう六波羅ひしめきあへり。ごさんじよは六波羅いけどのにてありければ、ほふわうもごかうなる。くわんばくどのをはじめたてまつてだいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、すべてよにひととかぞへられ、くわんかかいにのぞみをかけ、しよたいしよしよくをたいするほどのひとの、いちにんももるるはなかりけり。せんれいもにようごきさきごさんのときにのぞんでだいしやありき。だいぢにねんくぐわつひとひのひ、たいけんもんゐんごさんのとき、だいしやおこなはるることありけり。こんどもそのれいとて、ひじやうのだいしやおこなはれて、ぢうくわのともがらおほくゆるされけるなかに、このしゆんくわんそうづいちにん、しやめんなかりけることこそうたてけれ。ごさんへいあん、わうじごたんじやうましまさば、やはたひらの、おほはらのなんどへぎやうげいあるべきよし、ごりふぐわんあり。せんげんほふいんうけたまはつて、これをけいびやくす。しんじやはだいじんぐうをはじめたてまつて、にじふよかしよ、ぶつじはとうだいじこうぶくじいげじふろくかしよへみじゆきやうあり。みじゆきやうのおつかひは、みやのさぶらひのなかに、うくわんのともがらこれをつとむ。ひやうもんのかりぎぬにたいけんしたるものどもが、いろいろのみじゆぎやうもつ、ぎよけんぎよいをもちつづいて、ひがしのたいよりなんていをわたつて、にしのちうもんにいづ。めでたかりしけんぶつなり。

こまつのおとどは、れいのぜんあくにつきてさわぎたまはぬひとにておはしければ、はるかにほどへてのち、ちやくしごんのすけせうしやうこれもりいげのきんだちのくるまどもやりつづけさせ、いろいろのぎよいしじふりやう、ぎんけんななつ、ひろぶたにおかせ、おむまじふにひきひかせてまゐらせらる。これは、くわんこうにじやうとうもんゐんごさんのとき、みだうどののおむままゐらせられしそのれいとぞきこえし。おとどはちうぐうのおんせうとにておはしけるうへ、とりわきふしのおんちぎりなれば、おむままゐらせたまふもことわりなり。またごでうのだいなごんくにつなのきやうも、おむまにひきまゐらせらる。「こころざしのいたりか、とくのあまりか」とぞひとまうしける。

なほいせよりはじめたてまつて、あきのいつくしまにいたるまで、しちじふよかしよへじんめをたてらる。だいりにもれうのおむまにしでつけて、すうじつぴきひつたてたり。にんわじのおむろしゆかくほつしんわうはくじやくきやうのほふ、てんだいざすかくくわいほつしんわうはしちぶつやくしのほふ、てらのちやうりゑんけいほつしんわうはこんがうどうじのほふ、そのほかごだいこくうざう、ろくくわんおん、いちじきんりん、ごだんのほふ、ろくじかりん、はちじもんじゆ、ふげんえんめいにいたるまで、のこるところなうしゆせられけり。ごまのけぶりごしよぢうにみちて、れいのこゑくもをひびかし、しゆほふのこゑみのけよだつて、いかなるおんもののけなりとも、なにおもてをむかふべしともみえざりけり。なほぶつしよのほふいんにおほせて、ごしんとうじんのやくしならびにごだいそんのざうをつくりはじめらる。かかりしかども、ちうぐうはひまなくしきらせたまふばかりにて、ごさんもとみになりやらず。にふだうしやうこく、にゐどの、むねにてをおいて、「こはいかがせん、いかにせん」とぞあきれたまふ。ひとのものまうしけれども、「ただともかうも、よきやうによきやうに」とばかりぞのたまひける。

「あはれじやうかい、いくさのぢんならば、さりともこれほどまではおくせじものを」とぞ、のちにはのたまひける。おんげんじやには、ばうかくしやううんりやうそうじやう、しゆんげうほふいん、がうぜんじつせんりやうそうづ、おのおのそうがのくどもあげ、ほんじほんざんのさんぽう、ねんらいしよぢのほんぞんたち、せめふせせめふせもまれければ、まことにさこそはとおぼえてたつとかりけるなかに、をりふしほふわうは、いまぐまのへ、ごかうなるべきにて、おんしやうじんのついでなりけるが、きんちやうちかくござあつて、せんじゆきやうをうちあげうちあげあそばされけるにぞ、いまひときはことかはつて、さしもをどりくるひけるおんよりましどもがばくも、しばらくうちしづめけり。ほふわうおほせなりけるは、「たとひいかなるおんもののけなりとも、このおいぼふしがかくてさふらはんには、いかでかちかづきたてまつるべき。なかんずくいまあらはるるところのをんりやうはみなわがてうおんをもつてひととなりたるものぞかし。たとひはうしやのこころをこそぞんぜずとも、いかでかあにしやうげをなすべきや。すみやかにまかりしりぞきさふらへ」とて、「によにんしやうさんしがたからんときにのぞんで、じやましやしやうし、くしのびがたからんにも、こころをいたしてだいひじゆをしようじゆせば、きしんたいさんして、あんらくにしやうぜん」とあそばいて、みなずゐしやうのおんずずをおしもませたまへば、ごさんへいあんのみならず、わうじにてこそましましけれ。

ほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、そのときはいまだちうぐうのすけにておはしけるが、ぎよれんのうちよりつといでて、「ごさんへいあん、わうじごたんじやうさふらふぞ」とたからかにまうされたりければ、ほふわうをはじめまゐらせて、くわんばくまつどの、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、おのおののじよじゆ、おんやうのかみ、てんやくのかみ、すはいのおんげんじや、すべてたうしやうたうか、いちどうにあつとよろこびあはれけるこゑは、もんぐわいまでもどよみて、しばしはしづまりもやらざりけり。にふだうしやうこくうれしさのあまりに、こゑをあげてぞなかれける。よろこびなきとは、これをいふべきにや。こまつのおとどは、いそぎちうぐうのおんかたへまゐらさせたまひて、きんせんくじふくもん、わうじのおんまくらにおいて、「てんをもつてはちちとし、ちをもつてはははとさだめたまふべし。おんいのちははうしとうばうさくがよはひをたもち、おんこころにはてんせうだいじんいりかはらせたまへ」とてくはのゆみよもぎのやをもつて、てんちしはうをいさせらる。

 

4 公卿揃(くぎやうぞろへ)

おんちにはさきのうだいしやうむねもりのきやうのきたのかたとさだめられたりしかども、さんぬるしちぐわつになんざんをしてうせたまひしかば、へいだいなごんときただのきやうのきたのかたぞ、おんちにはまゐらせたまふ。のちにはそつのすけどのとぞひとまうしける。ほふわうやがてくわんぎよあり。もんぜんにおんくるまをたてられたり。にふだうしやうこくうれしさのあまりに、こがねいつせんりやう、ふじのわたにせんりやう、ほふわうへしんじやうせらる。「これまたしかるべからず」とぞひとまうしける。こんどのごさんにしようしあまたあり。まづほふわうのおんげんじや、つぎにきさきごさんのとき、ごてんのむねよりこしきをまろばかすことありけり。わうじごたんじやうにはみなみへおとし、くわうによたんじやうにはきたへおとすを、これはきたへおとされたりければ、いかにとさわぎ、とりあげ、おとしなほされたりけれども、なほあしきことにぞひとまうしける。をかしかりしは、にふだうしやうこくのあきれざま、めでたかりしはこまつのおとどのふるまひ、ほいなかりしは、さきのうだいしやうむねもりのきやうの、さいあいのきたのかたにおくれたまひて、だいなごんだいしやうりやうしよくをじして、ろうきよせられしこと、きやうだいともにしゆつしあらば、いかにめでたからん。

つぎにしちにんのおんやうじまゐつて、せんどのおはらひつかまつる。そのなかにかもんのかみときはるといふらうしやあり。しよじうなどもぼくせうなりけるが、あまりにひとおほくまゐりつどひ、たかんなをこみ、たうまちくゐのごとし。「やくにんぞ、あけられさふらへ」とて、おほぜいのなかをおしわけおしわけまゐるほどに、いかがはしたりけん、みぎのくつをふみぬかれて、そこにてちつとたちやすらふが、あまつさへかぶりをさへつきおとされて、さばかりのみぎりに、そくたいただしきらうしやが、もとどりはなしてねりいでたりければ、わかきくぎやうてんじやうびとはこらへずして、いちどにどつとぞわらはれける。おんやうじなどいふは、へんばいとてあしをもあだにふまずとこそうけたまはれ。そのほかふしぎどものありけるを、そのときはなにともおぼえざりけれども、のちにはおもひあはすることどもはおほかりけり。ごさんによつて六波羅へまゐらせたまふひとびと、くわんばくまつどの、だいじやうだいじんめうおんゐん、さだいじんおほひのみかど、うだいじんつきのわどの、ないだいじんこまつどの、さだいしやうじつてい、げんだいなごんさだふさ、さんでうのだいなごんさねふさ、ごでうのだいなごんくにつな、とうだいなごんさねくに、あぜつしすけかた、なかのみかどのちうなごんむねいへ、くわざんのゐんのちうなごんかねまさ、げんぢうなごんがらい、ごんぢうなごんさねつな、とうちうなごんすけなが、いけのちうなごんよりもり、さゑもんのかみときただ、べつたうただちか、ひだんのさいしやうのちうじやうさねいへ、みぎのさいしやうのちうじやうさねむね、しんざいしやうのちうじやうみちちか、へいざいしやうのりもり、ろくかくのさいしやういへみち、ほりかはのさいしやうよりさだ、さだいべんのさいしやうながかた、うだいべんのさんみとしつね、さひやうゑのかみしげのり、うひやうゑのかみみつよし、くわうだいこうくうのだいぶともかた、さきやうのだいぶながのり、だざいのだいにちかのぶ、しんざんみさねきよ、いじやうさんじふさんにん、うだいべんのほかはちよくいなり。ふさんのひとびとには、くわざんのゐんのさきのだいじやうだいじんただまさこう、おほみやのだいなごんたかすゑのきやういげじふよにん、ごにちにほういちやくして、にふだうしやうこくのにしはちでうのていへまゐりむかはれけるとぞきこえし。
 

5 大塔建立(だいたふこんりふ)

みしほのけちぐわんにはけんじやうどもおこなはる。にんわじのおむろはとうじしゆざうせらるべきなり。ごしちにちのみしほ、たいげんのほふならびにくわんぢやう、こうぎやうせらるべきよしおほせくださる。おんでしゑんりやうほふげん、ほふいんになさる。ざすのみやは、にほんならびにぎつしやのせんじをまうさせたまふを、おむろささへまうさせたまふによつて、おんでしかくせいそうづ、ほふいんになさる。そのほかのけんじやうどもまうきよにいとまあらずとぞきこえし。ひかずへにければ、ちうぐうは六波羅よりだいりへかへりまゐらせたまふ。にふだうしやうこくのおんむすめ、きさきにたたせたまふうへは、あはれとくして、このおんはらにわうじごたんじやうあれかし、くらゐにつけたてまつて、ふうふともにぐわいそぶ、ぐわいそぼとあふがれんとねがはれけるが、あがめたてまつるいつくしまへまうさんとて、つきまうでをはじめて、いのりまうされければにや、ちうぐうやがてごくわいにんありて、ごさんへいあんわうじごたんじやうましましけるこそめでたけれ。

