平家物語

(流布本 元和九年本)総目次

本デジタルテキストの作成者荒山慶一氏のご厚意により掲載させていただいているものである。
但し、総目次の序にあるように、佐藤が一部を漢字化しているので、原文テキストとは相違があることを予め承知していただきたい。


平家物語 巻第一 (元和九年本)

1 祇園精舎(ぎをんしやうじや)

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。しやらさうじゆのはなのいろ、じやうしやひつすゐのことわりをあらはす。おごれるものひさしからず、ただはるのよのゆめのごとし。たけきひともつひにはほろびぬ。ひとへにかぜのまへのちりにおなじ。とほくいてうをとぶらふに、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしゆい、たうのろくさん、これらはみなきうしゆせんくわうのまつりごとにもしたがはず、たのしみをきはめ、いさめをもおもひいれず、てんがのみだれんことをもさとらずして、みんかんのうれふるところをしらざりしかば、ひさしからずして、ばうじにしものどもなり。ちかくほんてうをうかがふに、しようへいのまさかど、てんぎやうのすみとも、かうわのぎしん、へいぢのしんらい、これらはおごれることもたけきこころも、みなとりどりなりしかども、まぢかくは六波羅のにふだうさきのだいじやうだいじんたひらのあそん清盛こうとまうししひとのありさま、つたへうけたまはるこそ、こころもことばもおよばれね。そのせんぞをたづぬれば、くわんむてんわうだいごのわうじ、いつぽんしきぶきやうかづらはらのしんわうくだいのこういん、さぬきのかみまさもりがそん、刑部卿忠盛のあそんのちやくなんなり。かのしんわうのみこたかみのわうむくわんむゐにしてうせたまひぬ。そのおんこたかもちのわうのとき、はじめてたひらのしやうをたまはつて、かづさのすけになりたまひしよりこのかた、たちまちにわうしをいでてじんしんにつらなる。そのこちんじゆふのしやうぐんよしもち、のちにはくにかとあらたむ。くにかよりまさもりにいたるまでろくだいは、しよこくのじゆりやうたりしかども、てんじやうのせんせきをばいまだゆるされず。

 

2 殿上闇討(てんじやうのやみうち)

しかるに忠盛、いまだ備前のかみたりしとき、とばのゐんのごぐわん、とくぢやうじゆゐんをざうしんして、さんじふさんげんのみだうをたて、いつせんいつたいのおんほとけをすゑたてまつらる。くやうはてんじよう元年さんぐわつじふさんにちなり。けんじやうにはけつこくをたまふべきよしおほせくだされける。をりふしたじまのくにのあきたりけるをぞくだされける。しやうくわうなほぎよかんのあまりに、うちのしようでんをゆるさる。忠盛さんじふろくにてはじめてしようでんす。くものうへびとこれをそねみいきどほり、おなじきとしのじふいちぐわつにじふさんにち、ごせつとよのあかりのせちゑのよ、忠盛をやみうちにせんとぞぎせられける。忠盛、このよしをつたへきいて、「われいうひつのみにあらず、ぶようのいへにむまれて、いまふりよのはぢにあはんこと、いへのため、みのためこころうかるべし。せんずるところ、みをまつたうしてきみにつかへたてまつれといふほんもんあり」とて、かねてよういをいたす。さんだいのはじめより、おほきなるさやまきをよういし、そくたいのしたにしどけなげにさしほらし、ひのほのぐらきかたにむかつて、やはらこのかたなをぬきいだいて、びんにひきあてられたりけるが、よそよりは、こほりなどのやうにぞみえける。しよにんめをすましけり。また忠盛のらうどう、もとはいちもんたりしたひらのむくのすけさだみつがまご、しんのさぶらうだいふいへふさがこに、さひやうゑのじよういへさだといふものあり。うすあをのかりぎぬのしたに、もよぎをどしのはらまきをき、つるぶくろつけたるたちわきばさんで、てんじやうのこにはにかしこまつてぞさぶらひける。くわんじゆいげ、あやしみをなして、「うつほばしらよりうち、すずのつなのへんに、ほういのもののさぶらふはなにものぞ。らうぜきなり。とうとうまかりいでよ」と、ろくゐをもつていはせられたりければ、いへさだかしこまつてまうしけるは、「さうでんのしゆ備前のかうのとののこんややみうちにせられたまふべきよしうけたまはつて、そのならんやうをみんとて、かくてさぶらふなり。えこそいづまじ」とて、またかしこまつてぞさぶらひける。これらをよしなしとやおもはれけん、そのよのやみうちなかりけり。

忠盛またごぜんのめしにまはれけるに、ひとびとひやうしをかへて、「いせへいじはすがめなりけり」とぞはやされける。かけまくもかたじけなく、このひとびとはかしはば
らのてんわうのおんすゑとはまうしながら、なかごろはみやこのすまひもうとうとしく、ぢげにのみふるまひなつて、いせのくににぢうこくふかかりしかば、そのくにのうつはものにことよせて、いせへいじとぞはやされける。そのうへ忠盛のめのすがまれたりけるゆゑにこそ、かやうにははやされけるなれ。忠盛いかにすべきやうもなくして、ぎよいうもいまだをはらざるさきに、ごぜんをまかりいでらるるとて、ししんでんのごごにして、ひとびとのみられけるところにて、よこだへさされたりけるこしのかたなをば、とのもづかさにあづけおきてぞいでられける。いへさだ、まちうけたてまつて、「さていかがさふらひつるやらん」とまうしければ、かうともいはまほしうはおもはれけれども、まさしういひつるほどならば、やがててんじやうまでもきりのぼらんずるもののつらだましひにてあるあひだ、「べつのことなし」とぞこたへられける。ごせつには、「しろうすやう、こぜんじのかみ、まきあげのふで、ともゑかいたるふでのぢく」なんど、いふ、さまざまかやうにおもしろきことをのみこそうたひまはるるに、なかごろださいのごんのそつすゑなかのきやうといふひとありけり。あまりにいろのくろかりければ、ときのひと、こくそつとぞまうしける。このひといまだくらんどのとうなりしとき、ごぜんのめしにまはれけるに、ひとびとひやうしをかへて、「あなくろくろ、くろきとうかな。いかなるひとのうるしぬりけん」とぞはやされける。またくわざんのゐんのさきのだいじやうだいじんただまさこう、いまだじつさいなりしとき、ちちちうなごんただむねのきやうにおくれたまひて、みなしごにておはしけるを、こなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやう、そのときはいまだはりまのかみにておはしけるが、むこにとつて、はなやかにもてなされしかば、これもごせつには、「はりまよねはとくさか、むくのはか、ひとのきらをみがくは」とぞはやされける。「しやうこにはかやうのことどもおほかりしかども、こといでこず。まつだいいかがあらんずらん、おぼつかなしとぞひとびとまうしあはれける。

あんのごとくごせつはてにしかば、ゐんぢうのくぎやうてんじやうびと、いちどうにうつたへまうされけるは、「それゆうけんをたいしてくえんにれつし、ひやうぢやうをたまはつ
てきうちうをしゆつにふするは、みなこれきやくしきのれいをまもる、りんめいよしあるせんぎなり。しかるを忠盛のあそん、あるひはねんらいのらうじうとかうして、ほういのつはものをてんじやうのこにはにめしおき、あるひはこしのかたなをよこだへさいて、せちゑのざにつらなる。りやうでうきたいいまだきかざるらうぜきなり。ことすでにちようでふせり。ざいくわもつとものがれがたし。はやくてんじやうのみふだをけづつて、けつくわんちやうにんおこなはるべきか」と、しよきやういちどうにうつたへまうされければ、しやうくわうおほきにおどろかせたまひて、忠盛をごぜんへめしておんたづねあり。ちんじまうされけるは、「まづらうじうこにはにしこうのよし、まつたくかくごつかまつらず。ただしきんじつひとびとあひたくまるるむね、しさいあるかのあひだ、ねんらいのけにん、ことをつたへきくかによつて、そのはぢをたすけんがために、忠盛にはしらせずして,ひそかにさんこうのでう、ちからおよばざるしだいなり。もしとがあるべくは、かのみをめししんずべきか。つぎにかたなのことは、とのもづかさにあづけおきさふらひをはんぬ。これをめしいだされ、かたなのじつぷによつて、とがのさうおこなはるべきか」とまうされたりければ、このぎもつともしかるべしとて、いそぎかのかたなをめしいだいてえいらんあるに、うへはさやまきのくろうぬつたりけるが、なかはきがたなにぎんぱくをぞおいたりける。「たうざのちじよくをのがれんがために、かたなをたいするよしあらはすといへども、ごにちのそしようをぞんぢして、きがたなをたいしけるよういのほどこそしんべうなれ。きうせんにたづさはらんほどのもののはかりごとには、もつともかうこそあらまほしけれ。かねてはまたらうじうこにはにしこうのこと、かつうはぶしのらうどうのならひなり。忠盛がとがにはあらず」とて、かへつてえいかんにあづかつしうへは、あへてざいくわのさたはなかりけり。
 
 

3 鱸(すずき)

そのこどもはみなしよゑのすけになる。しようでんせしに、てんじやうのまじはりをひときらふにおよばず。あるとき忠盛、備前のくによりのぼられたりけるに、とばのゐん「あかしのうらはいかに」とおほせければ忠盛かしこまつて、

 有明の月も明石のうら風に浪ばかりこそよるとみえしか W001

とまうされたりければ、ゐんおほきにぎよかんあつて、やがてこのうたをば、きんえふしふにぞいれられける。忠盛、またせんとうにさいあいのにようばうをもつてよなよなかよはれけるが、あるよおはしたりけるに、かのにようばうのつぼねに、つまにつきいだしたるあふぎをとりわすれて、いでられたりければ、かたへのにようばうたち、「これはいづくよりのつきかげぞや、いでどころおぼつかなし」など、わらひあはれければ、かのにようばう、

 雲井より忠盛きたる月なればおぼろげにては言はじとぞ思ふ W002

とよみたりければ、いとどあさからずぞおもはれける。さつまのかみただのりのははこれなり。にるをともとかやのふぜいにて、忠盛のすいたりければ、かのにようばうもいうなりけり。

かくて忠盛、刑部卿になつて、任平さんねんしやうぐわつじふごにち、としごじふはちにてうせたまひしかば、清盛ちやくなんたるによつて、そのあとをつぎ、はうげん元年しちぐわつに、うぢのさふ、よをみだりたまひしとき、みかたにてさきをかけたりければ、けんじやうおこなはれけり。もとはあきのかみたりしが、はりまのかみにうつつて、おなじきさんねんにだざいのだいにになる。また平治元年じふにんぐわつ、のぶよりよしともがむほんのときも、みかたにてぞくとをうちたひらげたりしかば、くんこうひとつにあらず、おんしやうこれおもかるべしとて、つぎのとしじやうざんみにじよせられ、うちつづきさいしやう、ゑふのかみ、検非違使のべつたう、ちうなごん、だいなごんにへあがつて、あまつさへしようじやうのくらゐにいたる。さうをへずして、ないだいじんよりだいじやうだいじんじゆいちゐにいたり、だいしやうにはあらねども、ひやうぢやうをたまはつてずゐじんをめしぐす。ぎつしやれんじやのせんじをかうぶつて、のりながらきうちうをしゆつにふす。ひとへにしつせいのしんのごとし。

「だいじやうだいじんはいちじんにしはんとして、しかいにぎけいせり。くにををさめみちをろんじ、いんやうをやはらげをさむ。そのひとにあらずは、すなはちかけよといへり。

そくけつのくわんともなづけられたり。そのひとならではけがすべきくわんならねども、このにふだうしやうこくはいつてんしかいをたなごころのうちににぎりたまふうへは、しさいにおよばず。そもそもへいけかやうにはんじやうせられけることは、ひとへにくまのごんげんのごりしやうとぞきこえし。そのゆゑは、清盛いまだあきのかみたりしとき、いせのくにあののつより、ふねにてくまのへまゐられけるに、おほきなるすずきのふねへをどりいつたりければ、せんだちまうしけるは、「むかし、しうのぶわうのふねにこそ、はくぎよはをどりいつたるなれ。いかさまにもこれはごんげんのごりしやうとおぼえさふらふ。まゐるべし」とまうしければ、さしもじつかいをたもつて、しやうじんけつさいのみちなれども、みづからてうびしてわがみくひ、いへのこらうどうどもにもくはせらる。そのゆゑにやきちじのみうちつづいて、わがみだいじやうだいじんにいたり、しそんのくわんども、りようのくもにのぼるよりはなほすみやかなり。くだいのせんじようをこえたまふこそめでたけれ。
 
