平家物語 巻第二 (流布本元和九年本)
 

1 座主流(ざすながし)

治承元年ごぐわついつかのひ、てんだいざすめいうんだいそうじやう、くじやうをちやうじせらるるうへ、くらんどをおつかひにて、によいりんのごほんぞんをめしかへいて、ごぢそうをかいえきせらる。すなはちしちやうのつかひをつけて、こんどしんよだいりへふりたてまつししゆとのちやうぼんをめされけり。かがのくににざすのごばうりやうあり。こくしもろたかこれをちやうはいのあひだ、そのしゆくいによつて、だいしゆをかたらひそしようをいたさる。すでにてうかのおんだいじにおよぶべきよし、さいくわうほふしふしがざんそうによつて、ほふわうおほきにげきりんありけり。ことにぢうくわにおこなはるべしときこゆ。

めいうんはゐんのごきしよくあしかりければ、いんやくをかへしたてまつて、ざすをじしまうされけり。おなじきじふいちにち、とばのゐんのしちのみやかくくわいほつしんわう、てんだいざすにならせたまふ。これはしやうれんゐんのだいそうじやうぎやうげんのおんでしなり。あくるじふににち、せんざすしよしよくをもつしゆせらるるうへ、検非違使ににんをつけて、ゐにふたをし、ひにみづをかけて、すゐくわのせめにおこなはるべきよしきこゆ。これによつて、だいしゆなほさんらくすときこえしかば、きやうぢうまたさわぎあへり。おなじきじふはちにちだいじやうだいじんいげのくぎやうじふさんにんさんだいして、ぢんのざにつき、さきのざすざいくわのことぎぢやうあり。はちでうのちうなごんながかたのきやう、そのときはいまださだいべんのさいしやうにて、ばつざにさぶらはれけるが、すすみいでてまうされけるは、「ほつけのかんじやうにまかせて、しざいいつとうをげんじて、をんるせらるべしとはみえてさふらへども、せんざすめいうんだいそうじやうはけんみつけんがくして、じやうぎやうぢりつのうへ、だいじようめうきやうをくげにさづけたてまつり、ぼさつじやうかいをほふわうにたもたせたてまつる。おんきやうのし、おんかいのし、ぢうくわにおこなはれんことは、みやうのせうらんはかりがたし。げんぞくをんるをなだめらるべきか」と、はばかるところもなうまうされたりければ、たうざのくぎやう、みなながかたのぎにどうずとまうしあはれけれども、ほふわうおんいきどほりふかかりければ、なほをんるにさだめらる。だいじやうのにふだうもこのことまうさんとて、ゐんざんせられたりけれども、ほふわうおんかぜのけとて、ごぜんへもめされたまはねば、ほいなげにてたいしゆつせらる。そうをつみするならひとて、どえんをめしかへし、げんぞくせさせたてまつり、だいなごんのたいふふじゐのまつえだといふぞくみやうをこそつけられけれ。このめいうんとまうすは、かけまくもかたじけなく、むらかみのてんわうだいしちのわうじ、ぐへいしんわうよりろくだいのおんすゑ、こがのだいなごんあきみちのきやうのおんこなり。まことにぶさうのせきとく、てんがだいいちのかうそうにておはしければ、きみもしんもたつとみたまひて、てんわうじ、ろくしようじのべつたうをもかけたまへり。

されどもをんやうのかみあべのやすちかがまうしけるは、「さばかりのちしやの、めいうんとなのりたまふこそこころえね。うへにはじつげつのひかりをならべ、したにくもあり」とぞなんじける。任安元年にんぐわつはつかのひ、てんだいざすにならせたまふ。おなじきさんぐわつじふごにちごはいだうあり。ちうだうのほうざうをひらかれけるに、しゆじゆのちようほうどものなかに、はういつしやくのはこあり。しろいぬのにてつつまれたり。いつしやうふぼんのざす、かのはこをあけてみたまふに、わうしにかけるふみいつくわんあり。でんげうだいし、みらいのざすのみやうじを、かねてしるしおかれたり。わがなのあるところまではみて、それよりおくをばみたまはず、もとのごとくまきかへしておかるるならひなり。さればこのそうじやうも、さこそはおはしけめ。

かかるたつときひとなれども、ぜんぜのしゆくごふをばまぬかれたまはず、あはれなりしことどもなり。おなじきにじふいちにち、はいしよいづのくにとさだめらる。ひとびとやうやうにまうされけれども、さいくわうほふしふしがざんそうによつて、かやうにはおこなはれけるなり。けふやがてみやこのうちをおひいださるべしとて、おつたてのくわんにん、しらかはのごばうにゆきむかつておひたてまつる。そうじやうなくなくごばうをいでつつ、あはたぐちのほとり、いつさいきやうのべつしよへいらせおはします。さんもんには、せんずるところ、われらがかたきは、さいくわうほふしふしにすぎたるものなしとて、かれらふしがみやうじをかいて、こんぽんちうだうにおはしますじふにじんじやうのうち、こんぴらだいじやうのひだんのみあしのしたにふませたてまつり、「じふにじんじやう、しちせんやしや、じこくをめぐらさず、さいくわうほふしふしがいのちをめしとりたまへや」と、をめきさけんでしゆそしけるこそ、きくもおそろしけれ。おなじきにじふさんにちいつさいきやうのべつしよより、はいしよへおもむきたまひけり。さばかりのほふむのだいそうじやうほどのひとのおつたてのうつしがさきにけたてられて、けふをかぎりにみやこをいでて、せきのひがしへおもむかれけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。おほつのうちでのはまにもなりぬれば、もんじゆろうののきばのしろじろとしてみえけるを、ふためともみたまはず、そでをかほにおしあててなみだにむせびたまひけり。さんもんにはしゆくらうせきとくおほしといへども、ちようけんほふいん、そのときはいまだそうづにておはしけるが、あまりになごりををしみたてまつり、あはづまでおくりまゐらせて、それよりいとまこうてかへられけるに、そうじやうこころざしのせつなることをかんじて、ねんらいこしんぢうにひせられたりし、いつしんさんぐわんのけつみやくさうじようをさづけらる。このほうはしやくそんのふぞく、はらないこくのめみやうびく、なんてんぢくのりうじゆぼさつよりしだいにさうでんしきたれるを、けふのなさけにさづけらる。さすがわがてうはそくさんへんぢのさかひ、じよくせまつだいとはいひながら、ちようけんこれをふぞくして、ほふえのたもとをしぼりつつ、みやこへかへりのぼられけん、こころのうちこそたつとけれ。

さるほどにさんもんにはだいしゆおこつてせんぎす。「そもそもぎしんくわしやうよりこのかた、てんだいざすはじまつて、ごじふごだいにいたるまで、いまだるざいのれいをきかず。つらつらことのこころをあんずるに、えんりやくのころほひ、くわうていはていとをたて、だいしはたうざんによぢのぼりて、しめいのけうぼふをこのところにひろめたまひしよりこのかた、ごしやうのによにんあとたえて、さんぜんのじやうりよきよをしめたり。みねにはいちじようどくじゆとしふりて、ふもとにはしちしやのれいげんひあらたなり。かのぐわつしのりやうぜんは、わうじやうのとうぼく、だいしやうのいうくつなり。このじちゐきのえいがくもていとのきもんにそばだちてごこくのれいちなり。だいだい
のけんわうちしん、このところにだんぢやうをしむ。まつだいならんがらんに、いかでかたうざんにきずをばつくべき。こはこころうし」とて、をめきさけぶといふほどこそありけれ、まんざんのだいしゆ、のこりとどまるものもなく、みなひがしざかもとへおりくだる。
 
 

2 一行阿闍梨之沙汰(いちぎやうあじやりのさた)

じふぜんじごんげんのおんまへにて、だいしゆまたせんぎす。「そもそもわれらあはづへゆきむかつて、くわんじゆをばうばひとどめたてまつるべし。ただしおつたてのうつし、りやうそうしあるなれば、さうなうとりえたてまつらんことありがたし。いまはさんわうだいしのおんちからのほか、またたのみたてまつるかたなし。まことにべつのしさいなく、とりえたてまつるべくは、ここにてまづひとつのずゐさうをみせしめたまへ」と、らうそうどもかんたんをくだいてきねんしけり。ここにむどうじぼふしじようゑんりつしがめしつかひけるつるまるといふわらはあり。しやうねんじふはつさいになりけるが、しんじんをくるしめ、ごたいにあせをながいて、にはかにくるひいでたり。「われじふぜんじごんげんのりゐさせたまへり。まつだいといふとも、いかでかわがやまのくわんじゆをば、たこくへはうつさるべき。しやうじやうせせにこころうし。さらんにとつては、われこのふもとにあとをとどめてもなににかはせん」とて、さうのそでをかほにおしあてて、さめざめとなきければ、だいしゆこれをあやしみて、「まことにじふぜんじごんげんのごたくせんにておはしまさば、われらしるしをまゐらせん。

いちいちにもとのぬしにかへしたまへ」とて、らうそうどもしごひやくにん、てんでにもつたるじゆずどもを、じふぜんじごんげんのおほゆかのうへへぞなげあげたる。かのものぐるひはしりまはり、ひろひあつめてすこしもたがへず、いちいちにみなもとのぬしにぞくばりける。だいしゆしんめいのれいげんあらたなることのたつとさに、みなたなごころをあはせてずゐきのかんるゐをぞもよほしける。「そのぎならば、ゆきむかつてうばひとどめたてまつれや」といふほどこそありけれ、うんかのごとくにはつかうす。あるひはしがからさきのはまぢにあゆみつづけるだいしゆもあり。あるひはやまだやばせのこしやうにふねおしいだすしゆともあり。これをみてさしもきびしげなりつるおつたてのうつし、りやうそうし、ちりぢりにみなにげさりぬ。だいしゆこくぶんじへまゐりむかふ。せんざすおほきにおどろかせたまひて、「およそちよくかんのものは、つきひのひかりにだにあたらずとこそうけたまはれ。いかにいはんや、じこくをめぐらさず、いそぎおひくださるべしと、ゐんぜんせんじのなりたるに、すこしもやすらふべからず。

しゆととうとうかへりのぼりたまふべし」と、はしちかくゐいでてのたまひけるは、「さんだいくわいもんのいへをいでて、しめいいうけいのまどにいつしよりこのかた、ひろくゑんじうのけうぼふをがくして、けんみつりやうしうをまなびき。ただわがやまのこうりうをのみおもへり。またこくかをいのりたてまつることもおろそかならず。しゆとをはぐくむこころざしもふかかりき。りやうじよさんしやうさだめてせうらんしたまふらん。みにあやまつことなし。むじつのつみによつて、をんるのぢうくわをかうむれば、よをもひとをもかみをもほとけをも、うらみたてまつるかたなし。まことにはるばるとこれまでとぶらひきたりたまふしゆとのはうしこそ、しやうじやうせせにもほうじつくしがたけれ」とて、かうぞめのおんころものそでをしぼりもあへさせたまはねば、だいしゆもみなよろひのそでをぞぬらしける。

すでにおんこしさしよせて、「とうとうめさるべうさふらへ」とまうしければ、せんざすのたまひけるは、「むかしこそさんぜんのしゆとのくわんじゆたりしか。いまはかかるるにんのみとなつて、いかでかやんごとなきしゆがくしや、ちゑふかきだいしゆたちにかきささげられてはのぼるべき。たとひのぼるべきなりとも、わらんづなどいふものをしばりはいて、おなじやうにあゆみつづいてこそのぼらめ」とて、のりたまはず。ここにさいたふのぢうりよ、かいじやうばうのあじやりいうけいといふあくそうあり。たけしちしやくばかりありけるが、くろかはをどしのよろひの、おほあらめにかねまぜたるを、くさずりながにきなし、かぶとをばぬいで、ほふしばらにもたせつつ、しらえのなぎなたつゑにつき、だいしゆのなかをおしわけおしわけ、せんざすのおんまへにまゐり、だいのまなこをみいからかし、せんざすをしばしにらまへたてまつて、「そのおんこころでこそ、かかるおんめにもあはせたまひさふらへ。とうとうめさるべうさふらふ」とまうしければ、せんざすおそろしさに、いそぎのりたまふ。だいしゆとりえたてまつることのうれしさに、いやしきほふしばらにはあらず、やんごとなきしゆがくしやどもがかきささげたてまつてのぼるほどに、ひとはかはれどもいうけいはかはらず、さきごしかいて、こしのながえも、なぎなたのえも、くだけよととるままに、さしもさがしきひがしざか、へいぢをゆくがごとくなり。だいかうだうのにはに、おんこしかきすゑて、だいしゆまたせんぎす。「そもそもわれらあはづにゆきむかつて、くわんじゆをばうばひとどめたてまつりぬ。

ただしちよくかんをかうむりてをんるせられたまふひとを、くわんじゆにもちひまうさんこと、いかがあるべかるらん」とひやうぢやうす。かいじやうばうのあじやりいうけい、またさきのごとくすすみいでてせんぎしけるは、「それわがやまはにつぽんぶさうのれいち、ちんごこくかのだうぢやう、さんわうのごゐくわうさかんにして、ぶつぽふわうぼふごかくなり。さればしゆとのいしゆにいたるまでならびなく、いやしきほふしばらまでも、よもつてかろしめず。いはんやちゑかうきにして、さんぜんのしゆとのくわんじゆたり。とくぎやうおもうしていつさんのわじやうたり。つみなくしてつみをかうむりたまふこと、さんじやうらくちうのいきどほり、こうぶくをんじやうのあざけりにあらずや。このときわれらけんみつのあるじをうしなつて、すはいのがくりよ、ながくけいせつのつとめおこたらんこと、こころうかるべし。せんずるところ、いうけいちやうぼんにしようぜられ、きんごくるざいにもおよび、かうべのはねられんこと、こんじやうのめんぼく、めいどのおもひでなるべし」とて、さうがんよりなみだをはらはらとながしければ、すせんにんのだいしゆも、みなもつとももつともとぞどうじける。それよりしてこそ、いうけいをばいかめばうとはいはれけれ。