そもそもへいけあきのいつくしまを、しんじはじめられけることをいかにといふに、清盛こういまだあきのかみたりしとき、あきのくにをもつて、かうやのだいたふしゆりせられけるに、わたなべのゑんどうろくらうよりかたをざつしやうにつけられて、ろくねんにしゆりをはりぬ。しゆりをはつてのち、清盛かうやへのぼり、だいたふをがみ、おくのゐんへまゐられけるに、いづくよりきたるともなく、らうそうのはくはつなるが、まゆにはしもをたれ、ひたひになみをたたみ、かせづゑのふたまたなるにすがつて、いできたまへり。このそうなにとなうものがたりをしけるほどに、「それわがやまは、むかしよりみつしうをひかへてたいてんなし。てんがにまたもさふらはず。だいたふすでにしゆりをはりさふらひたり。それにつきさふらうては、ゑちぜんのけひのみやとあきのいつくしまは、りやうがいのすゐじやくにてさふらふが、けひのみやはさかえたれども、いつくしまはなきがごとくにあれはててさふらふ。あはれおなじうは、このついでにそうもんして、しゆりせさせたまへかし。さだにもさふらはば、くわんかかいはかたをならぶるひと、てんがにまたもあるまじきぞ」とてたたれけり。このらうそうのゐたまへるところに、いきやうすなはちくんじたり。ひとをつけてみせらるるに、さんぢやうばかりはみえたまひて、そののちはかきけすやうにうせたまひぬ。

これただびとにあらず、だいしにてましましけりと、いよいよたつとくおぼえて、しやばせかいのおもひでにとて、かうやのこんだうにまんだらをかかれけるが、さいまんだらをば、じやうみやうほふいんといふゑしにかかせらる。とうまんだらをば、清盛かかんとて、じひつにかかれけるが、はちえふのちうぞんのほうくわんをば、いかがおもはれけん、わがかうべのちをいだいてかかれけるとぞきこえし。そののちみやこへのぼりゐんざんして、このよしをそうもんせられたりければ、きみもしんもぎよかんありけり。なほにんをのべられて、いつくしまをもしゆりせらる。とりゐをたてかへ、やしろやしろをつくりかへ、ひやくはちじつけんのくわいらうをぞつくられける。しゆりをはつてのち、清盛いつくしまへまゐり、つやせられたりけるゆめに、ごほうでんのみとおしひらき、びんづらゆうたるてんどうのいでて、「われはこれだいみやうじんのおつかひなり。

なんぢこのけんをもつて、てうかのおんかためたるべし」とて、しろがねのひるまきしたるこなぎなたをたまはるといふゆめをみて、さめてのちみたまへば、うつつにまくらがみにぞたつたりける。さてだいみやうじんごたくせんありけり。「なんぢしれりやわすれりや。あるひじりをもつていはせしことはいかに。ただしあくぎやうあらば、しそんまではかなふまじきぞ」とて、だいみやうじんあがらせたまひけり。ありがたかりしことどもなり。

 

6 頼豪(らいがう)

しらかはのゐんございゐのとき、きやうごくのおほとののおんむすめ、きさきにたちたまふことありけり。けんしのちうぐうとて、ごさいあいありしかば、しゆじやうこのきさきのおんはらに、わうじたんじやうあらまほしうおぼしめして、そのころみゐでらに、うげんのそうときこゆる、らいがうあじやりをめして、「なんぢ、このきさきのおんはらに、わうじたんじやういのりまうせ。ぐわんじやうじゆせば、しよまうはこふによるべし」とおほせくださる。らいがうかしこまりうけたまはつて、みゐでらにかへり、かんたんをくだいていのりければ、ちうぐうやがてごくわいにんあつて、しようほう元年じふにんぐわつじふろくにち、ごさんへいあん、わうじごたんじやうありけり。

しゆじやうなのめならずぎよかんあつて、らいがうあじやりをだいりへめして、「さてなんぢがしよまうはいかに」とおほせければ、みゐでらにかいだんこんりふのよしをそうもんす。「いつかいそうじやうなどのことをもまうさんずるかとこそおぼしめしつるにこれこそぞんじのほかのしよまうなれ。およそわうじたんじやうあつて、そをつがしめんも、かいだいぶじをおぼしめすおんゆゑなり。いまなんぢがしよまうをたつせば、さんもんいきどほつて、せじやうもしづかなるべからず。りやうもんともにかつせんせば、てんだいのぶつぽふほろびなんず」とて、きこしめしもいれざりけり。らいがう、「こはくちをしきことにこそあんなれ」とて、いそぎみゐでらにはしりかへつて、ひじににせんとす。しゆじやう、おほきにおどろかせたまひて、がうそつきやうばうのきやう、そのときはいまだみまさかのかみときこえしをめして、「なんじはらいがうにしだんのちぎりあんなれば、ゆいてこしらへてみよ」とおほせければ、かしこまりうけたまはつて、いそぎみゐでらにゆきむかひ、らいがうあじやりがしゆくばうにゆいて、ちよくぢやうのおもむきおほせふくめんとすれば、もつてのほかにふすぼつたるぢぶつだうにたてこもり、おそろしげなるこゑして、「てんしにはたはぶれのことばなし。りんげんあせのごとしとこそうけたまはつてさふらへ。これほどのしよまうかなはざらんにおいては、わがいのりいだしたてまつたるわうじなれば、とりたてまつてまだうへこそゆかんずらめ」とて、つひにたいめんもせざりけり。みまさかのかみかへりまゐりて、このよしそうもんせられければ、しゆしやうおんなげきなのめならず。らいがうつひにひじににしににけり。

さるほどにわうじごなうつかせたまひて、うちふさせたまひしかば、さまざまおんいのりどもありけれども、かなふべしともみえさせたまはず。はくはつなるらうそうの、しやくぢやうをもつて、つねはわうじのおんまくらにたたずむと、ひとのゆめにもみえ、うつつにもまたたちけり。おそろしなどもおろかなり。しようりやく元年はちぐわつむゆかのひ、わうじおんとししさいにてつひにかくれさせたまひぬ。あつぶんのしんわうこれなり。しゆしやうなのめならずおんなげきあつて、そのころまたさんもんにうげんのそうときこえしさいきやうのざすりやうしんだいそうじやう、そのときはいまだゑんゆうばうのそうづときこえしを、だいりへめして、「こはいかに」とおほせければ、「いつもかやうのごぐわんは、わがやまのちからでこそじやうじゆすることではさふらへ。さればくでうのうしようじやうもろすけこうも、じゑだいそうじやうにおんちぎりまうさせたまひてこそ、れんぜいゐんのわうじ、ごたんじやうはさふらひしか。やすいほどのおんことざふらふ」とて、さんもんにかへつて、ひやくにちかんたんをくだいていのられければ、ちうぐうやがてひやくにちのうちにごくわいにんあつて、しようりやくさんねんしちぐわつここのかのひ、ごさんへいあん、わうじごたんじやうありけり。ほりかはのてんわうこれなり。をんりやうはかくむかしもおそろしかりしことどもなり。こんどさしもめでたきごさんに、ひじやうのたいしやおこなはれたりといへども、このしゆんくわんそうづいちにん、しやめんなかりけるこそうたてけれ。おなじきじふにんぐわつやうかのひ、わうじとうぐうにたたせたまふ。ふにはこまつのないだいじん、だいぶにはいけのちうなごんよりもりのきやうとぞきこえし。さるほどにことしもくれて、治承もみとせになりにけり。

 

7 少将都帰(せうしやうみやこがへり)

しやうぐわつげじゆんにたんばのせうしやうなりつね、へい判官やすよりにふだうににんのひとびとは、ひぜんのくにかせのしやうをたつて、みやこへとはいそがれけれども、よかんもいまだはげしう、かいじやうもいたくあれければ、うらづたひしまづたひして、きさらぎとをかごろにぞ、備前のこじまにはつきたまふ。それよりちちだいなごんのおんわたりあんなるありきのべつしよとかやにたづねいつてみたまへば、たけのはしら、ふりたるしやうじなどに、かきおきたまひつるふでのすさびをみたまひて、「あはれひとのかたみには、しゆせきにすぎたるものぞなき。かきおきたまはずは、いかでかこれをみるべき」とて、やすよりにふだうとににん、よみてはなき、なきてはよむ。「あんげんさんねんしちぐわつはつかしゆつけ、おなじきにじふろくにちのぶとしげかう」ともかかれたり。さてこそげんざゑもんのじようのぶとしがまゐりたるをもしられけれ。そばなるかべには、「さんぞんらいかうたよりあり、くほんわうじやううたがひなし」ともかかれたり。このかたみをP196みたまひてこそ、さすがごんぐじやうどののぞみもおはしけりと、かぎりなきなげきのなかにも、いささかたのもしげにはのたまひけれ。

そのはかをたづねてみたまへば、まつのひとむらあるなかに、かひがひしうだんをついたることもなく、つちのすこしたかきところにむかひ、せうしやうそでかきあはせ、いきたるひとにものをまうすやうに、なくなくかきくどいてまうされけるは「とほきおんまもりとならせおはしましたることをば、しまにてもかすかにつたへうけたまはつてさふらひしかども、こころにまかせぬうきみなれば、いそぎまゐることもさふらはず。なりつねかのしまへながされてのちのたよりなさ、いちにちへんしのいのちもありがたうこそさふらひしかども、さすがつゆのいのちはきえやらで、このふたとせをおくつて、いまめしかへさるるうれしさも、さることにてはさふらへども、ちちだいなごんどののまさしうこのよにわたらせたまはんを、みまゐらせてもさふらはばこそ、さすがいのちのながきかひもさふらはめ。これまではいそがれつれども、けふよりのちはいそぐべしともおぼえず」とて、かきくどいてぞなかれける。まことにぞんじやうのときならば、だいなごんにふだうどのこそ、いかにとものたまふべきに、しやうをへだてたるならひほど、うらめしかりけることはなし。こけのしたにはたれかこたふべき、ただあらしにさわぐまつのひびきばかりなり。

