石原都知事の英断!?

 
 

石原東京都知事が突然言い出した銀行に対する外形標準課税が物議を醸している。

政府は大慌てで「国に相談がなかった」とまず越智通雄金融再生委員長が石原知事の提言に露骨な不快感を示した。宮沢大蔵大臣も「国の方針と整合性がない」、と一喝した。ところが当の石原知事は「だから駄目なんだ。地方自治と言いながら、いちいち国にお伺いを立ててやることではない。あんなお役人の話なんて聞いちゃおれん」と鼻息を荒くして言った。

確かにいささか強引な感じもするが、あのくらいやらなければ、日本という国が変わることはあり得ない。いつまで経っても官僚が巾を効かせてしまって、国の言いなりになる知事ばかりがでたのでは、地方自治は国の出先機関になってしまう。つい最近だって、大阪で女性知事が誕生したが、女性というだけが新しいが、実は通産省(?)上がりの官僚で、国がやりやすい知事を自自公とやらのトロイカがよってたかって選んだ知事にすぎない。茶番劇。話にならないようなお粗末な話だ。

日本では地方自治と言いながら、知事の経歴をみれば一目瞭然なようにその多くが官僚出身者でしめられている。何故そうなるかと言えば、地方自治も中央省庁との駆け引きがあり、金を多く引っ張って来るためには、中央省庁にいた高級官僚をその座につけた方が有利だという間違った思いこみにある。

その意味でも中央にまつろわぬ石原慎太郎の存在理由は、大いにある。中央に媚びずにどんどんと思い切ったことをやって貰いたいくらいだ。地方のアイデンティティというものは、中央の政策におもねって、雀の涙ほどのおこぼれ資金を貰うことではあるまい。いかにその地方特有の文化を発展させ、中央に負けない程の質の高い文化を地方に実現し、政治プログラム化することである。

石原発言から一週間たった今、小渕内閣の閣僚の中でも、「外形標準課税」に賛成する閣僚が三,四人出てきたようだ。これまで日本は、中央から地方へという流れで当然、という空気があったが、真の地方自治の時代を招来するためには、地方の政策から国の政策になる、という逆の流れがあっても当然なのである。

世論の動きを察知したのか「自民党税調」も、この外形標準課税について、議論を開始するという動きがでている。ともかく石原知事の英断には、大いに拍手を送りたいと思う。佐藤
 


義経伝説ホームへ

2000.2.16