そのでしゑけいりつしをば、ときのひとこいかめばうとぞまうしける。「いちぎやうあじやり」だいしゆせんざすをば、とうだふのみなみだに、めうくわうばうにいれたてまつる。ときのわうざいをば、ごんげのひともまぬかれたまはざりけるにや。むかしたうのいちぎやうあじやりは、げんそうくわうていのごぢそうにておはしけるが、げんそうのきさきやうきひになをたちたまへり。むかしもいまも、だいこくもせうこくも、ひとのくちのさがなさは、あとかたもなきことなりしかども、そのうたがひによつて、くわらこくへながされさせたまふ。くだんのくにへはみつのみちあり。りんちだうとてごかうみち、いうちだうとてざふにんのかよふみち、あんけつだうとてぢうくわのものをつかはすみちなり。され、かのいちぎやうあじやりはだいぼんのひとなればとて、あんけつだうへぞつかはされける。しちにちしちやがあひだ、つきひのひかりもみずしてゆくところなり。みやうみやうとしてひともなく、かうほにせんどまよひ、しんしんとしてやまふかし。ただかんこくにとりのひとこゑばかりにて、こけのぬれぎぬほしあへず、むじつのつみによつて、をんるのぢうくわをかうむりたまふことを、てんだうあはれみたまひて、くえうのかたちをげんじつつ、いちぎやうあじやりをまもりたまふ。ときにいちぎやうみぎのゆびをくひきり、ひだんのたもとにくえうのかたちをうつされけり。わかんりやうてうに、しんごんのほんぞんたるくえうのまんだらこれなり。
 

3 西光被斬(さいくわうがきられ)

さるほどにさんもんのだいしゆ、せんざすとりとどめたてまつたること、ほふわうきこしめして、いとどやすからずおぼしめしけるところに、さいくわうほふしまうしけるは、「むかしよりさんもんのだいしゆは、はつかうのみだりがはしきうつたへつかまつること、いまにはじめずとはまうしながら、こんどはもつてのほかにくわぶんにさふらふ。よくよくおんぱからひさふらふべし。これらをおんいましめさふらはずは、こののちはよがよでもさふらふまじ」とぞまうしける。ただいまわがみのほろびうせんずることをもかへりみず、さんわうだいしのしんりよにもはばからず、かやうにまうしてしんきんをなやましたてまつる。ざんしんはくにをみだるといへり。まことなるかな。さうらんしげからんとすれども、あきのかぜこれをやぶり、わうじやあきらかならんとすれども、ざんしんこれをくらうすとも、かやうのことをやまうすべき。しんだいなごんなりちかのきやういげきんじゆのひとびとにおほせて、ほふわうやませめらるべしときこえしかば、さんもんのだいしゆは、さのみわうぢにはらまれて、ぜうめいをたいかんせんもおそれなりとて、ないないゐんぜんにしたがひたてまつるしゆともありなどきこえしかば、せんざすはとうだふのみなみだに、めうくわうばうにおはしけるが、だいしゆふたごころありとききたまひて、「またいかなるうきめにかあふべきやらん」と、こころぼそげにぞのたまひける。されどもるざいのさたはなかりけり。さるほどにしんだいなごんは、さんもんのさうどうによつて、わたくしのしゆくいをばしばらくおさへられけり。そもないぎしたくはさまざまなりしかども、ぎせいばかりで、このむほんかなふべしともみえざりければ、さしもたのまれたりつるただのくらんどゆきつな、このことむやくなりとおもふこころやつきにけん、ゆぶくろのれうにとておくられたりけるぬのどもをば、ひたたれ、かたびらにたちぬはせ、いへのこ、らうどうどもにきせつつ、めうちしばだたいてゐたりけるが、つらつらへいけのはんじやうするありさまをみるに、たうじたやすうかたぶけがたし。もしこのこともれぬるほどならば、ゆきつなまづうしなはれなんず。たにんのくちよりもれぬさきにかへりちうして、いのちいかうどおもふこころぞつきにける。

おなじきにじふくにちのさよふけがたに、にふだうしやうこくのにしはちでうのていにまゐつて、「ゆきつなこそまうすべきことあつて、これまでまゐつてさふらへ」と、あんないをいひいれたりければ、にふだう、「つねにもまゐらぬもののさんじたるはなにごとぞ、あれきけ」とて、しゆめの判官もりくにをいだされたり。「まつたくひとづてにはまうすまじきことなり」といふあひだ、にふだう、さらばとて、みづからちうもんのらうにぞいでられたる。「よははるかにふけぬらんに、いかにただいまなにごとぞ」とのたまへば、「ひるはひとめのしげうさふらふあひだ、よにまぎれてまゐつてさふらふ。このほどゐんぢうのひとびとのひやうぐをととのへ、ぐんびやうもよほされしことをば、なにとかきこしめされてさふらふやらん」。にふだう、「いさとよ、それはほふわうのやませめらるべきごけつこうとこそきけ」と、いとこともなげにぞのたまひける。ゆきつなちかうよりこごゑになつて、「そのぎではさふらはず。いつかうたうけのおんうへとこそうけたまはりさふらへ」。にふだう、「さてそれをばほふわうもしろしめされたるか」。「しさいにやおよびさふらふ。しつじのべつたうなりちかのきやうのぐんびやうもよほされさふらひしにも、ゐんぜんとてこそめされしか。やすよりがとまうして、しゆんくわんがかくまうして、さいくわうがとふるまうて」など、ありのままにはさしすぎていひちらし、わがみはいとままうすとていでければ、そのときにふだうおほごゑをもつてさぶらひどもよびののしりたまふことおびたたし。ゆきつななまじひなることまうしいでて、しようにんにやひかれんずらんとおそろしさに、ひともおはぬにとりばかまし、おほのにひをはなちたるここちして、いそぎもんぐわいへぞにげいでける。そののちにふだう、ちくごのかみさだよしをめして、「たうけかたぶけうどするむほんのともがらこそ、きやうぢうにみちみちたんなれ。いそぎいちもんのひとびとにもふれまうせ。さぶらひどももよほせ」とのたまへば、はせまはつてひろうす。うだいしやうむねもり、さんみのちうじやう知盛、とうのちうじやうしげひら、さまのかみゆきもりいげのいちもんのひとびと、かつちうきうせんをたいしてさしつどふ。そのほかさぶらひどももうんかのごとくにはせあつまつて、そのよのうちににふだうしやうこくのにしはちでうのていには、つはものろくしちせんきもあるらんとぞみえし。

あくればろくぐわつひとひのひなり。いまだくらかりけるに、にふだうしやうこくあべのすけなりをめして、「ゐんのごしよへまゐり、だいぜんのだいぶのぶなりをよびいだいて、きつとまうさんずることはよな、しんだいなごんなりちかのきやういげ、きんじゆのひとびと、このいちもんほろぼしててんがみだらんとするむほんのくはだてあり。いちいちにからめとつて、たづねさたつかまつりさふらふべし。それをばきみもしろしめさるまじうさふらふとまうすべし」とぞのたまひける。すけなりいそぎゐんのごしよにはせまゐり、のぶなりをまねいてこのことまうすに、いろをうしなふ。やがておんまへへまゐりてこのよしかくとそうもんまうしければ、ほふわう「ああはや、これらがないないはかりしことのもれきこえけるにこそ。さるにても、こはなにごとぞ」とばかりおほせられて、ふんみやうのおんぺんじもなかりけり。すけなりいそぎはしりかへつて、このよしかくとまうしければ、にふだう、「さればこそゆきつなはまことをまうしたれ。ゆきつなこのことつげしらせずは、じやうかいあんをんにてやはあるべき」とて、ちくごのかみさだよし、ひだのかみかげいへをめして、たうけかたむけうどするむほんのともがら、いちいちにからめとるべきよしげぢせらる。よつてにひやくよき、さんびやくよき、あそこここにおしよせおしよせからめとる。にふだうしやうこくまづざつしきをもつて、なかのみかどからすまるのしんだいなごんのしゆくしよへ、「きつとたちよりたまへ。まうしあはすべきことのさふらふ」と、のたまひつかはされければ、だいなごんわがみのうへとはつゆしらず、あはれ、これはほふわうのやませめらるべきごけつこうのあるを、まうしなだめられんずるにこそ。おんいきどほりふかげなり。いかにもかなふまじきものを」とて、ないきよげなるほういたをやかにきなし、あざやかなるくるまにのり、さぶらひさんしにんめしぐして、ざつしきうしかひにいたるまで、つねよりもなほひきつくろはれたり。そもさいごとはのちにこそおもひしられけれ。

にしはちでうちかうなつてみたまへば、しごちやうにぐんびやうどもみちみちたり。「あなおびたたし、こはなにごとなるらんと、むねうちさわがれけれども、もんぜんにてくるまよりおり、もんのうちへさしいつてみたまへば、うちにもつはものどもひまはざまもなうぞなみゐたる。ちうもんのくちにはおそろしげなるものども、あまたまちうけたてまつり、だいなごんをとつてひつぱり、「いましむべうさふらふやらん」とまうしければ、にふだうれんちうよりみいだしたまひて、「あるべうもなし」とのたまへば、さぶらひどもじふしごにん、ぜんごさうにたちかこみ、だいなごんのてをとつて、えんのうへへひきあげたてまつり、ひとまなるところにおしこめたてまつてげり。だいなごんはゆめのここちして、つやつやものもおぼえたまはず。

ともにありつるさぶらひども、おほぜいにおしへだてられて、ちりぢりになりぬ。ざふしきうしかひいろをうしなひ、うしくるまをすてて、みなにげさりぬ。さるほどに、あふみちうじやうにふだうれんじやう、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、やましろのかみもとかぬ、しきぶのたいふまさつな、へいはうぐわんやすより、そうはうぐわんのぶふさ、しんへいはうぐわんすけゆきも、とらはれてこそいできたれ。さいくわうほふしこのよしをきいて、わがみのうへとやおもひけん、むちをうつていそぎゐんのごしよへまゐる。六波羅のつはものども、みちにてゆきあひ、「にしはちでうどのよりめさるるぞ。きつとまゐれ」といひければ、「これはそうすべきことあつて、ゐんのごしよへまゐる。やがてこそかへりまゐらめ」といひければ、「につくいにふだうめが、なにごとをかそうすべかんなるぞ」とて、しやむまよりとつてひきおとし、ちうにくくつてにしはちでうどのへさげてまゐる。ひのはじめよりごんげんよりきのものなりければ、ことにつよういましめて、おんつぼのうちにぞひつすゑたる。にふだうしやうこくおほゆかにたつて、しばしにらまへ、「あなにくや、たうけかたぶけうどするむほんのやつがなれるすがたよ。しやつここへひきよせよ」とて、えんのきはへひきよせさせ、ものはきながら、しやつらをむずむずとぞふまれける。「もとよりおのれらがやうなるげらふのはてを、きみのめしつかはせたまひて、なさるまじきくわんしよくをなしたび、ふしともにくわぶんのふるまひをするとみしにあはせて、あやまたぬてんだいざするざいにまうしおこなひ、あまつさへたうけかたぶけうどするむほんのともがらにくみしてげるなり。ありのままにまうせ」とこそのたまひけれ。

さいくわうもとよりすぐれたるだいかうのものなりければ、ちともいろもへんぜず、わろびれたるけしきもなく、ゐなほり、あざわらつてまうしけるは、「ゐんぢうにちかうめしつかはるるみなれば、しつじのべつたうなりちかのきやうのぐんびやうもよほされさふらふことにも、くみせずとはまうすべきやうなし。それはくみしたり。ただし、みみにあたることをものたまふものかな。たにんのまへはしらず、さいくわうがきかんずるところにては、さやうのことをば、えこそのたまふまじけれ。そもそもごへんは、こ刑部卿忠盛のちやくしにておはせしが、じふしごまではしゆつしもしたまはず。こなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやうのへんにたちいりたまひしをば、きやうわらんべはれいのたかへいだとこそいひしか。しかるをほうえんのころ、かいぞくのちやうぼんさんじふよにんからめしんぜられたりしけんじやうにしほんしてしゐのひやうゑのすけとまうししをだに、ひとみなくわぶんとこそまうしあはれしか。てんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんにて、いまだいじやうだいじんまでなりあがつたるやくわぶんなるらん。もとよりさぶらひほどのものの、じゆりやう検非違使にいたること、せんれい、ほうれいなきにしもあらず。

なじかはくわぶんなるべき」と、はばかるところもなういひちらしたりければ、にふだうしやうこくあまりにはらをすゑかねて、しばしはものをものたまはず。ややあつてにふだうのたまひけるは、「しやつがくびさうなうきるな。よくよくきうもんしてことのしさいをたづねとひ、そののちかはらへひきいだいて、かうべをはねよ」とぞのたまひける。まつうらのたらうしげとしうけたまはつて、てあしをはさみ、さまざまにしていためとふ。さいくわうもとよりあらそはざりけるうへ、がうもんはきびしかりけり。はくじやうしごまいにきせられて、そののちくちをさけとて、くちをさかれ、ごでうにしのしゆしやかにして、つひにきられにけり。ちやくしかがのかみもろたかはけつくわんぜられて、をはりのゐどたへながされたりしを、おなじきくにの住人をぐまのぐんじこれすゑにおほせてうたせらる。じなんこんどう判官もろつねをば、ごくよりひきいだいて、ちうせらる。そのおととさゑもんのじようもろひら、らうどうさんにんをもおなじうかうべをはねられけり。これらはみないふかひなきもののひいでて、いろふまじきことをのみいろひ、あやまたぬてんだいざするざいにまうしおこなひ、くわはうやつきにけん、さんわうだいしのしんばつみやうばつをたちどころにかうむつて、かかるうきめにあへりけり。
 

4 小教訓(こげうくん)