そのよはやすよりにふだうとににん、はかのめぐりをぎやうだうし、あけければあたらしうだんつき、くぎぬきせさせ、まへにかりやつくり、しちにちしちやがあひだねんぶつまうし、きやうかいて、けちぐわんにはおほきなるそとばをたて、「くわこしやうりやう、しゆつりしやう治承だいぼだい」とかいて、ねんがうつきひのしたには、「かうしなりつね」とかかれたれば、しづやまがつのこころなきも、こにすぎたるたからなしとて、そでをぬらさぬはなかりけり。としさりとしきたれども、わすれがたきはぶいくのむかしのおん、ゆめのごとくまぼろしのごとし。つきがたきはれんぼのいまのなみだなり。さんぜじつぱうのぶつだのしやうじゆもあはれみたまひ、ばうこんそんりやうも、いかにうれしとおぼしけん。「いましばらくさふらひて、ねんぶつのこうをもつむべうさふらへども、みやこにまつひとどものこころもとなうさふらふらん。またこそまゐりさふらはめ」とて、まうじやにいとままうしつつ、なくなくそこをぞたたれける。くさのかげにてもなごりをしうやおもはれけん。

おなじきさんぐわつじふろくにち、せうしやうとばへあかうぞつきたまふ。こだいなごんどののさんざう、すはまどのとてとばにあり。それにたちよりみたまへば、すみあらしてとしへにければ、ついぢはあれどもおほひもなく、もんはあれどもとびらもなし。にはにたちいりみたまへば、じんせきたえてこけふかし。いけのほとりをみまはせば、あきのやまのはるかぜに、しらなみしきりにをりかけて、しゑんはくおうせうえうす。きようぜしひとのこひしさに、ただつきせぬものはなみだなり。いへはあれども、らんもんやぶれて、しとみ、やりどもたえてなし。「ここにはだいなごんどのの、とこそおはせしか。このつまどをば、かうこそいでいりたまひしか。あのきをば、みづからこそうゑたまひしか」なんどいうて、ことのはにつけても、ただちちのことをのみこひしげにこそのたまひけれ。やよひなかのむゆかなれば、はなはいまだなごりあり。やうばいたうりのこずゑこそ、をりしりがほにいろいろなれ。むかしのあるじはなけれども、はるをわすれぬはななれや。せうしやうはなのもとにたちよりて、たうりものいはずはるいくばくかくれぬるえんかあとなしむかしたれかすんじ

 ふるさとのはなのものいふよなりせばいかにむかしのことをとはまし W014

このふるきしいかをくちずさみたまへば、やすよりにふだうも、をりふしあはれにおぼえて、すみぞめのそでをぞぬらしける。くるるほどとはまたれけれども、あまりになごりをしくて、よふくるまでこそおはしけれ。ふけゆくままには、あれたるやどのならひとて、ふるきのきのいたまより、もるつきかげぞくまもなき。けいろうのやまあけなんとすれども、いへぢはさらにいそがれず。さてしもあるべきことならねば、むかひにのりものどもつかはしてまつらんもこころなしとて、せうしやうなくなくすはまどのをいでつつ、みやこへかへりのぼられける。ひとびとのこころのうち、さこそはうれしうも、またあはれにもありけめ。

やすよりにふだうがむかひにも、のりものはありけれども、いまさらなごりのをしきにとて、それにはのらず、せうしやうのくるまのしりにのつて、しちでうかはらまではゆく。それよりゆきわかれけるが、なほゆきもやらざりけり。はなのもとのはんじつのかく、つきのまへのいちやのとも、りよじんがひとむらさめのすぎゆくに、いちじゆのかげにたちよりて、わかるるなごりもをしきぞかし。いはんやこれは、うかりししまのすまひ、ふねのうち、なみのうへ、いちごふしよかんのみなれば、ぜんぜのはうえんもあさからずやおもはれけん。

せうしやうのははうへ、りやうぜんにおはしけるが、きのふよりさいしやうのしゆくしよにおはしてまたれけり。せうしやうのたちいりたまふすがたを、ただひとめみたまひて、「いのちあれば」とばかりにて、ひきかづいてぞふしたまふ。きたのかたは、さしもうつくしうはなやかにおはせしかども、つきせぬものおもひにやせくろみて、そのひとともみえたまはず。ろくでうがくろかりしかみもしろくなりたり。せうしやうのながされしとき、さんざいでわかれたまひしをさなきひとも、いまはおとなしうなつて、かみゆふほどなり。

そのそばにみつばかんなるをさなきひとのおはしけるを、せうしやう、「あれはいかに」とのたまへば、ろくでう、「これこそ」とばかりまうして、なみだをながしけるにこそ、さてはわがながされしとき、こころぐるしげなるありさまどもをみおきしが、ことゆゑなうそだちけるよと、おもひいでてもかなしかりけり。せうしやうはもとのごとくゐんへまゐらせたまひて、さいしやうのちうじやうまであがりたまふ。やすよりにふだうは、ひがしやまさうりんじに、わがさんざうのありければ、それにおちついて、まづかうぞおもひつづけける。

 ふるさとののきのいたまにこけむしておもひしほどはもらぬつきかな W015

やがてそこにろうきよして、うかりしむかしをおもひやり、ほうぶつしふといふものがたりをかきけるとぞきこえし。

 

8 有王島下り(『ありわう』)

さるほどにきかいがしまのるにんども、ににんはめしかへされてみやこへのぼりぬ。いまいちにんのこされて、うかりししまのしまもりとなりにけるこそうたてけれ。そうづのをさなうよりふびんにして、めしつかはれけるわらはあり。なをばありわうとぞまうしける。きかいがしまのるにんども、けふすでにみやこへいるときこえしかば、ありわうとばまでゆきむかつてみけれども、わがしゆはみえたまはず。「いかに」ととへば、「それはなほつみふかしとて、いちにんしまにのこされぬ」ときいて、こころうしなどもおろかなり。つねは六波羅へんにただずみてききけれども、いつしやめんあるべしとも、ききいださざりければ、そうづのおんむすめのしのうでおはしけるところへまゐつて、「このせにももれさせたまひて、おんのぼりもさふらはず。いまはいかにもしてかのしまへわたつて、おんゆくへをもたづねまゐらせばやとぞんじさふらふ。おんふみたまはつてまゐりさふらはん」とまうしければ、ひめごぜん、なのめならずによろこび、やがてかいてぞたうでげる。いとまをこふとも、よもゆるさじとて、ちちにもははにもしらせず、もろこしぶねのともづなは、うづきさつきにとくなれば、なつごろもたつをおそくやおもひけん、やよひのすゑにみやこをたつて、おほくのなみじをしのぎつつ、さつまがたへぞくだりける。

さつまよりかのしまへわたるふなつにて、ありわうをひとあやしめ、きたるものをはぎとりなどしけれども、すこしもこうくわいせず、ひめごぜんのおんふみばかりぞ、ひとにみせじと、もとゆひのなかにはかくしける。さてあきんどぶねにのつて、くだんのしまへわたつてみるに、みやこにてかすかにつたへききしは、ことのかずならず。たもなし。はたけもなし。さともなし。むらもなし。おのづからひとはあれども、いふことばをもききしらず。ありわうしまのものにゆきむかつて、「ものまうさう」といへば、「なにごと」とこたふ。「これにみやこよりながされさせたまひたるほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづとまうすひとの、おんゆくすゑやしつたる」ととふに、ほつしようじとも、しゆぎやうとも、しつたらばこそへんじはせめ、ただかしらをふつてしらぬといふ。そのなかにあるものがこころえて、「いさとよ、さやうのひとは、さんにんこれにありしが、ににんはめしかへされてみやこへのぼりぬ。いまいちにんのこされて、あそこここよとまよひありきしが、そののちはゆくへをもしらず」とぞいひける。やまのかたのおぼつかなさに、はるかにわきいり、みねによぢ、たににくだれども、はくうんあとをうづんで、ゆききのみちもさだかならず。せいらんゆめをやぶつては、そのおもかげもみえざりけり。やまにてはつひにたづねもあはず。うみのほとりについてたづぬるに、さとうにいんをきざむかもめ、おきのしらすにすだくはまちどりのほかは、あととふものもなかりけり。

あるあしたいそのかたより、かげろふなんどのごとくにやせおとろへたるもの、よろぼひいできたり。もとはほふしにてありけりとおぼえて、かみはそらさまにおひあがり、よろづのもくづとりつけて、おどろをいただいたるがごとし。つぎめあらはれてかはゆたひ、みにきたるものは、きぬ、ぬののわきもみえず。かたてにはあらめをもち、かたてにはうををもらうてもち、あゆむやうにはしけれども、はかもゆかず、よろよろとしてぞいできたる。みやこにておほくのこつがいにんはみしかども、かかるものはいまだみず。「しよあしゆらとう、こざいだいかいへん」とて、しゆらのさんあくししゆは、しんざんだいかいのほとりにありと、ほとけのときおきたまひたれば、しらず、われがきだうなどへまよひきたるかとぞおぼえたる。はやかれもこれもしだいにあゆみちかづく。もしかやうのものにても、わがしゆのおんゆくへやしつたると、「ものまうさう」といへば、「なにごと」とこたふ。

「これにみやこよりながされたまひたりしほつしようじのしゆぎやう、しゆんくわんそうづとまうすひとやまします」ととふに、わらはこそみわすれたれども、そうづはいかでかわすれたまふべきなれば、「これこそそよ」とのたまひもあへず、てにもてるものをなげすてて、すなごのうへにぞたふれふす。さてこそわがしゆのおんゆくへとはしりてげれ。そうづやがてきえいりたまふを、ありわうひざのうへにかきのせたてまつり、「おほくのなみぢをしのぎつつ、はるばるとこれまでたづねまゐつたるかひもなく、いかにやがてうきめをばみせんとは、せさせたまひさふらふぞ」と、さめざめとかきくどきければ、そうづすこしひとごこちいでき、たすけおこされ、「まことになんじおほくのなみぢをしのぎつつ、はるばるとこれまでまゐつたるこそしんべうなれ。ただあけてもくれても、みやこのことをのみおもひゐたれば、こひしきものどものおもかげを、ゆめにみるをりもあり、またまぼろしにたつときもあり。みもいたうつかれよわつてのちは、ゆめもうつつもおもひわかず。

いまなんぢがきたれるをも、ただゆめとのみこそおぼゆれ。もしこのことのゆめなりせば、さめてののちはいかがせん」。ありわう、「こはうつつにてさふらふなり。さてもこのおんありさまにて、いままでおんいのちののびさせたまひたるこそ、ふしぎにはおぼえさふらへ」とまうしければ、「いさとよ、これはこぞせうしやうや判官にふだうがむかひのとき、そのせにみをもなぐべかりしを、よしなきせうしやうの、『いまいちど、みやこのおとづれをもまてかし』などなぐさめおきしを、おろかにもしやとたのみつつ、ながらへんとはせしかども、このしまには、ひとのくひものもたえてなきところなれば、みにちからのありしほどは、やまにのぼつていわうといふものをとり、くこくよりかよふあきんどにあひ、くひものにかへなどせしかども、ひにそひてよわりゆけば、いまはさやうのわざもせず。かやうにひののどかなるときは、いそにいでて、あみうどつりうどにてをすり、ひざをかがめて、うををもらひ、しほひのときはかひをひろひ、あらめをとり、いそのこけにつゆのいのちをかけてこそ、うきながらけふまではながらへたれ。さらではうきよをわたるよすがをば、いかにしつらんとかおもふらん」。

