花田清輝の戯曲
「泥棒論語」批判

2004年九月五日、両国のシアターX(カイ)という劇場で、花田清輝(1909?1974)原作の「泥棒論語」という芝居を観た。演出は、白石征。この「泥棒論語」は花田清輝の処女戯曲。昭和32年(1957)「新劇」誌に掲載され、初演されたものである。

この芝居のテーマは、非常に明確に冒頭のシーンで明かされる。「この時代には泥棒になるか、あるいは乞食(差別語であるは歴史的表記として使用する)になるか、あるいはそれ以外の道はあるか」ということで始まる。この泥棒とは、戦争に通じ、この泥棒の頭目が平安中期瀬戸内海を荒らし回って海賊のよう行為をした藤原純友(〜941)に象徴される。乞食は、何もない「賽の河原早発」(さいのかわらのそうはつ)という「拾い屋」に象徴される。そしてそれ以外の道として、主役の紀貫之(きのつらゆき:868??945)が登場する。

周知のように紀貫之は、古今集の撰者であり、当代一の歌人にして、あの「土佐日記」を書いた作者である。土佐日記は、「男もすなる日記というものを女もしてみんとてするなり」の書き出しで知られる女性に仮託して書かれた旅日記である。したがって作者の花田が、紀貫之に象徴させているものは、女になりすまして、世間を謀(たばかる=だまして)る紀貫之の「手弱女振り」である。

古今集は、万葉集の「益荒男振り」(ますらおぶり)に対して「手弱女振り」(たおやめぶり)の歌集と云われる。前者の「益荒男振り」とは、単純に云えば、「小細工のない男っぽさ」であるとすれば、後者の「手弱女振り」とは、「いささか化粧を施した女っぽさ」とでも云おうか。「手弱女」とは、「たわやめ」とも表記し、若い女房のしなやかな腕のことを指すとも云われる。確かに、若い女房はたちは、細い腕ながら、自分の赤子をしなやかに長時間抱いている光景をみるにつけ、「たおやめぶり」の意味が、何となく伝わってくる。

さて、私は、単純に、万葉集を「益荒男」で古今集を「手弱女」と考える者では必ずしもないが、紀貫之が主人公となって、関東の平将門と相次いで天下の大乱を起こして自滅した藤原純友に諭すように紀貫之が吐いた次のような言葉の中に作者花田清輝の本音を感じるのである。

「迷信であろうが、怨霊であろうが、藤原の世を終わらせたいのであれば、そのようなことを利用して世の中を変えて行けばいいのではないか。」

そもそも古今集のかな序で、紀貫之は、「(和歌は)・・・力を入れずに天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあわれとおもわせ。男女の仲をも和らげ、猛き武士の心も慰めるは歌なり」と云っている。つまり花田は、この歌の持つ力を利用しろと云っていることになる。しかし実際には、現実の暴力の前では、歌というものは、まさに女性の腕のようにか細く弱々しく見えるものだ。しかし柳の枝を見れば分かるように、一見か細く弱々しく見えるものにこそ、無限の力があるということを世間の人は余りにも知らない。紀貫之という男は、現代でいえば高級官僚であった。その高級官僚が、世を儚んでいたかどうは知らない。相当の学問の素養がありながら、最後は従四位木工権頭で終わっているから、素養と家柄からすればあまり出世したとは思えない。むしろ、その頭の良さが、彼の出世を妨げたことも考えられる。

この劇の中で、当初から紀貫之に担わせていた使命とは、平和の世を創るための非暴力の思想というものであろうが、この作為の中に花田という作者自身の暗中模索している姿が浮かんで悲しくなった。というのは、最後(第三幕目)、紀貫之に妙な行動を取らせているからだ。それは、純友にある巻物を渡すのであるが、この巻物には、全国の反体制の者たちの名がズラリと書いてあるというのである。

そして紀貫之は、純友にこのように告げる。
「紀の家は代々朝廷に反抗する者たちを鎮圧する役を負わされてきた。それで全国の反抗する者たちの情報が、わが家には集まって来る。おそらく我が一族の者が、その時は鎮圧に向かうと思われるが、さあ、この書を手に、全国の者と計って、藤原の世を終わらせてはどうか」