しんだいなごんはひとまなるところにおしこめられて、あせみづになりつつ、「あはれこれはひごろのあらましごとの、もれきこえけるにこそ。たれもらしぬらん。さだめてほくめんのともがらのなかにぞあるらん」なんど、おもはじことなうあんじつづけておはしけるところに、うしろよりあしおとのたからかにしければ、すはただいまわがいのちうしなはんとて、もののふどものまゐるにこそとおもはれければ、さはなくして、にふだういたじきたからかにふみならし、だいなごんのおはしけるうしろのしやうじを、さつとひきあけていでられたり。そけんのころものみじからかなるに、しろきおほくちふみくくみ、ひじりづかのかたなおしくつろげてさすままに、もつてのほかにいかれるけしきにて、だいなごんをしばしにらまへて、「そもそもごへんは、へいぢにもすでにちうせらるべかりしを、だいふがみにかへてまうしうけ、くびをつぎたてまつしはいかに。しかるにそのおんをわすれて、なんのゐこんあつてか、たうけかたぶけうどはしたまふなるぞ。おんをしるをもつてひととはいふぞ。おんをしらざるをばちくしやうとこそいへ。されどもたうけのうんめいいまだつきざるによつて、これまではむかへたんなり。ひごろのあらましのしだい、ぢきにうけたまはらん」とのたまへば、だいなごん、「まつたくさることさふらはず。いかさまにもひとのざんげんにてぞさふらふらん。よくよくおんたづねさふらふべし」とまうされければ、にふだういはせもはてず、「ひとやある、ひとやある」とめされければ、さだよしつとまゐりたり。「さいくわうめがはくじやうとつてまゐれ」とのたまへば、もつてまゐりたり。にふだうこれをとつて、おしかへしおしかへしにさんべんたからかによみきかせ、「あなにくや、このうへをばなにとかちんずべかんなるぞ」とて、だいなごんのかほにさつとなげかけ、しやうじをちやうどひきたてていでられけるが、なほはらをすゑかねて、つねとほかねやすとめす。なんばのじらう、せのをのたらうまゐりたり。「あのをのことつて、にはへひきおとせ」とのたまへども、これらさうなうもしたてまつらず、「こまつどののごきしよく、いかがさふらはんずるやらん」とまうしければ、にふだう、「よしよし、おのれらは、だいふがめいをおもんじて、にふだうがおほせをばかるうしけるござんなれ。このうへはちからおよばず」とのたまへば、これらあしかりなんとやおもひけん、たちあがり、だいなごんのさうのてをとつて、にはへひきおとしたてまつる。そのときにふだうここちよげにて、「とつてふせてをめかせよ」とぞのたまひける。ににんのものども、だいなごんのさうのみみにくちをあてて、「いかさまにもおんこゑのいづべうさふらふ」と、ささやいてひきふせたてまつれば、ふたこゑみこゑぞをめかれける。そのてい、めいどにて、しやばせかいのざいにんを、あるひはごふのはかりにかけ、あるひはじやうはりのかがみにひきむけて、つみのきやうぢうにまかせつつ、あはうらせつがかしやくすらんも、これにはすぎじとぞみえし。せうはんとらはれとらはれて、かんはうにらぎすされたり。

てうそりくをうけ、しうぎつみせらる。たとへば、せうが、はんくわい、かんしん、はうゑつ、これらはみなかうそのちうしんたりしかども、せうじんのざんによつて、くわはいのはぢをうくとも、かやうのことをやまうすべき。しんだいなごんは、わがみのかくなるにつけても、しそくたんばのせうしやうなりつねいげ、をさなきものどものいかなるうきめにかあふらんと、おもひやるにもおぼつかなし。さばかりあつきろくぐわつに、しやうぞくをだにもくつろげられず、あつさもたへがたければ、むねもせきあぐるここちして、あせもなみだもあらそひてぞながれける。さりともこまつどのはおぼしめしはなたじものをとはおもはれけれども、たれしてまうすべしともおぼえたまはず。
こまつのおとどは、れいのぜんあくにさわぎたまはぬひとにておはしければ、はるかにひたけてのち、ちやくしごんのすけぜうしやうこれもりを、くるまのしりにのせつつ、ゑふしごにん、ずゐじんにさんにんめしぐして、ぐんびやうどもをばいちにんもぐせられず、まことにおほやうげにておはしたれば、にふだうをはじめたてまつて、いちもんのひとびと、みなおもはずげにぞみたまひける。おとどちうもんのくちにて、おんくるまよりおりたまふところへ、さだよしつとまゐつて、「などこれほどのおんだいじに、ぐんびやうをばいちにんもめしぐせられさふらはぬやらん」とまうしければ、おとど、「だいじとはてんがのことをこそいへ。かやうのわたくしごとを、だいじといふやうやある」とのたまへば、ひやうぢやうをたいしたりけるつはものども、みなそぞろいてぞみえたりける。そののちおとど、だいなごんをばいづくにおきたてまつたるやらんと、ここかしこをひきあけひきあけみたまふに、あるしやうじのうへに、くもでゆうたるところあり。ここやらんとてあけられたれば、だいなごんおはしけり。なみだにむせびうつぶして、めもみあげたまはず。「いかにや」とのたまへば、そのときみつけたてまつて、うれしげにおもはれたるけしき、ぢごくにてざいにんどもが、ぢざうぼさつをみたてまつるらんも、かくやとおぼえてあはれなり。「なにごとにてさふらふやらん。けさよりかかるうきめにあひさふらふ。さてわたらせたまへば、さりともとこそふかうたのみたてまつてさふらへ。へいぢにもすでにちうせらるべかりしを、ごおんをもつてくびをつがれまゐらせ、あまつさへじやうにゐのだいなごんまでへあがつて、としすでにしじふにあまりさふらふごおんこそ、しやうじやうせせにもはうじつくしがたうさふらへども、こんどもまたかひなきいのちをたすけさせおはしませ。さだにもさふらはば、しゆつけにふだうつかまつり、いかならんかたやまざとにもこもりゐて、ひとすぢにごせぼだいのつとめをいとなみさふらはん」とぞまうされける。おとど、「ささふらへばとて、おんいのちうしなひたてまつるまでのことはよもさふらはじ。たとひささふらふとも、しげもりかうてさふらへば、おんいのちにはかはりまゐらせさふらふべし。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とて、ちちのぜんもんのおんまへにおはして、「あのだいなごんうしなはれんことは、よくよくごしゆゐさふらふべし。そのゆゑはせんぞしゆりのだいぶあきすゑ、しらかはのゐんにめしつかはれまゐらせしよりこのかた、いへにそのれいなきじやうにゐのだいなごんにへあがつて、あまつさへたうじ、きみぶさうのおんいとほしみ、かうべをはねられんことしかるべうもさふらはず(す)。ただみやこのほかへいだされたらんに、ことたりさふらひなんず。

きたののてんじんは、しへいのおとどのざんそうにて、うきなをさいかいのなみにながし、にしのみやのだいじんは、ただのまんぢうのざんげんによつて、うらみをせんやうのくもによす。おのおのむじつなりしかども、るざいせられたまひにき。これみなえんぎのせいだい、あんわのみかどのおんひがこととぞまうしつたへたる。しやうこなほかくのごとし。いはんやまつだいにおいてをや。けんわうなほおんあやまりあり、いはんやぼんにんにおいてをや。すでにめしおかれぬるうへは、いそぎうしなはれずとも、なにのおそれかさふらふべき。けいのうたがはしきをばかろんぜよ、こうのうたがはしきをばおもんぜよとこそみえてさふらへ。ことあたらしきまうしごとにてさふらへども、しげもりかのだいなごんがいもうとにあひぐしてさふらふ。これもりまたむこなり。かやうにしたしうまかりなつてさふらへば、まうすとやおぼしめされさふらふらん。いつかうそのぎ
ではさふらはず。ただきみのため、くにのため、よのため、いへのためのことをおもつてまうしさふらふ。ひととせこせうなごんにふだうしんせいがしつけんのときにあひあたつて、わがてうにはさがのくわうていのおんとき、うひやうゑのかみふぢはらのなかなりをちうせられてよりこのかた、保元までは、きみにじふごだいのあひだ、おこなはれざりししざいを、はじめてとりおこなひ、うぢのあくさふのしがいをほりおこいて、じつけんせられたりしことなんどまでは、あまりなるおんまつりごととこそぞんじさふらへ。さればいにしへのひとも、しざいをおこなへば、かいだいにむほんのともがらたえずとこそまうしつたへてさふらへ。このことばについて、なかにねんあつて、へいぢにまたよみだれて、しんせいがうづまれたりしをほりおこし、かうべをはねておほぢをわたされさふらひき。ほうげんにまうしおこなひしことの、いくほどもなくて、はやみのうへにむくはれにきとおもへば、おそろしうこそさふらへ。これはさせるてうてきにてもさふらはず、かたがたおそれあるべし。ごえいぐわのこるところなければ、おぼしめさるることはあるまじけれども、ししそんぞんまで、はんじやうこそあらまほしうはさふらへ。さればふそのぜんあくは、かならずしそんにおよぶとこそみえてさふらへ。しやくぜんのいへにはよけいあり、せきあくのかどにはよあうとどまるとこそみえてさふらへ。いかさまにもこんやかうべをはねられんことは、しかるべうもさふらはず」とまうされたりければ、にふだうげにもとやおもはれけん、しざいをばおもひとどまりたまひけり。そののちおとどちうもんにいでて、さぶらひどもにのたまひけるは、「おほせなればとて、あのだいなごんうしなはんこと、さうなうあるべからず。にふだうはらのたちのままに、ものさわがしきことしたまひて、のちにはかならずくやみたまふべし。ひがごとしてわれうらむな」との
たまへば、ひやうぢやうをたいしたりけるつはものども、みなしたをふるつておそれをののく。「さてもけさつねとほかねやすが、あのだいなごんになさけなうあたりたてまつたることこそ、かへすがへすもきくわいなれ。などしげもりがかへりきかんずるところをば、はばからざりけるぞ。かたゐなかのさぶらひは、みなかかるぞとよ」とのたまへば、なんばもせのをも、ともにおそれいつたりけり。おとどはかやうにのたまひて、こまつどのへぞかへられける。

さるほどにだいなごんのさむらひども、いそぎなかのみかどからすまるのしゆくしよにかへりまゐつて、このよしかくとまうしければ、きたのかたいげのにようばうたち、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。「せうしやうどのをはじめまゐらせて、をさなきひとびとも、みなとられさせたまふべきよしうけたまはりてさふらへ。いそぎいづかたへもしのばせたまふべうもやさふらふらん」とまうしければ、きたのかた、「いまはこれほどになつて、のこりとどまるみとても、あんをんにてなににかはせんなれば、ただおなじひとよのつゆともきえんことこそほいなれ。さてもけさをかぎりとしらざりつることのかなしさよ」とて、ひきかづいてぞふしたまふ。すでにぶしどものちかづくよしきこえしかば、かくてはぢがましう、うたてきめをみんも、さすがなればとて、とをになりたまふによし、はつさいのなんし、ひとつくるまにとりのつて、いづちをさすともなくやりいだす。さてしもあるべきことならねば、おほみやをのぼりに、きたやまのへんうんりんゐんへぞおはしける。そのへんなるそうばうにおろしおきたてまつり、おくりのものどもは、みみのすてがたさに、みないとままうしてかへりにけり。いまはいとけなきひとびとばかりのこりゐて、またこととふひともなくしておはしけるきたのかたのこころのうち、おしはかられてあはれなり。くれゆくかげをみたまふにつけても、だいなごんのつゆのいのち、このゆふべをかぎりなりと、おもひやるにもきえぬべし。しゆくしよにはにようばうさぶらひおほかりけれども、ものをだにとりしたためず、かどをだにおしもたてず。むまやにはむまどもおほくなみたちたれども、くさかふものいちにんもなし。よあくればむまくるまかどにたちなみ、ひんかくざにつらなつて、あそびたはぶれまひをどり、よをよともしたまはず。ちかきあたりのものどもは、ものをだにたかくいはず、おぢおそれてこそきのふまでもありしに、よのまにかはるありさま、じやうしやひつすゐのことわりはめのまへにこそあらはれたれ。「たのしみつきてかなしみきたる」とかかれたる、かうしやうこうのふでのあと、いまこそおもひしられけれ。
 

5 少将乞請(せうしやうこひうけ)

たんばのせうしやうなりつねは、そのよしもゐんのごしよほふぢうじどのにうへぶしして、いまだいでられざりけるに、だいなごんのさぶらひども、いそぎゐんのごしよにはせまゐり、せうしやうどのをよびいだしたてまつり、このよしかくとまうしければ、せうしやう、「これほどのこと、などやさいしやうのもとより、いままでつげしらせざるらん」とのたまひもはてぬに、さいしやうどのよりとておつかひあり。このさいしやうとまうすは、にふだうしやうこくのおんおとと、しゆくしよは六波羅のそうもんのわきにおはしければ、かどわきのさいしやうとぞまうしける。たんばのせうしやうにはしうとなり。「なにごとにてさふらふやらん。けさにしはちでうのていより、きつとぐしたてまつれとさふらふ」と、のたまひつかはされたりければ、せうしやうこのことこころえて、きんじゆのにようばうたちをよびいだしまゐらせて、「ゆふべなにとなうものさわがしうさふらひしを、れいのやまぼふしのくだるかなんど、よそにおもひてさふらへば、はやなりつねがみのうへにまかりなつてさふらひけるぞや。ゆふさりだいなごんきらるべうさふらふなれば、なりつねとてもどうざいにてぞさふらはんずらん。いまいちどごぜんへさんじて、きみをもみまゐらせたくさふらへども、かかるみにまかりなつてさふらへば、はばかりぞんじさふらふ」とまうされたりければ、にようばうたちいそぎごぜんへまゐつて、このよしそうもんせられたりければ、ほふわうけさのぜんもんのつかひにはやおんこころえあつて、「これらがないないはかりしことのもれきこえけるにこそ。さるにてもいまいちどこれへ」とごきしよくありければ、せうしやうごぜんへまゐられたり。ほふわうおんなみだをながさせたまひて、おほせくださるるむねもなく、せうしやうもまたなみだにむせんで、まうしあげらるることもなし。ややあつてせうしやうごぜんをまかりいでられけるに、ほふわううしろをはるかにごらんじおくつて、「ただまつだいこそこころうけれ。これがかぎりにてまたもごらんぜぬこともやあらんずらん」とて、おんなみだせきあへさせたまはず。せうしやうごぜんをまかりいでられけるに、ゐんぢうのひとびと、つぼねのにようばうたちにいたるまで、なごりををしみ、たもとにすがり、なみだをながし、そでをぬらさぬはなかりけり。しうとのさいしやうのもとへいでられたれば、きたのかたはちかうさんすべきひとにておはしけるが、けさよりこのなげきをうちそへて、すでにいのちもきえいるここちぞせられける。せうしやうごしよをまかりいでられけるより、ながるるなみだつきせぬに、いまきたのかたのありさまをみたまひて、いとどせんかたなげにぞみえられける。せうしやうのめのとにろくでうといふをんなあり。「われおんちにまゐりはじめさぶらひて、きみをちのなかよりいだきあげたてまつり、おほしたてまゐらせしよりこのかた、つきひのかさなるにしたがつて、わがみのとしのゆくをばなげかずして、ひとへにきみのおとなしうならせたまふことをのみよろこび、あからさまとはおもへども、ことしはにじふいちねん、かたときもはなれまゐらせさぶらはず。ゐんうちへまゐらせたまひて、おそういでさせたまふだに、こころぐるしうおもひまゐらせさぶらひつるに、つひにいかなるうきめにかあはせたまふべきやらん」とてなく。せうしやう、「いたうななげいそ。さてさいしやうおはすれば、さりともいのちばかりをば、こひうけたまはんずるものを」と、やうやうになぐさめのたまへども、ろくでうひとめもはぢず、なきもだえけり。さるほどににしはちでうどのよりつかひしきなみにありしかば、さいしやう、「いまはただいでむかつてこそ、ともかうもならめ」とていでられければ、せうしやうもさいしやうのくるまのしりにのつてぞいでられける。保元平治よりこのかた、へいけのひとびとは、たのしみさかえのみあつて、うれへなげきはなかりしに、このさいしやうばかりこそ、よしなきむこゆゑに、かかるなげきをばせられけれ。にしはちでうちかうなつて、まづあんないをまうされたりければ、せうしやうをばもんのうちへはいれらるべからずとのたまふあひだ、そのへんなるさぶらひのもとにおろしおき、さいしやうばかりぞ、もんのうちへはまゐられ
ける。いつしかせうしやうをば、ぶしどもしはうをうちかこんで、きびしうしゆごしたてまつる。せうしやうのさしもたのもしうおもはれつるさいしやうどのにははなれたまひぬ。せうしやうのこころのうち、さこそはたよりなかりけめ。