そうづ、「これにてなにごとをもいはばやとはおもへども、いざわがいへへ」とのたまへば、ありわう、あのおんありさまにても、いへをもちたまへるふしぎさよとおもひ、そうづをかたにひつかけまゐらせ、をしへにしたがつてゆくほどに、まつのひとむらあるなかに、よりたけをはしらとし、あしをゆひ、けたはりにわたし、うへにもしたにも、まつのはをひしととりかけたれば、あめかぜたまるべうもみえず。ありわう、「あなあさまし。もとはほつしようじのじむしきにて、はちじふよかしよのしやうむをつかさどりたまひしかば、むねかどひらかどのうちに、しごひやくにんのしよじうーけんぞくにゐねうせられておはせしひとの、まのあたりかかるうきめにあはせたまふことのふしぎさよ。ごふにさまざまあり、じゆんげん、じゆんしやう、じゆんごごふといへり。そうづいちごがあひだ、みにもちふるところ、みなだいがらんのじもつぶつもつならずといふことなし。さればかのしんぜむざんのつみによつて、こんじやうにてはやかんぜられけりとぞみえたりける」。

9 僧都死去(そうづしきよ)

そうづ、こはうつつにてありけりとおもひさだめて、「こぞせうしやうや判官にふだうむかひのときも、これらがふみといふこともなし。いままたなんぢがたよりにも、かくともいはざりけりな」とのたまへば、ありわうなみだにむせび、うつぶして、しばしはおんぺんじにもおよばず。ややあつておきあ(お)がり、なみだをおさへてまうしけるは、「きみのにしはちでうへいでさせたまひしのち、くわんにんまゐつて、しざいざふぐをつゐふくし、みうちのものどもからめとり、ごむほんのしだいをたづねとひ、みなうしなひはてさふらひき。きたのかたはをさなきひとをかくしかねまゐらさせたまひて、くらまのおくにしのうでおんわたりさふらひしにも、このわらはばかりこそ、ときどきまゐつておんみやづかへつかまつりさふらふなり。

いづれもおんなげきのおろかなるかたはさふらはねども、なかにもをさなきひとは、あまりにこひまゐらさせたまひて、まゐりさふらふたびごとには、『いかにありわうよ、われきかいがしまとかやへぐしてまゐれ』とのたまひて、むつからせたまひしが、すぎさふらひしきさらぎに、もがさとまうすことに、うせさせおはしましさふらひぬ。きたのかたはそのおんなげきとまうし、またこれのおんこととまうし、ひとかたならぬおんものおもひにおぼしめししづませたまひて、うちふさせたまひしが、さんぬるさんぐわつふつかのひ、つひにはかなくならせたまひてさふらひぬ。いまはひめごぜんばかりこそ、ならのをばごぜんのおんもとにしのうでおはしける、それよりおんふみたまはつてまゐつてさふらふ」とて、とりいだいてたてまつる。そうづこれをあけてみたまへば、ありわうがまうすにたがはずかかれたり。

おくには、「などやさんにんながされてましますひとの、ににんはめしかへされてさぶらふに、なにとていちにんのこされて、いままでおんのぼりもさぶらはぬぞ。あはれたかきもいやしきも、をんなのみほどいふかひなきことはさぶらはず。をとこのみにてもさぶらはば、わたらせたまふしまへも、などかたづねまゐらでさぶらふべき。このわらはをおんともにて、いそぎのぼらせたまへ」とぞかかれたる。「これみよ、ありわうよ。このこがふみのかきやうのはかなさよ。おのれをともにて、いそぎのぼれとかいたることのうらめしさよ。しゆんくわんがこころにまかせたるうきみならば、いかでかこのしまにてみとせのはるあきをばおくるべき。ことしはじふにになるとおぼゆるが、これほどにはかなうては、いかでかひとにもまみえ、みやづかへをもして、みをもたすくべきか」とてなかれけるにぞ、ひとのおやのこころはやみにあらねども、こをおもふみちにまよふとは、いまこそおもひしられけれ。

「このしまへながされてのちは、こよみもなければ、つきひのたつをもしらず。ただおのづからはなのちり、はのおつるをみては、みとせのはるあきをわきまへ、せみのこゑばくしうをおくればなつとおもひ、ゆきのつもるをふゆとしる。びやくぐわつこくぐわつのかはりゆくをみては、さんじふにちをわきまへ、ゆびををつてかぞふれば、ことしはむつになるとおぼゆるをさなきものも、はやさきだちけるござんなれ。にしはちでうへいでしとき、このこがゆかんとしたひしを、やがてかへらうずるぞとなぐさめおきしが、ただいまのやうにおぼゆるぞや。それをかぎりとだにもおもはましかば、いましばらくもなどかみざらん。おやとなりことなり、ふうふのえんをむすぶも、みなこのよひとつにかぎらぬちぎりぞかし。いまはひめがことばかりこそこころぐるしけれども、それはいきみなれば、なげきながらもすごさんずらん。さのみながらへて、おのれにうきめをみせんも、わがみながらつれなかるべし」とて、おのづからしよくじをとどめ、ひとへにみだのみやうがうをとなへ、りんじうしやうねんをぞいのられける。ありわうわたつてにじふさんにちとま

うすに、そうづいほりのうちにて、つひにをはりたまひぬ。としさんじふしちとぞきこえし。ありわうむなしきすがたにとりつきたてまつり、てんにあふぎちにふし、こころのゆくほどなきあきて、「やがてごせのおんともつかまつるべうさふらへども、このよにはひめごぜんばかりこそわたらせたまひさふらへ。ごせとぶらひまゐらすべきひともさふらはず。しばしながらへてごぼだいをとぶらひまゐらすべし」とて、ふしどをあらためず、いほりをきりかけ、まつのかれえだ、あしのかればをひしととりかけて、もしほのけぶりと

なしたてまつり、だびことをへぬれば、はくこつをひろひくびにかけ、またあきんどぶねのたよりにて、くこくのぢにぞつきにける。それよりそうづのおんむすめの、しのうでおはしけるおんもとにまゐつて、ありしやうをはじめよりこまごまとかたりまうす。「なかなかふみをごらんじてこそ、いとどおんおもひはまさらせたまひてさふらひしか。くだんのしまには、すずりもかみもなければ、おんぺんじにもおよばず。おぼしめされつるおんことどもは、さながらむなしうてやみさふらひぬ。いまはしやうじやうせせをおくり、たしやうくわうごふをばへだてたまふとも、いかでかおんこゑをもきき、おんすがたをもみまゐらさせたまふべき。ただいかにもして、ごぼだいをとぶらひまゐらさせたまへ」とまうしければ、ひめごぜんききもあへたまはず、ふしまろびてぞなかれける。やがてじふにのとしあまになり、ならのほつけじにおこなひすまして、ぶものごせをとぶらひたまふぞあはれなる。ありわうはしゆんくわんそうづのゆゐこつをくびにかけ、かうやへのぼり、おくのゐんにをさめつつ、れんげだににてほふしになり、しよこくしちだうしゆげふして、しゆのごせをぞとぶらひける。かやうにひとびとのおもひなげきのつもりぬる、へいけのすゑこそおそろしけれ。

 

10 つじかぜ(つじかぜ)

さるほどにおなじきごぐわつじふににちのうまのこくばかり、きやうちうにつじかぜおびたたしうふいて、じんをくおほくてんだうす。かぜはなかのみかどきやうごくよりおこつて、ひつじさるのかたへふいてゆくに、むねかどひらかどふきぬいて、しごちやうじつちやうばかりふきもてゆき、けた、なげし、はしらなどは、こくうにさんざいし、ひはだ、ふきいたのるゐ、ふゆのこのはのかぜにみだるるがごとし。おびたたしうなりどよむおとは、かのじごくのごふふうなりとも、これにはすぎじとぞみえし。ただしやをくのはそんずるのみならず、いのちをうしなふものもおほし。ぎうばのたぐひ、かずをしらずうちころさる。これただごとにあらず、みうらあるべしとて、じんぎくわんにしてみうらあり。「いまひやくにちのうちに、ろくをおもんずるだいじんのつつしみ、べつしてはてんがのだいじ、ぶつぽふわうぼふともにかたぶき、ならびにひやうがくさうぞくすべし」とぞ、じんぎくわん、おんやうりやうともにうらなひたてまつる。

 

11 医師問答(いしもんだふ)

おなじきなつのころ、こまつのおとどは、かやうのことどもに、よろづこころぼそくやおもはれけん、そのころくまのさんけいのことありけり。ほんぐうしようじやうでんのおんまへにて、しづかにほつせまゐらせて、よもすがらけいびやくせられけるは、「しんぷにふだうしやうこくのていをみるに、あくぎやくぶだうにして、ややもすればきみをなやましたてまつる。そのふるまひをみるに、いちごのえいぐわなほあやふし。しげもりちやうしとして、しきりにいさめをいたすといへども、みふせうのあひだ、かれもつてふくようせず。しえふれんぞくして、しんをあらはしなをあげんことかたし。このときにあたつて、しげもりいやしうもおもへり。なまじひにれつして、よにふちんせんこと、あへてりやうしんかうしのほふにあらず。しかじ、なをのがれみをしりぞいて、こんじやうのめいばうをなげすてて、らいせのぼだいをもとめんに。ただしぼんぶはくぢ、ぜひにまどへるがゆゑに、こころざしをなほほしいままにせず、なむごんげんこんがうどうじ。ねがはくは、しそんはんえいたえずして、つかへててうていにまじはるべくば、にふだうのあくしんをやはらげて、てんがのあんぜんをえせしめたまへ。えいえうまたいちごをかぎつて、こうこんはぢにおよぶべくば、しげもりがうんめいをつづめて、らいせのくりんをたすけたまへ。

りやうかのぐぐわんひとへにみやうじよをあふぐ」と、かんたんをくだいてきねんせられければ、とうろうのひのやうなるものの、おとどのおんみよりいでて、ばつときゆるがごとくしてうせにけり。ひとあまたみたてまつりけれども、おそれてこれをまうさず。おとどげかうのとき、いはだがはをわたられけるに、ちやくしごんのすけぜうしやうこれもりいげのきんだち、じやうえのしたにうすいろのきぬをきて、なつのことなれば、なにとなうみづにたはぶれたまふほどに、じやうえのぬれてきぬにうつりたるが、ひとへにいろのごとくにみえけるを、ちくごのかみさだよしこれをみとがめて、「なにとやらんあのおんじやうえの、よにいまはしげにみえさせましましさふらふ。いそぎめしかへらるべうもやさふらふらん」とまうしければ、おとど、「さてはわがしよぐわんすでにじやうじゆしにけり。あへてそのじやうえあらたむべからず」とて、いはだがはよりくまのへ、べつしてよろこびのほうへいをぞたてられける。ひとあやしとおもへども、なほそのこころをばえしめたまはず。しかるにこのきんだち、ほどなくやがて、まことのいろをきたまひけるこそふしぎなれ。そののちおとどげかうのとき、いくばくのひかずをへずして、やまひつきたまひぬ。ごんげんすでにごなふじゆあるにこそとて、れうぢをもしたまはず。ましてきたうをもいたされず。

