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ヘンリーミラー美術館の閉館に学べ
 

−故人のハコモノブームあれこれ−


私は最近特に疑問に思うことがある。埼玉の浦和に何故「ジョンレノン博物館」がなければならないのか。また最近では、「黒澤明記念館」が佐賀県の伊万里市に建てられるということで、故人と縁もゆかりもないない場所に何故、このようなものが出来るのか、と大いに疑問を感じていた。特にこの二人は、芸術家として尊敬する人物だけに、私の心の中では大量発生した蝶の群れのようにクエスチョンマークが四方を飛び回っている感じだった。

その矢先、長野の軽井沢に5年ほど前に出来上がった「ヘンリーミラー美術館」が、「赤字続きで、とうとう閉館されることになった」というニュースを聞いて、言葉は悪いが「しょうがないよ。地に着いた計画じゃあなかったんだから」と心底思った。大体活字離れの現代の日本で、ヘンリーミラー(1891−1980)という人物を知っている日本人が何人いるだろう。もちろん彼は20世紀を代表する作家の一人だ。ニューヨーク生まれの放浪作家で「北回帰線」「南回帰線」などが知られている。水彩画家としても少しは名の通った存在だった。しかし日本との接点と言えば、年老いてから、日本人のジャズシンガーホキ・徳田と結婚した位だ。それなのに何故、長野になのか、首をかしげるような開館だった。

「黒澤明記念館」について言えば、計画の主体は、黒澤明文化財団(息子の黒澤久雄が理事長)と佐賀県伊万里市のようでだ。驚くのは、この財団に、黒澤監督を師と仰ぐアメリカのスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、マーチン・スコセッシというそうそうたる映画監督たちが財団理事として、ズラリと名を連ねていることだ。畏るべし、世界の黒澤の威光という感じか。新聞によれば、建設費は、15億円に上ると見られているが、現在集まっているのは、わずか3億5千万円ほどだという。これで本当に大丈夫なの?と首をかしげたくなる。おそらく今のままでは、計画が頓挫してしまう可能性が高い。でも後々のことを考えれば、その方がいいかもしれない。もし仮に、アメリカの名監督たちの口添えによって、世界中から寄附が集まり、完成したとしても、いったいどれほどの人が佐賀県伊万里市にまで行って、世界の黒澤の遺品を見ようと思うだろう。はっきり言ってヘンリーミラー美術館の二の舞になるのは目に見えている。それでも、動き出したプロジェクトというものは、人間の悲しい性(さが)そのもののようでなかなか止まるものではないようだ・・・。

もしも黒澤映画ファンが、故人を偲ぶような場所を造りたければ、黒澤が住んでいた成城辺りに、身の丈程度の記念館からはじめれば良いのではないだろうか。これは素朴な疑問としてある。一般的に、このような大きな計画が、失敗するケースは、土地の手当てや、何から何まで、大がかりになり計画が次第にプロジェクト化し、妄想が妄想を呼んで、ずさんな営業計画の元に、建設業者の利益だけは確保され、後の採算と運営が度外視されて、結局は、採算が合わなかった。そして閉館ということに至るのである。

おそらく伊万里市も、世界の黒澤の記念館が出来れば、壮大な町おこしに結びつくとそろばんを弾いたのだろう。はっきりいえば、日本的な文化振興の駄目さ加減の典型的ケースである。初めは壮大でわくわくするような計画が示され、ハコモノができる。ところが鳴り物入りで造らせたものでも、地域に本質的に合ったものではないから、結局飽きられて、入場者が激減し閉館というパターンだ。

私は、すべての個人美術館、記念館、博物館が悪いとは思わない。しかし造るには大きな条件が二つあると思う。第一点は、少なくてもその個人とハコモノを建設する場所が、浅からぬ縁で結ばれていることだ。第二点は、心からその人物を知っている人物が、その美術館の館長なり、運営する立場に本気で携わっていることだ。

その意味では、私は、小樽の裕次郎記念館と川崎の岡本太郎美術館は、良き成功例だと思う。裕次郎記念館の良さは、その建物が決して大きなものではなく、身の丈サイズに収まっていることだ。そんなに多くの入場者がなくても十分ペイする計算が為されているように感じる。また小樽は裕次郎が、少年の頃住んでいたことがあるという思い出の地であり、先に挙げた条件に合致している。

岡本太郎美術館は、壮大な建物だが、岡本太郎という稀有な天才芸術家のほとんどの作品を一望できるという点ですばらしい。岡本太郎の意志を汲み、市議会では様々な議論があったようだが、川崎市の勇断には心からの拍手を送りたい。川崎は太郎の生まれた町であり条件を満たしている。また館長ではないが理事として太郎の人生のパートナーだった養子の岡本敏子女史(青山にある岡本太郎記念館館長)が就任している点も評価できる。今後とも採算は厳しいとは思うが、日本の文化史美術史上でも貴重な美術館であり、是非とも存続して欲しい美術館である。

黒澤明は、東京生まれの人物であり、その記念館は、当然その周辺であるべきであろう。例えば、住まいである成城か、あるいは御殿場には、別荘もあった地であり、多くの作品のロケも行われた場所でもあり、もしも計画するのであれば、この辺りしかないようにも思われる。しかも黒澤という人物は、映画監督である。映画は、絵画と違って、テレビでだって、その全貌を見ることができる。少なくても私は、黒澤の遺品をを見るため、あるいはもはや絵画コレクターまで注目している絵コンテを見たいからと言って、九州の伊万里市まで、飛んで行こうとは思わぬ。

これでお分かりだろう。如何に尊敬する人物黒澤だって、そこまでして見たいとは思わないのだ。計画と採算に大きなずれがあり、文化的にも、首をかしげたくなる企画としかいえない。そもそももう一度、故人の墓に詣でて、本当に故人が、何をして欲しいというか、もう一度心を開いて考えることが大切だ。

私にとって、黒澤明とジョンレノンは、大好きな芸術家である。ところが、私は、ジョンレノン博物館にも足を運んでいなければ、黒澤明記念館のようなものが、例え御殿場に出来上がったとしても行く気にはなれない。何故なら、彼らの優れた芸術は、彼らの創りだした作品の中にしかないからだ。彼らの精神に触れたければ、その作品を目にし、耳にすればよい。絵画だけはそうはいかないから、私は岡本太郎の美術館には行った。それだけのことだ。まさに「ヘンリーミラー美術館」閉館から学べ、である。佐藤
 

 


2001.10.31

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