さいしやうちうもんにゐたまひたれども、にふだういでもあはれず。ややあつてさいしやう、げんだいふの判官すゑさだをもつてまうされけるは、「のりもりこそよしなきものにしたしうなつて、かへすがへすくやしみさふらへども、かひもさふらはず。あひぐせさせてさふらふものの、このほどなやむことのさふらふなるが、けさよりこのなげきをうちそへて、すでにいのちもたえさふらひなんず。のりもりかうてさふらへば、なじかはひがごとせさせさふらふべき。せうしやうをばしばらくのりもりにあづけさせおはしませ」とまうされければ、すゑさだまゐつてこのよしをまうす。にふだう、「あはれれいのさいしやうがものにこころえぬよ」とて、とみにへんじもしたまはず。ややあつてにふだうのたまひけるは、「しんだいなごんなりちかのきやういげきんじゆのひとびと、このいちもんほろぼしててんがみだらんとするくはだてあり。すでにこのせうしやうはかのだいなごんがちやくしなり。うとうもなれ、したしうもなれ、えこそまうしゆるすまじけれ。もしこのむほんとげなましかば、ごへんとてもおだしうてやはおはすべきといふべし」とのたまへば、すゑさだかへりまゐつて、さいしやうどのにこのよしをまうす。さいしやうよにもほいなげにて、かさねてまうされけるは、「保元平治よりこのかた、どどのかつせんにも、おんいのちにはかはりまゐらせんとこそぞんじさふらひしか。こののちもあらきかぜをば、まづふせぎまゐらせさふらふべし。たとひのりもりこそとしおいてさふらふとも、わかきこどもあまたさふらへば、いつぱうのおんかためにも、などかならではさふらふべき。それにしばらくせうしやうをあづからうどまうすに、おんゆるされなきは、いつかうのりもりをふたごころあるものとおぼしめされさふらふにこそ。それほどまでうしろめたうおもはれまゐらせては、よにあつてもなににかはしさふらふべきなれば、みのいとまをたまはつて、しゆつけにふだうつかまつり、かうや、こがはにもこもりゐて、ひとすぢにごせぼだいのつとめをいとなみさふらはん。よしなきうきよのまじはりなり。よにあればこそのぞみもあれ、のぞみのかなはねばこそうらみもあれ。しかじうきよをいとひ、まことのみちにいりなんには」とぞのたまひける。すゑさだまゐりて、「さいしやうどのははやおぼしめしきつてさふらふぞ。ともかくもよきやうにおんぱからひさふらへ」とまうしければ、にふだう、「いやいやしゆつけにふだうまではあまりにけしからず。そのぎならば、せうしやうをばしばらくのりもりにあづくるといふべし」とぞのたまひける。すゑさだかへりまゐつて、さいしやうどのにこのよしをまうす。さいしやう、「あはれひとのこをばもつまじかりけるものかな。わがこのえんにむすぼほれざらんには、これほどまでこころをばくだかじものを」とていでられけり。

せうしやうまちうけたてまつて、「さていかがさふらひつるやらん」とまうされければ、「にふだうあまりにいかつて、のりもりにはつひにたいめんもしたまはず、いかにもかなふまじきよしをしきりにのたまふあひだ、しゆつけにふだうまでまうしたればにやらん、そのぎならば、ごへんをばしばらくのりもりにあづくるとのたまひつれども、それもしじうはよかるべしともおぼえず」とのたまへば、せうしやう、「さてはなりつねはごおんをもつてしばしのいのちののびさふらはんずるにこそ。それにつきさふらうては、ちちでさふらふだいなごんがことをば、なにとかきこしめされてさふらふやらん」。さいしやう、「いさとよ、ごへんのことをこそ、やうやうにまうしたれ。それまでのことはおもひもよらざりつれ」とのたまへば、そのときせうしやうなみだをはらはらとながいて、「いのちのをしうさふらふも、ちちをいまいちどみばやとおもふためなり。ゆふさりだいなごんきられさふらはんにおいては、なりつねいのちいきてもなににかはしさふらふべきなれば、ただいつしよでいかにもなるやうにまうしてたばせたまふべうもやさふらふらん」とまうされければ、さいしやうよにもくるしげにて、「いさとよ、ごへんのことをこそやうやうにまうしたれ。それまでのことはおもひもよらざりつれども、けさうちのおとどのやうやうにまうさせたまひつれば、それもしばしはよきやうにこそきけ」とのたまへば、せうしやうききもあへたまはず、なくなくてをあはせてぞよろこばれける。こならざらんものが、たれかただいまわがみのうへをさしおいて、これほどまではよろこぶべき。まことのちぎりはおやこのなかにぞありける。こをばひとのもつべかりけるものかなと、やがておもひぞかへされける。さてけさのごとく、どうじやしてかへられたれば、しゆくしよにはにようばうさぶらひさしつどひて、しにたるひとのいきかへりたるここちして、みなよろこびなきをぞせられける。
 

6 教訓状(けうくんじやう)

だいじやうのにふだうは、かやうにひとびとあまたいましめおいても、なほこころゆかずやおもはれけん、すでにあかぢのにしきのひたたれに、くろいとをどしのはらまきのしろかなものうつたるむないたせめ、せんねんあきのかみたりしとき、じんばいのついでにれいむをかうむつて、いつくしまのだいみやうじんよりうつつにたまはられたりける、しろかねのひるまきしたるこなぎなた、つねのまくらをはなたずたてられたりしをわきにはさみ、ちうもんのらうにぞいでられたる。おほかたそのきしよくゆゆしうぞみえし。「さだよし」とめす。ちくごのかみさだよしは、むくらんぢのひたたれに、ひをどしのよろひきておんまへにかしこまつてぞさふらひける。にふだうのたまひけるは、「いかにさだよし、このこといかがおもふぞ。ほうげんにへいうまのすけをはじめとして、いちもんなかばすぎて、しんゐんのみかたにまゐりにき。

いちのみやのおんことは、こ刑部卿のとののやうくんにてましまししかば、かたがたみはなちまゐらせがたかりしかども、こゐんのごゆゐかいにまかせて、みかたにてさきをかけたりき。これひとつのほうこう。つぎに平治元年じふにんぐわつ、のぶよりよしともがむほんのとき、ゐんうちをとりたてまつて、たいだいにたてごもり、てんがくらやみとなつたりしにも、にふだうずゐぶんみをすてて、きようとをおひおとし、つねむねこれかたをめしいましめしにいたるまで、きみのおんために、すでにいのちをうしなはんとすることどどにおよぶ。さればひとなにとまうすとも、いかでかこのいちもんをば、しちだいまではおぼしめしすてさせたまふべき。それになりちかといふむようのいたづらもの、さいくわうとまうすげせんのふたうじんがまうすことに、きみのつかせたまひて、ややもすれば、このいちもんほろぼさるべきよしのごけつこうこそしかるべからね。こののちもざんそうするものあらば、たうけつゐたうのゐんぜんをくだされつとおぼゆるぞ。

てうてきとなつてのちは、いかにくゆともえきあるまじ。しばらくよをしづめんほど、ほふわうをばとばのきたどのへうつしまゐらするか、しからずはこれへまれ、ごかうをなしまゐらせんとおもふはいかに。そのぎならば、さだめてほくめんのものどもがなかより、やをもひとついんずらん。そのよういせよとさぶらひどもにふるべし。おほかたはにふだうゐんがたのほうこうおもひきつたり。むまにくらおかせよ。きせながとりいだせ」とこそのたまひけれ。しゆめの判官もりくに、いそぎこまつどのへはせまゐつて、「よははやかうざふらふ」とまうしければ、おとどききもあへたまはず、「ああはやなりちかのきやうのかうべのはねられたんな」とのたまへば、「そのぎにてはさふらはねども、にふだうどののおんきせながをめされさふらふうへは、さぶらひどももみなうつたつて、ただいまゐんのごしよほふぢうじどのへよせんとこそいでたちさふらひつれ。しばらくよをしづめんほど、ほふわうをばとばのきたどのへうつしまゐらするか、しからずはこれへまれ、ごかうをなしまゐらせうどはさふらへども、ないないはちんぜいのかたへながしまゐらせんとこそぎせられさふらひつれ」とまうしければ、おとど、なにによつて、ただいまさるおんことのおはすべきとはおもはれけれども、けさのぜんもんのきしよく、さるものぐるはしきこともやおはすらんとて、いそぎくるまをとばせて、にしはちでうどのへぞおはしたる。もんぜんにてくるまよりおり、もんのうちへさしいつてみたまふに、にふだうはらまきをきたまふうへ、いちもんのけいしやううんかくすじふにん、おのおのいろいろのひたたれに、おもひおもひのよろひきて、ちうもんのらうににぎやうにちやくせられたり。そのほかしよこくのじゆりやう、ゑふ、しよしなどはえんにゐこぼれ、にはにもひしとなみゐたり。はたざをどもひきそばめひきそばめ、むまのはるびをかため、かぶとのををしめ、ただいまみなうつーたたんずるけしきどもなるに、こまつどのゑぼしなほしに、だいもんのさしぬきのそばとつて、ざやめきいりたまへば、ことのほかにぞみえられける。にふだうふしめになつて、あはれれいのだいふが、よをへうするやうにふるまふものかな。おほきにいさめばやとはおもはれけれども、さすがこながらも、うちにはごかいをたもつて、じひをさきとし、ほかにはごじやうをみだらず、れいぎをただしうしたまふひとなれば、あのすがたにはらまきをきてむかはんこと、さすがおもばゆう、はづかしうやおもはれけん、しやうじをすこしひきたてて、はらまきのうへに、そけんのころもをあわてぎにきたまひたりけるが、むないたのかなものの、すこしはづれてみえけるを、かくさうど、しきりにころものむねをひきちがへひきちがへぞしたまひける。おとどはしやていむねもりのきやうのざしやうにつきたまふ。にふだうのたまひいださるることもなく、おとどもまたまうしあげらるるむねもなし。ややあつてにふだうのたまひけるは、「あのなりちかのきやうがむほんは、ことのかずにもさふらはず、いつかうほふわうのごけつこうにてさふらひけるぞや。しばらくよをしづめんほど、ほふわうをばとばのきたどのへうつしまゐらするか、しからずはこれへまれ、ごかうをなしまゐらせんとおもふはいかに」とのたまへば、おとどききもあへたまはず、はらはらとぞなかれける。にふだう、「さていかにやいかに」とあきれたまへば、ややあつておとどなみだをおさへて、「このおほせうけたまはりさふらふに、ごうんははやすゑになりぬとおぼえさふらふ。

ひとのうんめいのかたぶかんとては、かならずあくじをおもひたちさふらふなり。またおんありさまをみまゐらせさふらふに、さらにうつつともおぼえさふらはず。さすがわがてうは、へんぢそくさんのさかひとはまうしながら、てんせうだいじんのごしそん、くにのあるじとして、あまのこやねのみことのおんすゑ、てうのまつりごとをつかさどらせたまひしよりこのかた、だいじやうだいじんのくわんにいたるひとのかつちうをよろふこと、れいぎをそむくにあらずや。なかんずくごしゆつけのおんみなり。それさんぜのしよぶつ、げだつどうさうのほふえをぬぎすてて、たちまちにかつちうをよろひ、きうせんをたいしましまさんこと、うちにははかいむざんのつみをまねくのみならず、ほかにはじんぎれいちしんのほふにもそむきさふらひなんず。かたがたおそれあるまうしごとにてさふらへども、こころのそこにしいしゆをのこすべきにもさふらはず。まづよにしおんさふらふ。てんちのおん、こくわうのおん、ぶものおん、しゆじやうのおんこれなり。そのなかにもつともおもきはてうおんなり。ふてんのした、わうぢにあらずといふことなし。さればかのえいせんのみづにみみをあらひ、しゆやうざんにわらびををりしけんじんも、ちよくめいそむきがたきれいぎをばぞんぢすとこそうけたまはれ。いかにいはんや、せんぞにもいまだきかざつしだいじやうだいじんをきはめさせたまふ。いはゆるしげもりがむざいぐあんのみをもつて、れんぷくわいもんのくらゐにいたる。しかのみならずこくぐんなかばはいちもんのしよりやうとなつて、でんをんことごとくいつけのしんじたり。これきたいのてうおんにあらずや。いまこれらのばくたいのごおんをおぼしめしわすれさせたまひて、みだりがはしくほふわうをかたぶけまゐらさせたまはんこと、てんせうだいじん、しやうはちまんぐうのしんりよにもそむかせたまひさふらひなんず。それにつぽんはしんこくなり。しんはひれいをうけたまふべからずしかればきみのおぼしめしたたせたまふところ、だうりなかばなきにあらず。なかにもこのいちもんはだいだいのてうてきをたひらげて、しかいのげきらうをしづむることは、ぶさうのちうなれども、そのしやうにほこることは、ばうじやくぶじんともまうしつべし。しやうとくたいしじふしちかでうのごけんぼふに、『ひとみなこころあり。こころおのおのしふあり。かれをぜし、われをひし、われをぜし、かれをひす。ぜひのことわり、たれかよくさだむべき。あひともにけんぐなり。たまきのごとくしてはしなし。ここをもつて、たとひひといかるといふとも、かへつてわがとがをおそれよ』とこそみえてさふらへ。しかれどもたうけのうんめいいまだつきざるによつて、ごむほんすでにあらはれさせたまひさふらひぬ。そのうへおほせあはせらるるなりちかのきやうを、めしおかれぬるうへは、たとひきみいかなるふしぎをおぼしめしたたせたまふとも、なんのおそれかさふらふべき。しよたうのざいくわおこなはれぬるうへは、しりぞいてことのよしをちんじまうさせたまひて、きみのおんためには、いよいよほうこうのちうきんをつくし、たみのためには、ますますぶいくのあいれんをいたさせたまはば、しんめいのかごにあづかつて、ぶつだのみやうりよにそむくべからず。しんめいぶつだかんおうあらば、きみもおぼしめしなほすこと、などかさふらはざるべき。きみとしんとをくらぶるに、しんそわくかたなし。だうりとひがごとをならべんに、いかでかだうりにつかざるべき」。
 

