永訣の月
プロジェクトT

−新たな義経伝説への飛翔−

こみ上ぐる瞼に浮かぶ熱きもの覚らせぬまま高館を往く

永訣の月
村山直儀作
(部分−義経公と北上川)
(油彩・カンヴァス・90.9×72.7)


 
 

村山直儀、新作「永訣の月」インタビュー

村山直儀氏のアトリエに行くと、その人の絵は架けてあった。

村山という創造主に命の灯を吹き込まれたその人は、永遠の若者を象徴するように中央にどっかと腰を下ろしている。

「少し若いという者もいるが、私はこれで良いと思っている」と村山は応えた。

更に村山は語気を強めて言った。
「ねえ、佐藤さん、ミケランジェロのピエタを知っているかね。そう。サンピエトロ大聖堂の中にあって、一度暴漢に手を壊されたこともある十字架から下ろされたキリストを抱くマリアの像だ。当時、マリアがいくら何でも若すぎるという非難の声があったそうだ。しかしミケランジェロは、がんとして受け付けなかった。マリアは永遠の処女、つまり若さを象徴しているのだ。結局今、あのピエタの像を若すぎるという人はいない。芸術を常識的な解釈ですべて合理的に判断されたらたまったものではない」

この新作「永訣の月」の着想について、村山はこのように言った。
「今、何故義経なのかってよく聞かれる。今政治でも経済でも日本はひん死の白鳥だ。だけれども、日本の持つポテンシャル(潜在能力)ってこんなものなのかい、ねえ、佐藤さんそうだろう。刀ひとつ、鎧ひとつにしたって、どこの国のものと比べて見ればそれが分かる。日本刀のこの微妙な反りを見てくれよ。中国の青龍刀だっけ、全然美意識が違うだろう。西洋の甲冑と日本の鎧の違いも同じだ。金を叩いて造るのではない。日本の鎧は、絹糸を織り込んだりしているんだよ。それから狩衣、この衣装の柔らかくて優美な造形美といったら世界にも比類のないものだ。

このような素晴らしい工芸品を造れる国がどこにあるというのかね。私はね。佐藤さん金色堂に入った瞬間、これはとてつもないエジプトの黄金文化に通じる何かがあると直感したんだ。だからこの絵にも、日本文化の根底に流れているギラギラした何かを表現しようと思った訳さ。義経という人物は、まさに自信を失いよれよれになっている日本人を奮い立たせる何かがあると思うね。これは確信に近い感覚だ。だから私は、この絵を描いたのだよ。だからこの作品は、日本という国に対する私のメッセージでもある。静に閑かに心は熱く燃えたぎっている義経のエネルギーが日本を変えるよ。きっと。」

これまでの村山の絵には「戦国ロマンシリーズ」という作品があったが、村山は、このように言った。
「流れとしては、戦国ロマンシリーズの流れだが、今、この絵を描いている時の思いは、その時とはまるで違うものがあるね。だって動きがないだろう。戦の天才の義経が、じっと座っている絵だからね。いや私はね、漫画に出てくるような絵を描きたくないわけさ。そりゃー子供の頃には、天狗に剣術習ったり、五条の橋の上で、弁慶と舞を踊るようにひらりひらりとやる義経には憧れたものだけど、今はどのような気持ちで義経は、最期の瞬間を過ごしたのか、そこに興味がある訳でね。内面から溢れるような思いを絵に残したくなったんだよ」

