思い出

 
北烏山高源院の蓮 
(2000.7.1 佐藤信行撮影)

蓮の花を見ていると、色々な事が思い出される。 

かつて私はベトナムの寺院に行ったことがある。ホーチミン市から舗装もない道を、3時間余り粗末な小型バスに揺られて、砂煙をもうもうと立てて進んでいくと、密林の中に、黄色の蓮の花を思わせる仏教寺院があった。 

建物は、さすがに旧フランス植民地らしく、どこかに西洋風の趣があった。建物の色は、薄いレモンイエローで、あか抜けた美しさである。寺院の入口の前には、貧しい年老いた村人達が、物乞いをしている。その中に混じって、幼い女の子がやけに明るい笑顔を振りまきながら花を売っている。 

それを「後でね」と軽く制して、私は取りあえず、寺院に入った。整然とした造りの西洋式庭園を抜けると、奥にシンメトリー(左右対称)な造りの本殿が聳えている。本殿は、折から工事の真っ最中だった。私は不思議に思った。 

「こんなに村が貧しいのに何故、寺院だけがこんなに豊かに装飾を施すのだろう」と。 

本殿にある仏像に手を合わせ、回廊を抜けて、右側に折れる。そこには小さな蓮の池があった。季節柄、蓮の花は咲いていなかったが、池の淵には、観音様を思わせる仏像が立ち、それに合わせるように、蓮の池のまん中には、白い童子像が両手を合わせて、観音様に祈り捧げながら立っている。何とも言えぬ不思議な思いがして、何度もカメラのシャッターを押した。 

それから、もう一度、本殿に戻ることにした。畏まりながら、本殿の奥に入ると、黄色い法衣を纏った高僧に、偶然お会いした。会釈をすると、「どちらから?」と聞いてくるので、「日本から参りました」と答えると、「ほうそれはお珍しい。仏のお慈悲がありますように」と手を合わせられた。 

少しばかりのお布施をし、「ありがとうございます。これも何かのご縁だと思います。」と言うと、高僧は、ニヤリとされて、「宿縁ですね」と言われた。 

寺院の工事をしている村人が、高僧を見かけて、丁寧に挨拶をした。その村人向かって高僧は、実に屈託のない微笑みで答えている。いい笑顔だ。この時、さっきの疑問(何故この寺院だけが・・・)が解けた。同時に法華経にある「蓮の花の教え」の意味も少しばかり分かったような気がした。 

まさにこの寺院こそが蓮の花なのだ。けっしてこの寺院と中にいる僧侶たちだけが、贅沢をしている訳ではない。村人にとって、この寺院こそが信仰の深さを現実に確かめる為の心の蓮なのだ。貧しい村にあって、この寺院を美しく存続させておくことは、贅沢ではない。村人の信仰の証そのものではないか。・・・私の心の中で、そんな心地よい声が響き渡っていた。 

寺院を出ると、あの愛らしい笑顔の少女が、人なつっこく寄ってきて、「お花をどうぞ」と言った。私は、不思議なほど素直な気持ちになって、「ありがとう」と言いながら、花を受け取ると、「はい」と多めの代金を払った。少女は、喜んでますます笑顔をほころばながら、私の手を握って、後を追いかけてくる。少女は、バスに乗って、遠ざかるバスに向かって、大きく手を振っている。ずっとずっと手を振り続けている。その瞬間思った。 

「蓮だ。少女もまた蓮だったんだ」と。 

未だかつて、あんなに美しい笑顔で笑う少女は、見たことがない。 

蓮の花咲く季節になると、何故か、私は必ずあのベトナムの寺院のことを思い出してしまうのだ…。寺院も、貧しい村人も、少女も、ベトナムでは、みんな蓮の花に思えた。 

蓮という花は、泥の池に根を生やし、年に一度、花を付ける。多くの人が、この花に魅せられ、心を洗われる。我々は、蓮を観想することによって、仏の心をかいま見ることができる。蓮の観想とは、池に咲く蓮を、端座する仏と観ることである。人はまさに泥の池のように濁った世界に生きている。お世辞にも美しいとは呼べない世界だ。しかしその中でただ一人仏は、慈悲の心を抱き、その泥の世界のただ中に座して、祈っている。やがて祈りが天に通じて、仏は白く輝き出す。あんなに暗かった世界に、慈悲の光が差す。つまり仏は蓮であり、蓮は仏なのだ。 

* * * * * *

 翻って、現代の日本を見る。驚くほどに文明は発達した。遠く離れた者同士が、携帯電話という魔法の装置によって、会話が可能となった。しかし本当に心を通じ合っていると言える友が、あなたに何人いるだろうか。文明によってもたらされた物質的な豊かさは、一方では心の貧しさを生み出す装置と化していることに日本人は一刻も早く気づくべきだ。
佐藤 
 


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2000.7.6