7 烽火之沙汰(ほうくわのさた)

「これはもつともきみのおんことわりにてさふらへば、かなはざらんまでも、ゐんぢうをしゆごしまゐらせさふらふべし。そのゆゑは、しげもりはじめじよしやくより、いまだいじんのだいしやうにいたるまで、しかしながらきみのごおんならずといふことなし。このおんのおもきことをおもへば、せんくわばんくわのたまにもこえ、そのおんのふかきいろをあんずるに、いちじふさいじふのくれなゐにもなほすぎたらん。しからばゐんぢうへまゐりこもりさふらふべし。そのぎにてさふらはば、しげもりがみにかはり、いのちにかはらんとちぎりたるさぶらひどもせうせうさふらふらん。これらをめしぐしてゐんのごしよほふぢうじどのをしゆごしまゐらせさふらはば、さすがもつてのほかのおんだいじでこそさふらはんずらめ。かなしきかな、きみのおんためにほうこうのちうをいたさんとすれば、めいろはちまんのいただきよりもなほたかきちちのおんたちまちにわすれんとす。いたましきかな、ふけうのつみをのがれんとすれば、きみのおんためにはすでにふちうのぎやくしんともなりぬべし。しんだいこれきはまれり。ぜひいかにもわきまへがたし。まうしうくるしよせんは、ただしげもりがくびをめされさふらへ。そのゆゑは、ゐんざんのおんともをもつかまつるべからず。またゐんぢうをもしゆごしまゐらすべからず。さればかのせうがはたいこうかたへにこえたるによつて、くわんたいしやうこくにいたり、けんをたいしくつをはきながら、てんじやうへのぼることをゆるされしかども、えいりよにそむくことありしかば、かうそおもういましめて、ふかうつみせられにき。

かやうのせんじようをおもへば、ふつきといひ、えいぐわといひ、てうおんとまうし、ちようじよくといひ、かたがたきはめさせたまひぬれば、ごうんのつきんことかたかるべきにあらず。ふつきのいへにはろくゐちようでふせり。ふたたびみなるきは、そのねかならずいたむとみえてさふらふ。こころぼそうこそさふらへ。いつまでかいのちいきて、みだれんよをもみさふらふべき。ただまつだいにしやうをうけて、かかるうきめにあひさふらふしげもりがくわはうのほどこそつたなうさふらへ。ただいまもさぶらひいちにんにおほせつけられ、おんつぼのうちへひきいだされて、しげもりがかうべのはねられんずることは、いとやすいほどのおんことでこそさふらはんずらめ。これをおのおのききたまへ」とて、なほしのそでもしぼるばかりに、かきくどき、さめざめとなきたまへば、そのざになみゐたまへるへいけいちもんのひとびと、みなそでをぞぬらされける。にふだう、たのみきつたるだいふは、かやうにのたまふ。よにもちからなげにて、「いやいやそれまでのことはおもひもよりさうず。あくたうどものまうすことに、きみのつかせたまひて、いかなるひがごとなどもや、いでこんずらんとおもふばかりでこそさふらへ」。おとど、「たとひいかなるひがごといできさふらへばとて、きみをばなにとかしまゐらさせたまふべき」とて、ついたつてちうもんにいで、さぶらひどもにのたまひけるは、「ただいまこれにてまうしつることどもをば、なんぢらはよくうけたまはらずや。けさよりこれにさふらうて、かやうのことどもをもまうししづめんとはぞんじつれども、あまりにひたさわぎにみえつるあひだ、まづかへりつるなり。ゐんざんのおんともにおいては、しげもりがかうべのはねられたらんをみてつかまつれ。さらばひとまゐれ」とて、こまつどのへぞかへられける。そののちおとどしゆめの判官もりくにをめして、「しげもりこそけさべつしててんがのだいじをききいだしたんなれ。われをわれとおもはんずるものどもは、もののぐしていそぎまゐれともよほせ」とのたまへば、はせまはつてひろうす。

おぼろげにてはさわぎたまはぬひとの、かやうのひろうのあるは、まことにべちのしさいのあるにこそとて、われもわれもとはせまゐる。よど、はつかし、うぢ、をかのや、ひの、くわんじゆじ、だいご、をぐるす、むめづ、かつら、おはら、しづはら、せれふのさとにあぶれゐたるつはものども、あるひはよろひきて、いまだかぶとをきぬもあり、あるひはやおうていまだゆみをもたぬもあり。かたあぶみふむやふまずにて、あわてさわいではせまゐる。こまつどのにさわぐことありときこえしかば、にしはちでうにすせんきありけるつはものども、にふだうにはかうともまうしもいれず、ざやめきつれて、みなこまつどのへぞはせたりける。きうせんにたづさはるほどのものは、いちにんものこらず。ちくごのかみさだよしがただいちにんさふらひけるをごぜんへめして、「だいふはなにとおもひて、これらをばみなかやうによびとるやらん。けさこれにていひつるやうに、じやうかいがもとへうつてなどもやむけんずらん」とのたまへば、さだよしなみだをはらはらとながいて、「ひともひとにこそよらせたまひさふらへ。いかでかただいまさるおんことさふらふべき。けさこれにてまうさせたまひつるおんことどもをば、はやみなごこうくわいぞさふらふらん」とまうしければ、にふだう、いやいやだいふになかたがうては、あしかりなんとやおもはれけん、ほふわうむかへまゐらせんとおもはれけるこころもやはらぎ、いそぎはらまきぬぎおき、そけんのころもにけさうちかけて、いとこころにもおこらぬねんじゆしてこそおはしけれ。そののちこまつどのには、もりくにうけたまはつて、ちやくたうつけけり。はせさんじたるさぶらひども、いちまんよきとぞしるしける。ちやくたうひけんののち、おとどちうもんにいでて、さぶらひどもにのたまひけるは、「ひごろのけいやくをたがへずして、みなかやうにまゐりたるこそしんべうなれ。いこくにさるためしあり。しうのいうわう、はうじといへるさいあいのきさきをもちたまへり。てんがだいいちのびじんなり。

されどもいうわうのおんこころにかなはざりけることには、はうじゑみをふくまずとて、すべてわらふことしたまはず、いこくのならひに、てんがにひやうらんのおこるときは、しよしよにひをあげ、たいこをうつて、つはものをめすはかりごとあり。これをほうくわとなづく。あるときてんがにひやうがくおこつて、しよしよにほうくわをあげたりければ、きさきこれをごらんじて、『あなおびたたし、ひもあれほどまでおほかりけりな』とて、そのときはじめてわらひたまへり。ひとたびゑめばもものこびありけり。いうわうこれをうれしきことにしたまひて、そのこととなく、つねはほうくわをあげたまふ。しよこうきたるにあたなし、あたなければすなはちかへりさんぬ。かやうにすることどどにおよべば、つはものもまゐらず。あるときりんごくよりきようぞくおこつて、いうわうのみやこをせめけるに、ほうくわをあぐれども、れいのきさきのひにならつて、つはものもまゐらず。そのときみやこかたぶいて、いうわうつひにほろびにけり。さてかのきさき、やかんとなつてはしりうせけるぞおそろしき。かやうのことのあるときは、じこんいご、これよりめさんには、みなかくのごとくまゐるべし。しげもりけさべつしててんがのだいじをききいだしてめしつるなり。されどもこのことききなほしつつ、ひがごとにてありけり。さらばとうかへれ」とて、さぶらひどもみなかへされけり。まことにさせることをもききいだされざりけれども、けさちちをいさめまうされけることばにしたがつて、わがみにせいのつくか、つかぬかのほどをもしり、またふしいくさをせんとにはあらねども、かうしてにふだうたいしやうこくのむほんのこころも、やはらぎたまふかとのはかりごととぞきこえし。きみきみたらずといへども、しんもつてしんたらずんばあるべからず。

ちちちちたらずといへども、こもつてこたらずんばあるべからず。きみのためにはちうあつて、ちちのためにはかうあれと、ぶんせんわうののたまひけるにたがはず。きみもこのよしきこしめして、「いまにはじめぬことなれども、だいふがこころのうちこそはづかしけれ。あたをばおんをもつてはうぜられたり」とぞおほせける。「くわはうこそめでたうて、いまだいじんのだいしやうにいたらめ。ようぎたいはいひとにすぐれ、さいちさいかくさへよにこえたるべきやは」とぞ、ときのひとびとかんじあはれける。くににいさむるしんあれば、そのくにかならずやすく、いへにいさむるこあれば、そのいへかならずただしといへり。しやうだいにもまつだいにも、ありがたかりしだいじんなり。
 

8 新大納言流罪(だいなごんるざい)

さるほどにろくぐわつふつかのひ、しんだいなごんなりちかのきやうをば、くぎやうのざにいだしたてまつて、おんものまゐらせけれどもむねせきふさがつて、おはしをだにもたてられず。あづかりのぶしなんばのじらうつねとほ、おんくるまをよせて、「とうとう」とまうしければ、だいなごんこころならずぞのりたまふ。あはれいかにもして、いまいちどこまつどのにみえたてまつらばやとはおもはれけれども、それもかなはず。みまはせば、ぐんびやうども、ぜんごさうにうちかこんで、わがかたさまのものはいちにんもなし。たとひぢうくわをかうぶつて、ゑんごくへゆくものも、ひといちにんみにそへざるべきことやあると、くるまのうちにてかきくどかれければ、しゆごのぶしどもも、みなよろひのそでをぞぬらしける。にしのしゆしやかをみなみへゆけば、おほうちやまをもいまはよそにぞみたまひける。としごろみなれたてまつりしざふしきうしかひにいたるまで、みななみだをながしそでをぬらさぬはなかりけり。ましてみやこにのこりとどまりたまふきたのかた、をさなきひとびとのこころのうち、おしはかられてあはれなり。とばどのをすぎたまふにも、このごしよへごかうなりしには、いちどもおんともにははづれざりしものをとて、わがさんざう、すはまどのとてありしをも、よそにみてこそとほられけれ。とばのみなみのもんいでて、ふねおそしとぞいそがせける。

だいなごん、「おなじくうしなはるべくは、みやこちかきこのへんにてもあれかし」とのたまひけるこそ、せめてのことなれ。ちかうそひたてまつたるぶしを、「たそ」ととひたまへば、「あづかりのぶしなんばのじらうつねとほ」となのりまうす。「もしこのへんにわがかたさまのものやある、いちにんたづねてまゐらせよ。ふねにのらぬさきにいひおくべきことあり」とのたまへば、つねとほそのへんをはしりまはつてたづねけれども、われこそだいなごんどののおんかたとまうすもの、いちにんもなし。そのときだいなごんなみだをはらはらとながいて、「さりともわがよにありしときは、したがひつきたりしものども、いちにせんにんもありつらんに、いまはよそにてだにこのありさまをみおくるもののなかりけるかなしさよ」とて、なかれければ、たけきもののふどもも、みなよろひのそでをぞぬらしける。ただみにそふものとては、つきせぬなみだばかりなり。くまのまうで、てんわうじまうでなどには、ふたつがはらのみつむねにつくつたるふねにのり、つぎのふねにさんじつそうこぎつづけてこそありしに、いまはけしかるかきすゑやかたぶねにおおまくひかせ、みもなれぬつはものどもにぐせられて、けふをかぎりにみやこをいでて、なみぢはるかにおもむかれけん、こころのうち、おしはかられてあはれなり。しんだいなごんは、しざいにおこなはるべかりしひとの、るざいになだめられけることは、ひとへにこまつどののやうやうにまうされけるによつてなり。そのひはつのくにだいもつのうらにぞつきたまふ。あくるみつかのひ、だいもつのうらへはきやうよりおつかひありとて、ひしめきけり。だいなごんそこにてうしなへとにやとききたまへば、さはなくして、備前のこじまへながすべしとのおつかひなり。またこまつどのよりおんふみあり。

「あはれいかにもして、みやこちかきかたやまざとにもおきたてまつらばやと、さしもまうしつることのかなはざりけることこそよにあるかひもさふらはね。さりながらもおんいのちばかりをば、こひうけたてまつてさふらふぞ。おんこころやすうおぼしめされさふらへ」とて、なんばがもとへも、「よくよくみやづかへたてまつれ。あひかまへて、おんこころにばしたがふな」などのたまひつかはし、たびのよそほひ、こまごまとさたし、おくられたり。しんだいなごんはさしもかたじけなうおぼしめされつるきみにも、はなれまゐらせ、つかのまもさりがたうおもはれけるきたのかた、をさなきひとびとにも、みなわかれはてて、こはいづちへとてゆくらん。ふたたびこきやうにかへつて、さいしをあひみんこともありがたし。ひととせさんもんのそしようによつて、すでにながされしをも、きみをしませたまひて、にしのしちでうよりめしかへされぬ。さればこれはきみのおんいましめにもあらず、こはいかにしつることどもぞや」と、てんにあふぎちにふして、なきかなしめどもかひぞなき。あけければ、ふねおしいだいてくだりたまふにみちすがらただなみだにのみむせんで、ながらふべしとはおぼえねども、さすがつゆのいのちはきえやらず、あとのしらなみへだつれば、みやこはしだいにとほざかり、ひかずやうやうかさなれば、ゑんごくはすでにちかづきぬ。備前のこじまにこぎよせて、たみのいへのあさましげなるしばのいほりにいれたてまつる。しまのならひ、うしろはやま、まえはうみ、いそのまつかぜなみのおと、いづれもあはれはつきせず。
 

