「電力危機」ではなく「原子力の危機」 

-原発行政の転換点-


今の日本はどこかおかしい。昨年8月の原子力発電所のトラブル隠しから、東電が保有する原子炉17基のうち、15基が停止状態にあるという。つまり稼働しているのは、新潟柏崎原発の原子炉の2基だけである。何とも異常な状況で、世の中は、これを「電力危機」と呼んでいる。

しかしこれを「電力危機」と呼んでいいものか。私はこれは問題のすり替えではないかと考える。いきなり本質論議に入るなら、これは、国が進めてきた原子力に頼る行政の失態であり、「トラブル隠し」というような問題ではない。問題を矮小化するにもほどがあるというものだ。

日本の政治家官僚の原子力発電へ思いは、私から見れば、偏愛に近いものがあった。原爆による被害を受けた唯一の国であるにも関わらず、技術は危険な原子力も必ず、安全な方向に行く、というある種の信仰にも似た思考が常に働いていた。これは吉本隆明のような楽観的な左翼思想家の中にも見られた考えだった。結局、その時、これに反対する人々は、「原子力がそれほど安全というなら大都市の東京に原発を造ればいいではないか」と言った。

確かに原発は、地方の過疎の町が引き受けざるを得なかった事情がある。地方は、危険を承知で、先祖伝来の土地を、都会であぶくのように消費される電気を作っては大都市に供給し続けてきた。僅かな補助金を過疎化した町の活性化資金にしようとして結果だ。時には誘致話の段階で、町全体が、賛成反対派に分かれ、不毛な誘致の賛否の議論に傷つけ合うことも方々の地方で現実に起こった。それでも素直な日本人は、国が進める政策を金科玉条のようにして守ってきた。何とも身につまされるような話だ。

ところが、歴史というものが「原子力」そのものの安全性を完膚無きまでに否定していった。世界の人々は、スリーマイル島事故(1979年アメリカ)やチェルノブイリ事故(1986年旧ソ連)で、原子力発電というものの危険な本質を認識していったのである。それからというもの、フランスやドイツなど世界の名だたる先進国が、自国の原子力に対するスタンスを積極から中立に、そして90年代に入ると、原子力離れに転換してゆく。ところがそんな世界の流れを余所に我が日本だけは、相変わらずの原子力偏重のスタンスをとってきた。これがそもそもの間違いであった。

昨夏の東電のトラブル隠しは、こうした中で起こったのである。まあ事故は起こるべくして起きたというべきだ。しかしながら、日本のマスコミは、相変わらず、「電力危機」としてこの問題を報道し、「国の原子力偏重」のスタンスが間違っていたとは指摘しない。今度はテレビで、天気予報ならぬ電力予報のような番組を考えているようだが、問題は、これからの電力供給源をどのように分散化しながら確保し、安定的に供給するかということにある。

さて21世紀の地球に住む人間にとって、大きなキーワードひとつに「環境」ということがある。地球は、微妙な生態系のバランスによって成り立っている小さな惑星である。環境をキーワードにして考えるなら、原子力という技術は、エネルギー効率からいって魅力のある技術ではあるが、何と言っても放射能の固形廃棄物が処理不能で残ってしまうという大きな問題がある。廃棄物が分解できず危険な物質として地球のどこかに残るのであれば、これを電力エネルギーの中心的供給源とすることは、絶対に避けるべきである。今、日本の固体廃棄物は、ドラム缶に積み込まれて、青森県六ヶ所村にある貯蔵庫に運ばれることになっている。

しかし考えてもみよう。六ヶ所村は、風光明媚で長閑な東北の寒村だった。しかし今や放射性廃棄物の埋設センターとなっている。読者のふるさとがもしも仮に、「六ヶ所村が一杯になったから、新たな埋蔵センターとしてお願いしたい」と国から言われたとする。さてあなたはどうするか。国の政策だからと受け入れるか。過疎の田舎を活性化する手だてとして受け入れるか。それとも「環境」という大きなキーワードから考えて「ノー」と言うのか。あえて私の意見を言えば、絶対にそんなことは許さない。大反対だ。

昨今の「電力危機」は、実は電力危機などではない。我々は、これを機に「日本の原子力偏重の政策」の転換点として捉え直すことが肝心である。もちろん政策転換のキーワードは「環境」である。環境から考えて、都市部の昼夜を問わない無駄な電力消費は、戒められなければならない。限られたエネルギーを、効率よく使うような、発想の転換が必要になる。その時にこそ初めて、電力予報は、生きてくるであろう。佐藤

 


20036.26
 

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