デフレの深刻化とデフレ楽観論の台頭

−デフレーションの恐怖−


 
今年もまた桜の咲く頃がやってきたが、日本経済の景気の方は一向に良くなる気配がない。日本経済は、完全なデフレ状態と云われるが、昨日、楽観論の思想家吉本隆明が、なにやら「デフレも悪くない」という旨の記事を朝日新聞に書いていた。

内容はほとんど読まなかったが、「デフレ」が庶民にとって、悪い側面ばかりがあるのではない、という考え方は、よく分かる。商品の値段が下がることに反対な消費者というものはいないはずだ、ところが、デフレ経済下では、給料が下がり、失業者が増大することを忘れてはならない。

デフレとは、一般的には「deflation」の訳で、通貨収縮と解される。 広辞苑では、「通貨がその需要量に比して過度に縮小すること。通貨価値が高くなり、物価は下落するが、企業の倒産、失業者の増大など不況や社会不安を伴う」ことと説明している。要するに誰も最悪の事を考えてお金を使おうとしてないので、物の価格が下落して、経済活動が縮小してしまうことを云うのである。

デフレの経済下では、相対的にお金の価値が増し、人々は最悪のことを考えて、貯蓄に精だし、消費をしない傾向がある。それも当然だろう。日本の政治状況を見た時、今の極端に冷え切った景気を浮上させることの出来る政治家がいるとは思えない。デフレ化の傾向が顕著になったことで、物を販売する商売は、極端に悪化の一途を辿っている。ダイエーに象徴されるようなスーパー業界の不振は目を覆うばかりだ。ここに来て、ずっと右肩上がりの成長を遂げてきたコンビニ業界にも、デフレの影響が浸透して、マーケットは縮小傾向になった、と指摘する向きもある。

誰もがサイフのヒモを閉め出したのである。量販店におけるパソコンの販売も頭打ちになり、遂にヨドバシカメラなどは、15%のキャッシュバックという思い切った作戦で、消費者のサイフのヒモを解かせようと躍起になっているが、状況は思ったよりも深刻である。但しサイフのヒモがゆるい世代もある。それは飽食の時代真っ直中の1980年から1985年前後位に生まれた若者達である。彼らの価値観は、「使い捨て」と「食べ残しOK」の社会の中で培われているので、このようなデフレ下の経済においても、消費意欲は、衰えることはない。彼らの強い武器は、「何とかなるさ」という楽観主義と「キャッシング」に対する偏見の無さのように見える。

この前、新宿のイタリアンレストランに入ったのだが、ほとんどが若者であった。この若者達が、かろうじて日本経済のデフレ傾向を薄めてくれているような気もしたが、一方ではこの子らは、デフレ化でも、自分だけは「何とかなるさ」という楽観論に骨まで浸かりきっているような怖さを感じてしまった。

戦後これほどのデフレ的傾向が日本経済を見舞ったことはもちろん初めてである。今のまま、最悪に備える日本人が増殖し続けないとも限らない。怖いのは、政治家が何の手も打てないまま、国民のサイフのヒモを緩められないまま、デフレスパイラルという状況がやってくることだ。このデフレスパイラルとは、企業の生産が極端に減少し、それに伴いサラリーも減少し、消費が減退し、商品の値段が下がる悪循環のことを云うのだが、そんな事にはならない、と明言できるは、楽観論の若者と吉本隆明位なものであろうか。


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2001.3.26