811年目の義経忌

源義経公の御霊に捧ぐ


 

また奥州に春が巡って来た
2000年4月30日は
九郎判官源義経公811回目の命日である

文治5年閏4月30日
奥州は平泉高舘の持仏堂に籠もった義経公は
まず妻子を旅立たせて 持仏堂に火を放つと
静かに膝をつき 守り本尊の毘沙門天に祈りを捧げた
少し間があって ふっと息を吐き 小刀を自らの下腹に突き立てる
痛みは一瞬のうちに消え
脳裏に三十一年の生涯が絵巻の如く拡がっていく

幼き日 母常磐と過ごした日々
父の仇平清盛の鋭い眼光
鞍馬寺、修行にあけくれた日々
父の汚名を濯ぎ 平家追討を 心に誓った夜
奥州の王藤原秀衡公に請われ 奥州旅立ちをした朝
秀衡公との出会い
その笑顔に亡き父義朝の面影を見た気がした

兄頼朝の旗揚げ
矢も盾もたまらずに 佐藤兄弟らと兄頼朝の許に馳せ参じた
黄瀬川での兄弟初対面での涙
宇治川での初陣
一ノ谷 ひよどり越えの大勝利
屋島では 忠臣佐藤継信を失った
それでも平家を更に追いつめて 都に凱旋をした
壇ノ浦では ついに宿敵平家一門を殲滅し 大願成就
都に戻っては 朝廷より従五位上を賜った
静御前との出会い

運命の反転
梶原の讒言により兄頼朝公の勘気をかった
腰越での屈辱
止む終えず 叛逆の思いが膨らんでいった
西海への退却 大物浦での難破
雪の吉野山の逃避行 佐藤忠信、静との別れ
真冬の北陸路を奥州へ 落ちのびていった
「何度弁慶の機転とその器量に救われたことだろう」

やっとの思いでの奥州への帰還
秀衡との涙の再会
兄頼朝の野望を阻止し
鎌倉の軍勢を奥州で撃破するための戦略を熱く語った夜
次々と栗原の原野に忠臣鈴木兄弟などを配置した館を造営した事
策は完璧に思われた
「これにてよもや鎌倉勢に負けることはない」
しかしその矢先 後盾の秀衡公の急逝した

孤立無援
自らの運命を悟り 腹をくくった夜
侍としての死に様を強く意識した事
最後の最後まで 力を振り絞り
いよいよの時は 自らの意志を以て 雄々しく自刃する覚悟
切腹の作法の反復
そして その時は今

既に自らの発願が実現した今 何も思い残すことはない
すでに多くの精霊が 義経公を極楽へ誘わんとして 周囲に集まっている。
その中に藤原秀衡らしき人物がいるのを義経公は はっきりと感じた
父義朝らしき影も意識した
佐藤継信も忠信もいる
義経公は、腹を十文字に切り裂いて 大きく腹を開き
生涯を通して、そばにいてくれた爺の兼房に感謝の黙礼をし
自らの首を刎ねるように促した
そこまで火は迫っている

もやは義経公の心には幸も不幸もない
ただ賢明に生き 思いを遂げてあの世へ行く心地良さだけがあった
兼房は 一瞬の躊躇を見せたが
「時を逃すな」という義経公の鋭い声に
侍心(さぶらいごころ)を取り戻し
一刀の許に主君の御首を介錯仕ったのであった

義経公は 我々の心の中に生きている
義経公は その潔いよき自刃により 永遠の命を得た
人生生き抜くだけが 能ではない
死によって かえって生を得ることもある
桜花が その散り際の見事さによって好まれるごとく
義経公の三十一年の人生は そのことのよき証だ

 仏には桜の花を奉れわが後の世を人弔はば 
 
 花手折る義経忌には是非もなく桜花一輪弔はば花
 


義経伝説ホームへ

2000.4.30