流行り言葉で読む日本の世相(7)「前世」


前世は救いという思想


「前世」という言葉がある。怪しげな占い師や新興宗教の連中が説くあの「前世」である。難しい言 葉で言えば、「輪廻転生」ということになる。本当に、人の魂は、生まれ変わったりするものだろうか。

あのチベットの政治宗教界のトップに位置する法王ダライ・ラマ14世(1935− )も、14回の生まれ変わりを遂げた転生者といわれている。

この「前世」について、奥州平泉中尊寺において出家した瀬戸内寂聴(1922− )さんは心理学者の河合隼雄(1928− )さんとの対談において、「前 世は救いの言葉」と、次のように語る。

私、今「源氏物語」の現代語訳をしていますでしょう。あの時代は何か不幸があると、これは前世 の因縁のためだ、といってすべて前世のせいにしてしまうんです(笑)。つくづくとこれは救いだなと思う。

これに対して対談者の河合さんはこのように付け加える。

そうです。救いですし、身近な人を恨まなくても済みます。・・・」(対談 月刊 現代 96年8月号 「真の極楽人生とは何か」)

なるほどと感心し、すっかり頬が緩んでしまった。前世という概念を思うことによって、効用が生まれるのである。もちろん本当に前世というものがあるという ことは、科学的に証明されていることではない。但し、前世を記憶する子どもたちがいて、この研究を通じて、前世というものを肯定的に考える学者もいること は確かだ。(参考 笠原敏夫訳「前世を記憶する子どもたち」日本教文社 1990年刊 など)

私も、前世というものを必ずしも否定するものではない。前世をあるとみる方が、瀬戸内さんや河合さんではないが、世の中がスムースになるということはある と思う。

例えば、「前世」があると考えると、後輩たちを甘く見ることがなくなる。若い人、赤ちゃんはどうかしれないが、小学生でも立派な目をした人物がいると、ダ ライ・ラマのような転生者かとなって、少しばかり、尊敬の念が生まれたりする。

人間は、歳をとって、世の中の仕組みが分かると、知恵者になった気になる。その実、感性が鈍くなっていることを忘れて、若い人をお説教したりしがちだ。だ が、そんな時、前世というものを思い出すと、心をリニューアルすることができる。そして若い人を侮ったりしないばかりか、歳ばかり食って、偉ぶった人間な どの底の浅さなど、すぐに見抜けるようになる。

西洋でも、前世の考え方は、宗教とは別に、しっかりと受け継がれていて、日本よりも、前世療法などという心理療法も進んでいる。これで実際、心の病なども 治療例があるということだ。一説によれば、キリスト教でも、あの三位一体説が採用されたニケーアの宗教会議(325年)までは、前世の概念が、明確にあっ たそうだ。おそらくは、論理の整合性と倫理の面などから、前世の思想としての輪廻転生説が外されたということであろうか。

前世を信じる考えに、批判がないわけではない。前世があるということは、シンプルに言えば、生まれ変わるということで、こうなると、「死が少しも怖いもの でなくなってしまって、死刑が、極刑でなくなり、社会の規範が緩む」との主張がある。

この「前世」の概念が、さらに拡大解釈されれば、死が救いとなり、3万人を越える自殺者が増えることだってないとはいえない。もちろん、現在、毎年3万人 を越える自殺大国日本の自殺原因と、この「前世」の思想がどのように結び付けるかは不明である。

要するに、どのような思想にも光と影の両面があるということだ。ただ「前世」という思想には、因果を引き継ぐ思想があり、来世においても、前世で撒いた悪 い種は、そこで生長して、自分でその因縁の種子を刈り取るハメに陥るという考えもある。

日本では、仏教普及によって、このあいまいな「前世」の思想というものが、昔から広く受け入れられていることは確かだ。「前世」というものが、あるかない かは、ともかくとして、私のスタンスは、瀬戸内さんや河合さん同様、前世はあった方が、世の中がスムースにゆく、と肯定的に考える立場をとりたい。



2007.6.16 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