これは明らかに反乱をそそのかしているのである。同時に彼は、これと同じものを、藤原氏にも渡そうと思っている。つまり一方で、反乱を煽りながら、一方では反乱を鎮圧する策謀も行っていることになる。ここで、最初のこの劇のテーマが破綻する。泥棒(戦争)でもなく、乞食(平和)でもない、第三の道とは、反権力と権力を抗争に導き、結局は、反権力は破れると思っている紀貫之(花田自身)がいる。結局、こうなると第三の道とは、権力にすがる官僚として傍観する以外にはなくなってしまうのことになる。私はそこで、椅子からコケそうになった。そして「おいおいそこで平和を紡ぎ出そうとする紀貫之の工夫はないのかよ」と思った。

明らかに、ここで一貫していた、テーマの追求は変化した。一を貫く紀貫之は、こうしてどっかへ消えた。私は作品における紀貫之のドンデン返し的混乱は、作者花田自身の時代をどのように変革するかという自問に対する迷いが作品に反映したものであると感じた。この中に、戦中戦後を生きて、あの第二次大戦を止められずに苦悩した花田自身の時代的限界が露呈していると思った。そして結局の所、花田は変革の展望を見いだせないでいたはずである。

この「泥棒論語」は、戦中戦後を通じて社会主義に活路を見つけて、反戦を念じながら巨大な暴力としての戦争を否応なく見過ごしてしまった一人のインテリゲンチャ花田清輝の混乱と無念をそのままを表現したような失敗作であると思う。

この作を、9.11以降、蔓延する暴力社会と化した21世紀の現代において、取り上げ演出した白石征氏には敬意を表するものであるが、第二幕の室津の岬をピークにして、第三幕以降の江口の里のシーンをセリフなども大幅に入れ替えて、9.11以降の時代にマッチしたものに代えても良かったのではないかと思う。

私としては、第三幕以降のドンデン返しは、内容としては到底受け入れがたいものがある。
何故か。この両方に同じ情報を与えるという紀貫之の行為は、権力としての都の藤原氏を利する行為でしかないと思うからだ。花田にはそれが分からないかもしれない。この行為は、ゾルゲ事件で尾崎秀実(おざきほつみ:1901ー1944)を思わせる。周知のように尾崎は、朝日新聞記者として上海にいて、中国研究者として頭角を現し、当時の近衛首相のブレーンとなった。しかし彼は、ゾルゲというソ連のスパイに情報を渡し、1941年ゾルゲ事件に連座して処刑された人物だ。尾崎は花田の八歳年上であったが、ほとんど同世代と言って良い。結局、このドンデン返しの背後にあるものは、混乱した戦中戦後の状況を前にしての花田自身の迷いであり、当時のインテリたちの迷いと思考の限界そのものであった。

どのように考えても、この芝居のレトリック(ドンデン返し)は、見ていて非常にすっきりしないものが心に残る。正直な話、花田の心には、尾崎に通じる心があったのではないかと暗い気持ちになって席を立った。古典になるか消えてしまう作品になるかという検証は、こうした解釈から生まれて来るものだ。残念だが、花田の「泥棒論語」は日本人が否応なく戦争に巻き込まれた昭和という暗い時代を越えて未来に飛翔するだけの力はない。

最後に、花田清輝さんの御霊に云いたい。古今集の手弱女振りでも何でも歌というものは、どちらかと言えば、権力としての朝廷の御世を寿ぐために存在したのが現実ではないだろうか。だから、権力の精神の混乱を攪乱させる権力奪取のツール(道具)でもなければ、思い通りに世の中を動かすための呪法でも呪文でもない。それは生きとし生けるもの感情の発露そのものであり、真実の心と言ってもよい。それこそが、和歌(やまとうた)の精神である。その真実の叫びこそが、結果として、人の心を和らげ、天地(あまつち)、までも動かすのではないだろうか。あなたは、劇中で紀貫之に、「歌とは、不動金縛りの術におちいっている相手の心を、のびのびと解きはなってやるものだから・・・」と言わせているが、ひょとしてあなたこそ時代という「不動金縛りの術」で身動きが取れない状況にあったのではなかったか。少なくても、三幕のドンデン返しのレトリックはまったくいただけない。あなたの中で、社会主義リアリズムがアバンギャルド芸術に看板をすげ代えた所で、歌というものを含む芸術に対する心からの信頼がなければ、芸術は単に右であれ、左であれ、社会や国家のために利用されるプロパガンダになり下がるだけではないだろうか。了

 


2004.9.6

義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