 

4 禿髪(かぶろ)

かくて清盛公、任安三年十一月十一日、としごじふいちにてやまひにをかされ、ぞんめいのためにとて、すなはちしゆつけにふだうす。ほふみやうをばじやうかいとこそつきたまへ。そのゆゑにや、しゆくびやうたちどころにいえててんめいをまつたうす。しゆつけののちも、えいえうはなほつきずとぞみえし。おのづからひとのしたがひつきたてまつることは、ふくかぜのくさきをなびかすごとく、よのあふげることも、ふるあめのこくどをうるほすにおなじ。六波羅どののごいつけのきんだちとだにいへば、くわそくもえいゆうも、たれかたをならべ、おもてをむかふものなし。またにふだうしやうこくのこじうと、へいだいなごんときただのきやうののたまひけるは、「このいちもんにあらざらんものは、みなにんぴにんたるべし」とぞのたまひける。さればいかなるひとも、このいちもんにむすぼれんとぞしける。ゑぼしのためやうよりはじめて、えもんのかきやうにいたるまで、なにごとも六波羅やうとだにいひてしかば、いつてんしかいのひとみなこれをまなぶ。いかなるけんわうけんしゆのおんまつりごと、せつしやうくわんばくのごせいばいにも、よにあまされたるほどのいたづらものなどの、かたはらによりあひて、なにとなうそしりかたぶけまうすことはつねのならひなれども、このぜんもんよざかりのほどは、いささかゆるがせにまうすものなし。そのゆゑはにふだうしやうこくのはかりごとに、じふしごろくのわらべをさんびやくにんすぐつて、かみをかぶろにきりまはし、あかきひたたれをきせて、めしつかはれけるが、きやうぢうにみちみちてわうばんしけり。おのづからへいけのおんこと、あしざまにまうすものあれば、いちにんききいださぬほどこそありけれ、よたうにふれまはし、かのいへにらんにふし、しざいざふぐをつゐふくし、そのやつをからめて、六波羅どのへゐてまゐる。さればめにみ、こころにしるといへども、ことばにあらはしてまうすものなし。六波羅どののかぶろとだにいへば、みちをすぐるむまくるまも、みなよぎてぞとほしける。きんもんをしゆつにふすといへども、しやうみやうをたづねらるるにおよばず。けいしのちやうり、これがためにめをそばむとみえたり。
 
 

5 吾身栄花(わがみのえいぐわ)

吾身の栄花をきはむるのみならず、いちもんともにはんじやうして、ちやくししげもり、ないだいじんのさだいしやう、じなんむねもり、ちうなごんのうだいしやう、さんなん知盛、さんみのちうじやう、ちやくそんこれもり、しゐのせうしやう、すべていちもんのくぎやうじふろくにん、てんじやうびとさんじふよにん、しよこくのじゆりやう、ゑふ、しよし、つがふろくじふよにんなり。よにはまたひとなくぞみえられける。むかしならのみかどのおんとき、じんきごねん、てうかにちうゑのだいしやうをはじめおかる。だいどうしねんにちうゑをこんゑとあらためられしよりこのかた、きやうだいさうにあひならぶこと、わづかにさんしかどなり。もんどくてんわうのおんときは、ひだんによしふさ、うだいじんのさだいしやう、みぎによしあふ、だいなごんのうだいしやう、これはかんゐんのさだいじんふゆつぎのおんこなり。

しゆしやくゐんのぎようには、ひだりにさねより、をののみやどの、みぎにもろすけ、くでうどの、ていじんこうのおんこなり。ごれんぜいゐんのおんときは、ひだりにのりみち、おほにでうどの、みぎによりむね、ほりかはどの、みだうのくわんばくのおんこなり。にでうのゐんのぎようには、ひだりにもとふさ、まつどの、みぎにかねざね、つきのわどの、ほつしやうじどののおんこなり。これみなせふろくのしんのごしそく、はんじんにとつてはそのれいなし。てんじやうのまじはりをだにきらはれしひとのしそんにて、きんじき、ざつぱうをゆり、りようらきんしうをみにまとひ、だいじんのだいしやうになつてきやうだいさうにあひならぶこと、まつだいとはいひながら、ふしぎなりしことどもなり。

そのほか、おんむすめはちにんおはしき。みなとりどりにさいはひたまへり。いちにんはさくらまちのちうなごんしげのりのきやうのきたのかたにておはすべかりしが、はつさいのとしおんやくそくばかりにて、平治のみだれいご、ひきちがへられて、くわざんのゐんのさだいじんどののみだいばんどころにならせたまひて、きんだちあまたましましけり。そもそもこのしげのりのきやうをさくらまちのちうなごんとまうしけることは、すぐれてこころすきたまへるひとにて、つねはよしののやまをこひつつ、ちやうにさくらをうゑならべ、そのうちにやをたててすみたまひしかば、くるとしのはるごとに、みるひと、さくらまちとぞまうしける。さくらはさいてしちかにちにちるを、なごりををしみ、あまてるおんがみにいのりまうされければにや、さんしちにちまでなごりありけり。きみもけんわうにてましませば、しんもしんとくをかかやかし、はなもこころありければ、はつかのよはひをたもちけり。

いちにんはきさきにたたせたまふ。にじふににてわうじごたんじやうあつて、くわうたいしにたち、くらゐにつかせたまひしかば、ゐんがうかうぶらせたまひて、建礼門院とぞまうしける。にふだうしやうこくのおんむすめなるうへ、てんがのこくもにてましませば、とかうまうすにおよばれず。いちにんはろくでうのせつしやうどののきたのまんどころにならせたまふ。これはたかくらのゐんございゐのおんとき、おんははしろとて、じゆんさんごうのせんじをかうぶらせたまひて、しらかはどのとて、おもきひとにてぞましましける。いちにんはふげんじどののきたのまんどころにならせたまふ。いちにんはれんぜいのだいなごんりうばうのきやうのきたのかた、いちにんはしちでうのしゆりのだいぶのぶたかのきやうにあひぐしたまへり。またあきのくにいつくしまのないしがはらにいちにん、これはごしらかはのほふわうへまゐらせたまひて、ひとへににようごのやうでぞましましける。そのほかくでうのゐんのざふしときはがはらにいちにん、これはくわざんのゐんどののじやうらふにようばうにて、らふのおんかたとぞまうしける。

につぽんあきつしまはわづかにろくじふろくかこく、へいけちぎやうのくにさんじふよかこく、すでにはんごくにこえたり。そのほかしやうえん、でんばく、いくらといふかずをしらず。きらじうまんして、たうしやうはなのごとし。けんきくんじゆして、もんぜんいちをなす。やうしうのこがね、けいしうのたま、ごきんのあや、しよつかうのにしき、しつちんまんぽう、ひとつとしてかけたることなし。かたうぶかくのもとゐ、ぎよりようしやくばのもてあそびもの、おそらくは、ていけつもせんとうも、これにはすぎじとぞみえし。
 
 

6 祗王(ぎわう)

大乗のにふだうは、かやうにてんがをたなごころのうちににぎりたまひしうへは、よのそしりをもはばからず、ひとのあざけりをもかへりみず、ふしぎのことをのみしたまへり。たとへば、そのころきやうぢうにきこえたるしらびやうしのじやうず、ぎわう、ぎによとておととひあり。とぢといふしらびやうしがむすめなり。しかるにあねのぎわうを、にふだうしやうこくちようあいしたまふうへ、いもとのぎによをも、よのひともてなすことなのめならず。ははとぢにもよきやつくつてとらせ、まいぐわつにひやくこくひやくくわんをおくられたりければ、けないふつきしてたのしいことなのめならず。

そもそもわがてうにしらびやうしのはじまりけることは、むかしとばのゐんのぎように、しまのせんざい、わかのまへ、かれらににんがまひいだしたりけるなり。はじめはすゐかんにたてゑぼし、しろざやまきをさいてまひければをとこまひとぞまうしける。しかるをなかごろよりゑぼしかたなをのけられて、すゐかんばかりもちひたり。さてこそしらびやうしとはなづけけれ。きやうぢうのしらびやうしども、ぎわうがさいはひのめでたきやうをきいて、うらやむものもあり、そねむものもあり。うらやむものどもは、「あなめでたのぎわうごぜんのさいはひや。おなじあそびめとならば、たれもみなあのやうでこそありたけれ。

いかさまにもぎといふもじをなについて、かくはめでたきやらん。いざやわれらもついてみん」とて、あるひはぎいち、ぎにとつき、あるひはぎふく、ぎとくなどつくものもありけり。そねむものどもは、「なんでふなにより、もじにはよるべき。さいはひはただぜんぜのむまれつきでこそあんなれ」とて、つかぬものもおほかりけり。かくてさんねんといふに、またしらびやうしのじやうず、いちにんいできたり。かがのくにのものなり。なをばほとけとぞまうしける。としじふろくとぞきこえし。

きやうぢうのじやうげこれをみて、むかしよりおほくのしらびやうしはみしかども、かかるまひのじやうずはいまだみずとて、よのひともてなすことなのめならず。あるときほとけごぜんまうしけるは、「われてんがにもてあそばるるといへども、たうじめでたうさかえさせたまふへいけだいじやうのにふだうどのへ、めされぬことこそほいなけれ。あそびもののならひ、なにかくるしかるべき。すゐさんしてみん」とて、あるときにしはちでうどのへぞさんじたる。

ひとごぜんにまゐつて、「たうじみやこにきこえさふらふほとけごぜんがまゐつてさふらふ」とまうしければ、にふだうしやうこくおほきにいかつて、「なんでふ、さやうのあそびものは、ひとのめしにてこそまゐるものなれ、さうなうすゐさんするやうやある。そのうへ、かみともいへ、ほとけともいへ、ぎわうがあらんずるところへはかなふまじきぞ。とうとうまかりいでよ」とぞのたまひける。ほとけごぜんは、すげなういはれたてまつて、すでにいでんとしけるを、ぎわうにふだうどのにまうしけるは、「あそびもののすゐさんは、つねのならひでこそさぶらへ。そのうへとしもいまだをさなうさぶらふなるが、たまたまおもひたつてまゐつてさぶらふを、すげなうおほせられて、かへさせたまはんこそふびんなれ。いかばかりはづかしう、かたはらいたくもさぶらふらん。わがたてしみちなれば、ひとのうへともおぼえず。たとひまひをごらんじ、うたをこそきこしめさずとも、ただりをまげて、めしかへいてごたいめんばかりさぶらひて、かへさせたまはば、ありがたきおんなさけでこそさぶらはんずれ」とまうしければ、にふだうしやうこく、「いでいでさらば、わごぜがあまりにいふことなるに、たいめんしてかへさん」とて、おつかひをたてて、めされけり。ほとけごぜんは、すげなういはれたてまつて、くるまにのつてすでにいでんとP65しけるが、めされてかへりまゐりたり。

にふだうやがていであひたいめんしたまひて、「いかにほとけ、けふのげんざんはあるまじかりつれども、ぎわうがなにとおもふやらん、あまりにまうしすすむるあひだ、かやうにげんざんはしつ。げんざんするうへではいかでかこゑをもきかであるべき。まづいまやうひとつうたへかし」とのたまへば、ほとけごぜん、「うけたまはりさぶらふ」とて、いまやうひとつぞうたうたる。きみをはじめてみるときはちよもへぬべしひめこまつおまへのいけなるかめをかにつるこそむれゐてあそぶめれと、おしかへしおしかへし、さんべんうたひすましたりければ、けんもんのひとびと、みなじぼくをおどろかす。にふだうもおもしろきことにおもひたまひて、「さてわごぜは、いまやうはじやうずにてありけるや。このぢやうではまひもさだめてよからん。いちばんみばや、つづみうちめせ」とてめされけり。うたせていちばんまうたりけり。ほとけごぜんは、かみすがたよりはじめて、みめかたちよにすぐれ、こゑよくふしもじやうずなりければ、なじかはまひはそんずべき。こころもおよばずまひすましたりければ、にふだうしやうこくまひにめでたまひて、ほとけにこころをうつされけり。ほとけごぜん、「こはなにごとにてさぶらふぞや。もとよりわらははすゐさんのものにて、すでにいだされまゐらせしを、ぎわうごぜんのまうしじやうによつてこそ、めしかへされてもさぶらふ。