そのころそうてうよりすぐれたるめいいわたつて、ほんてうにやすらふことありけり。をりふしにふだうしやうこくは、ふくはらのべつげふにおはしけるが、ゑつちうのぜんじもりとしをししやにて、こまつどのへのたまひつかはされけるは、「しよらういよいよだいじなるよし、そのきこえあり。かねてはまたそうてうよりすぐれたるめいいわたれり。をりふしこれをよろこびとす。よつてかれをめししやうじて、いれうをくはへしめたまへ」とのたまひつかはされたりければ、おとどたすけおこされ、もりとしをおんまへへめしてたいめんあり。「まづいれうのこと、かしこまつてうけたまはりさふらひぬとまうすべし。

ただしなんぢもよくうけたまはれ。えんぎのみかどは、さばかんのけんわうにてわたらせたまひしかども、いこくのさうにんを、みやこのうちへいれられたりしことをば、まつだいまでもけんわうのおんあやまり、ほんてうのはぢとこそみえたれ。いはんやしげもりほどのぼんにんが、いこくのいしをわうじやうへいれんこと、まつたくくにのはぢにあらずや。かんのかうそは、さんじやくのけんをひつさげて、てんがををさめしに、わいなんのげいふをうちしとき、りうしにあたつてきずをかうぶる。きさきりよたいこう、りやういをむかへてみせしむるに、いのいはく、このきずぢしつべし。ただしごじつこんのきんをあたへばぢせんといふ。

かうそのたまはく、われまもりつよかつしほどは、おほくのたたかひにあうてきずをかうぶりしかども、そのいたみなし。うんすでにつきぬ。めいはすなはちてんにあり、へんじやくといふともなんのえきかあらん。しかればまたかねををしむににたりとて、ごじつこんのきんをいしにあたへながら、つひにぢせざりき。せんげんみみにあり、いまもつてかんじんす。しげもりいやしくもきうけいにれつしさんたいにのぼる。そのうんめいをはかるに、もつててんしんにあり。なんぞてんしんをさつせずして、おろかにいれうをいたはしうせんや。しよらうもしぢやうごふたらば、いれうをくはふるともえきなからんか。またひごふたらば、れうぢをくはへずとも、たすかることをうべし。かのぎばがいじゆつおよばずして、だいかくせそん、めつどをばつだいがのほとりにとなふ。これすなはちぢやうごふのやまひ、いやさざることをしめさんがためなり。ぢするはぶつたいなり。れうするはぎばなり。

ぢやうごふもしいれうにかかはるべうさふらはば、あにしやくそんにふめつあらんや。ぢやうごふなほぢするにたへざるむねあきらけし。しかればしげもりがみ、ぶつたいにあらず、めいいまたぎばにおよぶべからず、たとひしぶのしよをかんがみて、ひやくれうにちやうずといふとも、いかでかうだいのゑしんをぐれうせん。たとひまたごきやうのせつにつまびらかにして、しゆびやうをいやすといふとも、あにぜんぜのごふびやうをぢせんや。もしかのいじゆつによつてぞんめいせば、ほんてうのいだうなきににたり。

いじゆつかうげんなくば、めんえつしよせんなし。なかんづくほんてうていしんのげさうをもつて、いてうふいうのらいかくにまみえんこと、かつうはくにのはぢ、かつうはみちのりようちなり。たとひしげもりめいはばうずといふとも、いかでかくにのはぢをおもふこころをぞんぜざらん。このよしをまうせ」とこそのたまひけれ。

もりとしなくなくふくはらへはせくだり、このよしをまうしければ、にふだうしやうこく、「くにのはぢをおもふだいじん、しやうこにいまだきかず。ましてまつだいにあるべしともおぼえず。につぽんにさうおうせぬだいじんなれば、いかさまにもこんどうせられなんず」とて、いそぎみやこへのぼられけり。しちぐわつにじふはちにち、こまつどのしゆつけしたまひぬ。ほふみやうはじやうれんとこそつきたまへ。やがてはちぐわつひとひのひ、りんじうしやうねんにぢうしてうせたまひぬ。おんとししじふさん。よはさかりとこそみえつるに、あはれなりしことどもなり。にふだうしやうこくの、さしもよこがみをやられしにも、このひとのおはして、やうやうになだめのたまひつればこそ、よはけふまでもおだしかりつれ。こののちてんがにいかばかりのことかいでこんずらんとて、じやうげみななげきあへり。またさきのうだいしやうむねもりのきやうのかたざまのひとびと、よはただいまだいしやうどのへまゐりなんずとて、いさみよろこびあはれけり。ひとのおやのこをおもふならひは、おろかなるが、さきだつだにもかなしきぞかし。いはんやこれはたうけのとうりやう、たうせいのけんじんにてましませば、おんあいのわかれ、いへのすゐび、かなしんでもなほあまりあり。さればよにはりやうしんをうしなへることをなげき、いへにはぶりやくのすたれぬることをかなしむ。およそはこのおとど、ぶんしやううるはしうして、こころにちうをそんじ、さいげいすぐれて、ことばにとくをかねたまへり。
 

12 無門之沙汰(むもん)

てんぜいこのおとどは、ふしんだいいちのひとにて、みらいのことをもかねてさとりたまひけるにや、さんぬるしんぐわつなぬかのよのゆめに、みたまひたりけることこそふしぎなれ。たとへばあるはまぢを、はるばるとあゆみゆきたまふほどに、かたはらにおほきなるとりゐのありけるを、おとどゆめのうちに、「あれはいかなるおんとりゐやらん」ととひたまへば、「かすがだいみやうじんのおんとりゐなり」とぞまうしける。ひとくんじゆしたり。そのなかよりおほきなるほふしのかうべを、たちのさきにつらぬき、たかくさしあげたるを、おとど、「なにもののくびぞ」とのたまへば、「へいけだいじやうにふだうどのの、あくぎやうてうくわしたまへるによつて、たうしやだいみやうじんのめしとらせたまひてさふらふ」とまうすとおぼえてゆめさめぬ。たうけは保元平氏よりこのかた、どどのてうてきをたひらげ、けんじやうみにあまり、ていそ、だいじやうだいじんにいたり、いちぞくのしようじんろくじふよにん、にじふよねんのこのかた、くわんかかいてんがにかたをならぶるひともなかりつるに、さてはにふだうのあくぎやうてうくわしたまへるによつて、たうけのうんめいのすゑになるにこそとおぼしめして、おんなみだをながさせたまふ。をりふしつまどをほとほととうちたたくものいできたり。おとど、「なにものぞ、あれきけ」とのたまへば、「せのをのたらうかねやすが、こんやあまりにふしぎのことをみさふらうて、まうしあげんがために、よのあくるがおそうおぼえてまゐつてさふらふ。おんまへのひとをはるかにのけられさふらへ」とて、ひとをのけてたいめんありけり。おとどのごらんぜられけるゆめに、すこしもたがはず、つぶさにかたりまうしたりければ、さてこそかねやすは、しんにもつうじたるものかなとぞ、おとどもかんじたまひける。

そのあしたちやくしごんのすけぜうしやうこれもり、ゐんへまゐらんとていでたたれけるを、おとどよびたてまつて、「ひとのおやのかやうのことまうすは、をこがましけれども、ごへんはひとのこにはすぐれてみえたまへり。あれせうしやうにさけすすめよ」とのたまへば、ちくごのかみさだよしおんしやくにまゐる。これをばせうしやうにこそたぶべけれども、おやよりさきにはよもたまはらじとて、おとどさんどくんで、そののちせうしやうどのにぞさされける。せうしやうまたさんどうけたまふとき、「あれせうしやうにひきでものせよ」とのたまへば、かしこまりうけたまはつて、あかぢのにしきのふくろにいれたるおんたちもつてまゐつたり。せうしやう、これはたうけにつたはるこがらすといふたちやらんと、うれしげにみたまへば、さはなくして、だいじんさうのときもちふるむもんのたちなり。そのときせうしやうもつてのほかにきしよくかはつてみえたまへば、おとどなみだをはらはらとながいて、「それはさだよしがひがごとにはあらず。だいじんさうのときはいてともするむもんといふたちなり。ひごろはにふだうどのいかにもなりたまはば、しげもりはいてともせんとこそぞんぜしか。いまはしげもり、にふだうどのにさきだちたてまつらんずれば、ごへんにたぶなり」とぞのたまひける。せうしやうとかうのへんじにもおよびたまはず、なみだをおさへてしゆくしよにかへり、そのひはしゆつしもしたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。そののちおとどくまのへまゐりげかうして、いくばくのひかずをへずして、やまひついてうせたまひけるにこそ、げにもとおもひしられけれ。

 

13 灯炉之沙汰(とうろのさた)

すべてこのおとどは、めつざいしやうぜんのこころざしふかうおはしければ、たうらいのふちんをなげき、ろくはちぐぜいのぐわんになぞらへて、ひがしやまのふもとに、しじふはちけんのしやうじやをたて、いつけんにひとつづつ、しじふはちのとうろうをかけられたりければ、くぼんのうてなめのまへにかがやき、くわうえうらんけいをみがいて、じやうどのみぎりにのぞみぬるがごとし。まいげつじふしにちじふごにちをてんじて、だいねんぶつありしかば、たうけたけのひとびとのもとより、みめよくわかうさかんなつしにようばうをしやうじて、いつけんにろくにんづつ、にひやくはちじふはちにんのじしゆとさだめて、かのりやうにちがあひだは、いつしんふらんのしようみやうのこゑおこたらず。まことにらいかういんぜふのひぐわんも、このところにやうがうをたれ、せつしゆふしやのひかりも、このおとどをてらしたまふかとぞおぼえたる。じふごにちのにつちうをけちぐわんとして、だいねんぶつありけり。おとどぎやうだうのなかにまじはつて、さいはうにむかひてをあはせ、「なむあんやうせかいのけうしゆ、みだぜんぜい、さんがいろくだうのしゆじやうを、あまねくさいどしたまへ」と、ゑかうほつぐわんしたまへば、みるひとじひしんをおこし、きくものかんるゐをぞもよほしける。それよりしてこそ、このおとどをとうろうのだいじんとはまうしけれ。

 

14 金渡(かねわたし)

