小笹寿司の箸袋

箸袋の秘密


またまた小笹ネタである。

情けないことだが、小笹のオヤジさんが、何故あれほど、箸袋にこだわっているのか、小笹に十年 通っているのに、何も分からなかった。

昨日、箸袋から、割り箸を取り出すと、内ポケットに入れて、

「オヤジさん、これもらいますよ」と言うと、

「どうしなすった、今さら?」

「いや、安田先生の書いたものを、改めて拝ませてもらおうと、思っているんですよ」

すると、オヤジさんは、にやっとして、

「やっと、気づいたって訳かい」

「いや、確かに無知でした。何も分かっていなかったですね。そりゃー、安田靭彦(やすだゆきひ こ)先生の名前は知っていました。しかしどれほどの才能の人か、まったく分かりませんでした。あの人は、紛れもない天才だ。それもピカソ級のとびっきり の。」

「ホーそうかい・・・」

「実は安田先生の15歳の時の絵を見てしまったんですよ。それが吉野で義経から鎧と甲(かぶ と)をもらう場面なんですが、これがすごい。後ろに仏像を配しているんですが、場面を大きな柱で途中からばっさり切ってある。実に大胆な構図だ。とても 15歳の少年が書いた絵じゃない。ピカソの少年時代の絵を彷彿とさせるような迫力がある。そんな天才の書いた箸袋を改めてじっくり拝見させてもらいたいん ですよ。安田先生とはどんな人でした?」

「安田先生は、仏さまのような人だったな。物静かで、あまりおしゃべりはしない人だ」

それでやっと、オヤジさんが、箸袋をぞんざいに扱う人間を、叱りつけることの意味が飲み込め た。

いつもオヤジさんの頑固はこんな風に始まる。

「うちに来たら、まず箸袋から、箸をだして、その箸袋を横に置きなさい。そしてしょう油は、少 し。ほんの少しでいい。いいね」と頑固な目でにらむ。それ以外一切理屈は、言わない。それを知らない人からみれば、「何であのオヤジさんは、あんなに頑固 なの?」ということになる。小笹のオヤジさんの頑固さというものは、寿司という江戸前の文化を自分が背負っているという自覚であり、小笹という名店を、安 田靭彦さんのようなすばらしい人物たちと、形作ってきたという自負なのだ。しかしそれは、鼻高々になって、そっくり返っているような気持ちからではない。 本当に分かる人たちが、安心して集まってくれる人生の場のようなものとして、小笹を位置づけているからだろうと、私は思う。

* * * *

家に帰ってから、胸の内ポケットに入れた箸袋を取り出して、しみじみとその「小笹寿し」と さりげなく書いてある字を見た。確か以前オヤジさんから、「これは安田先生が、寿しという字を春に見立てて、崩したものだよ」と聞いたことを思い出した。 なるほど、寿司は、春のように、常にみずみずしく新鮮でなければ…という訳 か。そう思うと、寿司というものの神髄に触れた気がした

さらにその箸袋を開いてみれば、中には、 しっかりとした筆の字で「屋号考案、邦枝完二、看板その他箸袋文字安田靭彦」と記載されてあった。すると小さな箸袋が、この十年来探していた、宝物に思え てきた…。佐藤弘弥記


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1998.11.12