はやはやいとまたまはつて、いださせおはしませ」とまうしければ、にふだうしやうこく、「すべてそのぎかなふまじ。ただしぎわうがあるによつて、さやうにはばかるか。そのぎならばぎわうをこそいださめ」とのたまへば、ほとけごぜん、「これまたいかでさるおんことさぶらふべき。ともにめしおかれんだに、はづかしうさぶらふべきに、ぎわうごぜんをいださせたまひて、わらはをいちにんめしおかれなば、ぎわうごぜんのおもひたまはんこころのうち、いかばかりはづかしう、かたはらいたくもさぶらふべき。おのづからのちまでもわすれたまはぬおんことならば、めされてまたはまゐるとも、けふはいとまをたまはらん」とぞまうしける。にふだう、「そのぎならば、ぎわうとうとうまかりいでよ」と、おつかひかさねてさんどまでこそたてられけれ。ぎわうはもとよりおもひまうけたるみちなれども、さすがきのふけふとはおもひもよらず。にふだうしやうこく、いかにもかなふまじきよし、しきりにのたまふあひだ、はきのごひ、ちりひろはせ、いづべきにこそさだめけれ。いちじゆのかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶだに、わかれはかなしきならひぞかし。いはんやこれはみとせがあひだすみなれしところなれば、なごりもをしくかなしくて、かひなきなみだぞすすみける。さてしもあるべきことならねば、ぎわういまはかうとていでけるが、なからんあとのわすれがたみにもとやおもひけん、しやうじになくなくいつしゆのうたをぞかきつけける。

 もえいづるもかるるもおなじのべのくさいづれかあきにあはではつべき W003

さてくるまにのつてしゆくしよへかへり、しやうじのうちにたふれふし、ただなくよりほかのことぞなき。ははやいもとこれをみて、いかにやいかにととひけれども、ぎわうとかうのへんじにもおよばず、ぐしたるをんなにたづねてこそ、さることありともしつてげれ。さるほどにまいぐわつおくられけるひやくこくひやくくわんをもおしとめられて、いまはほとけごぜんのゆかりのものどもぞ、はじめてたのしみさかえける。きやうぢうのじやうげ、このよしをつたへきいて、「まことやぎわうこそ、にしはちでうどのよりいとまたまはつていだされたんなれ。いざやげんざんしてあそばん」とて、あるひはふみをつかはすものもあり、あるひはししやをたつるひともありけれども、ぎわう、いまさらまたひとにたいめんして、あそびたはむるべきにもあらねばとて、ふみをだにとりいるることもなく、ましてつかひをあひしらふまでもなかりけり。ぎわうこれにつけても、いとどかなしくて、かひなきなみだぞこぼれける。かくてことしもくれぬ。あくるはるにもなりしかば、にふだうしやうこく、ぎわうがもとへししやをたてて、「いかにぎわう、そののちはなにごとかある。ほとけごぜんがあまりにつれづれげにみゆるに、まゐつていまやうをもうたひ、まひなどをもまうて、ほとけなぐさめよ」とぞのたまひける。ぎわうとかうのおんぺんじにもおよばず、なみだをおさへてふしにけり。にふだうかさねて、「なにとてぎわうは、ともかうもへんじをばまうさぬぞ。まゐるまじきか。まゐるまじくは、そのやうをまうせ。じやうかいもはからふむねあり」とぞのたまひける。ははとぢこれをきくにかなしくて、なくなくけうくんしけるは、「なにとてぎわうはともかうもおんぺんじをばまうさで、かやうにしかられまゐらせんよりは」といへば、ぎわうなみだをおさへてまうしけるは、「まゐらんとおもふみちならばこそ、やがてまゐるべしともまうすべけれ。なかなかまゐらざらんものゆゑに、なにとおんぺんじをばまうすべしともおぼえず。このたびめさんにまゐらずは、はからふむねありとおほせらるるは、さだめてみやこのほかへいださるるか、さらずはいのちをめさるるか、これふたつにはよもすぎじ。たとひみやこをいださるるとも、なげくべきみちにあらず。またいのちをめさるるともをしかるべきわがみかは。

いちどうきものにおもはれまゐらせて、ふたたびおもてをむかふべしともおぼえず」とて、なほおんぺんじにもおよばざりしかば、ははとぢなくなくまたけうくんしけるは、「あめがしたにすまんには、ともかうもにふだうどののおほせをば、そむくまじきことにてあるぞ。そのうへわごぜは、をとこをんなのえん、しゆくせ、いまにはじめぬことぞかし。せんねんまんねんとはちぎれども、やがてわかるるなかもあり。あからさまとはおもへども、ながらへはつることもあり。よにさだめなきものは、をとこをんなのならひなり。いはんやわごぜは、このみとせがあひだおもはれまゐらせたれば、ありがたきおんなさけでこそさぶらへ。このたびめさんにまゐらねばとて、いのちをめさるるまではよもあらじ。さだめてみやこのほかへぞいだされんずらん。たとひみやこをいださるるとも、わごぜたちはとしいまだわかければ、いかならんいはきのはざまにても、すごさんことやすかるべし。わがみはとしおいよはひおとろへたれば、ならはぬひなのすまひを、かねておもふこそかなしけれ。ただわれをばみやこのうちにてすみはてさせよ。それぞこんじやうごしやうのけうやうにてあらんずるぞ」といへば、ぎわうまゐらじとおもひさだめしみちなれども、ははのめいをそむかじとて、なくなくまたいでたちける、こころのうちこそむざんなれ。

ぎわうひとりまゐらんことの、あまりにこころうしとて、いもとのぎによをもあひぐしけり。そのほかしらびやうしににん、そうじてしにん、ひとつくるまにとりのつて、にしはちでうどのへぞさんじたる。ひごろめされつるところへはいれられずして、はるかにさがりたるところに、ざしきしつらうてぞおかれける。ぎわう、「こはさればなにごとぞや。わがみにあやまつことはなけれども、いだされまゐらするだにあるに、あまつさへざしきをだにさげらるることのくちをしさよ。いかにせん」とおもふを、ひとにしらせじと、おさふるそでのひまよりも、あまりてなみだぞこぼれける。

ほとけごぜんこれをみて、あまりにあはれにおぼえければ、にふだうどのにまうしけるは、「あれはいかに、ぎわうとこそみまゐらせさぶらへ。ひごろめされぬところにてもさぶらはばこそ。これへめされさぶらへかし。さらずはわらはにいとまをたべ。いでまゐらせん」とまうしけれども、にふだういかにもかなふまじきとのたまふあひだ、ちからおよばでいでざりけり。にふだうやがていであひたいめんしたまひて、「いかにぎわう、そののちはなにごとかある。ほとけごぜんがあまりにつれづれげにみゆるに、いまやうをもうたひ、まひなんどをもまうて、ほとけなぐさめよ」とぞのたまひける。ぎわう、まゐるほどでは、ともかくもにふだうどののおほせをば、そむくまじきものをとおもひ、ながるるなみだをおさへつつ、いまやうひとつぞうたうたる。

ほとけもむかしはぼんぶなりわれらもつひにはほとけなり。いづれもぶつしやうぐせるみをへだつるのみこそかなしけれと、なくなくにへんうたうたりければ、そのざになみゐたまへるへいけいちもんのくぎやうてんじやうびと、しよだいぶ、さぶらひにいたるまで、みなかんるゐをぞもよほされける。にふだうもげにもとおもひたまひて、「ときにとつてはしんべうにもまうしたり。さてはまひもみたけれども、けふはまぎるることいできたり。

こののちはめさずともつねにまゐりて、いまやうをもうたひ、まひなどをもまうて、ほとけなぐさめよ」とぞのたまひける。ぎわうとかうのおんぺんじにもおよばず、なみだをおさへていでにけり。ぎわう、「まゐらじとおもひさだめしみちなれども、ははのめいをそむかじと、つらきみちにおもむいて、ふたたびうきはぢをみつることのくちをしさよ。かくてこのよにあるならば、またもうきめにあはんずらん。いまはただみをなげんとおもふなり」といへば、いもうとのぎによこれをきいて、「あねみをなげば、われもともにみをなげん」といふ。ははとぢこれをきくにかなしくて、なくなくまたかさねてけうくんしけるは、「さやうのことあるべしともしらずして、けうくんしてまゐらせつることのうらめしさよ。まことにわごぜのうらむるもことわりなり。ただしわごぜがみをなげば、いもうとのぎによもともにみをなげんといふ。わかきむすめどもをさきだてて、としおいよはひおとろへたるはは、いのちいきてもなににかはせんなれば、われもともにみをなげんずるなり。いまだしごもきたらぬははに、みをなげさせんずることは、ごぎやくざいにてやあらんずらん。このよはかりのやどりなれば、はぢてもはぢてもなにならず。ただながきよのやみこそこころうけれ。こんじやうでものをおもはするだにあるに、ごしやうでさへあくだうへおもむかんずることのかなしさよ」と、さめざめとかきくどきければ、ぎわうなみだをはらはらとながいて、「げにもさやうにさぶらはば、ごぎやくざいうたがひなし。いつたんうきはぢをみつることのくちをしさにこそ、みをなげんとはまうしたれ。ささぶらはばじがいをばおもひとどまりさぶらひぬ。かくてみやこにあるならば、またもうきめをみんずらん。いまはただみやこのほかへいでん」とて、ぎわうにじふいちにてあまになり、さがのおくなるやまざとに、しばのいほりをひきむすび、ねんぶつしてぞゐたりける。

いもうとのぎによこれをきいて、「あねみをなげば、われもともにみをなげんとこそちぎりしか。ましてさやうによをいとはんに、たれかおとるべき」とて、じふくにてさまをかへ、あねといつしよにこもりゐて、ひとへにごせをぞねがひける。ははとぢこれをきいて、「わかきむすめどもだに、さまをかふるよのなかに、としおいよはひおとろへたるはは、しらがをつけてもなににかはせん」とて、しじふごにてかみをそり、ふたりのむすめもろともに、いつかうせんじゆにねんぶつして、ごせをねがふぞあはれなる。かくてはるすぎなつたけぬ。あきのはつかぜふきぬれば、ほしあひのそらをながめつつ、あまのとわたるかぢのはに、おもふことかくころなれや。

ゆふひのかげのにしのやまのはにかくるるをみても、ひのいりたまふところは、さいはうじやうどにてこそあんなれ。いつかわれらもかしこにむまれて、ものもおもはですごさんずらんと、すぎにしかたのうきことどもおもひつづけて、ただつきせぬものはなみだなり。たそかれどきもすぎぬれば、たけのあみどをとぢふさぎ、ともしびかすかにかきたてて、おやこさんにんもろともにねんぶつしてゐたるところに、たけのあみどを、ほとほととうちたたくものいできたり。そのときあまどもきもをけし、「あはれ、これは、いふかひなきわれらがねんぶつしてゐたるをさまたげんとて、まえんのきたるにてぞあるらん。ひるだにもひともとひこぬやまざとの、しばのいほりのうちなれば、よふけてたれかはたづぬべき。わづかにたけのあみどなれば、あけずともおしやぶらんことやすかるべし。

いまはただなかなかあけていれんとおもふなり。それになさけをかけずして、いのちをうしなふものならば、としごろたのみたてまつるみだのほんぐわんをつよくしんじて、ひまなくみやうがうをとなへたてまつるべし。こゑをたづねてむかへたまふなるしやうじゆのらいかうにてましませば、などかいんぜふなかるべき。あひかまへてねんぶつおこたりたまふな」とたがひにこころをいましめて、てにてをとりくみ、たけのあみどをあけたれば、まえんにてはなかりけり。ほとけごぜんぞいできたる。ぎわう、「あれはいかに、ほとけごぜんとみまゐらするは。ゆめかやうつつか」といひければ、ほとけごぜんなみだをおさへて、「かやうのことまうせば、すべてことあたらしうはさぶらへども、まうさずはまたおもひしらぬみともなりぬべければ、はじめよりして、こまごまとありのままにまうすなり。もとよりわらははすゐさんのものにて、すでにいだされまゐらせしを、わごぜのまうしじやうによつてこそ、めしかへされてもさぶらふに、をんなのみのいふかひなきこと、わがみをこころにまかせずして、わごぜをいださせまゐらせて、わらはがおしとどめられぬること、いまにはづかしうかたはらいたくこそさぶらへ。

