クラプトンを聴く

ピルグリム



世界最高のロックギタリストと言えば、誰に聞いても、エリック・クラプトンということになる。間違っても、寺内タケシや加山雄三と答える人はいない。あのジョン・レノンだって、クラプトンには一目置いていた。きみはクラプトンを知っているか?

そのクラプトンの新しいアルバム「ピルグリム」が発売された。ピルグリム(PILGRIM)とは、英語で「巡礼者」のことであり、ピルグリム・ファーザーズ(PILGRIM_FATHERS)と言うと、あの1620年、メイフラワー号に乗って、アメリカ大陸へ渡った英国の清教徒達のことを指すらしい。

ジャケット制作は、意外にもあの人気アニメ、「エヴァンゲリオン」を手がけているアニメアーチスト集団GAINAXのキャラクター作家YOSIYUKI SADAMOTOである。何か不思議な気がした。ドキドキしながら、CDを開き、そっと彼の音楽世界に浸ってみた…。

第一曲目は「My Father’s Eyes」(父の瞳)というレゲエ調の軽快な曲でスタートする。いっぺんにクラプトンの宇宙に引き込まれる感じだ。二曲目は、本当に静かな曲で「River of Tears」(涙の河)である。全体的なイメージは、タイトル通り、やはり内省(ないせい)的で静かな感じがする大人のロックである。このアルバムのコンセプトは、成長と勇気ということにあるようだ。このアルバムについてのインタビューでクラプトン自身はこのように答えている。

成長とは未開の地へ足を一歩踏み入れる勇気だ。人間は弱いもので、今の自分に嫌気がさしても、何も変えたくないというパラドックスがある。そこを勇気をもって変えて行くことこそ大切だ。僕も趣味をしたり、予定通りの日々を過ごすこともある。でもそのままでは、成長はない。成長するには失敗や危険はある。でも挑戦しなくてはならない。

クラプトンの音楽の特徴は、自分がルーツと信じるブルース音楽に全身全霊で取り組む強い意志そのものだ。そんなクラプトンを見ていると、彼が音楽の神に仕える神官のように感じてしまう。それほど彼の音楽には妥協がない。彼は自分で「人生の中でやりたくない事を続ける必要はない。」と、言い切っているほどだ。

人によっては、昔のように強い音のクラプトンの方がいい、という人もいるが、私としては、今のクラプトンの方が断然いい。50歳を過ぎて、どんどん変化し続け、人生に妥協せずに立ち向かっている彼の真摯(しんし)な姿勢が大好きである。

若い頃のクラプトンは、つまり60年代後半から70年代前半、彼は伝説のバンド「クリーム」を率いて、そのギターテクニックは神とさえ呼ばれたものだ。一方では麻薬にも手を染めていて、危なっかしいドラッグ・アーチストの一人でもあった。その頃、彼のライバルだった伝説の天才ギタリスト、ジミ・ヘンデリックスは、麻薬に溺れ、24歳の若さでこの世を去ってしまった。またジャニス・ジョップリンというアメリカのブルースシンガーも麻薬でショック死を遂げた。そんな70年代前半、クラプトン自身も大きな壁にぶち当たって、音楽活動を休止したのであった。

でも、クラプトンは自らその壁を突き破った。「ブルースは僕のすばらしいルーツ(原点)だ。ルーツとは、故郷のような帰るべき家のことだ。」結局、彼はブルースという音楽によって救われ、復活を遂げた。別の言い方をすれば、音楽自身が、彼を必要としたというべきかもしれない。

しかし彼には、何故か、いつも不幸の影がつきまとう。彼には、最愛の息子コナーという金髪のかわいい少年がいた。彼自身が「もっと息子と一緒にいる時間を持ちたい。」と口にしていた矢先、思わぬ悲劇が彼を襲った。1991年3月20日、4歳半のかわいい盛りの息子が、自宅の53階の踊り場の窓から転落死を遂げたのだ。

彼にとって、最愛の息子を失った体験は、明らかにヌミノースな体験だった。

あまりの心の傷の深さに、彼は自宅に閉じこもってしまった。だが誰もが再起不可能と思った中、親友のビートルズメンバー、ジョージ・ハリスンが声をかけた。

「エリック、一緒に世界ツアーに出てくれないか。」このようにして、ジョージとクラプトンの世界ツアーは実現した。日本公演の最後で、二人が抱き合う姿は、今でも語り草になっているほどだ。

実は、この二人には深い因縁がある。息子のコナーを産んだ母親の女性(パティ・ボイド)は、以前ジョージの妻だった。つまりクラプトンは、不倫を働いて友人の妻を奪ってしまったことになる。おそらくこの不倫によって三人の男女は、地獄のような日々を経験したに違いない。しかし一貫してクラプトンとジョージの男の友情は崩れなかった。口の悪いマスコミは「自分の妻をクラプトンにあげたんだ。」とまで下品に書き立てる始末であった。だが、クラプトンもジョージも、この問題に関しては一切ノーコメントを押し通した。その後、クラプトンとパティ・ボイドも子供をもうけたものの、けっして結婚はしなかった。

そんな人目を忍ぶような愛の結晶が、亡くなったコナー少年だったのである。しかしながら、彼はまたしてもよく耐えた。彼のルーツである音楽と、そして男同士の友情が、彼を窮地から救ったのである。そしてあの伝説の名曲「ティアーズ・イン・ヘブン」(天国での涙とでも訳すべきか)が誕生した。この曲は、最愛の息子に対する鎮魂歌だが、実に素晴らしい曲に仕上がっている。おそらくジョン・レノンの「イマジン」同様、永遠に歌い継がれる曲になるだろう。

そんな彼の最新アルバムを、更にじっくり味わってみたいと思う。最後に、クラプトンの言葉をあげておこう。「試されない人生は、生きるに値しない。試練こそは、人間を成長させてくれるものだ。開拓者のような人生を送りたい。まだ見ぬ場所を、まだ見ぬ自分を探す開拓者であり続けたい。」佐藤
 


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1998.3.13