9 阿古屋之松(あこやのまつ)

およそしんだいなごんいちにんにもかぎらず、いましめをかうむるともがらおほかりき。あふみのちうじやうにふだうれんじやうさどのくに、やましろのかみもとかぬはうきのくに、しきぶのたいふまさつなはりまのくに、そうはうぐわんのぶふさあはのくに、しんへいはうぐわんすけゆきはみまさかのくにとぞきこえし。をりふしにふだうしやうこくは、ふくはらのべつげふにおはしけるが、おなじきはつかのひ、つのさゑもんもりずみをししやにて、かどわきどののもとへ、「それにあづけおきたてまつたるたんばのせうしやうを、いそぎこれへたべ。ぞんずるむねあり」とのたまひつかはされたりければ、さいしやう、「さらばただありしとき、ともかうもなりたりせば、いかにかせん。ふたたびものをおもはせんずることのかなしさよ」とて、いそぎふくはらへくだりたまふべきよしのたまへば、せうしやうなくなくいでたたれけり。
きたのかたいげのにようばうたちは、「かなはざらんものゆゑに、なほもさいしやうのよきやうにまうさせたまへかし」となげかれければ、さいしやう、「ぞんずるほどのことをばまうしつ。いまはよをすてんよりほか、またなにごとをかまうすべき。たとひいづくのうらにもおはせよ、わがいのちのあらんかぎりは、とぶらひたてまつるべし」とぞのたまひける。せうしやうはことしみつになりたまふをさなきひとのおはしけれども、ひごろはわかきひとにて、きんだちなどのことをばさしもこまやかにもおはせざりしかども、いまはのときにもなりぬれば、さすがなつかしうやおもはれけん、「をさなきものをいまいちどみばや」とのたまへば、めのといだいてまゐりたり。せうしやうひざのうへにおき、かみかきなで、なみだをはらはらとながいて、「あはれなんぢしちさいにならば、をとこになして、きみへまゐらせんとこそおもひしに、されどもいまはいふかひなし。もしふしぎにいのちいきて、おひたちたらば、ほふしになつて、わがのちのよをよくとぶらへよ」とぞのたまひける。いまだいとけなきおんこころに、なにごとをかききわきたまふべきなれども、うちうなづきたまへば、せうしやうをはじめたてまつて、ははうへめのとのにようばう、そのざにいくらもなみゐたまへるひとびと、こころあるもこころなきも、みなそでをぞぬらされける。

ふくはらのおつかひ、こんやとばまでいでさせたまふべきよしをまうす。せうしやう、「いくほどものびざらんものゆゑに、こよひばかりはみやこのうちにてあかさばや」とのたまへども、いかにもかなふまじきよしを、しきりにまうしければ、ちからおよばず、そのよとばへぞいでられける。さいしやうあまりのものうさに、こんどはのりもぐしたまはず、せうしやうばかりぞのりたまふ。おなじきにじふににちせうしやうふくはらへくだりつきたまふ。にふだうしやうこく、びつちうのくにの住人せのをのたらうかねやすにおほせて、びつちうのくにへぞながされける。かねやすはさいしやうのかへりききたまはんずるところをおそれて、いたうきびしうもあたりたてまつらず、みちすがらもやうやうにいたはりまゐらせけれども、せうしやうすこしもなぐさみたまふこともなく、よるひるただほとけのみなをのみとなへて、ひとへにちちのことをぞいのられける。さるほどにしんだいなごんなりちかのきやうは、備前のこじまにおはしけるを、これはなほふなつきちかうて、あしかりなんとて、ぢへわたしたてまつり、備前びつちうのさかひ、にはせのがう、きびのなかやま、ありきのべつしよといふやまでらにおきたてまつる。それよりせうしやうのおはしけるびつちうのせのをと、ありきのべつしよのあひだは、わづかごじつちやうにたらぬところなれば、せうしやうさすがそなたのかぜもなつかしうやおもはれけん、あるときかねやすをめして、「これよりちちだいなごんどののおんわたりあんなるありきのべつしよとかやへはいかほどあるぞ」ととひたまへば、かねやすすぐにしらせたてまつては、あしかりなんとやおもひけん、「かたみちじふにさんにちさふらふ」とまうしければ、そのときせうしやうなみだをはらはらとながいて、「につぽんはむかしさんじふさんかこくにてありしを、なかごろろくじふろくかこくにはわけられたんなり。

さいふ備前びつちうびんごも、もとはいつこくにてありけるなり。またあづまにきこゆるではみちのくにも、むかしはろくじふろくぐんがいつこくなりしを、じふにぐんさきわかつてのち、ではのくにとはたてられたんなり。さればさねかたのちうじやうあうしうへながされしとき、たうごくのめいしよ、あこやのまつをみんとて、くにのうちをたづねまはるに、もとめかねてすでにむなしうかへらんとしけるが、みちにてあるらうをうにゆきあひたり。ちうじやう、『ややごへんはふるいひととこそみれ。たうごくのめいしよ、あこやのまつといふところやしつたる』ととふに、『まつたくくにのうちにはさふらはず、ではのくににぞさふらふらん』とまうしければ、『さてはなんぢもしらざりけり。いまはよすゑになつて、くにのめいしよをも、はやみなよびうしなひけるにこそ』とて、すでにすぎんとしたまへば、らうをうちうじやうのそでをひかへて、『あはれきみは、

 みちのくのあこやのまつにこがくれていづべきつきのいでもやらぬか W008

といふうたのこころをもつて、たうごくのめいしよ、あこやのまつとはおんたづねさふらふか。それはむかしりやうこくがいつこくなりしとき、よみはんべりしうたなり。じふにぐんさきわかつてのちは、ではのくににぞさふらふらん』とまうしければ、さらばとてさねかたのちうじやうも、ではのくににこえてこそ、あこやのまつをばみてげれ。つくしのださいふよりみやこへ、はらかのつかひののぼるこそ、かちぢじふごにちとはさだめたなれ。すでにじふにさんにちとまうすは、これよりほとんどちんぜいへげかうござんなれ。とほしといふとも、備前びつちうびんごのあひだは、りやうさんにちにはよもすぎじ。ちかいをとほうまうすは、ちちだいなごんどののおんわたりあんなるところを、なりつねにしらせじとてこそまうすらめ」とて、そののちはこひしけれどもとひたまはず。
 

10 新大納言死去(だいなごんのしきよ)

さるほどにほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、たんばのせうしやうなりつね、へいはうぐわんやすより、これさんにんをば、さつまがたきかいがしまへぞながされける。かのしまへはみやこをいでて、はるばるとおほくのなみぢをしのいでゆくところなり。おぼろげにてはふねもかよはず、しまにはひとまれなりけり。おのづからひとはあれども、いしやうなければ、このどのひとにもにず、いふことばをもききしらず。みにはしきりにけおひつつ、いろくろうしてうしのごとし。をとこはゑぼしもきず、をんなはかみもさげざりけり。しよくするものもなければ、つねにただせつしやうをのみさきとす。しづがやまだをかへさねば、べいこくのるゐもなく、そののくはをとらざれば、けんばくのたぐひもなかりけり。しまのうちにはたかきやまあり。とこしなへにひもゆ。いわうといふものみちみてり。かるがゆゑにこそいわうがしまとはなづけたれ。いかづちつねに、なりあがり、なりくだり、ふもとにはあめしげし。いちにちへんしひとのいのちのたえてあるべきやうもなし。しんだいなごんはすこしくつろぐこともやとおもはれけるが、しそくたんばのせうしやうなりつねいげさんにん、さつまがたきかいがしまへながされぬときいて、いまはなにをかごすべきとて、しゆつけのこころざしのさふらふよしを、たよりにつけて、こまつどのへまうされたりければ、ほふわうへうかがひまうして、ごめんありけり。えいぐわのたもとをひきかへて、うきよをよそにすみぞめのそでにぞやつれたまひける。さるほどにだいなごんのきたのかたは、みやこのきたやまうんりんゐんのへんにしのうでおはしけるが、さらぬだに、すみなれぬところはものうきに、いとどしのばれければ、すぎゆくつきひをあかしかね、くらしわづらふさまなりけり。しゆくしよにはにようばうさぶらひおほかりけれども、あるひはよをおそれ、あるひはひとめをつつむほどに、とひとぶらふものいちにんもなし。されどもそのなかにげんざゑもんのじようのぶとしといふさぶらひいちにん、なさけあるものにて、つねはとぶらひたてまつる。あるとききたのかた、のぶとしをめして、「まことやこれには、備前のこじまにおはしけるが、このほどきけば、ありきのべつしよとかやにおはすなり。あはれいかにもして、はかなきふでのあとをもたてまつり、おんかへりごとをもいまいちどみばやとおもふはいかに」とのたまへば、のぶとしなみだをはらはらとながいて、「われえうせうのときより、おんあはれみをかうぶつてめしつかはれ、かたときもはなれまゐらせさふらはず。

めされまゐらせしおんこゑのみみにとどまり、いさめられまゐらせしおんことばのきもにめいじて、わするることもさふらはず。さいこくへおんくだりさふらひしときも、おんともつかまつるべうさふらひしかども、六波羅よりゆるされなければ、ちからおよびさふらはず。たとひこんどはいかなるうきめにもあひさふらへ、おんふみたまはつてまゐりさふらはん」とまうしければ、きたのかたなのめならずによろこび、やがてかいてぞたうでげる。わかぎみひめぎみもめんめんにおんふみあり。のぶとしこのおんふみどもをたまはつて、はるばると備前のくにありきのべつしよへたづねくだり、まづあづかりのぶしなんばのじらうつねとほに、あんないをいひいれたりければ、つねとほこころざしのほどをかんじて、やがておんげんざんにいれてげり。だいなごんにふだうどのは、ただいましもみやこのことをのみのたまひいだして、なげきしづんでおはしけるところに、「きやうよりのぶとしがまゐつてさふらふ」とまうしければ、だいなごんおきあがつて、「いかにやいかに、ゆめかやうつつか、これへこれへ」とぞのたまひける。のぶとしおんそばちかうまゐつて、おんありさまをみたてまつるに、まづおんすまひどころのものうさは、さることなり。すみぞめのおんそでをみたてまつるに、めもくれこころもきえはてて、なみだもさらにとどまらず。

ややあつてなみだをおさへて、きたのかたのおほせかうぶつししだい、こまごまとかたりまうす。そののちおんふみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまふに、みづぐきのあとはなみだにかきくれて、そこはかとはみえねども、をさなきひとびとのあまりにこひかなしみたまふありさま、わがみもつきせぬものおもひに、たへしのぶべうもなしなどかかれたれば、ひごろのこひしさはことのかずならずとぞかなしみたまひける。かくてしごにちもすぎしかば、のぶとし、「これにさふらひて、ごさいごのおんありさまをもみまゐらせん」とまうしければ、あづかりのぶし、いかにもかなふまじきよしをまうすあひだ、だいなごん、「いくほどものびざらんものゆゑにただとうかへれ」とこそのたまひけれ。「われはちかううしなはれんとおぼゆるぞ。このよになきものときかば、わがのちのよをよくとぶらへよ」とぞのたまひける。おんぺんじかいてたうだりければ、のぶとしこれをたまはつて、「またこそまゐりさふらはめ」とて、いとままうしていでければ、「なんぢがまたこんたびをまちつくべしともおぼえぬぞ。あまりになごりをしうおぼゆるに、しばししばし」とのたまひて、たびたびよびぞかへされける。さてしもあるべきことならねば、のぶとしなみだをおさへつつ、みやこへかへりのぼりけり。きたのかたに、おんぺんじとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまへば、はやおんさまかへさせたまひたりとおぼしくて、おんふみのおくにおんぐしのひとふさありけるを、ふためともみたまはず、かたみこそいまはなかなかあだなれとて、ひきかづいてぞふしたまふ。わかぎみひめぎみも、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。さるほどにおなじきはちぐわつじふくにち、だいなごんにふだうどのをば、備前びつちうのさかひ、にはせのがう、きびのなかやま、ありきのべつしよにてぞつひにうしなひたてまつる。

そのさいごのありさまやうやうにぞきこえける。はじめはさけにどくをいれてまゐらせけれども、かなはざりければ、にぢやうばかりありけるきしのしたにひしをうゑて、つきおとしたてまつれば、ひしにつらぬかつてぞうせられける。むげにうたてきことどもなり。ためしすくなうぞきこえし。きたのかたこのよしをつたへききたまひて、「あはれいかにもして、かはらぬすがたを、いまいちどみもし、みえばやとおもひてこそ、けふまでさまをばかへざりつれ。いまはなににかはせん」とて、ぼだいゐんといふてらにおはして、おんさまをかへ、かたのごとくのぶつじいとなみたまふぞあはれなる。このきたのかたとまうすは、やましろのかみあつかたのむすめ、ごしらかはのほふわうのおんおもひびと、ならびなきびじんにておはしけるを、このだいなごんありがたきごちようあいのひとにて、くだしたまはられたりけるとかや。わかぎみひめぎみも、めんめんにはなをたをり、あかのみづをむすんで、ちちのごせをとぶらひたまふぞあはれなる。かくてときうつりことさつて、よのかはりゆくありまさは、ただてんにんのごすゐにことならず。
 

11 徳大寺厳島詣(とくだいじのさた)

ここにとくだいじのだいなごんじつていのきやうは、へいけのじなんむねもりのきやうにだいしやうをこえられて、しばらくよのならんやうをみんとて、だいなごんをじしてろうきよしておはしけるが、しゆつけせんとのたまへば、みうちのじやうげみななげきかなしびあへりけり。そのなかにとうくらんどのたいふしげかぬといふしよだいぶあり。しよじにこころえたるひとにてありけるが、あるつきのよ、とくだいじどのただいちにん、なんめんのみかうしあげさせ、つきにうそぶいておはしけるところへ、とうくらんどまゐりたり。「たそ」ととひたまへば、「しげかぬざふらふ」。「よははるかにふけぬらんに、いかにただいまなにごとぞ」とのたまへば、「こんやはつきさえ、よろづこころのすむままにまゐつてさふらふ」とまうす。とくだいじどの、「しんべうにもまゐりたり。