わごぜのいでられたまひしをみしにつけても、いつかまたわがみのうへならんとおもひゐたれば、うれしとはさらにおもはず。しやうじにまた、『いづれかあきにあはではつべき』とかきおきたまひしふでのあと、げにもとおもひさぶらひしぞや。いつぞやまたわごぜのめされまゐらせて、いまやうをうたひたまひしにも、おもひしられてこそさぶらへ。そののちはざいしよをいづくともしらざりしに、このほどきけば、かやうにさまをかへ、ひとつところにねんぶつしておはしつるよし、あまりにうらやましくて、つねはいとまをまうししかども、にふだうどのさらにおんもちひましまさず。つくづくものをあんずるに、しやばのえいぐわはゆめのゆめ、たのしみさかえてなにかせん。

にんじんはうけがたく、ぶつけうにはあひがたし。このたびないりにしづみなば、たしやうくわうごふをばへだつとも、うかびあがらんことかたかるべし。らうせうふぢやうのさかひなれば、としのわかきをたのむべきにあらず。いづるいきのいるをもまつべからず。かげろふいなづまよりもなほはかなし。いつたんのえいぐわにほこつて、ごせをしらざらんことのかなしさに、けさまぎれいでて、かくなつてこそまゐりたれ」とて、かづいたるきぬをうちのけたるをみれば、あまになつてぞいできたる。「かやうにさまをかへてまゐりたるうへは、ひごろのとがをばゆるしたまへ。ゆるさんとだにのたまはば、もろともにねんぶつして、ひとつはちすのみとならん。それにもなほこころゆかずは、これよりいづちへもまよひゆき、いかならんこけのむしろ、まつがねにもたふれふし、いのちのあらんかぎりはねんぶつして、わうじやうのそくわいをとげんとおもふなり」とて、そでをかほにおしあてて、さめざめとかきくどきければ、ぎわうなみだをおさへて、「わごぜのそれほどまでおもひたまはんとはゆめにもしらず、うきよのなかのさがなれば、みのうきとこそおもひしに、ともすればわごぜのことのみうらめしくて、こんじやうもごしやうも、なまじひにしそんじたるここちにてありつるに、かやうにさまをかへておはしつるうへは、ひごろのとがは、つゆちりほどものこらず、いまはわうじやううたがひなし。

このたびそくわいをとげんこそ、なによりもまたうれしけれ。わらはがあまになりしをだに、よにありがたきことのやうに、ひともいひ、わがみもおもひさぶらひしぞや。それはよをうらみ、みをなげいたれば、さまをかふるもことわりなり。わごぜはうらみもなくなげきもなし。ことしはわづかじふしちにこそなりしひとの、それほどまでゑどをいとひ、じやうどをねがはんと、ふかくおもひいりたまふこそ、まことのだいだうしんとはおぼえさぶらひしか。うれしかりけるぜんぢしきかな。いざもろともにねがはん」とて、しにんいつしよにこもりゐて、あさゆふぶつぜんにむかひ、はなかうをそなへて、たねんなくねがひけるが、ちそくこそありけれ、みなわうじやうのそくわいをとげけるとぞきこえし。さればかのごしらかはのほふわうのちやうがうだうのくわこちやうにも、ぎわう、ぎによ、ほとけ、とぢらがそんりやうと、しにんいつしよにいれられたり。ありがたかりしことどもなり。

 

7 二代の后(にだいのきさき)

むかしよりいまにいたるまで、源平りやうしてうかにめしつかはれて、わうくわにしたがはず、おのづからてうけんをかろんずるものには、たがひにいましめをくはへしかば、よのみだれはなかりしに、ほうげんにためよしきられ、平治によしともちうせられてのちは、すゑずゑのげんじどもあるひはながされ、あるひはうしなはれて、いまはへいけのいちるゐのみはんじやうして、かしらをさしいだすものなし。いかならんすゑのよまでも、なにごとかあらんとぞみえし。されどもとばのゐんごあんがののちは、ひやうがくうちつづいて、しざい、るけい、けつくわん、ちやうにん、つねにおこなはれて、かいだいもしづかならず、せけんもいまだらくきよせず。なかんづくえいりやく、おうほうのころよりして、ゐんのきんじゆしやをば、うちよりおんいましめあり、うちのきんじゆしやをばゐんよりいましめらるるあひだ、じやうげおそれをののいて、やすいこころもせず、ただしんえんにのぞんで、はくひようをふむにおなじ。しゆしやうしやうくわうふしのおんあひだに、なにごとのおんへだてかあるなれども、おもひのほかのことどもおほかりけり。

これもよげうきにおよんで、ひとけうあくをさきとするゆゑなり。しゆしやう、ゐんのおほせをつねはまうしかへさせおはしましけるなかに、ひとじぼくをおどろかし、よもつておほきにかたぶけまうすことありけり。ここんゑのゐんのきさき、たいくわうたいこうぐうとまうししは、おほひのみかどのうだいじんきんよしこうのおんむすめなり。せんていにおくれたてまつらせたまひてのちは、ここのへのほか、このゑかはらのごしよにぞうつりすませたまひける。さきのきさいのみやにて、かすかなるおんありさまにてわたらせたまひしが、えいりやくのころほひは、おんとしにじふにさんにもやならせましましけん、おんさかりもすこしすぎさせおはしますほどなり。されども、てんがだいいちのびじんのきこえましましければ、しゆしやういろにのみそめるおんこころにて、ひそかにかうりよくしにぜうじて、ぐわいきうにひきもとめしむるにおよんで、このおほみやのごしよへ、ひそかにごえんしよあり。

おほみやあへてきこしめしもいれず。さればひたすらはやほにあらはれて、きさきごじゆだいあるべきよし、うだいじんげにせんじをくださる。このことてんがにおいてことなるしようじなれば、くぎやうせんぎあつて、おのおのいけんをいふ。「まづいてうのせんじようをとぶらふに、しんだんのそくてんくわうごうは、たうのたいそうのきさき、かうそうくわうていのけいぼなり。たいそうほうぎよののち、かうそうのきさきにたちたまふことあり。それはいてうのせんぎたるうへ、べつだんのことなり。しかれどもわがてうには、じんむてんわうよりこのかたにんわうしちじふよだいにいたるまで、いまだにだいのきさきにたたせたまふれいをきかず」としよきやういちどうにうつたへまうされたりければ、しやうくわうもしかるべからざるよし、こしらへまうさせたまへども、しゆしやうおほせなりけるは、「てんしにぶもなし。われじふぜんのかいこうによつて、いまばんじようのほうゐをたもつ。これほどのことなどかえいりよにまかせざるべき」とて、やがてごじゆだいのひ、せんげせられけるうへは、しやうくわうもちからおよばせたまはず。おほみやかくときこしめされけるより、おんなみだにしづませおはします。

せんていにおくれまゐらせにしきうじゆのあきのはじめ、おなじのばらのつゆともきえ、いへをもいでよをものがれたりせば、いまかかるうきみみをばきかざらましとぞ、おんなげきありける。ちちのおとどこしらへまうさせたまひけるは、「よにしたがはざるをもつてきやうじんとすとみえたり。すでにぜうめいをくださる。しさいをまうすにところなし。ただすみやかにまゐらせたまふべきなり。もしわうじごたんじやうありて、きみもこくもといはれ、ぐらうもぐわいそとあふがるべきずゐさうにてもやさふらふらん。これひとへにぐらうをたすけさせましますごかうかうのおんいたりなるべし」と、やうやうにこしらへまうさせたまへども、おんぺんじもなかりけり。おほみやそのころなにとなきおんてならひのついでに、

 うきふしにしづみもやらでかはたけのよにためしなきなをやながさむ W004

よにはいかにしてもれけるやらん、あはれにやさしきためしにぞひとびとまうしあはれける。すでにごじゆだいのひにもなりしかば、ちちのおとど、ぐぶのかんだちめ、しゆつしやのぎしきなど、こころことにだしたてまゐらつさせたまひけり。おほみやものうきおんいでたちなれば、とみにもたてまつらず、はるかによふけ、さよもなかばになりてのち、おんくるまにたすけのせられさせたまひけり。ごじゆだいののちは、れいけいでんにぞましましける。さればひたすらあさまつりごとをすすめまうさせたまふおんさまなり。かのししんでんのくわうきよには、げんじやうのしやうじをたてられたり。いいん、ていごりん、ぐせいなん、たいこうばう、ろくりせんせい、りせき、しば、てなが、あしなが、むまがたのしやうじ、おにのま、りしやうぐんがすがたをさながらうつせるしやうじもあり。をはりのかみをののたうふうが、しつくわいげんじやうのしやうじとかけるも、ことわりとぞみえし。かのせいりやうでんのぐわとのみしやうじには、むかしかなをかがかきたりしゑんざんのありあけのつきもありとかや。こゐんのいまだえうしゆにてましませしそのかみ、なにとなきおんてまさぐりのついでに、かきくもらかさせたまひたりしが、ありしながらにすこしもたがはせたまはぬをごらんじて、せんていのむかしもやおんこひしうおぼしめされけん、

 おもひきやうきみながらにめぐりきておなじくもゐのつきをみむとは W005

そのあひだのおんなからひ、いひしらずあはれにやさしきおんことなり。

 

8 額打論(がくうちろん)

さるほどに、永万元年のはるのころより、しゆしやうごふよのおんことときこえさせたまひしが、おなじきなつのはじめにもなりしかば、ことのほかにおもらせたまふ。これによつて、おほくらのたいふいきのかねもりがむすめのはらに、こんじやういちのみやのにさいにならせたまふがましましけるを、たいしにたてまゐらさせたまふべしときこえしほどに、おなじきろくぐわつにじふごにち、にはかにしんわうのせんじかうぶらせたまふ。やがてそのよじゆぜんありしかば、てんがなにとなうあわてたるさまなりけり。そのときのいうしよくのひとびとまうしあはれけるは、まづほんてうに、とうたいのれいをたづぬるに、清和天皇九歳にして、文徳天皇のおんゆづりをうけさせたまふ。それはかのしうくたんのせいわうにかはり、なんめんにして、いちじつばんきのまつりごとををさめたまひしになぞらへて、ぐわいそちうじんこう、えうしゆをふちしたまへり。これぞせつしやうのはじめなる。とばのゐんごさい、こんゑのゐんさんざいにてせんそあり。かれをこそ、いつしかなれとまうししに、これはにさいにならせたまふ。せんれいなし。ものさわがしともおろかなり。さるほどに、おなじきしちぐわつにじふしちにち、しやうくわうつひにほうぎよなりぬ。おんとしにじふさん。つぼめるはなのちれるがごとし。たまのすだれ、にしきのちやうのうち、みなおんなみだにむせばせおはします。やがてそのよ、かうりうじのうしとら、れんだいののおく、ふなをかやまにをさめたてまつる。ごさうそうのよ、えんりやくこうぶくりやうじのだいしゆ、がくうちろんといふことをしいだして、たがひにらうぜきにおよぶ。いつてんのきみほうぎよなつてのち、ごむしよへわたしたてまつるときのさほふは、なんぼくにきやうのだいしゆ、ことごとくぐぶして、ごむしよのめぐりに、わがてらでらのがくをうつことありけり。まづしやうむてんわうのごぐわん、あらそふべきてらなければ、とうだいじのがくをうつ。つぎにたんかいこうのごぐわんとてこうぶくじのがくをうつ。ほくきやうには、こうぶくじにむかへて、えんりやくじのがくをうつ。つぎにてんむてんわうのごぐわん、けうだいくわしやう、ちしようだいしのさうさうとてをんじやうじのがくをうつ。しかるを、さんもんのだいしゆ、いかがおもひけん、せんれいをそむいて、とうだいじのつぎ、こうぶくじのうへに、えんりやくじのがくをうつあひだ、なんとのだいしゆ、とやせまし、かうやせましと、せんぎするところに、ここにこうぶくじのさいこんだうじゆ、くわんおんばう、せいしばうとて、きこえたるだいあくそうににんありけり。くわんおんばうはくろいとをどしのはらまきに、しらえのなぎなた、くきみじかにとり、せいしばうはもよぎをどしのよろひき、こくしつのおほだちもつて、ににんつとはしりいで、えんりやくじのがくをきつておとし、さんざんにうちわり、「うれしやみづ、なるはたきのみづ、ひはてるとも、たえずとうたへ」とはやしつつ、なんとのしゆとのなかへぞいりにける。

