ハワイで見たブッダ

 
奢侈のブッダ ハワイ島ヒルトンワイコロアビレッジ所蔵

斜視のブッダ 
(ハワイ島ヒルトン・ワイコロア・ビレッジ所蔵)

記憶がというものが定着するには、ある程度の時間の経過を必要とする。丁度それは酒の熟成に似ているかもしれない。やっと今回のハワイの記憶が、自分の中である形を成してきたようだ。

* * * * * *

その石仏が目に入った瞬間、時が止まったように感じた。

楽しむために行った今回のハワイ旅行で、皮肉にも一番思い出に残っているシーンが、この時だった。ハワイ島にヒルトン・ワイコロア・ビレッジというリゾートホテルがある。朝食を取り、ホテルの長い回廊の中を抜けてフロントへ行こうとした時のことだ。目の前に突然、数体の石仏が並んでいるのが目に入った。

何故かその石仏は、みな首から下がない。おそらくはタイかカンボジアの古寺から、僅かなお金欲しさに、切り取られて、ここに運ばれてたものだろう。その中にお世辞にもお顔が美しいとは言えない石仏が、黙ってこちらを見ている。よく見れば、その目は、少し飛び出しており、斜視(しゃし)であった。それが見れば見るほど、実に悲しい表情をしている。身じろぎも出来ず、じっと見入ってしまった。すると次の瞬間、どっと涙があふれてきた。石仏が、しきりに何かを私に訴えているような気がしたのだ。思わず鳥肌が立ってしまった・・・。

無性に悲しかった。やり場のない怒りが込み上げてきた。なぜこのようなことが許されるのか。我々日本人と同じアジアの人々が心から信仰している仏の彫像がこのように、宗教の違う人間の間で、単なる美術品や置物として扱われていることに対し、「もしもあなた方の信じているキリスト像が、ホテルの廊下に、無造作に置物として置かれていたらどのようにかんじるか?」と、このヒルトンホテルの学芸員に詰問したい衝動にかられた。

どこかのテレビでカンボジアのアンコールワットやボルブドール遺跡において、仏像の首が破壊されている姿を見た時が思い出された。その時は、てっきり戦争によって破壊されたものと安直に考えたと思う。それがどうやらそうではなさそうだ。

ここにある石仏たちは、どのようにして、今ここに存在するのか。自分なりに推理をが働かせてみることにした。おそらく石仏の首を欲しいという人間が何処かにいる。そこから地元の人間が、首だけを狙ってブローカーに流がす。ここまでは裏の人間たちの仕事だ。それがいつのまにか、ちゃんとしたルートに乗せられ、最終的には欲しいと手を上げた仏像愛好家や美術館に収まる仕組みがあるのだろう・・・。

もちろんこれは私の勝手な憶測に過ぎない。しかしギリシャのパルテノンの美術品やエジプトの王のミイラだって、イギリスの大英博物館にあったりするのだから、私の推理がまんざら間違っている訳でもあるまい。歴史的に見て、大航海時代を経て産業革命に移行した西洋列強諸国が、武力と財力に任せて、よその国の宝を強奪さながらに運び出していることは歴史的事実である。最近ギリシャ政府やエジプト政府が、運び出された美術品の返還を迫っているが、既得権を放棄したくない彼らは、色よい返事を一向に出そうとはしない。

それどころか、彼らはこんな言い訳までしていると聞く。
「美術品が盗掘され、流出するのを防いであげたのだ」とか。この事情は、パリのルーブル博物館でも一緒である。あのナポレオンが、エジプト学者や美術史家など総動員して、エジプト遠征し、エジプトヒエログリフを始めとする宝を自国に持ち出したことは有名な話だ。
このようにして日本を含めた多くのアジアの宝は、ある時は強奪によって、またある時は、貧しさ故に微々たるお金で買い取られ、西洋に流出してしまったのである。

やがて私は、斜視のブッダの余りにも悲しげな表情を思いながらその場を離れた。フロントにたどり着いた時、よっぽど文句を言ってやろうか考えた。しかしとうとう、その言葉が、私の口から漏れ出ることはなかった・・・。

「もしもあなた方の信じているキリスト像が、ホテルの廊下に、無造作に置物として置かれていたらどのようにかんじるか?同じアジア人の仏教を信奉するものとして、見るに耐えない。少し仏教徒の気持ちというものを考えた方がいいですよ」

この言葉を封印した私は、今でもこのブッダの写真を見ると、胸が痛んでしかたない。いったいあの美しい斜視のブッダは、この私に何を伝えたかったのであろう。佐藤

物言わぬ斜視の仏陀を正視せば涙あふるる滝のごとくに


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2000.10.11