まことにこよひはなにとやらんこころぼそうて、よにとぜんなるに」とぞのたまひける。さてむかしいまのものがたりどもしたまひてのち、だいなごんのたまひけるは、「つらつらへいけのはんじやうするありさまをみるに、ちやくししげもり、じなんむねもり、さうのだいしやうなり。やがてさんなん知盛、ちやくそんこれもりもあるぞかし。かれもこれもしだいにならば、たけのひとびとは、いつだいしやうにあたりつくべしともおぼえず。さればつひのことなり、しゆつけせん」とぞのたまひける。とうくらんどなみだをはらはらとながいて、「きみのごしゆつけさふらはば、みうちのじやうげみなまどひものとなりさふらひなんず。しげかぬこそ、このごろめづらしきことをあんじいだしてさふらへ。たとへばあきのいつくしまをば、へいけなのめならずあがめうやまはれさふらふ。これへおんまゐりさふらへかし。

かのやしろにはないしとて、いうなるまひひめあまたさふらふなれば、めづらしくおもひまゐらせて、もてなしまゐらせさふらはんずらん。なにごとのごきせいやらんとたづねまうしさふらはば、ありのままにおほせさふらふべし。さておんげかうのとき、むねとのないしいちりやうにん、みやこまでめしぐせさせたまひてさふらはば、さだめてにしはちでうのていへぞまゐりさふらはんずらん。にふだうなにごとぞとたづねまうされさふらはば、ありのままにぞまうしさふらはんずらん。にふだうはきはめてものめでしたまふひとなれば、しかるべきはからひもあんぬとおぼえさふらふ」とまうしければ、とくだいじどの、「これこそおもひよらざりつれ。さらばやがてまゐらん」とてにはかにしやうじんはじめつつ、いつくしまへぞまゐられける。げにもいうなるまひひめどもおほかりけり。「そもそもたうしやへは、われらがしうの、へいけのきんだちたちこそ、おんまゐりさぶらふに、これこそめづらしきおんまゐりにてさぶらへ」とて、むねとのないしじふよにん、よるひるつきそひまゐらせて、やうやうにもてなしたてまつる。さてないしども、「なにごとのごきせいやらん」とたづねさふらへば、「だいしやうをひとにこえられて、そのいのりのためなり」とぞのたまひける。いちしちにちごさんろうあつて、かぐらをそうし、ふうぞく、さいばらうたはる。そのあひだにぶがくもさんかどまでありけり。さておんげかうのとき、むねとのないしじふよにん、ふねおしたてて、ひとひぢおくりたてまつる。とくだいじどの、「あまりになごりをしきに、いまひとひぢ、いまふつかぢ」とのたまひて、みやこまでめしぐせさせたまひ、とくだいじのていへいれさせおはしまし、やうやうにもてなし、さまざまのひきでものたうでかへされけり。

ないしども、「はるばるこれまでのぼりたらんずるに、いかでかわれらがしうの、へいけへまゐらであるべきか」とて、にしはちでうどのへぞさんじたる。にふだうやがていであひたいめんしたまひて、「いかにないしどもは、ただいまなにごとのれつさんぞや」とのたまへば、「とくだいじどののいつくしまへおんまゐりさぶらふほどに、われらがふねをしたてて、ひとひぢおくりまゐらせて、それよりいとままうしければ、とくだいじどの、さりとてはなごりをしきに、いまひとひぢ、いまふつかぢとおほせられて、これまでめしぐせられてさふらふ」とまうす。にふだう、「とくだいじはなにごとのきせいに、いつくしまへはまゐられけるやらん」ととひたまへば、「だいしやうをひとにこえられて、そのいのりのためとこそおほせはんべりつれ」とまうしければ、そのときにふだうおほきにうちうなづいて、「わうじやうにさしもあらたなるれいぶつれいしやのいくらもましますをさしおいて、じやうかいがあがめたてまつるいつくしまへはるばるとまゐられけるこそいとほしけれ。それほどまでせつならんうへは」とて、ちやくししげもりないだいじんのさだいしやうにておはしけるをじせさせたてまつり、じなんむねもりだいなごんのうだいしやうにておはしけるをこえさせて、とくだいじをさだいしやうにぞなされける。あはれかしこきはからひかな。しんだいなごんも、かやうのはかりごとをばしたまはで、よしなきむほんおこして、わがみもしそんも、ほろびぬるこそうたてけれ。
 

12 山門滅亡同衆合戦(さんもんめつばう だうじゆかつせん)

さるほどに、ほふわうはみゐでらのこうけんそうじやうをごしはんとして、しんごんのひほふをでんじゆせさせおはします。だいにちきやう、こんがうちやうきやう、そしつぢきやう、このさんぶのひきやうをうけさせたまひて、くぐわつよつかのひ、みゐでらにてごくわんぢやうあるべきよしきこゆ。さんもんのだいしゆいきどほりまうしけるは、「むかしよりごくわんぢやうおんじゆかい、みなたうざんにしてとげさせたまふことせんぎなり。

なかんづくさんわうのけだうは、じゆかいくわんぢやうのためなり。しかるをいまみゐでらにてとげさせおはしまさば、てらをいつかうやきはらふべし」とぞまうしける。ほふわう、「これむやくなり」とて、おんけぎやうばかりごけつぐわんあつて、ごくわんぢやうをばおぼしめしとどまらせたまひけり。されどもごほんいなればとて、こうけんそうじやうをめしぐしつつ、てんわうじへごかうなつて、ごちくわうゐんをたて、かめゐのみづをごびやうのちすゐとさだめ、ぶつぽふさいしよのれいちにてぞ、でんぽふくわんぢやうをばとげさせおはします。さんもんのさうどうをしづめられんがために、みゐでらにてごくわんぢやうはなかりしかども、さんもんにはだうじゆがくしやう、ふくわいのこといできて、かつせんどどにおよぶ。まいどにがくりようちおとさる。さんもんのめつばう、てうかのおんだいじとぞみえし。

だうじゆといふは、がくしやうのしよじうなりけるわらんべの、ほふしになりたるや、もしはちうげんぼふしばらにてもやありけん。ひととせこんがうじゆゐんのざす、かくじんごんそうじやうぢさんのとき、さんたふにけつばんして、げしゆとかうしてほとけにはなまゐらせしものどもなり。しかるをきんねんぎやうにんとて、だいしゆをもことともせず、かくどどのいくさにうちかちぬ。だうじゆらししゆのめいをそむいて、すでにむほんをくはだつ、すみやかにちうばつせらるべきよし、だいしゆくげへそうもんし、ぶけにふれうつたふ。これによつてにふだうしやうこくゐんぜんをうけたまはつて、きのくにの住人、ゆあさのごんのかみむねしげいげ、きないのつはものにせんよにん、だいしゆにさしそへて、だうじゆをせめらる。だうじゆひごろはとうやうばうにありけるが、これをきいて、あふみのくにさんがのしやうにげかうして、すたのせいをそつしてまたとうざんし、さういざかにじやうくわくをかまへてたてこもる。おなじきくぐわつはつかのひのたつのいつてんに、だいしゆさんぜんにん、くわんぐんにせんよにん、つがふそのせいごせんよにん、さういざかにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。じやうのうちよりいしゆみはづしかけたりければ、だいしゆくわんぐんかずをつくしてうたれにけり。だいしゆはくわんぐんをさきだてんとす、くわんぐんはまただいしゆをさきだてんとあらそふほどに、こころごころになつて、はかばかしうもたたかはず。だうじゆにかたらふあくたうといふは、しよこくのせつたうがうたうさんぞくかいぞくらなり。よくしんしじやうにして、ししやうふちのやつばらなりければ、われいちにんとおもひきつてたたかふほどに、こんどもまたがくしやういくさにまけにけり。
 

13 山門滅亡(さんもんめつばう)

そののちはさんもんいよいよあれはてて、じふにぜんじゆのほかは、しぢうのそうりよまれなり。たにだにのかうえんまめつして、だうだうのぎやうぼふもたいてんす。しゆがくのまどをとぢ、ざぜんのゆかをむなしうせり。しけうごじのはるのはなもにほはず、さんだいそくぜのあきのつきもくもれり。さんびやくよさいのほふとうをかかぐるひともなく、ろくじふだんのかうのけぶりもたえやしにけん。だうじやたかくそびえて、さんぢうのかまへをせいかんのうちにさしはさみ、とうりやうはるかにひいでて、しめんのたるきをはくぶのあひだにかけたりき。されどもいまはくぶつをみねのあらしにまかせ、きんようをこうれきにうるほし、よるのつきともしびをかかげて、のきのひまよりもり、あかつきのつゆたまをたれて、れんざのよそほひをそふとかや。それまつだいのぞくにいたつては、さんごくのぶつぽふもしだいにすゐびせり。

とほくてんぢくにぶつせきをとぶらふに、むかしほとけののりをときたまひしちくりんしやうじや、ぎつこどくをんも、このごろはこらうやかんのすみかとなつて、いしずゑのみやのこるらん。はくろちにはみづたえて、くさのみふかくしげれり。たいぼんげじようのそとばもこけのみむしてかたぶきぬ。しんだんにもてんだいさん、ごだいさん、はくばじ、ぎよくせんじも、いまはぢうりよなきさまにあれはてて、だいせうじようのほふもんも、はこのそこにやくちぬらん。わがてうにもなんとのしちだいじあれはてて、はつしうくしうもあとたえ、あたごたかをも、むかしはだうたふのきをならべたりしかども、いちやのうちにあれはてて、てんぐのすみかとなりはてぬ。さればにや、さしもやんごとなかりつるてんだいのぶつぽふも、治承のいまにおよんで、ほろびはてぬるにや。こころあるひとのなげきかなしまぬはなかりけり。なにもののしわざにてやありけん、りさんしけるそうのばうのはしらに、いつしゆのうたをぞかきつけたる。

  いのりこしわがたつそまのひきかへてひとなきみねとあれやはてなむ W009

これはむかしでんげうだいし、たうざんさうさうのはじめ、あのくたらさんみやくさんぼだいのほとけたちにいのりまうさせたまひしことを、いまおもひいでてよみたりけるにや。いとやさしうぞきこえし。やうかはやくしのひなれども、なむととなふるこゑもせず、うづきはすゐじやくのつきなれども、へいはくをささぐるひともなく、あけのたまがきかみさびて、しめなはのみやのこるらん。
 

14 善光寺炎上(ぜんくわうじえんしやう)

そのころしなののくにぜんくわうじえんしやうのことありけり。かのによらいは、むかしちうてんぢくしやゑこくに、ごしゆのあくびやうおこつて、じんそうおほくほろびしとき、ぐわつかいちやうじやがちせいによつて、りゆうぐうじやうよりえんぶだごんをえて、ほとけ、もくれんちやうじや、こころをひとつにして、いあらはしたまへるいつちやくしゆはんのみだのさんぞん、さんごくぶさうのれいざうなり。ぶつめつどののち、てんぢくにとどまらせたまふことごひやくよさい、されどもぶつぽふとうぜんのことわりにて、はくさいこくにうつらせたまひて、いつせんざいののち、はくさいのみかどせいめいわう、わがてうのみかどきんめいてんわうのぎようにおよびて、かのくによりこのくにへうつらせたまひて、つのくになんばのうらにして、せいざうをおくらせおはします。つねにこんじきのひかりをはなたせたまふ。これによつてねんがうをばこんくわうとかうす。おなじきさんねんさんぐわつじやうじゆんに、しなののくにの住人おほみのほんだよしみつ、みやこへのぼり、によらいにあひたてまつり、やがていざなひまゐらせてくだりけるが、ひるはよしみつによらいをおひたてまつり、よるはよしみつによらいにおはれたてまつて、しなののくにへくだり、みのちのこほりにあんぢしたてまつしよりこのかた、せいざうはごひやくはちじふよさい、されどもえんしやうはこれはじめとぞうけたまはる。わうぼふつきんとては、ぶつぽふまづばうずといへり。さればにや、さしもやんごとなかりつるれいじれいさんのおほくほろびうせぬることは、わうぼふのすゑになりぬるぜんべうやらんとぞひとまうしける。
 

15 康頼祝言(やすよりのつと)

さるほどにきかいがしまのるにんども、つゆのいのちくさばのすゑにかかつて、をしむべしとにはあらねども、たんばのせうしやうのしうとへいさいしやうのりもりのりやう、ひぜんのくにかせのしやうより、いしよくをつねにおくられたりければ、それにてぞしゆんくわんもやすよりもいのちいきてはすごしける。なかにもやすよりはながされしとき、すはうのむろづみにてしゆつけしてげり。ほふみやうをばしやうせうとこそついたりけれ。しゆつけはもとよりのぞみなりければ、つひにかくそむきはてけるよのなかをとくすてざりしことぞくやしき W010たんばのせうしやうとやすよりにふだうは、もとよりくまのしんじんのひとびとにておはしければ、「いかにもしてこのしまのうちに、さんじよごんげんをくわんじやうしたてまつて、きらくのことをいのらばや」といふに、てんぜいこのしゆんくわんは、ふしんだいいちのひとにて、これをもちひず、ににんはおなじこころにて、もしくまのににたるところもやあると、しまのうちをたづねまはるに、あるひはりんたうのたへなるあり、こうきんしうのよそほひしなじなに、あるひはうんれいのあやしきあり、へきらりようのいろひとつにあらず。やまのけしき、きのこだちにいたるまで、ほかよりもなほすぐれたり。みなみをのぞめば、かいまんまんとして、くものなみけむりのなみふかく、きたをかへりみれば、またさんがくのががたるより、はくせきのりうすゐみなぎりおちたり。たきのおとことにすさまじく、まつかぜかみさびたるすまひ、ひれうごんげんのおはしますなちのおやまにさもにたりけり。さてこそやがて、そこをばなちのおやまとはなづけけれ。このみねはしんぐう、かれはほんぐう、これはそんじやうそのわうじ、かのわうじなど、わうじわうじのなをまうして、やすよりにふだうせんだちにて、たんばのせうしやうあひぐしつつ、ひごとにくまのまうでのまねをして、きらくのことをぞいのりける。「なむごんげんこんがうどうじ、ねがはくはあはれみをたれさせおはしまし、われらをいまいちどこきやうへかへしいれさせたまひて、さいしをもみせしめたまへ」とぞいのりける。ひかずつもつて、たちかふべきじやうえもなければ、あさのころもをみにまとひ、さはべのみづをこりにかいては、いはだがはのきよきながれとおもひやり、たかきところにあがつては、ほつしんもんとぞくわんじける。