9 清水寺炎上(きよみづでらえんしやう)

山門の大衆(だいしゆ)、らうぜきをいたさばてむかひすべきところに、こころぶかうねらふかたもやありけん、ひとことばもいださず。みかどかくれさせたまひてのちは、こころなきさうもくまでも、みなうれへたるいろにこそあるべきに、このさうどうのあさましさにたかきもいやしきも、きもたましひをうしなつて、しはうへみなたいさんす。おなじきにじふくにちのうまのこくばかり、山門の大衆おびたたしうげらくすときこえしかば、ぶし、検非違使、にしざかもとにゆきむかつてふせぎけれども、ことともせず、おしやぶつてらんにふす。またなにもののまうしいだしたりけるやらん、「いちゐん、さんもんのだいしゆにおほせて、へいけつゐたうせらるべし」ときこえしかば、ぐんびやうだいりにP81さんじてしはうのぢんどうをかためてけいごす。へいじのいちるゐみな六波羅にはせあつまる。いちゐんもいそぎ六波羅へごかうなる。清盛こうそのーときはいまだだいなごんのうだいしやうにておはしけるが、おほきにおそれさわがれけり。こまつどの、「なにによつて、ただいまさるおんことさふらふべき」としづめまうされけれども、つはものどもさわぎののしることおびたたし。されどもさんもんのだいしゆ六波羅へはよせずして、そぞろなるせいすゐじにおしよせて、ぶつかくそうばういちうものこさずみなやきはらふ。これはさんぬるごさうそうのよのくわいけいのはぢをきよめんがためとぞきこえし。せいすゐじはこうぶくじのまつじたるによつてなり。せいすゐじやけたりけるあした、「くわんおんくわけうへんじやうちはいかに」と、ふだにかいて、だいもんのまへにぞたてたりける。つぎのひまた、「りやくこふふしぎちからおよばず」と、かへしのふだをぞうつたりける。しゆとかへりのぼりければ、いちゐんもいそぎ六波羅よりくわんぎよなる。しげもりのきやうばかりぞ、おんおくりにはまゐられける。ちちのきやうはまゐられず。なほようじんのためかとぞみえし。しげもりのきやう、おんおくりよりかへられたりければ、ちちのだいなごんのたまひけるは、「さてもいちゐんのごかうこそおほきにおそれおぼゆれ。かねてもおぼしめしより、おほせらるるむねのあればこそ、かうはきこゆらめ。それにもなほうちとけたまふまじ」とのたまへば、しげもりのきやうまうされけるは、「このことゆめゆめおんけしきにも、おんことばにもいださせたまふべからず。ひとにこころつけがほに、なかなかあしきおんことなり。これにつけても、よくよくえいりよにそむかせたまはで、ひとのためにおんなさけをほどこさせましまさば、しんめいさんぽうかごあるべし。さらんにとつては、おんみのおそれさふらふまじ」とてたたれければ、「しげもりのきやうはゆゆしうおほやうなるものかな」とぞ、ちちのきやうものたまひける。いちゐんくわんぎよののち、ごぜんにうとからぬきんじゆしやたち、あまたさぶらはれけるに、「さてもふしぎのことをまうしいだしたるものかな。つゆもおぼしめしよらぬものを」とおほせければ、ゐんぢうのきりものにさいくわうほふしといふものあり。をりふしごぜんちかうさぶらひけるが、すすみいでて、「てんにくちなし、にんをもつていはせよとまうす。へいけもつてのほかにくわぶんにさふらふあひだ、てんのおんぱからひにや」とぞまうしける。ひとびと、「このことよしなし。かべにみみあり。おそろしおそろし」とぞ、おのおのささやきあはれける。

 

10 東宮立(とうぐうだち)

さるほどに、そのとしはりやうあんなりければ、ごけいだいじやうゑもおこなはれず。けんしゆんもんゐん、そのーときはいまだひがしのおんかたとまうしける。そのおんはらに、いちゐんのみやのごさいにならせたまふのましましけるを、たいしにたてまゐらさせたまふべしときこえしほどに、おなじきじふにんぐわつにじふしにち、にはかにしんわうのせんじかうぶらせたまふ。あくればかいげんありて、にんあんとかうす。おなじきとしのじふぐわつやうかのひ、きよねんしんわうのせんじかうぶらせたまひしわうじ、とうさんでうにてとうぐうにたたせたまふ。とうぐうはおんをぢろくさい、しゆしやうはおんをひさんざい、いづれもぜうもくにあひかなはず。ただしくわんわにねんに、いちでうのゐんしちさいにてごそくゐあり。さんでうのゐんじふいつさいにてとうぐうにたたせたまふ。せんれいなきにしもあらず。しゆしやうはにさいにておんゆづりをうけさせたまひて、わづかごさいとまうししにんぐわつじふくにちに、おんくらゐをすべりて、しんゐんとぞまうしける。いまだおんげんぶくもなくして、だいじやうてんわうのそんがうあり。かんかほんてう、これやはじめならん。任安さんねんさんぐわつはつかのひ、しんていだいこくでんにしてごそくゐあり。このきみのくらゐにつかせたまひぬるは、いよいよへいけのえいぐわとぞみえし。こくもけんしゆんもんゐんとまうすは、にふだうしやうこくのきたのかた、はちでうのにゐどののおんいもうとなり。またへいだいなごんときただのきやうとまうすも、このにようゐんのおんせうとなるうへ、うちのごぐわいせきなり。ないげにつけてしつけんのしんとぞみえし。そのころのじよゐじもくとまうすも、ひとへにこのときただのきやうのままなりけり。やうきひがさいはひしとき、やうこくちうがさかえしがごとし。よのおぼえ、ときのきらめでたかりき。にふだうしやうこくてんがのだいせうじをのたまひあはせられければ、ときのひと、へいくわんばくとぞまうしける。

 

11 殿下乗合(てんがののりあひ)

さるほどにかおう元年しちぐわつじふろくにち、いちゐんごしゆつけあり。ごしゆつけののちも、ばんきのまつりごとをしろしめされければ、ゐん、うち、わくかたなし。ゐんぢうにちかうめしつかはれけるくぎやうてんじやうびと、じやうげのほくめんにいたるまで、くわんゐほうろく、みなみにあまるばかりなり。されどもひとのこころのならひにて、なほあきたらで、「あつぱれ、そのひとのうせたらば、そのくにはあきなん。そのひとのほろびたらば、そのくわんにはなりなん」など、うとからぬどちは、よりあひよりあひ、ささやきけり。いちゐんもないないおほせなりけるは、「むかしよりだいだいのてうてきをたひらげたるものおほしといへども、いまだかやうのことはなし。さだもりひでさとがまさかどをうち、らいぎがさだたふむねたふをほろぼし、ぎかがたけひらいへひらをせめたりしにも、けんじやうおこなはれしこと、わづかじゆりやうにはすぎざりき。いま清盛が、かくこころのままにふるまふことこそしかるべからね。これもよすゑになつて、わうぼふのつきぬるゆゑなり」とはおほせなりけれども、ついでなければおんいましめもなし。へいけもまたべつしててうかをうらみたてまつらるることもなかりしに、よのみだれそめけるこんぼんは、いんじかおうにねんじふぐわつじふろくにちに、こまつどののじなん、しんーざんみのちうじやうすけもり、そのときはいまだゑちぜんのかみとて、しやうねんじふさんになられけるが、ゆきははだれにふつたりけり。かれののけしき、まことにおもしろかりければ、わかきさぶらひどもさんじつきばかりめしぐして、れんだいのや、むらさきの、うこんのばばにうちいでてたかどもあまたすゑさせ、うづらひばりをおつたておつたて、ひねもすにかりくらし、はくぼにおよんで六波羅へこそかへられけれ。

そのときのごせつろくはまつどのにてぞましましける。ひがしのとうゐんのごしよより、ごさんだいありけり。いうはうもんよりじゆぎよあるべきにて、ひがしのとうゐんをみなみへ、おほひのみかどをにしへぎよしゆつなるに、すけもりあそん、おほひのみかどゐのくまにて、てんがのぎよしゆつにはなつきにまゐりあふ。おんとものひとども、「なに

ものぞ、らうぜきなり。ぎよしゆつなるに、のりものよりおりさふらへおりさふらへ」といらでけれども、あまりにほこりいさみ、よをよともせざりけるうへ、めしぐしたるさぶらひどもも、みなにじふよりうちのわかものどもなれば、れいぎこつぽふわきまへたるものいちにんもなし。てんがのぎよしゆつともいはず、いつせつげばのれいぎにもおよば

ず、ただかけやぶつてとほらんとするあひだ、くらさはくらし、つやつやだいじやうのにふだうのまごともしらず、またせうせうはしつたれども、そらしらずして、すけもりのあそんをはじめとして、さぶらひどもみなむまよりとつてひきおろし、すこぶるちじよくにおよびけり。すけもりあそん、はふはふ六波羅へかへりおはして、おほぢのしやうこくぜんもんにこのよしうつたへまうされければ、にふだうおほきにいかつて、「たとひてんがなりとも、じやうかいがあたりをばはばかりたまふべきに、さうなうあのおさなきものにち

じよくをあたへられけるこそゐこんのしだいなれ。かかることよりして、ひとにはあざむかるるぞ。このことてんがにおもひしらせたてまつらでは、えこそあるまじけれ。いかに

もしてうらみたてまつらばや」とのたまへば、しげもりのきやうまうされけるは、「これはすこしもくるしうさふらふまじ。よりまさ、みつもとなどまうすげんじどもにあざけられてもさふらはんは、まことにいちもんのちじよくにてもさふらふべし。しげもりがこどもとてさうらはんずるものが、とののぎよしゆつにまゐりあうて、のりものよりおりさふらはぬことこそかへすがへすもびろうにさふらへ」とて、そのときことにあうたるさぶらひども、みなめしよせて、「じこんいごなんぢらよくよくこころうべし。あやまつててんがへぶれいのよしをまうさばやとおもへ」とてこそかへされけれ。

そののちにふだう、こまつどのにはかうとものたまひもあはせずして、かたゐなかのさぶらひの、きはめてこはらかなるがにふだうのおほせよりほか、よにまたおそろしきことなしとおもふものども、なんば、せのををはじめとして、つがふろくじふよにんめしよせて、「らいにじふいちにち、てんがぎよしゆつあるべかんなり。いづくにてもまちうけたてまつり、せんぐみずゐじんどもがもとどりきつて、すけもりがはぢすすげ」とこそのたまひけれ。つはものどもかしこまりうけたまはつてまかりいづ。てんがこれをばゆめにもしろしめされず、しゆしやうみやうねんおんげんぶく、ごかくわんはいくわんのおんさだめのために、しばらくごちよくろにあるべきにて、つねのぎよしゆつよりはひきつくろはせたまひて、こんどはたいけんもんよりじゆぎよあるべきにて、なかのみかどをにしへぎよしゆつなるにゐのくまほりかはのへんにて、六波羅のつはものども、ひたかぶとさんびやくよき、まちうけたてまつり、てんがをなかにとりこめまゐらせて、ぜんごよりいちどに、ときをどつとぞつくりける。せんぐみずゐじんどもが、けふをはれとしやうぞいたるを、あそこにおつかけ、ここにおつつめ、さんざんにりようりやくして、いちいちにみなもとどりをきる。ずゐじんじふにんのうち、みぎのふしやうたけもとがもとどりをもきられてげり。そのなかにとうくらんどのたいふたかのりがもとどりをきるとて、「これはなんぢがもとどりとおもふべからず、しゆのもとどりとおもふべし」と、いひふくめてぞきつてげる。そののちはおんくるまのうちへも、ゆみのはずつきいれなどして、すだれかなぐりおとし、おうしのむながいしりがいきりはなち、かくさんざんにしちらして、よろこびのときをつくり、六波羅へかへりまゐりたれば、にふだう、「しんべうなり」とぞのたまひける。されどもおんくるまぞひには、いなばのさいづかひ、とばのくにひさまるといふをのこ、げらふなれども、さかざかしきものにて、>


