一枚のデッサンをめぐって

 

 

ここに一枚のデッサンがある。

頭を剃り上げた男が怒っている。

ものすごい形相で誰かに罵声を浴びせているようだ・・・。
「ふざけるな。俺の商売の邪魔を仕上がって、ぶっ殺してやる」
そんなことを云っているのかも知れない。
又、浮気をした妻にでも怒りをぶつけているのかも。
様々なことをたった一枚のデッサンが語りかけて来る…。
この絵に見覚えのある人も多いはずだ。

この絵は、1504年、レオナルド・ダ・ヴィンチ52歳の時のデッサンで、「アンギアリの戦い」の図の習作である。この絵は実はフィレンツェの大会議室の壁面(縦7m横17.5m)を飾る為の物で、その反対の壁には、もう一人の天才、ミケランジエロの「カッシナの戦い」が飾られることとなっていた。要するにフィレンツェ共和国の指導者たちは、二人の人類史上屈指の芸術家をその絵で競わせることにより、フィレンツェという国家の偉大さを誇示しようとしたのである。同時にこれは二人の天才にとっても、芸術性を賭けた戦でもあった。

ダ・ヴィンチは、街を彷徨いながら、その中心人物になる人間を必死で探した・・・。

ダ・ヴィンチに絵を依頼したフィレンツェの指導者の注文は、”当面の敵であるミラノという国家に対するフィレンツェの勝利を表現せよ”、というものであった。しかしダ・ヴィンチのモチーフは、「戦争の悲惨さ」であった。彼はあろうことか、戦の勝利が決定的となった後、フィレンツェ兵士がミラノの兵士に向かって大虐殺をする場面を描こうとした。

したがってこのデッサンの男は、馬に乗って今まさに大虐殺をしようとして猛り狂っているフィレンツェ兵士なのである。つまりダ・ヴィンチは、勝利を祝うという注文主の思惑を越えて、いつの間にか戦争を批判する絵を描いてしまったことになる。

一方のミケランジエロも負けてはいなかった。彼の方は、ピサに対するフィレンツェの勝利の絵だったが、風呂に入ってくつろいでいるフィレンツェの兵士が、ピサの兵士の急襲の報を聞いて慌てふためいている兵隊たちの裸体の絵となっている。二人とも通り一遍のアイデアでは、相手に勝利することは出来ないと察していたはずである。

この一枚のデッサンの見事さは、多くの情報を書かずに、大事な部分だけを抜き出して絵としたことだ。もちろんデッサンとは下絵の意味だから、多くのことを書く性格の物でははっきりしている。大事なことは、下絵の時点でこの人物の本質をしっかりと絵に焼き付けることに成功している点だ。

我々が、この絵を観た瞬間に、何か得体の知れない怖さのようなものを感じるのは、ダ・ヴィンチがこの人物の一瞬の怒りと狂気そのものを、平面の中に写し取った所から来ているのではないかと思う。しかし残念ながら、この二つの絵を現在我々は観ることができない。ダ・ヴィンチは遂に完成させることなく、この絵を放棄して、逃げるようにミラノへ旅立ってしまった。その後二つの絵は、数多くの画家たちの模写と本人たちのデッサンを残して永久に失われる運命を負ったのであった。

                                                                                         * * * *

さてこのデッサンを描いたレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonard da Vinci 1452〜1519)は、フィレンツェに近いヴィンチ村に,公証人のセルピエロ・ダ・ヴィンチの息子として生まれた。天使の面差しの美少年であったといわれるダ・ヴィンチは、14歳でフィレンツェにあるヴェロッキオの工房で働くこととなった。その才能は師匠ヴェロッキオを驚かし、以後彼は筆を折って、絵を描くことを止めてしまったほどだった。その後の彼の活躍と名声は説明するまでもないが、このデッサンだけを観るだけで、彼の才能のレベルが分かる。

このデッサンには描いた対象の人物の中で描いていない無数の情報がある。それはこの人物の頭の内部構造のことである。この人物の皮膚の下には肉があり、筋肉繊維がありその下に薄い膜に覆われた頭蓋骨がある。さらにその下には、無数のパルスが走るという神秘に包まれた脳というものがある。ダ・ヴィンチは、見えない部分も絵の中に写し取ろうとした形跡がある。その為、彼は盛んに死体を解剖し、皮膚の下がどのようになっているかを丁寧に調べ上げた。その結果、普通の人が、決して目にすることのない筋肉の繊維や骨の状態や関節の役割、内臓、生殖器などあらゆる器官を熟知してしまったのである。更に目に見えないものの最たるものは何と云っても心である。その心の動きさえ、ダ・ヴィンチは写しとろうとしたのである。それが凡人の我々が、ダ・ヴィンチの絵に感じる不思議な凄みさの源泉である。

私は、先の「アンギアリの戦い」に限らず彼の絵に空間(あるいは間)とか、未完成というものを常に感じてしまう。そこが又、こちらのインスピレーションを刺激する大事な要素なのだ。往々にして西洋絵画というものは情報過多である。極端なのは、テーブルの上の置いてある、本に描いてあるアルファベットも読みとれるような描き方をしているものすらある。しかしダ・ヴィンチは、もちろん描く技術がありながら、むしろ省略的に処理して、無駄な物を一切描かない所がある。例えばモナリザの絵を思い出して欲しい。背景をよく見た人はいるだろうか。あの背景は、彼の生まれ育ったヴィンチ村と云われているが、未完成で描き残した部分がある。確かに何か物足りないのだ。またモナリザの表情を見ても一目瞭然なように眉毛が抜け落ちている。

ダ・ヴィンチ芸術のこの省略性は、日本の能や雪舟の水墨画にも通ずるものがある。それを私は「間の芸術」と呼んでみたい。つまり全ての情報をそのまま表現するのではなく、本質だけを強調し、不必要なものは、出来るだけ省くようなやり方である。考えて見れば、どんな才能ある人間が描こうと、立体な人間や自然を平面である画板に写し取ることは不可能である。そこに省略という重要な要素が出てくるのである。ダ・ヴィンチは「ぼかし」という技法を確立した画家と言われているが、このデッサンにおける「ぼかし」もまた立派に、この人物の狂気を表現している。

大げさにいえば、全ての芸術の本質は、省略性にこそあるのだ。あるもの全てを書き込んだ所で芸術にはならない。必要な物を強調し、何を省略し、何処をぼかすし、間を作るか・・・。それこそが才能なのである。ダ・ヴィンチの省略と間の手法に学べ。佐藤
 


義経伝説ホームへ

2000.01.20