速日神社の復活を祝う


 
 

 ついに2002年7月12日、栗駒町沼倉字桑畑(宮地)の速日神社が、ほぼ百年振りに復活した。
 
写真をみれば、盛り土の上に、けっして大きくはないけれども、速日神社が凛と立っている。その脇には、歴史を感じさせる碑が二基、それに石の天神様の祠(ほこら)一基、また不明の祠一基。台風一過の青空の下に晴れやかに、そそり立っている。周囲には、大きく育った稲が、穂はまだつけないが、青々と風に波打っている。小鳥の声が聞こえるようだ。
 
たった写真一枚から、生き生きとした景色がしみじみと浮かんでくる。人間にとって一番大切なのは想像力だ。思う事。具体的にこうありたい。こうなりたいと思うこと。そして少しづつでもそれに近づくように努力を重ねること。
 
写真を見れば、何だ、このようなものか、と思うだろう。まだ立派ではない。社の屋根を見たって、まだ煉瓦は乗っていない。でも想像力があれば、その背後にある思想というものがどうであるか、すぐに分かるのである。往々にして、人は見た目で、人や建物を判断しがちだ。でも大切なのは、その背後にある思想である。
 
この速日神社が、どのような歴史を持ち、どのような御利益を発揮し、いにしえの人々がどれほど大切にしてきたものなのか、それを知ることは、いにしえの人々の心を未来に伝えることに通じる。人は自分が受け継いだバトンを確実に未来に渡してこそ、「よく生きた」として、自分の内にある神仏に褒められるのである。本当によかった。佐藤
 

 


2002.7.12
 

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