「9.11の悲劇」から、もう早5年が過ぎて
しまったのか・・・。あのニューヨークの現場世界貿易センタービルは、「グランド・ゼロ」(爆心地)として、広島の原爆慰霊碑と同じく、世界の負の祈念碑
となった。悲劇から5年目の2006年9月11日、アメリカから世界から2749人の犠牲者の遺族がグランド・ゼロに続々と集まっている。犠牲者の家族の
悲しみは癒えるどころか、ますます深くなっている感じさえ受ける。
それにしても余りに凄まじい暴力であった。ふと視点を中立に置いて考えてみる。いったいあの9.11事件で誰が得
をしたというのだろうか?どのように考えても、あの事件に勝者はいない。同時に敗者もまたいない。そこには、人生の夢や希望を突然中断させられ、無念のう
ちに亡くなった人々の悲しみだけが漂っている。
あれ以来、世界はすっかり変わってしまった。アメリカ市民は、テロがいつ起こるかもしれない恐怖と不安の中で暮ら
さねばならなくなった。一方テロを行使する側の論理はITによって、世界中に喧伝され、テロは自己犠牲の崇高な行為とされるまでに至っている。暴力の連鎖
は、こうして日常茶飯事となってしまった。
私たちは、もう一度あの小さなグランド・ゼロのエリアの中で、3千人近い市民が突然命を絶たれてしまったことを悲
劇として思い起こさなければならない。そして何故にあの日、市民に向けられてテロが行われたのかを考えなければならない。
いまや西洋と中東との対立は、キリスト教圏とイスラム教圏の宗教戦争の様相を呈し始めている。中世の十字軍の熱狂
が、もしも西洋圏で再び巻き起ったら手が付けられない事態だってあるかもしれない。そうなれば黙示録に描かれた9.11以上の災いが市民に降りかかること
になる。やたらと恐怖感を煽ることはしたくない。しかし始まってしまった暴力の連鎖をここで止めるためには、よほど強い気持ちがなかればならない。改めて
あのグランド・ゼロに眠る御霊の冥福を祈らずにはいられない。佐藤弘弥
9.11事件の犠牲者に捧げる6首
あの日から五年目の秋早来ぬとグ
ランド・ゼロ立つ遺族の思いは
何もなきグランド・ゼロに建つといふビルの
未来に幸よ多かれ
テロなき世築くことこそ花としてグランド・
ゼロに捧ぐべきもの
亡くなりし二千七百四拾九の御霊花にぞ埋も
れるゐし今日
勝者などあるべくもなし敗者のみ生み出すテ
ロの連鎖悲しむ
9.11
の犠牲となりし人人に平和の訪れ聞かせる日いつ
2006.9.11 Hsato
義経伝説
思いつきエッセイ