おとどまたいかなるぜんごんをもして、ごせとぶらはればやとおもはれけるが、わがてうにはいかなるだいぜんごんをしおいたりとも、しそんあひつづいて、しげもりがごせとぶらはんことありがたし。たこくにいかなるぜんごんをもして、ごせとぶらはれんとて、あんげんのはるのころ、ちんぜいよりめうでんといふせんどうをめしのぼせ、ひとをはるかにのけてたいめんあり。こがねをさんぜんごひやくりやうめしよせて、「なんぢはきこゆるだいしやうじきのものなれば」とて、「ごひやくりやうをばなんぢにえさす。さんぜんりやうをばそうてうへわたし、いつせんりやうをばいわうさんのそうにひき、にせんりやうをばみかどへまゐらせて、でんだいをいわうさんへまうしよせて、しげもりがごせとぶらはすべし」とぞのたまひける。めうでんこれをたまはつて、ばんりのえんらうをしのぎつつ、だいそうこくへぞわたりける。いわうさんのはうぢやう、ぶつせうぜんじとくくわうにあひたてまつて、このよしまうしければ、ずゐきかんたんして、やがてせんりやうをば、いわうさんのそうにひき、にせんりやうをばみかどへまゐらせて、こまつどののまうされつるやうを、つぶさにそうもんせられければ、みかどおほきにかんじおぼしめして、ごひやくちやうのでんだいを、いわうさんへぞよせられける。さればにつぽんのだいじん、たひらのあそんしげもりこうのごしやうぜんしよといのること、いまにありとぞうけたまはる。
 

15 法印問答(ほふいんもんだふ)

にふだうしやうこく、こまつどのにはおくれたまひぬ。よろづこころぼそくやおもはれけん、ふくはらへはせくだり、へいもんしてこそおはしけれ。

「ほふいんもんだふ」おなじきじふいちぐわつなぬかのよのいぬのこくばかり、だいぢおびたたしううごいてややひさし。おんやうのかみあべのたいしん、いそぎだいりへはせまゐり、「こんどのぢしん、せんもんのさすところ、そのつつしみかろからずさふらふ。たうだうさんきやうのなかに、こんききやうのせつをみさふらふに、としをえてはとしをいでず、つきをえてはつきをいでず、ひをえてはひをいでず、もつてのほかにくわきふにさふらふ」とて、なみだをはらはらとながしければ、てんそうのひともいろをうしなひ、きみもえいりよをおどろかせおはします。わかきくぎやうてんじやうびとは、「けしからぬやすちかがなきやうかな。ただいまなにごとのあるべきか」とて、いちどにどつとぞわらひあはれける。されどもこのやすちかは、せいめいごだいのべうえいをうけて、てんもんはえんげんをきはめ、すゐでうたなごころをさすがごとし。いちじもたがはざりければ、さすのみことぞまうしける。いかづちのおちかかりたりしかども、らいくわのためにかりぎぬのそではやけながら、そのみはつつがもなかりけり。じやうだいにもまつだいにもありがたかりしやすちかなり。おなじきじふしにち、にふだうしやうこくいかがはおもひなられたりけん、すせんぎのぐんびやうをたなびいて、みやこへかへりいりたまふよしきこえしかば、きやうぢうなにとききわけたることはなけれども、じやうげさわぎあへり。またなにもののまうしいだしたりけるやらん。にふだうしやこくてうかをうらみたてまつるべしといふひろうをなす。くわんばくどのも、ないないきこしめさるるむねもやありけん、いそぎごさんだいあつて、「こんどにふだうのじゆらくは、ひとへにもとふさほろぼすべきよしのけつこうにてさふらへ。つひにいかなるうきめにかあひさふらはんずらん」と、そうせさせたまへば、しゆしやうきこしめして、「そこにいかなるめにもあはんは、ひとへにわがあふにてこそあらんずらめ」とて、りようがんよりおんなみだをながさせたまふぞかたじけなき。まことにてんがのおんまつりごとは、しゆしやうせふろくのおんぱからひにてこそあるに、これはいかにしつることどもぞや。てんせうだいじん、かすがだいみやうじんのしんりよのほどもはかりがたし。

おなじきじふごにち、にふだうしやうこくてうかをうらみたてまつるべきこと、ひつぢやうときこえしかば、ほふわうおほきにおどろかせたまひて、こせうなごんしんせいのしそくじやうけんほふいんをおつかひにて、にふだうしやうこくのもとへつかはさる。おほせくだされけるは、「きんねんてうていしづかならずして、ひとのこころもととのほらず。せけんもいまだらくきよせぬさまになりゆくことを、そうべつにつけてなげきおぼしめせども、さてそこにあれば、ばんじはたのみおぼしめされてこそあるに、たとひてんがをしづむるまでこそなからめ、あまつさへがうがうなるていにて、てうかをうらみたてまつるべしときこしめすはなにごとぞ」とおほせくださる。ほふいんちよくぢやうをうけたまはつて、にしはちでうのていにゆきむかふ。にふだうたいめんもしたまはず、あしたよりゆうべにおよぶまでまたれけれども、ぶいんなりければ、さればこそとむやくにおもひ、げんたいふの判官すゑさだをもつて、ちよくぢやうのおもむきいひいれさせ、「いとままうして」とていでられければ、そのときにふだう、「ほふいんよべ」とていでられたり。よびかへして、「ややほふいんのおんばう、じやうかいがまうすところはひがごとか。

まずだいふがみまかりぬること、たうけのうんめいをはかるにもつて、にふだうずゐぶんひるゐをおさへてこそまかりすぎさふらひしか。ごへんのこころにもすゐさつしたまへ。保元いごは、らんげきうちつづいて、きみやすいこころもましまさざりしに、にふだうはただおほかたをとりおこなふばかりでこそさふらへ。だいふこそてをおろしみをくだいて、どどのげきりんをばしづめまゐらせさふらひしか。そのほかりんじのおんだいじ、てうせきのせいむ、だいふほどのこうしんは、ありがたうこそさふらへ。ここをもつていにしへをあんずるに、たうのたいそうは、ぎちようにおくれて、かなしみのあまりに、むかしのいんそうはゆめのうちにりやうひつをえ、いまのちんはさめてののちけんしんをうしなふといふひのもんをみづからかいて、べうにたててだにこそかなしみたまひけるなれ。わがてうにも、まぢかうみさふらひしことぞかし。あきよりのみんぶきやうがせいきよしたりしをば、こゐんことにおんなげきあつて、やはたのぎやうがうえんいんあつて、ぎよいうなかりき。すべてしんかのそつするをば、だいだいのみかど、みなおんなげきあることでこそさふらへ。

それにだいふがちういんに、やはたのごかうあつてぎよいうありき。おんなげきのいろ、いちじもこれをみず。たとひだいふがちうをこそおぼしめしわすれさせたまふとも、などかにふだうがかなしみをば、おんあはれみなくてはさふらふべき。たとひにふだうがかなしみをこそおんあはれみなくとも、などかだいふがちうをばおぼしめしわすれさせたまふべき。ふしともにえいりよにそむきまうすこと、いまにおいてめんぼくをうしなふ。これひとつ。つぎにゑちぜんのくにをば、ししそんぞんまでごへんかいあるまじきよしおんやくそくさふらひて、くだしたまひてさふらひしかども、だいふにおくれてのち、やがてめしかへされさふらふは、なんのくわたいにてさふらふやらん。

これひとつ。つぎにちうなごんけつのさふらひしとき、にゐのちうじやうしきりにしよまうさふらひしを、にふだうずゐぶんとりまうししかども、つひにごしよういんなくして、くわんばくのそくをなさるることはいかに。たとひにふだういかなるひきよまうしおこなふとも、いちどはなどかきこしめしいれではさふらふべき。ゐかいといひ、けちやくといひ、りうんさうにおよばざることを、ひきちがへさせたまふおんことは、あまりにほいなきおんぱからひとこそぞんじさふらへ。これひとつ。つぎにしんだいなごんなりちかのきやういげ、きんじふのひとびと、ししのたにによりあひて、むほんをくはだてしことも、まつたくわたくしのけいりやくにはあらず、しかしながらきみごきよようあるによつてなり。ことあたらしきまうしごとにてさふらへども、このいちもんをばしちだいまでは、いかでかおぼしめしすてさせたまふべきに、それににふだうしちじゆんにおよんで、よめいいくばくならぬいちごのうちにだに、ややもすればほろぼさるべきよしのごけつこうざふらふ。

まうしさふらはんや、しそんあひつづいて、てうかにめしつかはれんこともありがたうこそさふらへ。およそおいてこにおくるるは、こぼくのえだなきにことならず。いまはほどなきうきよに、さのみこころをつひやしてもなににかはせんなれば、いかでもありなんとおもひなつてこそさふらへ」とて、かつうはふくりふし、かつうはらくるゐしたまへば、ほふいんおそろしうも、またあはれにもおぼえて、あせみづにこそなられけれ。

そのときはいかなるひとも、いちごんのへんじにはおよびがたきことぞかし。そのうへわがみもきんじゆのじんにて、ししのたにによりあひしことを、まさしうみきかれしかば、ただいまもそのにんじゆとてめしやこめられんずらんとおもはれければ、りようのひげをなで、とらのををふむここちはせられけれども、ほふいんもさるおそろしきひとにて、ちつともさわがずまうされけるは、「まことにどどのごほうこうあさからずさふらふ。いつたんうらみまうさせましますむね、そのいはれさふらふ。ただしくわんゐといひ、ほうろくといひ、おんみにとつてはことごとくまんぞくす。さればこうのばくたいなることをも、きみつねにぎよかんあるでこそさふらへ。しかるにきんしんことをみだり、きみごきよようありなどまうすことは、ぼうしんのきようがいにてぞさふらはんずらん。およそみみをしんじてめをうたがふは、ぞくのつねのへいなり。せうじんのふげんをおもくして、てうおんのたにことなるに、いまさらまたきみをかたぶけまゐらさせ たまはんこと、みやうけんにつけて、そのおそれすくなからずさふらふ。およそてんしんはさうさうとしてはかりがたし。えいりよさだめてそのぎでぞさふらはんずらん。しもとしてかみにさかふることは、あにじんしんのれいたらんや。よくよくごしゆゐさふらふべし。せんずるところ、このおもむきをこそひろうつかまつりさふらはめ」とてたたれければ、そのざになみゐたまへるひとびと、「あなおそろし。にふだうのあれほどいかりたまふに、ちつともさわがず、へんじうちしてたたれけるよ」とて、ほふいんをほめぬひとこそなかりけれ。

 

16 大臣流罪(だいじんるざい)

ほふいんかへりまゐつて、このよしそうもんせられければ、ほふわうもだうりしごくして、かさねておほせくださるるむねもなし。おなじきじふろくにち、にふだうしやうこくこのひごろおもひたちたまへることなれば、くわんばくどのをはじめたてまつりて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかくしじふさんにんがくわんしよくをとどめて、おひこめたてまつらる。なかにもくわんばくどのをば、だざいのそつにうつして、ちんぜいへとぞきこえし。「かからんよには、とてもかくてもありなん」とて、とばのへん、ふるかはといふところにてごしゆつけあり。

