チベット仏教の僧侶が撮った映画「ザカップ」を観る

仏教的抑制の利いたコメディ


 
渋谷の文化村で、ブータン映画「ザカップ/夢のアンテナ」を観た。この映画を見ながら、映画というものの、奥行きの深さをみたような気がした。

この映画は、一人のチベット仏教の若き高僧ケンツェ・ノルブによって作られた。この高僧と映画との縁は、「リトル・ブッダ」(1993年ベルナルド・ベルトリッチ監督作品)という映画において、イタリアの映画監督ベルトリッチと出会ったことによって始まった。

彼はその時、イギリスに留学中であったが、「リトルブッダ」のシナリオを練っていたベルトリッチに仏教の教義をアドバイスをした。このことによって、チベット仏教のエリートケンツェ・ノルブは、映画という芸術の面白さと可能性を発見した。考えて見れば、映画は、シナリオという綿密な設計図をもとにして構成された曼陀羅(まんだら)のようなものだ。仏教の体系付けられた教義もまた綿密に構成されたシナリオに似ている。云うならばこのケンツェ・ノルブという一人の留学僧は、映画の可能性に仏教の教義に通ずる光明を見たのではあるまいか。
 

さて物語は、北インドのヒマラヤの麓の僧院で始まる。しかもこの僧院は、チベットから宗教的弾圧によって、インドに逃れてきた亡命僧たちで溢れかえっている。彼らは中国のチベット侵攻によって、亡命した指導者ダライラマと運命を共にする人々だ。この物語の前提自体、現代の日本の情勢とは余りにかけ離れた情勢である。

冒頭のシーンで、まず幻のように、チベットの都ラサのポタラ宮が、浮かび上がる。その余りの美しさ…すぐに僧院長の部屋にカメラがパンする。ここで、幻のように見えたポタラ宮が、壁に貼られていた写真であることが分かる。

つまりこのシーンにおいて、チベットの人々が、祖国の都ラサに特別の郷愁を感じている姿があかされる。その部屋には、トランクが山と積まれている。そのトランクに一枚の写真を年老いた僧院長がしまい込む。よく見るとその写真は、ダライラマ猊下(げいか)その人である。この僧院長の行動に象徴されているものは、チベットの亡命者すべての心情を代弁している。もちろんその心情とは、いつでも自分の祖国であるチベットに帰るんだ、という強烈な念(おも)いである。

そこにまた二人の若者が、僧院にヒマラヤを亡命を手助けする者の車に乗せられてやって来る。そこから物語が展開していく。若い僧侶たちは、そんな亡命者としての宗教生活に務めるかたわら、ささやかな、しかし若者らしい、楽しみを見いだしている。それはサッカーのワールドカップが開催されていて、夜な夜な、僧院を抜け出して、テレビにある町に出ることだった。しかしある日、先生に見つかって、罰として、食事当番をさせられるハメとなった。しかしどうしてもサッカーを見たい主人公の少年僧ウゲンは、名案を思いつく。

先生は、夜抜け出したことを罰したのであって、サッカーを見ることに問題があるのではない。こうして主人公は、先生に「今晩、ワールドカップの決勝戦があるので、テレビをレンタルして見せてくれませんか。そうしたら、これまで以上に一生懸命修行に励みます」と直談判にゆく。先生は、そのことを僧院長に告げると、そのスポーツが、暴力や性表現がないことを確認し、許可を出す。主人公は大喜びだ。僧院中をまわり、テレビをレンタルするためのカンパを募る。何とか、300ルピーという金を集めて、インド人の経営するレンタル屋のもとに行ったのだが、さすがはインドの商売人、今日は特別な日だから、350ルピーでないと、テレビは貸せない、と主人公たちを冷たく突き放す。

さて困ってしまった主人公たちは、チベットから亡命してきて間もない少年の懐中時計に眼を着けた。それを担保として、50ルピーの代わりにしようというのである。
しかしその懐中時計は、少年の母親が、何かあった時には、これを使ってと、渡した形見であったのだ。当然少年は、その申し出を最初拒否していたが、仕方なく受け入れる。ともかくこうしてテレビが僧院の中に入ることになり、僧侶たちは、喜び勇んで、大きなトラクターに小さな16インチほどの白黒テレビを宝物のように積み、大きな衛星アンテナと共に山道を僧院に向かう。

ここで僧院長の声が聞こえる。
「万事はうつろふものである。若い僧たちは、色々なものに触れていくだろう。しかし私は心配はしていない。仏教の教義は、時代を超えて現代にまた未来永劫に受け継がれていだろう」

