義心によって

高橋富雄先生の句の予見

 
最近義心によって、平泉高館のバイパス問題を考えるホームページを開設した。

 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/6455/index.html

ふと昨年8月28日、平泉の高館において、義経公810年祭が、毛越寺の藤里貫主のお導きで執り行われたことを思い出した。その時、高橋富雄先生から、義経公の御霊と菅原次男氏の努力に対して、次のような句を送っていただいた。

         ”夏草は今も昔の夢の跡”

正直この句をいただいた時、先生は何をおっしゃっているのだろうと思った。それは、目の前にある高館は、依然として芭蕉さんが「夏草や」と詠われた景観そのままであり、何等変わることのない景勝地の高館であったからだ。それが一年後の今はまるで違う景観に変化しつつあることを知り、この先生の句が予見していたことの意味を知って驚いている。

高館は掛け替えのない場所である。芭蕉さんが平泉にきて一番最初にやってきた場所が高館であった。なぜ芭蕉さんが、高館にやってきたかと言えば、ここから見る奥州の山河は格別であるという噂を幾度も幾度も聞いていたからに相違ない。

平泉を見るや否や、芭蕉さんは、キビスを返して出羽に向った。芭蕉さんの平泉という古都を思う思い深さが偲ばる。それほどの景勝地を今、我々は、むざむざ開発とやらの暴挙によって、消滅させようとしている。それでいいのだろうか。平泉に住むみなさん。そして日本全国の古都平泉を愛する皆さん。あなたの自慢の高館が今その文化的価値を損なわれようとしていることを是非知って欲しい。

もしもこのまま30m程しかない高館の真ん前に10数mもあるようなコンクリートのバイパスの陸橋ができたらもう景観は戻りません。それで衣川を超えるのにどのくらいの時間の節約になりますか、一分?それとも2分。バイパスが少しばかり遠回りしてはいけないのか。1分が5分かかっても、いや10分かかっても掛け替えのない高館の景観残すべきではないだろうか。もしも芭蕉さんが、今に生きているとしたらこんな句を詠むかもしれない。

        ”木枯らしや草の根運べ夢跡へ”

この運動のため、私は、現在42首の歌を詠んだ。歌というものの力を信じているためである。その中にこのような歌がある。

”悲しきは夢幻(ゆめまぼろし)のことで事でなく今も進みし景観破壊”

果たして木枯らしは草の根を運んできて掘られた赤土を緑に覆い尽くしてくれるであろうか。佐藤
    


義経伝説ホームへ

義経思いつきエッセイへ

2000.11.10