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なかのみかどのごしよへくわんぎよなしたてまつる。そくたいのおんそでにておんなみだをおさへさせたまひつつ、くわんぎよのぎしきのあさましさ、まうすもなかなかおろかなり。たいしよくくわん、淡海公のおんことはあげてまうすにおよばず、ちうじんこう、せうぜんこうよりこのかた、せつしやうくわんばくのかかるおんめにあはせたまふこと、いまだうけたまはりおよばず。これこそへいけのあくぎやうのはじめなれ。こまつどのこのよしをききたまひて、おほきにおそれさわがれけり。そのーときゆきむかうたるさぶらひども、みなかんだうせらる。「たとひにふだういかなるふしぎをげぢしたまふといふとも、などしげもりにゆめばかりしらせざりけるぞ。およそはすけもりきくわいなり。せんだんはふたばよりかうばしとこそみえたれ。すでにじふにさんにならんずるものが、いまはれいぎをぞんぢしてこそふるまふべきに、かやうのびろうをげんじて、にふだうのあくみやうをたつ。ふけうのいたり、なんぢひとりにありけり」とて、しばらくいせのくにへおひくださる。されば、このだいしやうをば、きみもしんもぎよかんありけるとぞきこえし。

 

12 鹿谷(ししのたに)

これによつて、しゆしやうおんげんぶくのおんさだめ、そのひはのびさせたまひて、おなじきにじふごにち、ゐんのてんじやうにてぞおんげんぶくのおんさだめはありける。せつしやうどのさてもわたらせたまふべきならねば、おなじきじふにんぐわつここのかのひ、かねせんじをかうぶらせたまひて、おなじきじふしにちだいじやうだいじんにあがらせたまふ。やがておなじきじふしちにち、よろこびまうしのありしかども、よのなかはなほにがにがしうぞみえし。さるほどにことしもくれぬ。かおうもみとせになりにけり。しやうぐわついつかのひ、しゆしやうおんげんぶくあつて、おなじきじふさんにち、てうきんのぎやうがうありけり。ほふわうにようゐんまちうけまゐらさせたまひて、うひかうぶりのおんよそほひ、いかばかりらうたくおぼしめされけん。にふだうしやうこくのおんむすめ、にようごにまゐらせたまふ。おんとしじふごさい、ほふわうおんいうじのぎなり。めうおんゐんどの、そのころはいまだないだいじんのさだいしやうにてましましけるが、だいしやうをじしまうさせたまふことありけり。ときにとくだいじのだいなごんじつていのきやう、そのじんにあひあたりたまふ。またくわざんのゐんのちうなごんかねまさのきやうもしよまうあり。そのほかこなかのみかどのとうぢうなごんかせいのきやうのさんなん、しんだいなごんなりちかのきやうもひらにまうさる。このだいなごんはゐんのごきしよくよかりければ、さまざまのいのりをはじめらる。まづやはたにひやくにんのそうをこめて、しんどくのだいはんにやをしちにちよませられたりけるさいちうに、かはらのだいみやうじんのおんまへなるたちばなのきへ、をとこやまのかたより、やまばとみつとびきたつて、くひあひてぞしににける。はとははちまんだいぼさつのだいいちのししやなり。みやてらにかかるふしぎなしとて、ときのけんぎやう、きやうせいほふいんこのよしだいりへそうもんしたりければ、これただごとにあらず、みうらあるべしとて、じんぎくわんにしてみうらあり。おもきおんつつしみとうらなひまうす。ただしこれはきみのおんつつしみにはあらず、しんかのつつしみとぞまうしける。それにだいなごんおそれをもいたされず、ひるはひとめのしげければ、よなよなほかうにて、なかのみかどからすまるのしゆくしよより、かものかみのやしろへ、ななよつづけてまゐられけり。ななよにまんずるよ、しゆくしよにげかうして、くるしさにすこしまどろみたりけるゆめに、かものかみのやしろへまゐりたるとおぼしくて、ごほうでんのみとおしひらき、ゆゆしうけだかげなるおんこゑにて、

 さくらばなかものかはかぜうらむなよちるをばえこそとどめざりけれ W006

だいなごんこれになほおそれをもいたされず、かものかみのやしろに、ごほうでんのおんうしろなる、すぎのほらにだんをたて、あるひじりをこめて、だぎにのほふをひやくにちおこなはせられけるに、あるときにはかにそらかきくもり、いかづちおびたたしうなつて、かのおほすぎにおちかかり、らいくわもえあがつて、きうちうすでにあやふくみえけるを、みやうどどもわしりあつまりて、これをうちけす。さてかのげほふおこなひけるひじりをつゐしゆつせんとす。「われたうしやにひやくにちさんろうのこころざしあつて、けふはしちじふごにちになる。まつたくいづまじ」とてはたらかず。このよしをしやけよりだいりへそうもんまうしたりければ、ただほふにまかせよと、せんじをくださる。そのーときじんにんしらづゑをもつてかのひじりがうなじをしらげて、いちでうのおほちより、みなみへおつこしてげり。しんはひれいをうけずとまうすに、このだいなごん、ひぶんのだいしやうをいのりまうされければにや、かかるふしぎもいできにけり。そのころのじよゐぢもくとまうすは、ゐん、うちのおんぱからひにもあらず、せつしやうくわんばくのごせいばいにもおよばず、ただいつかうへいけのままにてありければ、とくだいじ、くわざんのゐんもなりたまはず、にふだうしやうこくのちやくなんこまつどの、そのーときはいまだだいなごんのうだいしやうにてましましけるが、ひだんにうつりて、じなんむねもり、ちうなごんにておはせしが、すはいのじやうらふをてうをつして、みぎにくははられけるこそ、まうすはかりもなかりしか。なかにもとくだいじどのは、いちのだいなごんにて、くわそくえいゆう、さいかくいうちやう、けちやくにてましましけるが、へいけのじなんむねもりのきやうに、かかいこえられたまひぬるこそゐこんのしだいなれ。さだめてごしゆつけなどもやあらんずらん」と、ひとびとささやきあはれけれども、とくだいじどのはしばらくよのならんやうをみんとて、だいなごんをじしてろうきよとぞきこえし。しんだいなごんなりちかのきやうののたまひけるは、「とくだいじ、くわざんのゐんにこえられたらんはいかがせん。へいけのじなんむねもりのきやうにかかいこえられぬるこそ、ゐこんのしだいなれ。いかにもしてへいけをほろぼし、ほんまうをとげん」とのたまひけるこそおそろしけれ。ちちのきやうは、このよはひでは、わづかちうなごんまでこそいたられしか。そのばつしにて、くらゐじやうにゐ、くわんだいなごんにへあがつて、たいこくあまたたまはつて、しそく、しよじう、てうおんにほこれり。なにのふそくあつてかかかるこころつかれけん、ひとへにてんまのしよゐとぞみえし。にも越後のちうじやうとて、のぶよりのきやうにどうしんのあひだ、そのーときすでにちうせらるべかりしを、こまつどののやうやうにまうして、くびをつぎたまへり。しかるにそのおんをわすれて、ぐわいじんもなきところに、ひやうぐをととのへ、ぐんびやうをかたらひおき、あさゆふはただいくさかつせんのいとなみのほかは、またたじなしとぞみえたりける。ひんがしやまししのたにといふところは、うしろみゐでらにつづいて、ゆゆしきじやうくわくにてぞありける。それにしゆんくわんそうづのさんざうあり。かれにつねはよりあひよりあひ、へいけほろぼすべきはかりごとをぞめぐらしける。あるよ、ほふわうもごかうなる。こせうなごんにふだうしんせいのしそく、じやうけんほふいんもおんともつかまつらる。

そのよのしゆえんに、このよしをおほせあはせられたりければ、ほふいん、「あなあさまし。ひとあまたうけたまはりさふらひぬ。ただいまもれきこえて、てんがのおんだいじにおよびさふらひなんず」とまうされければ、だいなごんけしきかはつて、さつとたたれけるが、ごぜんにたてられたりけるへいじを、かりぎぬのそでにかけてひきたふされたりけるを、ほふわうえいらんあつて、「あれはいかに」とおほせければ、だいなごんたちかへつて、「へいじたふれさふらひぬ」とぞまうされける。ほふわうもゑつぼにいらせおはしまし、「ものどもまゐつてさるがくつかまつれ」とおほせければ、へいはうぐわんやすよりつとまゐつて、「あああまりにへいじのおほうさふらふに、もてゑひてさふらふ」とまうす。しゆんくわんそうづ、「さてそれをば、いかがつかまつるべきやらん」。さいくわうほふし、「ただくびをとるにはしかじ」とて、へいじのくびをとつてぞいりにける。ほふいん、あまりのあさましさに、つやつやものもまうされず。かへすがへすもおそろしかりしことどもなり。さてよりきのともがらたれたれぞ。あふみのちうじやうにふだうれんじやう、ぞくみやうなりまさ、ほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづ、やましろのかみもとかぬ、しきぶのたいふまさつな、へいはうぐわんやすより、そうはうぐわんのぶふさ、しんへいはうぐわんすけゆき、ぶしにはただのくらんどゆきつなをはじめとして、ほくめんのものどもおほくよりきしてげり。

 

13 鵜川合戦 俊寛沙汰 鵜川軍(しゆんくわんのさた うがはいくさ)

そもそもこのほつしようじのしゆぎやうしゆんくわんそうづとまうすは、きやうごくのげんだいなごんがしゆんのきやうのまご、きでらのほふいんくわんがにはこなりけり。そぶだいなごんは、さしてゆみやとるいへにはあらねども、あまりにはらあしきひとにて、さんでうのぼうもんきやうごくのしゆくしよのまへをば、ひとをもやすくとほされず、つねはちうもんにたたずみ、はをくひしばり、いかつてこそおはしけれ。かかるおそろしきひとのまごなればにや、このしゆんくわんも、そうなれども、こころもたけく、おごれるひとにて、よしなきむほんにもくみしてげるにこそ。しんだいなごんなりちかのきやう、ただのくらんどゆきつなをめして、「こんどごへんをば、いつぱうのたいしやうにたのむなり。

このことしおほせつるものならば、くにをもしやうをもしよまうによるべし。まづゆぶくろのれうに」とて、しろぬのごじつたんおくられたり。あんげんさんねんさんぐわついつかのひ、めうおんゐんどの、だいじやうだいじんにてんじたまへるかはりに、こまつどの、げんだいなごんさだふさのきやうをこえて、ないだいじんになりたまふ。やがてだいきやうおこなはる。だいじんのだいしやうめでたかりき。そんじやにはおほひのみかどのうだいじんつねむねこうとぞきこえし。いちのかみこそせんどなれども、ちちうぢのあくさふのごれい、そのおそれあり。ほくめんはしやうこにはなかりけり。しらかはのゐんのおんとき、はじめおかれてよりこのかた、ゑふどもあまたさふらひけり。ためとし、もりしげ、わらはよりいまいぬまる、せんじゆまるとて、これらはさうなききりものにてぞありける。とばのゐんのおんときも、すゑより、すゑのりふしともに、てうかにめしつかはれてありしが、つねはてんそうするをりもありなんどきこえしかども、これらはみなみのほどをふるまうてこそありしか。

このときのほくめんのともがらは、もつてのほかにくわぶんにて、くぎやうてんじやうびとをもことともせず、げほくめんよりしやうほくめんにあがり、しやうほくめんよりてんじやうのまじはりをゆるさるるものもおほかりけり。かくのみおこなはるるあひだ、おごれるこころどもつきて、よしなきむほんにもくみしてげるにこそ。なかにもこせうなごんにふだうしんせいのもとにめしつかはれけるもろみつ、なりかげといふものあり。もろみつはあはのくにのざいちやう、なりかげはきやうのもの、じゆつこんいやしきげらふなり。こんでいわらは、もしはかくごしやなどにてもやありけん、さかざかしかりしによつて、つねはゐんへもめしつかはれけるが、もろみつはさゑもんのじよう、なりかげはうゑもんのじようとて、ににんいちどにゆきへのじようになりぬ。ひととせしんせいことにあひしとき、ににんともにしゆつけして、さゑもんにふだうさいくわう、うゑもんにふだうさいけいとて、これらはしゆつけののちも、ゐんのみくらあづかりにてぞさふらひける。

