キャシー・フリーマンのTATOO

アボリジニーのアイデンティティー

 
やっと、長いシドニーオリンピックの喧噪から解き放たれる時がきた。

いったい世界中を、みんな民族主義者に変えてしまうオリンピックとはいったい何なのか。そんなことを考えながら、私はたった一人の女性アスリートのことを思っていた。その人物の名は、キャシー・フリーマン。彼女は、オーストラリアの先住民族アボリジニー出身で、あの開会式の時に、最終ランナーとして、聖火を点火した女性であるが、元々陸上競技、女子400mで優勝確実と言われていた世界的アスリートである。去る9月25日、彼女は、見事地元の期待に答えてゴールドメダルを獲得した。

驚いたのは、あれだけの世界的な選手が、圧勝したにも拘わらず、ゴールのテープを切った後、放心したようにその場にへたり込んでしまったことだ。おそらく誰もが想像もつかないプレッシャーがあったのだろう。彼女がアボリジニーであることで、人一倍の苦労もあったはずだ。彼女が、先住民族のアボリジニーの出身であることは、いつも付いて回っている。彼女は、その後、気を回復して、二つの旗を持ち、裸足でビクトリーランをした。もちろん二つの旗とは、アボリジニーの旗とオーストラリアの国旗である。彼女の中で複雑な思いが交錯していたことは間違いない。うれしいというよりは、何か自分が成すべき仕事を成し終えた戦士のような表情にも見えた。彼女は以前、1994年の英連邦大会で優勝した際に、アボリジニーの旗を振り、「オーストラリアの旗は一つだ」と非難されたことがある。

彼女は、今回の劇的な優勝後の記者会見でこのように、控えめに語った。

政治的と見られるかもしれないが、多くの人が喜んでくれると信じている。…民族(アボリジニー)について考えるきっかけを作くったとしたらうれしい

またへたり込んだ理由について聞かれ、このように語った。
私の頭の中に様々な人々の思いが一度に入ってきて、立って居られなくなった

全ての人は、この控えめにしか語れないフリーマンの心の中を推し量るべきである。本当は、云いたいことがいっぱいあるはずだ。そもそも、よく考えてみればわかることだが、彼女自身の「キャシー・フリーマン」という名前そのものが、英語ネームなのである。アボリジニーは、かつて200程の言語が存在していた。しかし今は英語が強制され、かつて祖先たちが話していた言語を自由に使えるアボリジニーたちも少なくなる一方である。その中で、アボリジニーたちは、アボリジニーネームと英語ネームの二重の名前を使い分けているのである。かつて日本が、韓国と朝鮮を併合と称して、征服したおり、日本名を強制したことがある。以前、私自身韓国に行った時、ガイドの女性から、「韓日戦争時代、私の母は、日本名を強制されました。このことの意味をよくかみ締めてくださいね」云われて、胸が締め付けられる思いがしたことがある。名前を奪うことは、確かに民族としての、誇りを奪い、同化を強いる征服行為である。名前と言えば、ローマオリンピックのボクシングヘビー級優勝のカシアス・クレイは、母国アメリカに帰国した後、金メダルを河に捨てて、自分の名を「奴隷の名だ」として、自ら「モハメド・アリ」と改名したエピソードが思い出される。

そのことを思うと、キャシー・フリーマンの先の言葉はいよいよ、重く私の胸に響いてくる。まさに彼女の人の心を打つ颯爽とした走りと、その後の仕事を成し終えた戦士の如き表情は、多くのアボリジニーの人々の思いを世界中の人々に伝えようとする決意の現れだったのであろう。

そもそもオーストラリアが英国の一属領となった経緯は、探検家のジェームズ・クックが、今から約250年前にユニオン・ジャックをオーストラリアに勝手に掲げたことによる。その後、彼の後輩であるフィリップ総督が、1788年1月26日、自国の囚人を積んだ11隻の艦隊を引き連れ、シドニー湾に入港し、アボリジニーの先住民族としての誇りと領土は奪われていくのである。民族としてアボリジニーの歴史は、実に古く、3万年とも5万年とも云われている。そしてオーストラリア大陸は、少なくとも、白人がやってくるつい250年前までは、実に平和でのどかな島であった。

ナマケモノやコアラなどの有袋類が生存できたり、キウイやダチョウなどの飛べない鳥が多く生育しているのは、そのことを物語っている。白人がやってきて、平和な楽園だったオーストラリアの地は、たちまち差別とヨーロッパ的な正義が強制される島となってしまった。キャシー・フリーマンは、1973年の生まれである。白人以外に、白人と同じ市民権が与えられたのは、この73年になってからだ。続いて、75年には、「人種差別禁止法」がやっと制定されたのである。彼女はまさにアボリジニーの希望の女神としてこの世に使わされたのかもしれない・・・。

彼女の肩には、”Cos I'm Free”(私は自由だ!!)という小さなTATOOが彫られている。彼女が、自分のアボリジニーネームを堂々と名乗り、アボリジニーの聖なる地、あるいは民族の象徴としてのエアーズ・ロック(このアボリジニー名を私は知らない)が、民族としてのアボリジニーに返還されるまで、彼女のこの、”Cos I'm Free”のTATOO(入れ墨)は、消えることはないであろう。佐藤
 


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2000.10.2