夜になった満月の夜だ。もうフランス対ブラジルの決勝戦が始まるというのに、テレビは一向に映らない。アンテナを右に左に動かしてみるが、どうしても駄目だ。焦る若き僧侶たち。何とか映る。やっと見えた。僧院に歓声が漏れる。若者たちは、テレビの前にスズナリになり、テレビに熱中する。画面には、スーパースターのジタンやロナウドが画面狭しと走り回っている。

そこで突然、テレビが切れる。停電だ。どよめきが起こる。しかしそこは、修行しているものだ。すぐにそこに新しい楽しみを見つける。一人の僧侶が、月明かりの壁に、懐中電灯を照らし、手で影絵を作って物語をはじめる。
「むかしむかし、在る男が世にも怖ろしい夢を見た。身の毛もよだつ怪物が夢に現れて、男にお前を食ってやる、と言った。男はどうしようもなく怖くなって、どうしましょう、助けてください。どうすればいいですか?と言った。すると、その怪物は、言った、そんなこと知るものか、お前の夢ではないか」
また別の僧侶が立って、兎の影絵を作って、たとえ話を始める。
「うさぎが湖に出かけてそこに映る自分を見て、湖には、怪物がいる、と知り合いの犬に告げた…。」

そこで、パッと再びテレビが付く。電気が通ったのだ。再び観戦に熱中する若者たち。
そこに僧院長と先生が、二人でやってきて、観客に加わる。みんな試合に一喜一憂している。しかし主人公のウゲンだけは、何故か憂鬱そうだ。そしてひとり席を立って、自分の部屋に入り何かを探している。

実は、懐中時計を、勢い余って、担保にしてしまったが、明日までに僅か50ルピー払えないと売られてしまうことを気にして、試合観戦どころではなかったのだ。必死で自分のベットのまわりや、自分の持ち物を点検し、忘れていたお金がどこかにないか、探している様子だ。仕方なく「自分の持ち物から、大事にしていた新品のサッカーシューズや短剣などを、バックに入れる」おそらく懐中時計の、代わりにするためだろう…。

ウゲンが、テレビの前から消えたことを不思議に思った僧院長は、先生にウゲンがどうしたのか、探してくるように命じた。ウゲンを見つけた先生が、問いただすと、「ニマの懐中時計が、明日売られてしまう」と告げる。バックの中をみて全てを知った先生は、ウゲンの頭を優しく撫でながら「商売が下手だな。お前は良い僧になる素質がある。お金は心配するな」と言った。
こうして安心したウゲンは、テレビの前に戻り、歓声を上げた。フランスチームの優勝だ。フランス国家が流れる。

若者たちは、約束したとおり、これまで以上に修行に励んでいる。
僧院長の説法が始まる。
 

大地を歩けば足が痛い。楽に歩けるように地球を皮で包めるか?

それでは地球を皮で覆うに等しい。この大地が無限であるように、この世にある敵もまた限りがない。

大地を皮で覆い尽くせないように、すべての敵をうち負かすことは不可能だ。

しかしもし憎しみを克服できたならば、人の心は安らぎを得る。それはすべての敵をうち負かしたことに等しい。

生きとし生けるものが抱くあらゆる不安、この世にある悲しみや迷い、あらゆる苦痛。

一切の衆生が抱える煩悩というものは、おのれに執着することから生まれてくる。

ではおのれへの執着という悪魔から、どうすれば解放されるのか?

それにはまず森羅万象のなかにおのれを空しくして身を置き、他者を慈しむことだ。

人はおのれから解き放たれないからこそ不幸なのだ。

とすれば不幸には不幸の意味があり、その不幸をよくよく見つめ、それがおのれの心にある魔からくるものであることを知ればよい。


まさにこの最後の僧院長の言葉の中に、この映画において、監督であるケンツェ・ノルブが伝えたかったテーマが、言葉として語られている。言葉は空しいものではあるが、言葉の中に真実が込められた時、言葉は不滅の命を得て、未来永劫に輝く光となる。

多くの人は、映画というものを、多くの点で誤解している。アメリカ映画は、映画の王道ではない。もちろんフランス映画も、日本映画も、大事なことは、その作品に盛られている映像作家の精神のレベルこそが問題だ。作品の質を根本において規定するは、その作家自身の精神性である。この単純なセオリーこそが全てである。もちろん映像的センスもあるが、深い精神性が作家になければ観客に深い感銘を与えることなどできるはずもない。また観る者の人生にまで深く関わり、良き影響を与えることなどできるはずはない。

結論的に言えば、「ザカップ」という作品は、人間精神の美しい側面を、コメディという手法を持って表現した佳作である。監督ケンツェ・ノルブのペーソスと抑制の利いた映像の中に、この新進監督の映像的才能が開花しつつあることを私は強く感じる。佐藤


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2001.2.22