おんとしさんじふご。「れいぎよくしろしめして、くもりなきかがみにておはしつるひとを」とて、よのをしみたてまつることなのめならず。をんるのひとの、みちにてしゆつけしたるをば、やくそくのくにへはつかはさぬことにてあるあひだ、はじめはひうがのくにとさだめられたりしかども、これはごしゆつけのあひだ、備前のこふのへん、いばさまといふところにぞおきたてまつる。だいじんるざいのれいは、さだいじんそがのあかえ、うだいじんとよなり、さだいじんうをな、うだいじんすがはら、かけまくもかたじけなくいまのきたののてんじんのおんことなり。さだいじんかうめいこう、ないだいじんふぢはらのいしうこうにいたるまで、そのれいすでにろくにん、されどもせつしやうくわんばくるざいのれいはこれはじめとぞうけたまはる。こなかどののおんこ、にゐのちうじやうもとみちは、にふだうのむこにておはしければ、だいじんくわんばくになしたてまつらる。さんぬるゑんゆうゐんのぎよう、てんろくさんねんじふいちぐわつひとひのひ、いちでうのせつしやうけんとくこううせたまひしかば、おんおととほりかはのくわんばくちうぎこう、そのときはいまだじゆにゐのちうなごんにておはしき。そのおんおととほふこうゐんのおほにふだうかねいへこう、そのころはだいなごんのうだいしやうにてましましければ、ちうぎこうはおんおととにかかいこえられさせたまひたりしかども、いままたこえかへして、ないだいじんじやうにゐして、ないらんのせんじかうぶらせたまひしをこそ、ひとみなじぼくをおどろかしたるごしようじんとはまうしあはれしか。これはそれにはなほてうくわせり。

ひさんぎにゐのちうじやうより、だいちうなごんをへずして、だいじんせつしやうになること、これはじめ。ふげんじどののおんことなり。しやうけいさいしやう、だいげき、たいふのしにいたるまで、みなあきれたるさまにてぞさふらはれける。だいじやうだいじんもろながは、つかさをとどめて、あづまのかたへながされたまふ。さんぬるほうげんにはちちあくひだんのおほいどののえんざによつて、きやうだいしにんるざいせられたまひにき。おんあにうだいしやうかねなが、おんおととひだんのちうじやうたかなが、はんちやうぜんじさんにんは、きらくをまたずして、はいしよにてつひにうせたまひぬ。これはとさのはたにてここのかへりのはるあきをおくりむかへ、ちやうぐわんにねんはちぐわつにめしかへされて、ほんゐにふくし、つぎのとしじやうにゐして、任安元年じふぐわつに、さきのちうなごんよりごんだいなごんにあがりたまふ。

をりふしだいなごんあかざりければ、かずのほかにぞくははられける。だいなごんろくにんになること、これはじめ。またさきのちうなごんよりごんだいなごんにあがることも、ごやましなのだいじんみもりこう、うぢのだいなんごんりうこくのきやうのほかは、これはじめとぞうけたまはる。くわんげんのみちにたつし、さいげいすぐれておはしければ、しだいのしようじんとどこほらず、だいじやうだいじんまできはめさせたまひて、またいかなるつみのむくいにや、かさねてながされたまふらん。ほうげんのむかしは、なんかいとさへうつされ、治承のいまは、またとうくわんをはりのくにとかや。もとよりつみなくしてはいしよのつきをみんといふことをば、こころあるきはのひとのねがふことなれば、おとどあへてことともしたまはず。

かのたうのたいしのひんかくはくらくてん、しんやうのえのほとりにやすらひけん、そのいにしへをおもひやり、なるみがたしほぢはるかにゑんけんして、つねはらうげつをのぞみ、うらかぜにうそぶき、びはをだんじ、わかをえいじて、なほざりがてらに、つきひをおくりたまひけり。あるときたうごくだいさんのみやあつたのみやうじんにさんけいありて、そのよしんめいほふらくのために、びはひきらうえいしたまふに、ところもとよりむちのさかひなれば、なさけをしれるものなし。いふらうそんぢよ、P225ぎよじんやそう、かうべをうなだれ、みみをそばだつといへども、さらにせいだくをわかつて、りよりつをしることなし。されどもこはきんをだんぜしかば、ぎよりんをどりほとばしり、ぐこううたをはつせしかば、りやうぢんうごきうごく。もののめうをきはむるときには、しぜんにかんをもよほすことわりなれば、しよにんみのけよだつて、まんざきいのおもひをなす。やうやうしんかうにおよんで、ふがうでうのうちには、はなふんぷくのきをふくみ、りうせんのきよくのあひだには、つきせいめいのひかりをあらそふ。

「ねがはくはこんじやうせぞくもんじのごふ、きやうげんきぎよのあやまりをもつて」といふらうえいをして、ひきよくをひきたまひしかば、しんめいかんおうにたへずして、ほうでんおほきにしんどうす。「へいけのあくぎやうなかりせば、いまこのずゐさうをばいかでかをがむべき」とて、おとどかんるゐをぞながされける。あぜつのだいなごんすけかたのきやう、しそくうこんゑのせうしやうけんさぬきのかみみなもとのすけとき、ふたつのくわんをとどめらる。さんぎくわうだいこうぐうのごんのだいぶけんうひやうゑのかみふぢはらのみつよし、おほくらきやううきやうのだいぶけんいよのかみたかしなのやすつね、くらんどのさせうべんけんちうぐうのごんのだいしんふぢはらのもとちか、さんくわんともにとどめらる。なかにもあぜつのだいなごんすけかたのきやう、しそくうこんゑのせうしやう、まごのうせうしやうまさかた、これさんにんをば、けふやがてみやこのうちをおひいださるべしとて、しやうけいにはとうだいなごんさねくに、はかせのはうぐわんなかはらののりさだにおほせて、そのひやがてみやこのうちをおひいださる。だいなんごんのたまひけるは、「さんがいひろしといへども、ごしやくのみおきどころなし。いつしやうほどなしといへども、いちにちくらしがたし」とて、やちうにここのへのうちをまぎれいでて、やへたつくものほかへぞおもむかれける。かのおほえやまや、いくののみちにかかりつつ、はじめはたんばのくにむらくもといふところに、しばしはやすらひたまひしが、それよりつひにはたづねいだされて、しなののくにとぞきこえし。
 

17 行隆之沙汰(ゆきたかのさた)

さきのくわんばくまつどののさぶらひに、がうたいふのはうぐわんとほなりといふものあり。これもへいけにこころよからざりけるが、六波羅よりからめとらるべしときこえしほどに、しそくがうざゑもんのじよういへなりあひぐして、みなみをさしておちゆきけるが、いなりやまにうちあがり、むまよりおりて、おやこいひあはせけるは、「これよりとうごくへおちくだり、るにんさきのうひやうゑのすけ頼朝をたのまばやとはおもへども、それもたうじはちよくかんのみにて、わがみひとつをだにかなひがたうおはすなり。そのほかにつぽんごくに、へいけのしやうゑんならぬところやある。とてものがれざらんものゆゑに、ねんらいすみなれたるところを、ひとにみせんもはぢがまし。これよりとつてかへし、六波羅よりめしつかひあらば、たちにひかけやきあげ、はらかききつてしなんにはしかじ」とて、またかはらざかのしゆくしよへとつてかへす。あんのごとくげんだいふのはうぐわんすゑさだ、つのはうぐわんもりずみ、ひたかぶとさんびやくよき、かはらざかのしゆくしよへおしよせて、ときをどつとぞつくりける。

がうたいふのはうぐわん、えんにたちいでだいおんじやうをあげて、「いかにおのおの六波羅では、このやうをまうさせたまへ」とて、たちにひかけ、やきあげ、ふしともにはらかききつて、ほのほのなかにてやけしにぬ。そもそもかやうにひとのほろびそんずることをいかにといふに、さきのおほとののおんこさんみのちうじやうどのと、たうじくわんばくにならせたまふにゐのちうじやうどのと、ちうなごんごさうろんゆゑとぞきこえし。さらばくわんばくどのごいつしよばかりこそ、いかなるおんめにもあはせたまふべきに、しじふさんにんのひとびとの、ことにあふべきやは。およそはこれにもかぎるまじかんなれども、にふだうしやうこくのこころにてんまいりかはつて、よろづはらをすゑかねたまふよしきこえしかば、きやうぢうまたさわぎあへり。こぞさぬきのゐんごつゐがうありて、しゆとくてんわうとかうし、うぢのあくさふ、ぞうくわんぞうゐおこなはれたりといへども、せけんはなほもしづかならず。

そのころさきのさせうべんゆきたかときこえしは、こなかやまのちうなごんあきときのきやうのちやうなんなり。にでうのゐんのおんときは、べんくわんにくははつて、さしもゆゆしうおはせしが、このじふよねんはくわんをもとどめられて、なつふゆのころもがへにもおよばず、てうぼのざんもまれなり。あるかなきかのていにておはしけるを、にふだうしやうこくししやをもつて、「きつとたちよりたまへ。まうしあはすべきことあり」と、のたまひつかはされたりければ、ゆきたか、「このじふよねんはくわんをもとどめられて、よろづなにごとにもまじはらざりつるものを。いかさまにもざんげんして、うしなはんとするもののあるにこそ」とて、おほきにおそれさわがれけり。きたのかたいげにようばうた

ち、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。さるほどににしはちでうどのより、つかひしきなみにありしかば、ゆきたか、「いでむかつてこそ、ともかくもならめ」とて、ひとにくるまかつていでられたれば、おもふにはにず、にふだうやがていであひたいめんありて、「ごへんのちちのきやうは、にふだうだいせうじをまうしあはせしひとなり。そのしそくにておはすれば、ごへんとてもまつたくおろそかにおもひたてまつらず。ねんらいろうきよのこともいたはしうはおぼゆれども、ほふわうのごせいむのうへはちからおよばず。いまはしゆつししたまへ。くわんどのことも、まうしさたつかまつりさふらはん。さらばとうかへられよ」とてかへされたれば、しゆくしよにはにようばうさぶらひさしつどひて、しにたるひとのいきかへりたるここちして、よろこびなきをぞせられける。そののちげんたいふの判官すゑさだをもつて、ちぎやうしたまふべきしやうゑんじやうども、あまたなしつかはし、まづさこそおはすらんとて、ひやつぴきひやくりやうに、よねをつんでぞおくられける。しゆつしのれうにとて、ざふしきうしかひうしぐるまにいたるまで、きよげにさたしおくられければ、ゆきたかてのまひ、あしのふみどをもおぼえたまはず、こはゆめやらんとぞおどろかれける。おなじきじふしちにち、ごゐのじちうにふせられて、もとのごとくさせうべんになしかへさる。こんねんごじふいち、いまさらわかやぎたまひけり。ただへんしのえいぐわとぞみえし。

 

18 法皇被流(ほふわうながされ)