やすよりにふだうは、まゐるたびごとに、さんじよごんげんのおんまへにてのつとをまうすに、ごへいがみもなければ、はなをたをつてささげつつ、「ゐあたれるさいし、ぢしよ
う元年ひのとのとり、つきのならびはとつきふたつき、ひのかずさんびやくごじふよかにち、きちにちりやうしんをえらんで、かけまくもかたじけなくにつぽんだいいちだいりやうげん、ゆやさんじよごんげん、ひれうだいさつたのけうりやう、うづのひろまへにして、しんじんのだいせしゆ、うりんふぢはらのなりつね、ならびにしやみしやうせう、いつしんしやうじやうのまことをいたし、さんごふさうおうのこころざしをぬきんでて、つつしんでもつてうやまつてまうす。それしようじやうだいぼさつは、さいどくかいのけうしゆ、さんじんゑんまんのかくわうなり。あるひはとうばうじやうるりいわうのしゆ、しゆびやうしつぢよのによらいなり。あるひはなんぱうふだらくのうげのしゆ、にふぢうげんもんのだいじ、にやくわうじはしやばせかいのほんじゆ、せむいしやのだいじ、ちやうじやうのぶつめんをげんじて、しゆじやうのしよぐわんをみてしめたまへり。これによつて、かみいちじんよりしもばんみんにいたるまで、あるひはげんぜあんをんのため、あるひはごしやうぜんしよのために、あしたにはじやうすゐをむすんでぼんなうのあかをすすぎ、ゆふべにはしんざんにむかつてほうがうをとなふるに、かんおうおこたることなし。ががたるみねのたかきをば、しんとくのたかきにたとへ、けんけんたるたにのふかきをば、ぐぜいのふかきになぞらへて、くもをわきてのぼり、つゆをしのいでくだる。ここにりやくのちをたのまずんば、いかでかあゆみをけんなんのみちにはこばん。

ごんげんのとくをあふがずんば、なんぞかならずしもいうゑんのさかひにましまさんや。よつてしようじやうごんげん、ひれうだいさつた、おのおのしやうれんじひのまなじりを
あひならべ、さをしかのおんみみをふりたてて、われらがむにのたんぜいをちけんして、いちいちのこんしをなふじゆしたまへ。しかればすなはち、むすぶはやたまのりやう
じよごんげん、きにしたがつて、あるひはうえんのしゆじやうをみちびき、あるひはむえんのぐんるゐをすくはんがために、しつぽうしやうごんのすみかをすてて、はちまんし
せんのひかりをやはらげ、ろくだうさんうのちりにどうじたまへり。かるがゆゑにぢやうごふやくのうてん、ぐぢやうじゆ、とくぢやうじゆのらいはいそでをつらね、へいはくれい
てんをささぐることひまなし。にんにくのころもをかさね、かくだうのはなをささげて、じんでんのゆかをうごかし、しんじんのみづをすまして、りしやうのいけをたたへたり。しん
めいなふじゆしたまはば、しよぐわんなんぞじやうじゆせざらん。あふぎねがはくは、じふにしよごんげん、おのおのりしやうのつばさをならべ、はるかにくかいのそらにかけり、させんのうれへをやすめて、すみやかにきらくのほんくわいをとげしめたまへ。さいはい」とぞやすよりのつとをばまうしける。
 

16 卒塔婆流(そとばながし)

さるほどにににんのひとびと、つねはさんじよごんげんのおんまへにまゐり、つやするをりもありけり。あるよににんまゐつて、よも
すがらいまやううたひ、まひなんどまひて、あかつきがたくるしさに、ちつとうちまどろみたりつるゆめに、おきよりしろいほかけたるこぶねをいつそう、みぎはへこぎよせ、ふ
ねのうちよりくれなゐのはかまきたりけるにようばうたち、にさんじふにんなぎさにあがり、つづみをうち、こゑをととのへて、よろづのほとけのぐわんよりもせんじゆのちかひぞたのもしきかれたるくさきもたちまちにはなさきみなるとこそきけとおしかへしおしかへしさんべんうたひすまして、かきけすやうにぞうせにける。やすよりにふだうゆめさめてのち、きいのおもひをなしつつ、「いかさまにもこれはりうじんのけげんとおぼえさふらふ。くまのさんじよごんげんのうちに、にしのごぜんとまうしたてまつるは、ほんぢせんじゆくわんおんにておはします。りうじんはすなはちせんじゆのにじふはちぶしゆのそのひとつにておはしませば、もつてごなふじゆこそたのもしけれ」。あるよまたににんまゐつてつやしたりけるゆめに、おきよりもふきくるかぜに、このはをふたつ、ににんがたもとにふきかけたり。なんとなうこれをとつてみければ、みくまののなぎのはにてぞありける。かのふたつのなぎのはに、いつしゆのうたをむしぐひにこそしたりけれ。

 ちはやぶるかみにいのりのしげければなどかみやこへかへらざるべき W011

やすよりにふだうは、あまりにこきやうのこひしきままに、せめてのはかりごとにや、せんぼんのそとばをつくり、あじのぼんじ、ねんがうつきひ、けみやうじつみやう、にしゆ
のうたをぞかきつけける。

 さつまがたおきのこじまにわれありとおやにはつげよやへのしほかぜW012

 おもひやれしばしとおもふたびだにもなほふるさとはこひしきものを W013

これをうらにもつていでて、「なむきみやうちやうらい、ぼんでんたいしやく、しだいてんわう、けんらうぢじん、わうじやうのちんじゆしよだいみやうじん、べつしてはくまののご
んげん、あきのいつくしまのだいみやうじん、せめてはいつぽんなりとも、みやこへつたへてたべ」とて、おきつしらなみの、よせてはかへすたびごとに、そとばをうみにぞう
かべける。そとばはつくりいだすにしたがつて、うみにいれければ、ひかずつもれば、そとばのかずもつもりけり。そのものおもふこころやたよりのかぜともなりたりけん、また
しんめいぶつだもやおくらせたまひたりけん、せんぼんのそとばのなかに、いつぽんあきのくにいつくしまのだいみやうじんのおまへのなぎさにうちあげたり。

ここにやすよりにふだうがゆかりありけるそうの、もししかるべきたよりもあらば、かのしまへわたつて、そのゆくへをもたづねんとて、さいこくしゆぎやうにいでたりけるが、ま
づいつくしまへぞまゐりける。ここにみやうどとおぼしくて、かりぎぬしやうぞくなるぞくいちにんいできたり。このそうなんとなうものがたりをしけるほどに、「それしんめいは、
わくわうどうぢんのりしやう、さまざまなりとはまうせども、なかにもこのおんかみは、いかなるいんえんをもつて、かいまんのうろくづにえんをばむすばせたまふらん」ととひた
てまつれば、みやうどこたへていはく、「それはよな、しやかつらりうわうのだいさんのひめみや、たいざうかいのすゐじやくなり」。このしまへごやうがうありしはじめより、さ
いどりしやうのいまにいたるまで、じんじんきどくのことどもをぞかたりける。さればにや、はつしやのごてんいらかをならべ、やしろはわだづみのほとりなれば、しほのみちひ
につきぞすむ。しほみちくれば、おほどりゐ、あけのたまがき、るりのごとし。しほひきぬれば、なつのよなれども、おまへのしらすにしもぞおく。このそういよいよたつとくおも
ひ、しづかにほつせまゐらせてゐたりけるが、やうやうひくれつきさしいでて、しほのみちくるに、おきよりそこはかとなくゆられよりけるもくづどものなかに、そとばのかたの
みえけるを、なんとなうこれをとつてみければ、「さつまがたおきのこじまにわれあり」と、かきながせることのはなり。もじをばゑりいれきざみつけたりければ、なみにもあら
はれず、あざあざとしてこそみえたりけれ。

このそうふしぎのおもひをなし、おひのかたにさして、みやこへかへりのぼり、やすよりにふだうがらうぼのにこう、さいしどもの、いちでうのきた、むらさきのといふとこ
ろにしのびつつかくれゐたりけるに、これをみせたりければ、「さらば、このそとばが、もろこしのかたへもゆられゆかずして、なにしにこれまでつたへきて、いまさらものをお
もはすらん」とぞかなしみける。はるかのえいぶんにおよんで、ほふわうこれをえいらんあつて、「あなむざん、このものどもがいのちのいまだいきてあるにこそ」とて、おんな
みだをながさせたまふぞかたじけなき。これをこまつのおとどのもとへつかはされたりければ、ちちのぜんもんにみせたてまつらる。かきのもとのひとまるは、しまがくれゆく
ふねをおもひ、やまべのあかひとは、あしべのたづをながめたまふ。すみよしのみやうじんは、かたそぎのおもひをなし、みわのみやうじんは、すぎたてるかどをさす。むか
しすさのをのみこと、さんじふいちじのやまとうたをよみはじめたまひしよりこのかた、もろもろのしんめいぶつだも、かのえいぎんをもつて、はくせんばんたんのおもひをの
べたまふ。

「そぶ」にふだうもいはきならねば、さすがあはれげにこそのたまひけれ。
 

17 蘇武(そぶ)

にふだうかくあはれみたまふうへは、きやうぢうのじやうげ、おいたるもわかきも、きかいがしまのるにんのうたとて、くちずさまぬはなかりけり。せんぼんまでつくりいだせるそとばなれば、さこそはちひさうもありけめ、さつまがたよりはるばるとみやこまでつたはりけるこそふしぎなれ。あまりにおもふことには、むかしもかくしるしありけるにや。いにしへかんわう、ここくをせめたまひしとき、はじめはりせうけいをたいしやうぐんにて、さんじふまんぎをむけらる。かんのたたかひよわくして、ここくのいくさかちにけり。あまつさへたいしやうぐんりせうけい、こわうのためにいけどらる。つぎにそぶをたいしやうぐんにて、ごじふまんぎをむけらる。こんどもまたかんのたたかひよわくして、ここくのいくさかちにけり。つはものろくせんよにんいけどりにせらる。そのなかにそぶをはじめとして、むねとのつはものろつぴやくさんじふよにん、すぐりいだいて、いちいちにかたあしをきつておつぱなたる。すなはちしぬるものもあり、ほどへてしするものもあり。そのなかにそぶはいちにんしなざりけり。かたあしをばきられながら、やまにのぼつてはこのみをひろひ、さとにいでてはねぜりをつみ、あきはたづらのおちぼひろひなんどしてぞ、つゆのいのちをばすごしける。たにいくらもありけるかりども、そぶにみなれておそれざりければ、これらはみなわがこきやうへかよふものぞかしとなつかしくて、おもふことひとふでかいて、「あひかまへてこれかんわうにえさせよ」といひふくめて、かりのつばさにむすびつけてぞはなちける。

かひがひしくもたのものかり、あきはかならずこしぢよりみやこへかよふものなるに、かんのせうていしやうりんゑんにぎよいうありしに、ゆうざれのそらうすくもり、なにとなく
ものあはれなりけるをりふし、ひとつらのかりとびわたる。そのなかよりがんひとつとびさがつて、おのがつばさにむすびつけたるたまづさを、くひきつてぞおとしける。くわんにんこれをとつて、みかどへまゐらせたりければ、ひらいてえいらんあるに、「むかしはがんくつのほらにこめられてさんしゆんのしうたんをおくり、いまはくわうでんのうねにすてられて、こてきのいつそくとなれり。たとひかばねはこのちにちらすといふとも、たましひはふたたびくんべんにつかへん」とぞかいたりける。それよりしてこそ、ふみをばがんしよともいひ、がんさつともまたなづけけれ。「あなむざん、そぶがほまれのあとなりけり。このものどもがいのちのいまだいきてあるにこそ」とて、りくわうといふしやうぐんにおほせて、ひやくまんぎをむけらる。こんどはかんのたたかひつよくして、ここくのいくさやぶれにけり。

みかたたたかひかちぬときこえしかば、そぶはくわうやのなかよりはひいでて、「これこそいにしへのそぶよ」となのる。かたあしはきられながら、じふくねんのせいざうをおくりむかへ、こしにかかれてきうりへぞかへりける。そぶはじふろくのとし、ここくへむけられしとき、みかどよりくだしたまはつたりけるはたをば、まいてみをはなたずもちたりしを、いまとりいだいて、みかどのごげんざんにいれたりければ、きみもしんもかんたんなのめならず。そぶはきみのおんためにたいこうならびなかりしかば、だいこくあまたたまはつて、そのうへ、てんしよくこくといふつかさをぞくだされける。あまつさへりせうけいは、ここくにとどまつてつひにかへらず。いかにもしてかんてうへかへらんとのみなげきけれども、こわうゆるさねばちからおよばず。かんわうこれをばゆめにもしりたまはず、りせうけいはきみのおんために、すでにふちうなるものなりとて、むなしくなれるにしんがかばねをほりおこしてうたせらる。そのほかろくしんをみなつみせらる。りせうけいこのよしをつたへきいて、うらみふかうぞなりにける。さりながらもなほこきやうをこひつつ、まつたくふちうなきよしを、いつくわんのしよにつくつて、みかどへまゐらせたりければ、かんわうこれをえいらんあつて、「さてはふちうなかりけり。ふびんなることござんなれ」とて、ふぼがかばねをほりおこしてうたせられたりけることをぞ、かへつてくやしみたまひける。かんかのそぶは、しよをかりのつばさにつけてきうりへおくり、ほんてうのやすよりは、なみのたよりにうたをこきやうへつたふ。かれはいつぴつのすさみ、これはにしゆのうた、かれはじやうだい、これはまつだい、ここくきかいがしま、さかひをへだてて、よよはかはれども、ふぜいはおなじふぜい、ありがたかりしことどもなり。

平家物語 巻第二終了


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2000.10.23 Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中