かのさいくわうがこにもろたかといふものあり。これもさうなききりものにて、検非違使、ごゐのじやうまでへあがりて、あまつさへあんげん元年じふにんぐわつにじふくにち、つゐなのぢもくに、かがのかみにぞなされける。こくむをおこなふあひだ、ひほふひれいをちやうぎやうし、じんじやぶつじ、けんもんせいけのしやうりやうをもつたうして、さんざんのことどもにてぞありける。たとひせうこうがあとをへだつといふとも、をんびんのまつりごとをおこなふべかりしに、かくこころのままにふるまふあひだ、おなじきにねんのなつのころ、こくしもろたかがおとと、こんどう判官もろつねをかがのもくだいにふせらる。もくだいげちやくのはじめ、こくふのへんにうがはといふやまでらあり。をりふしじそうどもがゆをわかいてあびけるを、らんにふしておひあげ、わがみあび、ざふにんばらおろし、むまあらはせなどしけり。じそういかりをなして、「むかしよりこのところは、くにがたのもののにふぶすることなし。

せんれいにまかせて、すみやかににふぶのあふばうとどめよや」とぞまうしける。「もくだいおほきにいかつて、「せんせんのもくだいは、ふかくでこそいやしまれたれ。たうもくだいにおいては、すべてそのぎあるまじ。ただほふにまかせよ」といふほどこそありけれ、じそうどもはくにがたのものをつゐしゆつせんとす。くにがたのものどもは、ついでをもつてらんにふせんと、うちあひ、はりあひしけるほどに、もくだいもろつねがひざうしけるむまのあしをぞうちをりける。そののちはたがひにきうせんひやうぢやうをたいして、いあひ、きりあひ、すこくたたかふ。よにいりければ、もくだいかなはじとやおもひけんひきしりぞく。そののちたうごくのざいちやうらいつせんよにん、もよほしあつめて、うがはにおしよせ、ばうじやいちうものこさずみなやきはらふ。

鵜川といふは、白山の末寺なり。このことうつたへんとて、すすむらうそうたれたれぞ。ちしやく、がくみやう、ほうだいばう、しやうち、がくおん、とさのあざりぞすすみける。しらやまさんじやはちゐんのだいしゆ、ことごとくおこりあひ、つがふそのせいにせんよにん、おなじきしちぐわつここのかのひのくれがたに、もくだいもろつねがたちちかうこそおしよせたれ。けふはひくれぬ。あすのいくさとさだめて、そのひはよせでゆらへたり。つゆふきむすぶあきかぜは、いむけのそでをひるがへし、くもゐをてらすいなづまは、かぶとのほしをかがやかす。もくだいかなはじとやおもひけん、よにげにしてきやうへのぼる。あくるうのこくにおしよせて、ときをどつとぞつくりける。じやうのうちにはおともせず。ひとをいれてみせければ、「みなおちてさふらふ」とまうす。だいしゆちからおよばでひきしりぞく。さらばさんもんへうつたへんとて、はくさんちうぐうのしんよ、かざりたてまつて、ひえいさんへふりあげたてまつる。おなじきはちぐわつじふににちのうまのこくばかり、はくさんちうぐうのしんよ、すでにひえいさんひがしざかもとにつかせたまふとまうすほどこそありけれ、ほくこくのかたより、いかづちおびたたしくなつて、みやこをさしてなりのぼり、はくせつくだつてちをうづみ、さんじやうらくちうおしなべて、ときはのやまのこずゑまで、みなしろたへにぞなりにける。
 
 

14 願立(がんだて)

だいしゆしんよをば、まらうとのみやへいれたてまつる。まらうととまうすは、はくさんめうりごんげんにておはします。まうせばふしのおんなかなり。まづさたのじやうふはしらず、しやうぜんのおんよろこび、ただこのことにあり。うらしまがこのしつせのまごにあへりしにもすぎ、たいないのもののりやうぜんのちちをみしにもこえたり。さんぜんのしゆとくびすをつぎ、しちしやのじんにんそでをつらねて、じじこくこくのほつせきねん、ごんごだうだんのことどもにてぞさふらひける。さるほどにさんもんのだいしゆ、こくしかがのかみもろたかをるざいにしよせられ、もくだいこんどう判官もろつねをきんごくせらるべきよし、そうもんどどにおよぶといへども、ごさいきよなかりければ、しかるべきくぎやうてんじやうびとは、「あはれとくしてごさいだんあるべきものを。むかしよりさんもんのそしようはたにことなり。おほくらのきやうためふさ、ださいのごんのそつすゑなかのきやうは、さしもてうかにちようしんたりしかども、さんもんのそしようによつてるざいせられたまひにき。いはんやもろたかなどはことのかずにてやはあるべき、しさいにやおよぶべき」とまうしあはれけれども、たいしんはろくをおもんじていさめず、せうしんはつみにおそれてまうさず」といふことなれば、おのおのくちをとぢたまへり。「願立」かもがはのみづ、すごろくのさい、やまぼふし、これぞわがおんこころにかなはぬもの」と、しらかはのゐんもおほせなりけるとかや。とばのゐんのおんときも、ゑちぜんのへいせんじをさんもんへよせられけることは、たうざんをごきゑあさからざるによつてなり。「ひをもつてりとす」とせんげせられてこそ、ゐんぜんをばくだされけれ。さればがうぞつきやうばうのきやうのまうされしは、「さんもんのだいしゆ、ひよしのしんよをぢんどうへふりたてまつて、そしようをいたさば、きみはいかがおんぱからひさうらふべき」とまうされければ、「ほふわう、「げにもさんもんのそしようはもだしがたし」とぞおほせける。いんじかほうにねんさんぐわつふつかのひ、みののかみみなもとの

よしつなのあそん、たうごくしんりふのしやうをたふすあひだ、やまのくぢうしやゑんおうをせつがいす。これによつてひよしのしやし、えんりやくじのじくわん、つがふさんじふよにん、まうしぶみをささげてぢんどうへさんじたるを、ごにでうのくわんばくどの、やまとげんじなかづかさのごんのせふよりはるにおほせて、これをふせがせらるるによりはるがらうどう、やをはなつ。やにはにゐころさるるものはちにん、きずをかうぶるものじふよにん、しやし、しよし、しはうへみなにげさりぬ。これによつてさんもんのじやうかうら、しさいをそうもんのために、おびたたしうげらくすときこえしかば、ぶし、検非違使、にしざかもとにゆきむかつて、みなおつかへす。

さるほどにさんもんには、ごさいだんちちのあひだ、ひよしのしんよをこんぽんちうだうへふりあげたてまつり、そのおんまへにてしんどくのだいはんにやをしちにちよみて、ごにでうのくわんばくどのをじゆそしたてまつる。けちぐわんのだうしには、ちういんほふいん、そのーときはいまだちういんぐぶとまうししが、かうざにのぼりかねうちならし、けいびやくのことばにいはく、「われらがなたねのふたばよりおほしたてたまひしかみたち、ごにでうのくわんばくどのに、かぶらやひとつはなちあてたまへ。だいはちわうじごんげん」とたからかにこそきせいしたりけれ。そのよやがてふしぎのことありけり。

はちわうじのごてんより、かぶらやのこゑいでて、わうじやうをさしてなりてゆくとぞ、ひとのゆめにはみえたりける。そのあしたくわんばくどののごしよのみかうしをあげけるに、ただいまやまよりとつてきたるやうに、つゆにぬれたるしきみひとえだ、たつたりけるこそふしぎなれ。やがてそのよより、ごにでうのくわんばくどの、さんわうのおんとがめとて、おもきおんやまふをうけさせたまひて、うちふさせたまひしかば、ははうへおほとののきたのまんどころ、おほきにおんなげきあつて、おんさまをやつし、いやしきげらふのまねをして、ひよしのやしろへまゐらせたまひて、しちにちしちやがあひだいのりまうさせおはします。まづあらはれてのごりふぐわんには、しばでんがくひやくばん、ひやくばんのひとつもの、けいば、やぶさめ、すまふ、おのおのひやくばん、ひやくざのにんわうかう、ひやくざのやくしかう、いつちやくしゆはんのやくしひやくたい、とうじんのやくしいつたい、ならびにしやか、あみだのぞう、おのおのざうりふくやうせられけり。またごしんぢうにみつのごりふぐわんあり。

おんこころのうちのおんことなれば、ひとこれをば、いかでかしりたてまつるべきに、それになによりもまたふしぎなりけることには、しちやにまんずるよ、はちわうじのおんやしろにいくらもありけるまゐりうどどものなかに、みちのくより、はるばるとのぼつたりけるわらはみこ、やはんばかりににはかにたえいりけり。はるかにかきいだしていのりければ、やがてたつてまひかなづ。ひときどくのおもひをなしてこれをみる。はんじばかりまうてのち、さんわうおりさせたまひて、やうやうのごたくせんこそおそろしけれ。「しゆじやうらたしかにうけたまはれ。おほとののきたのまんどころ、けふしちにち、わがおんまへにこもらせたまひたり。ごりふぐわんみつあり。まづひとつには、こんどてんがのじゆみやうをたすけさせおはしませ。さもさふらはば、おほみやのしたどのにさぶらふもろもろのかたはうどにまじはつて、いつせんにちがあひだ、てうせきみやづかひまうさんとなり。

おほとののきたのまんどころにて、よをよともおぼしめさで、すごさせたまふおんこころにも、こをおもふみちにまよひぬれば、いぶせきことをもわすられて、あさましげなるかたはうどにまじはつて、いつせんにちがあひだ、あさゆふみやづかひまうさんとおほせらるるこそ、まことにあはれにおぼしめせ。ふたつにはおほみやのはしどのより、はちわうじのおんやしろまで、くわいらうつくつてまゐらせんとなり。さんぜんにんのだいしゆ、ふるにもてるにも、しやさんのとき、いたはしうおぼゆるに、くわいらうつくられたらんは、いかにめでたからん。みつにははちわうじのおんやしろにて、ほつけもんだふかうまいにちたいてんなくおこなはすべしとなり。このごりふぐわんどもは、いづれもおろかならねども、せめてはかみふたつは、さなくともありなん。ほつけもんだふかうこそ、いちぢやうあらまほしうはおぼしめせ。

ただし、こんどのそしようは、むげにやすかりぬべきことにてありつるを、ごさいきよなくして、じんにん、みやじいころされ、しゆとおほくきずをかうぶつて、なくなくまゐりてうつたへまうすが、あまりにこころうければ、いかならんよにわするべしともおぼしめさず。そのうへかれらにあたるところのやは、すなはちわくわうすゐじやくのおんはだへにたつたるなり。まことそらごとはこれをみよ」とて、かたぬぎたるをみれば、ひだりのわきのした、おほきなるかはらけのくちほど、うげのいてぞありける。「これがあまりにこころうければ、いかにまうすともしぢうのことはかなふまじ。ほつけもんだふかういちぢやうあるべくは、みとせがいのちをのべてたてまつらん。それをふそくにおぼしめさばちからおよばず」とて、さんわうあがらせたまひけり。ははうへこのごりふぐわんのおんこと、ひとにもかたらせたまはねば、たれもらしぬらんと、すこしもうたがふかたもましまさず。おんこころのうちのことどもを、ありのままにごたくせんありければ、いよいよしんかんにそうて、ことにたつとくおぼしめし、「たとひいちにちへんしとさぶらふとも、ありがたうこそさぶらふべきに、ましてみとせがいのちをのべてたまはらんとおほせらるるこそ、まことにありがたうはさぶらへ」とて、おんなみだをおさへておんげかうありけり。そののちきのくににてんがのりやう、たなかのしやうといふところを、えいたいはちわうじへきしんせらる。さればいまのよにいたるまで、はちわうじのおんやしろにて、ほつけもんだふかう、まいにちたいてんなしとぞうけたまはる。かかりしほどに、ごにでうのくわんばくどのおんやまふかるませたまひて、もとのごとくにならせたまふ。じやうげよろこびあはれしほどに、みとせのすぐるはゆめなれや、えいちやうにねんになりにけり。

ろくぐわつにじふいちにち、またごにでうのくわんばくどの、おんぐしのきはにあしきおんかさいでさせたまひて、うちふさせたまひしが、おなじきにじふしちにち、おんとしさんじふはちにて、つひにかくれさせたまひぬ。おんこころのたけさ、りのつよさ、さしもゆゆしうおはせしかども、まめやかにことのきふにもなりぬれば、おんいのちををしませたまひけり。まことにをしかるべし。しじふにだにみたせたまはで、おほとのにさきだたせたまふこそかなしけれ。かならずちちをさきだつべしといふことはなけれども、しやうじのおきてにしたがふならひ、まんどくゑんまんのせそん、じふぢくきやうのだいじたちも、ちからおよばせたまはぬしだいなり。じひぐそくのさんわう、りもつのはうべんにてましませば、おんとがめなかるべしともおぼえず。

 