おなじきはつかのひ、ほふぢうじどのをば、ぐんびやうしめんをうちかこんで、へいぢにのぶよりのきやうがさんでうどのをしたりしやうに、ごしよにひをかけ、ひとをばみなやきほろぼすべきよしきこえしかば、つぼねのにようぼう、あやしのめのわらはにいたるまで、ものをだにうちかづかずして、われさきにわれさきにとぞにげいでける。さきのうだいしやうむねもりのきやうおんくるまをよせて、「とうとう」とまうされたりければ、ほふわうえいりよをおどろかせおはしまし、「なりちかしゆんくわんらがやうに、とほきくに、はるかのしまへもうつしやられんずるにこそ。さらにおんとがあるべしともおぼしめさず。しゆしやうさてわたらせたまへば、せいむのこうじゆするばかりなり。それもさらずは、じごんいご、さらでもあれかし」とおほせければ、むねもりのきやうなみだをはらはらとながいて、「いかにただいま、さるおんことさふらふべき。

しばらくよをしづめんほど、とばのきたどのへごかうをなしまゐらせよと、ちちのぜんもんまうしさふらふ」とまうされたりければ、「さらばなんぢやがておんともつかまつれ」とおほせけれども、ちちのぜんもんのきしよくにおそれをなして、おんともにはまゐられず。「これにつけても、あにのだいふには、ことのほかにおとりたるものかな。ひととせもかかるおんめにあふべかりしを、だいふがみにかへてせいしとどめてこそ、けふまでもおんこころやすかりつれ。いまはいさむるもののなきとて、かうはするやらん。ゆくすゑとてもたのもしからずおぼしめす」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。さておんくるまにめされけり。くぎやうてんじやうびと、いちにんもぐぶせられず、ほくめんのげらふと、さてはこんぎやうといふおんりきしやばかりぞまゐりける。おんくるまのしりには、あまぜいちにんまゐられけり。このあまぜとまうすは、やがてほふわうのおんちのひと、きのにゐのおんことなり。

しちでうをにしへ、しゆしやかをみなみへごかうなしたてまつる。「あはやほふわうのながされさせおはしますぞや」とて、こころなきあやしのしづのを、しづのめにいたるまで、みななみだをながし、そでをぬらさぬはなかりけり。「さんぬるなぬかのよのおほぢしんも、かかるべかりけるぜんべうにて、じふろくらくしやのそこまでもこたへ、けんらうぢじん(じしん)のおどろきさわぎたまふらんもことわりかな」とぞひとまうしける。さてとばどのへごかうなつてのち、ごぜんにひといちにんもさふらはず。なにとしてかまぎれいりたりけん、だいぜんのだいぶのぶなりがただいちにんさふらひけるを、ごぜんへめして、「われはちかううしなはれんずるとおぼしめすぞ。おんぎやうずゐをめさばやとおぼしめすはいかに」とおほせければ、さらぬだにのぶなりは、けさよりきもたましひもみにそはず、あきれたるさまにてさふらひけるが、このおほせうけたまはることのかたじけなさに、かりぎぬのたまだすきあげ、かまにみづくみいれ、こしばがきこぼち、おほゆかのつかばしらわりなどして、かたのごとくのおんゆしいだいてたてまつる。

またじやうけんほふいん、にふだうしやうこくのにしはちでうのていへゆきむかつて、「ゆふべほふわうのとばどのへごかうなつてさふらふなるに、ごぜんにひといちにんもさふらはぬよしうけたまはつて、あまりにあさましくおぼえさふらふ。なにかくるしうさふらふべき。じやうけんばかりおんゆるされをかうぶつて、まゐりさふらはばや」とまうされければ、にふだうしやうこくいかがおもはれけん。「おんぼうはいつかうことあやまつまじきひとなり。とうとう」とてゆるされけり。ほふいんなのめならずによろこび、いそぎとばどのへまゐり、もんぜんにてくるまよりおり、もんのうちへさしいりたまふに、をりふしほふわうはおんきやううちあげうちあげあそばされけるおんこゑの、ことにすごうぞきこ

えさせおはします。ほふいんの、つとまゐられたれば、あそばされけるおんきやうに、おんなみだのはらはらとかからせたまふをみまゐらせて、ほふいんあまりのかなしさに、きうたいのそでをかほにおしあてて、なくなくごぜんへぞまゐられける。ごぜんにはあまぜばかりぞさふらはれける。「ややほふいんのおんばう、きみはきのふのあした、ほふぢうじどのにて、ぐごきこしめしてのちは、ゆふべもけさもきこしめさず。ながきよすがらぎよしんもならず、おんいのちもすでにあやふうこそみえさせおはしませ」とまうされければ、ほふいんなみだをおさへてまうされけるは、「なにごともかぎりあることでこそさふらへ。へいけよをとつてにじふよねん、されどもあくぎやうほふにすぎて、すでにほろびさふらひなんず。

さればてんせうだいじん、しやうはちまんぐうも、きみをばいかでかおぼしめしはなたせたまふべき。なかにもきみのおんたのみましますひよしさんわうしちしや、いちじようしゆごのおんちかひいまだあらたまらずは、かのほつけはちぢくにたちかけつてこそ、きみをばまもりまゐらさせたまふらめ。さればせいむはきみのおんよとなり、きようとはみづのあわときえうせさふらひなんず」とまうされければ、ほふわうこのことばにすこしなぐさませおはします。しゆしやうはくわんばくながされたまひ、しんかのおほくほろびそんずることをのみこそ、おんなげきありつるに、いままたほふわうのとばどのへごかうなりぬるよしきこしめして、つやつやぐごもきこしめさず、ごなうとてつねはよるのおとどにのみいらせおはします。ごぜんにさぶらはせたまふにようばうたち、きさいのみやをはじめまゐらせて、いかなるべしともおぼしめさず。

ほふわうのとばどのへごかうなつてのち、だいりにはりんじのごじんじとて、せいりやうでんのいしばひのだんにして、しゆしやうよごとにいせだいじんぐうをぞごはいありける。これはいつかうほふわうおんいのりのためとぞきこえし。にでうのゐんは、さばかりのけんわうにてわたらせたまひしかども、てんしにぶもなしとて、つねはゐんのおほせをまうしかへさせおはしましければにや、けいていのきみにてもましまさず。さればおんゆづりをうけさせたまひたりしろくでうのゐんも、あんげんにねんしちぐわつじふしにち、おんとしじふさんにて、つひにかくれさせたまひぬ。あさましかりしことどもなり。
 

19 城南之離宮(せいなんのりきゆう)

はくかうのなかには、かうかうをもつてさきとす。めいわうはかうをもつててんがををさむといへり。さればたうげうはおいおとろへたるははをたつとび、ぐしゆんはかたくななるちちをうやまふとみえたり。かのけんわうせいしゆのせんきをおはせましましけん、えいりよのほどこそめでたけれ。そのころだいりよりとばどのへ、ひそかにごしよありけり。「かからんよには、くもゐにあとをとどめても、なににかはしさふらふべきなれば、くわんぺいのむかしをもとぶらひ、くわざんのいにしへをもたづねて、さんりんるらうのぎやうじやともなりぬべうこそさふらへ」とあそばされたりければ、ほふわうのおんぺんじに、「さなおぼしめされさふらひそ。さてわたらせたまへばこそ、ひとつのたのみにてもさふらへ。あとなくおぼしめしならせたまひなんのちは、なにのたのみかさふらふべき。ただともかうも、ぐらうがならんやうを、ごらんじはてさせたまふべうもやさふらふらん」と、あそばされたりければ、しゆしやうこのおんぺんじをりようがんにおしあてさせたまひて、おんなみだせきあへさせたまはず。きみはふね、しんはみづ、みづよくふねをうかべ、みづまたふねをくつがへし、しんよくきみをたもち、しんまたきみをくつがへす。保元平治のころは、にふだうしやうこく、きみをたもちたてまつるといへども、あんげん治承のいまはまた、きみをなみしたてまつる。ししよのもんにたがはず。

おほみやのだいしやうこく、さんでうのないだいじん、はむろのだいなごん、なかやまのちうなごんもうせられぬ。いまふるきひととては、せいらい、しんぱんばかりなり。このひとびとも、かからんよには、てうにつかへみをたて、だいちうなごんをへてもなににかはせんとて、いまださかんなつしひとびとの、いへをいでよをのがれ、みんぶきやうにふだうしんぱんは、をはらのしもにともなひ、さいしやうにふだうせいらいは、かうやのきりにまじはつて、いつかうごせぼだいのほかは、またたじなしとぞきこえし。むかしもしやうざんのくもにかくれ、えいせんのつきにこころをすますひともありけんなれば、これあにはくらんせいけつにして、よをのがれたるにあらずや。なかにもかうやにおはしけるさいしやうにふだうせいらい、このよしをつたへききたまひて、「あはれこころとくもよをばのがれたるものかな。かくてきくもおなじことなれども、まのあたりたちまじはつてきかましかば、いかばかりこころうからん。保元平治のみだれをこそ、あさましとおもひつるに、よすゑになれば、かかるふしぎもいできにけり。こののちてんがにいかばかりのことかいでこんずらん。くもをわきてものぼり、やまをへだててもいりなばや」とぞのたまひける。げにこころあらんほどのひとの、あとをとどむべきよともおぼえず。

おなじきにじふいちにち、てんだいざすかくくわいほつしんわう、しきりにごじたいありしかば、さきのざすめいうんだいそうじやう、くわんちやくしたまふ。にふだうしやうこく、かくさんざんにしちらされたりしかども、ちうぐうとまうすもおんむすめ、くわんばくどのもまたむこなりければ、よろづこころやすくやおもはれけん、せいむはいつかうしゆしやうのおんぱからひたるべしとて、ふくはらへぞくだられける。おなじきにじふさんにち、さきのうだいしやうむねもりのきやういそぎさんだいして、このよしそうもんせられたりければ、しゆしやう、「ほふわうのゆづりましましたるよならばこそ。ただしつぺいにいひあはせて、むねもりともかうもよきやうにあひはからへ」とて、きこしめしもいれざりけり。

ほふわうはせいなんのりきうにして、ふゆもなかばすごさせたまへば、やさんのあらしのおとのみはげしくて、かんていのつきぞさやけき。にはにはゆきふりつもれども、あとふみつくるひともなく、いけにはつららとぢかさねて、むれゐしとりもみえざりけり。おほでらのかねのこゑ、ゐあいじのききをおどろかし、にしやまのゆきのいろ、かうろほうののぞみをもよほす。よるしもにさむけききぬたのひびき、かすかにおんまくらにつたひ、あかつきこほりをきしるくるまのあと、はるかのもんぜんによこたはれり。ちまたをすぐるかうじんせいばのいそがはしげなるけしき、うきよをわたるありさまも、おぼしめししられてあはれなり。きうもんをまもるばんいの、よるひるけいゑいをつとむるも、「さきのよのいかなるちぎりにて、いまえんをむすぶらん」と、おほせなりけるぞかたじけなき。およそものにふれことにしたがつて、おんこころをいためしめずといふことなし。さるままには、かのをりをりのごいうらん、ところどころのごさんけい、おんがのめでたかりしことども、おぼしめしつづけて、くわいきうのおんなみだおさへがたし。としさりとしきたつて、治承もしねんになりにけり。

巻第三 了



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2000.10.26 Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中