そう言いながら、ひと筆々々に思いを込めて、絵の具をキャンバスに塗り込める村山の額には、細かな汗がにじみ出していた。

最後に村山はこう言って笑った。
「いやね。昨日さ。女房がね。ポツリと”ここに義経さんが居ますね”と言ってさあ、背筋がぞぉーとしたよ」

確かに21世紀の日本には源義経のような個性豊かで、強靱な精神を持った人物が必要だ。もうじきこの歴史的な絵は完成する。

2002.3.3

永訣の月
佐藤 弘弥
この人の目は何を見ているのだろう。
どこか夢見るようなまなざしで、
月明かりに照らし出された北上川をじっと見ている眼の静寂。

この人の耳は何を聞き取ろうとしているのだろう。
開け放たれた窓からは、川のせせらぎに混じって、
やがて忍び寄る雲霞の如き軍勢の足音。

この人の心は何を求めているのだろう。
果たすべき生涯の宿望を遂げ
世に畏るべき才の生まれることを示して、さらに猶。

この人の魂はどこに行こうとしているのだろう。
天上で待つ父の元か、はたまた再び回向して
地上を極楽にせむとする畏るべき執念。

この人にとって奥州とはいったい何だったのだろう。
閑かに命の燃え尽きるを待つこの時にあって
悲しみも不安も深く己の胸の奥に呑み込んで、静謐の極みの高館。

この人にとって愛するとは何だったのだろう。
傍らに眠る幼子と苦節を共にした妻の
寝息を聞きながら、その瞬間を待つ侍の心。

この人にとって友とは誰だったのだろう。
己が命を抛(なげう)ってまでこの人と共に歩もうとする
友たちに囲まれて旅立つ幸せ。

この人にとって戦とは何だったのだろう。
誰も考えも及ばぬ戦の才を振るいつつ
ただ遮二無二思いを遂げようとする強靱なる意志の力。

この人にとって死とはいったい何なのだろう。
命欲しがる者ばかりが跋扈する魑魅魍魎のこの世で
弱き者に、「ほれ」とばかりに己が命を呉れてやろうとする精神の軽妙。

この人にとって生きるとは何だったのだろう。
己が事は全て統べてに抛って、ただ運命の流れるままに
命の灯を燃やす以外に考えぬ自己の道の完成。


「永訣の月」を詠ふ

こころはや早極楽の父の元馳せると云へど吾子ら気にかく
我ら見るこの月光の高館を誰か名残りと後に偲びむ
衣川の水面に映る月影の朧に見えて武者をも泣かす
我が友よ私心を棄てし義に報ふ術無き吾を赦し給ふや
何の殿、君に仕ゑし幾年の苦節も今は面白き夢
誰とても往くに時あり今ここで時を失することのなきよう
衣川今にし見れば我がことをいつも気に掛く母の面影
刻々と時は迫りぬ東の束稲山のみ空白みて
こみ上ぐる瞼に浮かぶ熱きもの覚らせぬまま高館を往く
滔々と流れる河の水音にそぞろ震ゑの訳ならなきに
暗き河照らし出したる金色の月に祈りの蓮華を手向けむ
この蓮は母に手向けむ金色に光る月にぞ託してそっと
金色の月に祈らむ我が命天に抛つ覚悟決めつつ
奥州の山河に月の満てる景、我が生涯の思い出にせむ
嘆くとも無常に時は過ぎゆきて二度と戻らぬ風情のありぬ
吾ひとり高館に居てふり雪ぐ宙の気受けむ我孤に在らず
彼の人の目に何かしら光るもの見ゑきて我も心震ゑぬ
誰か見る景色なるかな今はなき高館の夜の永訣の月
彼の人の眼に月は照り映えてやがて涙の玉となるかも
その昔かの地に命捧げたる男子(おのこ)の思い花や知るらむ
何故ここに現れたるや義経の視線の先に高館の月
畏れ見よ露とも消ゆる命なり消してはならず高館の景
夕暮れて「永訣の月」の村山の祈り届くや高館の空
村山の精魂込めし一作は「永訣の月」、天をも泣かす
ふとふいに額のガラスに浮かびしは高館に消ゆ兵の影
新しき肖像に入る義経の御霊が降らす雨や一日
平安の虚妄の空気一撃に払いし武者は高館に消ゆ
 


2002.3.27
2002.4.22

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