村山直儀が
「永訣の月」に込めた祈り

永訣の月作成中の村山直儀画伯(2002年4月)

 
 「義経公の新しい肖像を描いてくれませんか?」
私は友人を介して、村山直儀氏に云った。
「どうして今義経なのか」村山氏は云った。
「元気のない日本人に日本にもかつて世界に通じる大天才が居たことを証明したい」
すると村山氏は、不敵な笑みを浮かべ特有の大きな瞳を輝かせながら、
「やりましょう」と応えた。

とかく現代の日本人は「和」ばかり考えて、自己主張が下手と云われる。また真似ばかりして創造性がないとも云われる。でも本当にそうだろうか。思うにこれは、徳川300年で行われた精神的去勢の副産物ではないのか。かつて日本人は、もっと勇敢で創造性に富み、大胆であった。縄文土器を見たって分かる。日本刀のあの繊細な造りだって、そこには創造性が漲っているではないか。それがいつの間にか、封建的観念を植え付けられ、「和」が尊いとばかり教育を受けて、このような権威と権力を無批判に「オカミ」として奉る情けない精神風土が出来上がった。

村山直儀という画家には、何か人を惹きつけてやまない強烈な個性がある。今絵画は毒にも薬にもならない小市民のリビングを飾るための画ばかりが蔓延っている。確かな技量を持ち、芸術家としての才能をもった画家もいつの間にか小市民に媚びて駄目になる。本物の芸術家など、世界を見渡しても数えるほどしかいない。

彼の戦国シリーズを見たことがある。戦場で命をやり取りする人間の凄まじい内面の葛藤が、画面いっぱいに溢れていて驚いたものだ。彼は美しい女性の肖像を描くことで最近富みに有名になっているが、私は人間の情念を描かせたら、彼の右にでる画家は見あたらないと思っている。私の中では、彼は美人の肖像を描くというよりは、人間の魂を描くことに人並み外れた才能を持つ画家なのだ。

彼は10年ほど前に、スペインのある著名なフラメンコダンサーを描いたことがある。そのけっして若くはないダンサーがリアルにしかもその内面の情念までもが余すところなく描かれていた。その眉間に寄せた皺の一本一本、くねらせた腰つきの妖しげな魅力はセクシーを越えて一種の醜悪さすら感じさせていた。

本来、美とは美しくさえ描けば表現できるものではない。芸術における美とは、人間の一皮むけば、直ぐさま現れるドクロや内蔵をえぐり出せばどんな美人でも宿便がトグロを巻いていることを知った上で、紡ぎ出される醜と美の探究に他ならない。私は村山が渾身を込めて描いた作品を目の当たりにする時、そら怖ろしくなる。魂の奥底が、激しく揺さぶられるような感じを受けるのだ。

最新作「永訣の月」も、まさにそんな作品だ。普段そんなことは絶対に云わないはずの村山氏の美しい奥様が、この画の完成が近づいた時、「このアトリエに義経さんが来ているね」と真顔で云ったそうだ。当の村山氏は、その言葉に背筋が凍って、しばらく動けなかったと真顔で云った。

制作の過程で、私と村山氏は、平泉に行き、中尊寺の「伝義経公肖像」を見た。そこで彼は、「あれでは少し義経公がかわいそうだ。本当の義経公を描く」と決意を語った。それは自信喪失気味の日本人に対する、村山流の叱咤激励であり、もっと創造的であれ、本来の姿に立ち帰れ、との芸術家としての提言だった。

「永訣の月」から溢れ出る美的な緊張感は、見る者を圧倒する。義経公は、泰衡が攻めて来るのを知っていながら、弓も取らずに、じっと待っている。高館に映る月明かりが美しい。義経公の前にある一本の切られた蓮が、まるで逝く人を送るように象徴的に何かを語りかけてくる。そうだ。この画そのものが蓮なのだ。ここには芸術家村山直儀の祈りがある。
佐藤

  暗き河照らし出したる永訣の月に祈りの蓮を手向けむ
 
 

 


2002.7.25
 

義経伝説ホームへ

義経エッセイINDEXへ