15 御輿振(みこしぶり)

さるほどにさんもんには、こくしかがのかみもろたかをるざいにしよせられ、もくだいこんどう判官もろつねをきんごくせらるべきよし、そうもんどどにおよぶといへども、ごさいきよなかりければ、ひよしのさいれいをうちとどめて、あんげんさんねんしんぐわつじふさんにちのたつのいつてんに、じふぜんじごんげん、まらうど、はちわうじ、さんじやのしんよをかざりたてまつて、ぢんどうへふりあげたてまつる。さがりまつ、きれづつみ、かものかはら、ただす、うめただ、やなぎはら、とうぼくゐんのへんに、じんにん、みやじ、しらだいしゆ、せんだうみちみちて、いくらといふかずをしらず。しんよはいちでうをにしへいらせたまふに、ごじんぼうてんにかかやいて、にちぐわつちにおちたまふかとおどろかる。これによつて源平りやうけのたいしやうぐんにおほせて、しはうのぢんどうをかためて、だいしゆふせぐべきよしおほせくださる。へいけにはこまつのないだいじんのさだいしやうしげもりこう、そのせいさんぜんよきにて、おほみやおもてのやうめい、たいけん、いうはう、みつのもんをかためたまふ。おととむねもり、知盛、しげひら、をぢよりもり、のりもり、つねもりなどは、にしみなみのもんをかためたまふ。げんじにはたいだいしゆごのげんざんみよりまさ、らうどうにはわたなべのはぶく、さづくをさきとして、そのせいわづかにさんびやくよき、きたのもん、ぬひどののぢんをかためたまふ。ところはひろし、せいはすくなし、まばらにこそみえたりけれ。だいしゆぶせいたるによつて、きたのもん、ぬひどののぢんよりしんよをいれたてまつらんとするに、よりまさのきやうさるひとにて、いそぎむまよりとんでおり、かぶとをぬぎ、てうづうがひして、しんよをはいしたてまつらる。つはものどももみなかくのごとし。よりまさのきやうより、だいしゆのなかへししやをたてて、いひおくらるるむねあり。そのつかひはわたなべのちやうじつとなふとぞきこえし。となふそのひのしやうぞくには、きちんのひたたれに、こざくらをきにかへしたるよろひきて、しやくどうづくりのたちをはき、にじふしさいたるしらはのやおひ、しげどうのゆみわきにはさみ、かぶとをばぬいで、たかひもにかけ、しんよのおんまへにかしこまつて、

「しばらくしづまられさふらへ。げんざんみどのより、しゆとのおんなかへげんざんみどののまうせとざふらふ」とて、「こんどさんもんのごそしよう、りうんのでうもちろんにさふらふ。ごさいだんちちこそ、よそにてもゐこんにおぼえさうらへ。しんよいれたてまつらんこと、しさいにおよびさふらはず。ただしよりまさぶせいにさふらふ。あけていれたてまつるぢんよりいらせたまひなば、さんもんのだいしゆは、めだりがほしけりなど、きやうわらんべのまうさんこと、ごにちのなんにやさふらはんずらん。あけていれたてまつれば、せんじをそむくににたり。またふせぎたてまつらんとすれば、ねんらいいわう、さんわうにかうべをかたぶけてさふらふみが、けふよりのち、ながくゆみやのみちにわかれさふらひなんず。かれといひ、これといひ、かたがたなんぢのやうにおぼえさふらふ。ひんがしのぢんどうをばこまつどののおほぜいにてかためられてさふらふ。そのぢんよりいらせたまふべうもやさふらふらん」と、いひおくりたりければ、となふがかくいふにふせがれて、じんにん、みやじ、しばらくゆらへたり。わかだいしゆ、あくそうどもは、「なんでふそのぎあるべき。ただこのぢんよりしんよをいれたてまつれや」といふやからおほかりけれども、ここにらうそうのなかに、さんたふいちのせんぎしやときこえしつのりつしやがううん、すすみいでてまうしけるは、「このぎもつともさいはれたり。われらしんよをさきだてまゐらせて、そしようをいたさば、おほぜいのなかをうちやぶりてこそ、こうたいのきこえもあらんずれ。なかんづくこのよりまさのきやうは、ろくそんわうよりこのかた、げんじちやくちやくのしやうとう、ゆみやをとつても、いまだそのふかくをきかず。およそはぶげいにもかぎらず、かだうにもまたすぐれたるをのこなり。ひととせこんゑのゐんございゐのおんとき、たうざのごくわいのありしに、『しんざんのはな』といふだいをいだされたりけるに、ひとびとみなよみわづらはれたりしを、このよりまさのきやう、

 みやまぎのそのこずゑともみえざりしさくらははなにあらはれにけり W007

といふめいかつかまつてぎよかんにあづかるほどのやさおのこに、いかんがときにのぞんでなさけなうちじよくをばあたふべき。ただしんよかきかへしたてまつれや」と、せんぎしたりければ、すせんにんのだいしゆ、せんぢんよりごぢんまで、みなもつとももつともとぞどうじける。さてしんよかきかへしたてまつり、ひんがしのぢんどう、たいけんもんよりいれたてまつらんとしけるに、らうぜきたちまちにいできて、ぶしどもさんざんにいたてまつる。じふぜんじのみこしにも、やどもあまたいたてけり。じんにん、みやじいころされ、しゆとおほくきずをかうぶつて、をめきさけぶこゑはぼんでんまでもきこえ、けんらうぢじんもおどろきたまふらんとぞおぼえける。だいしゆしんよをばぢんどうにふりすてたてまつり、なくなくほんざんへぞかへりのぼりける。

 

16 内裏炎上(だいりえんしやう)

ゆふべにおよんでくらんどのさせうべんかねみつにおほせて、ゐんのてんじやうにて、にはかにくぎやうせんぎありけり。さんぬるほうあんしねんしんぐわつにしんよじゆらくのときは、ざすにおほせて、せきさんのやしろへいれたてまつらる。またほうえんしねんしちぐわつにしんよじゆらくのときは、ぎをんのべつたうにおほせて、ぎをんのやしろへいれたてまつらる。こんどもほうえんのれいたるべしとて、ぎをんのべつたうごんのだいそうづちようけんにおほせ、へいしよくにおよんでぎをんのやしろへいれたてまつらる。しんよにたつところのやをば、じんにんしてこれをぬかせらる。むかしよりさんもんのだいしゆ、しんよをぢんどうへふりたてまつることは、さんぬるえいきうよりこのかた、治承まではろくかどなり。されどもまいどにぶしにおほせてふせがせらるるに、しんよいたてまつることは、これはじめとぞうけたまはる。「れいしんいかりをなせば、さいがいちまたにみつといへり。おそろしおそろし」とぞおのおののたまひあはれける。おなじきじふしにちのやはんばかり、さんもんのだいしゆ、またおびたたしうげらくするときこえしかば、しゆしやうはやちうにえうよにめして、ゐんのごしよほふぢうじどのへぎやうがうなる。ちうぐう、みやみやは、おんくるまにたてまつりて、たしよへぎやうげいありけり。くわんばくどのをはじめたてまつて、だいじやうだいじんいげのけいしやううんかく、われもわれもとぐぶせらる。こまつのおとどは、なほしにやおうてぐぶせらる。ちやくしごんのすけぜうしやうこれもりは、そくたいにひらやなぐひおうてぞまゐられける。およそきんちうのじやうげ、きやうぢうのきせん、さわぎののしることおびたたし。されどもさんもんには、しんよにやたち、じんにんみやじいころされ、しゆとおほくきずをかうぶりたりしかば、おほみやにのみやいげ、かうだう、ちうだう、すべてしよだう、いちうものこさずみなやきはらつて、さんやにまじはるべきよし、さんぜんいちどうにせんぎす。これによつてだいしゆのまうすところ、ほふわうおんぱからひあるべしときこえしほどに、さんもんのじやうかうら、しさいをしゆとにふれんとて、とうざんすときこえしかば、だいしゆにしざかもとにおりくだつて、みなおつかへす。へいだいなごんときただのきやう、そのときはいまださゑもんのかみにておはしけるが、しやうけいにたつ。だいかうだうのにはにさんたふくわいがふして、「しやうけいをとつてひつぱり、しやかぶりをうちおとし、そのみをからめて、みづうみにしづめよ」などぞまうしける。すでにかうとみえしとき、ときただのきやう、だいしゆのなかへししやをたてて、「しばらくしづまられさふらへ。しゆとのおんなかへまうすべきことのさふらふ」とて、ふところよりこすずりたたうがみとりいだし、ひとふでかいてだいしゆのなかへおくらる。これをひらいてみるに、「しゆとのらんあくをいたすは、まえんのしよぎやうなり。めいわうのせいしをくはふるは、ぜんぜいのかごなり」

とこそかかれたれ。これをみて、だいしゆひつぱるにもおよばず、みなもつとももつともとどうじて、たにだににおり、ばうばうへぞいりにける。いつしいつくをもつて、さんたふさんぜんのいきどほりをやすめ、こうしのはぢをものがれたまひけんときただのきやうこそゆゆしけれ。さんもんのだいしゆは、はつかうのみだりがはしきばかりかとおもひぬれば、ことわりをもぞんぢしけりとぞ、ひとびとかんじあはれける。おなじきはつかのひ、くわざんのゐんごんぢうなごんただちかのきやうをしやうけいにて、こくしかがのかみもろたかをけつくわんせられて、おはりのゐどたへながさる。おととこんどう判官もろつねをばきんごくせらる。またさんぬるじふさんにちしんよいたてまつしぶしろくにんごくぢやうせらる。これらはみなこまつどののさぶらひなり。おなじきにじふはちにちのよのいぬのこくばかり、ひぐちとみのこうぢよりひいできたつて、きやうぢうおほくやけにけり。をりふしたつみのかぜはげしくふきければ、おほきなるしやりんのごとくなるほのほが、さんぢやうごちやうをへだてて、いぬゐのかたへすぢかへにとびこえとびこえやけゆけば、おそろしなどもおろかなり。あるひはぐへいしんわうのちぐさどの、あるひはきたののてんじんのこうばいどの、きついつせいのはひまつどの、おにどの、たかまつどの、かもゐどの、とうさんでう、ふゆつぎのおとどのかんゐんどの、せうぜんこうのほりかはどの、これをはじめて、むかしいまのめいしよさんじふよかしよ、くぎやうのいへだにもじふろくかしよまでやけにけり。そのほかてんじやうびと、しよだいぶのいへいへはしるすにおよばず。はてはたいだいにふきつけて、しゆしやくもんよりはじめて、おうでんもん、くわいしやうもん、だいこくでん、ぶらくゐん、しよしはつしやう、あいたんどころ、いちじがうちに、みなくわいじんのちとぞなりにける。いへいへのにつき、だいだいのもんじよ、しつちんまんぽうさながらちりはひとなりぬ。そのあひだのつひえいかばかりぞ。ひとのやけしぬることすひやくにん、ぎうばのたぐひかずをしらず。これただごとにあらず。さんわうのおんとがめとて、ひえいさんより、おほきなるさるどもが、にさんぜんおりくだり、てんでにまつびをともいて、きやうぢうをやくとぞ、ひとのゆめにはみえたりける。だいこくでんはせいわてんわうのぎよう、ぢやうくわんじふはちねんにはじめてやけたりければ、おなじきじふくねんしやうぐわつみつかのひ、やうぜいのゐんのごそくゐはぶらくゐんにてぞありける。ぐわんきやう元年しんぐわつここのかのひ、ことはじめあつて、おなじきにねんじふぐわつやうかのひぞつくりいだされたりける。ごれんぜいのゐんのぎよう、てんきごねんにんぐわつにじふろくにち、またやけにけり。ぢりやくしねんはちぐわつじふしにちに、ことはじめありしかども、いまだつくりもいだされずして、ごれんぜいのゐんほうぎよなりぬ。ごさんでうのゐんのぎよう、えんきうしねんしんぐわつじふごにちにつくりいだされて、ぶんじんしをたてまつり、れいじんがくをそうして、せんかうなしたてまつる。いまはよすゑになつて、くにのちからもみなおとろへたれば、そののちはつひにつくられず。

平家物語 第一巻了



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2000.10.22 Hsato

原テキスト作成 荒山慶一氏

荒山氏のURLは以下の所にある。

平家物語協会(Heike Academy International)
http://www.cometweb.ne.jp/ara/

佐藤弘弥一部改変中