ダイアナ現象とは何か?

 
 
 
ロンドンで、ダイアナの葬儀に200万もの人が、駆けつけた。皮肉屋の英国人が、あれほど集まるのだから、ダイアナという人物は、きっとすごいカリスマと業績を残した人に違いない。そう思って彼女の生い立ちから、その死までを追って見ても、私が見る限り、英国王室に嫁入りしたという意外に、取りたてて見るべき物はない。つまりあんなに騒がれるのも、王室に嫁いだからに他ならない。

幼い頃、両親が離婚した家族なんて、現代では当たり前だ。夫に浮気された妻なんて、掃いて捨てるほどいる。次は、お決まりのように寂しさ紛らわすように浮気の常習。そんな弱い女ダイアナの一挙手一投足に興味津々、目を丸くしてタブロイドの下品な大衆紙を読み漁っていたのが、英国の一般大衆だった。彼女が貧しい人のために働いたと言うが、ダイアナは、ボランティア活動に身も心も捧げていた訳ではない。普段は、ケンジントン宮殿に住み、30億の離婚慰謝料を受け取り、次々と新しい恋人を作り、よろしくやっていたことも事実だ。

ともかく200万もの人間が、バッキンガム宮殿周辺に集合し、一人の若い元プリンセスの死を悲しむ姿は異様である。英国人の多くは、あまりに感傷的になりすぎている。これは一種の集団ヒステリーと言ってもいいかもしれない。

例えば、インタビューにでる人間で、一人くらい、「俺はダイアナなんて認めない。かわいそうなのはエリザベス女王だ」という人間がいないほうが、私には不思議なくらいだ。このような一方的な報道も、おそらくマスコミによる一種の世論操作と言えるかもしれない。まっとうな反対意見が、存在してこそ正常である。200万もの人間が、気持ちを一つにするなんて、今どき、ナチスでもあるまいに、ぞっとする気分になる。

かわいそうなのは、エリザベス女王である。彼女には何の落ち度もない。長男と離婚した女が別の男と事故死したからといって、コメントを出さないから冷たいとか、言われるのは何かおかしい。思うに、ダイアナ現象は、マスメディアによって醸し出された一種の幻想なのである。それは真実のダイアナとは、まったく異質な理想化や誇張をも含まれているはずである。確かにダイアナは、その点では、格好の容姿と雰囲気を持った魅力的な女性であったことは事実だ。

ダイアナは、孤独でお人好しな女性だった。だからこそ様々な団体は、よってたかってダイアナを引っ張り込んで、自分たちの活動に権威付けと募金集めに利用した。彼女の最後のボランティアは、地雷キャンペーンの活動であった。みずからボスニアの地雷原を歩き、手足を失った子供たちの前で悲しい顔をしてみせた。それだけで、世界の人々は、地雷の怖さを知ることになる。ダイアナは、アメリカに飛んで、ヒラリー大統領夫人に、地雷禁止条約をアメリカが賛成するように促した。それまでは地雷禁止条約批准に積極的でなかったクリントンも、このダイアナの努力によって考えも変わったようだ。この国際条約の名は、ダイアナ条約になるとも言われている。もしかしたら彼女の最大の功績は、この地雷禁止条約を成立させるきっかけを作ったことになるかもしれない。

突然の死ではあったが、ともかく36歳でダイアナは死んだ。しかし人は、いつかは、死ぬべきものである。死には、王室も大衆もない。多くの人は、死を誤解している。死はある意味では、安らぎでもある。人間としてのダイアナは非常に弱い人物だった。その証拠に、数度の自殺未遂を繰り返したこともある。ある意味では、ダイアナの潜在意識は、すでに死を求めてさまよっていたのまもしれない。彼女は死ぬべくして死んだ。彼女を伝説化してみるような見
方はすべきでない。佐藤
 


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1997.9.8