2007年12月9日、鶴川にある白洲正子・次郎邸「武相荘」に行く。朝、目覚めると澄み渡るような青空が拡がっていたからだ。
12月半ばとはいえ、紅葉真っ盛りで、秋が名残惜しそうにしていた。鶴川駅からおよそ10分足らずの武相荘まで、街路時では、枯葉と木枯らしが戯れてい
た。
敬愛する白洲夫妻の面影を辿りながら、「同じこの道を白洲さんたちは歩いていたのか」と思いながら、ゆっくりと歩いて、武相荘に続く坂道に立つ。半纏を着
た男性が、「武相荘はこちらですよ」というように手招きをした。
武相荘周辺は、都市化の波で、モスバーガーやら、カレーチェーンやユニクロなどが全国から押し寄せている。それから学習塾だか予備校などの看板が目につ
く。
「武相荘」だけが昔ながらにあるのだが、訪れる度に変わる景観には、ただただ驚かされるばかりだ。入館券を購入し、古びた長屋門の前に立つと、気分が一変
する。まるでタイムトンネルをくぐるような心持ちになる。
門の付近には、10名ほどの人々がいた。団体のようだ。今、この武相荘は、すっかりと有名になり、確か大手旅行社のツアーの目玉になっているらしい。いつ
の間にか、白洲夫妻が農家に移り住み、さまざまな改造を加えることによって、日本家屋の風情を伝える名所となったのである。最近ふき直したという母屋の茅
葺き屋根が冬の陽光に映えていた。
長屋門をくぐると、相当の樹齢を重ねているはずの柿の木が今にも落ちそうな柿の実をつけていた。頭上注意の立て札が見えた。見れば、柿の実には、白い蜜の
ようなものが、今にも滴り落ちそうになっていた。おそらく野鳥たちは、この蜜を好物にしているのだろう。大きな敷石が敷き詰められた庭を歩くと、石仏が見
える。60cmほどの若々しく見える仏だが、そこは骨董好きの白洲正子さんこと、きっと室町時代辺りのものだと何かの本で読んだ記憶がある。仏に手を合わ
せ、母屋の前を、左に回って、竹林の方に向かう。
竹林に紅一点の紅葉あり
そこで一瞬、ドキリとする光景があった。竹林の向こうに陽の光が逆光になっていて、白洲正子さんらしき人がいる、と見えたからだ。何の
ことはなかった。よく見ると、竹林の前にある五輪の塔を背景にして、写真を撮っているご婦人の姿だった。竹林の前には、まさに紅一点のいろは紅葉が紅色に
輝いている。その風情が誠に美しい。竹林と紅一点の紅葉、そして五輪の塔。以前、誰かに聞いたことがある。
その話しによれば、この五輪の塔の周辺には、正子さんが、夫の次郎さんの形見などを埋めたということだ。この五輪の塔も室町期のものという。竹の合間から
漏れる光が、紅葉をいっそう引き立て始め、私は夢中で、カメラのシャッターを切った。散策路は二手に分かれている。右手の道は坂道、左手は平地である。ど
ちらを行っても、道はある一点で、折り合うようになっている。まるで人生のようだ、などと思いながら、私は右手を登る。
坂道の両脇には、疎らに紅葉が植えてある。この疎らさこそが、正子さんの感覚なのだ。多すぎるのは野暮ったく見える。欠けて虚ろに見える中に、日本の美の
本領はある。そんなことを思いながらも、季節が彩なす刹那の美しさに目を奪われてしまった。
ほとんど、立ち止まらずに、小一時間ばかり、都会の喧噪を結界した形の武相荘の師走の風情を満喫した。現在、この武相荘の母屋では、「武相荘―冬」展(
11月28日〜
2008年2月24日)と題した展示会が開かれている。ここには、白洲家の冬の食卓が再現され、「おせち料理」なども、さまざまな皿に盛られて展示されて
いる。もちろん母屋には、西南の角の奥まったところに、正子さんの隠れ家とも言うべき、書斎がある。小さな小さな空間だが、私はこの佇まいの中に、極限の
日本美があると感じている。母屋は、もちろん写真は禁止なので、いずれ許可を受けて、この書斎を撮らせていただきたいと考えている。
帰りに道での思索
帰り道、駅ビル二階の本屋にて、白洲正子著「余韻を聞く」(世界文化社 2006年刊)を購入した。それはこの本の中に、多田富雄さん
宛の短い手紙が掲載されていたからだ。後で気がついたのだが、この本の著者紹介の写真が、おそらく最晩年正子さんが竹林の前で、一本の竹に手を掛け、上を
向いている写真が掲載されていた。先ほど、「正子さんか?!」とドキリとしたあの竹林である。その表情は”日本文化の奥を探求し尽くすぞ”というような厳
しく険しい表情をされている。大きなトンボメガネの奥の眼が
鋭く光っている。
手紙の内容は、多田さんが「生命へのまなざし」という著を送ったお礼だった。多田先生には、武相荘での正子さんとの最後の晩餐(永久の別れ)を記した好
エッセイ「白洲さんの心残り」(白洲信哉著「白洲正子の贈り物」世界文化社
2005年刊所収)がある。
そのエッセイにはこんなことが書かれてある。
今から9年前(1998)の師走のことである。
多田さんのところへ、正子さんから一本の電話が入る。「すっぽんを振る舞いたい」との急な誘いであった。多田さんは、いつものお酒のお
誘いと思い奥様と連れだって、白洲邸に出かける。多田さんと正子さんは、言わずと知れた能が取り持つ縁で、非常に話の合う仲である。当日のこと、何故かわ
からぬが、多田さんの目には、白洲さんのお顔がたいそう「白くてキラキラ」としたイメージに映ったというのである。
いつものように能の劇評の原稿などを見せているうち、多田さんは、何となく正子さんに「お疲れになったでしょうから、少しお休みになったほうがいいでしょ
う」と言ってしまった。すると正子さんは、白くキラキラした顔をいっそうキラキラさせて、「すっぽんをお楽しみに」と言い、少し淋しそうに微笑んで、二階
にある自室に消えたのであった。多田さんには、その「白い笑顔だけが妙に心に残った」と語っている。
やがて、すっぽん料理が出て、多田さんも酒がまわり、そろそろ、正子さんも来る頃と思うのだが、いっこうに現れない。料理人が二階に呼びに行くと、正子さ
んが日頃気に入っていた粉引の徳利だけがやって来て「この粉引の徳利で飲むように」と、渡されたというのである。
それから三日後、白洲正子さんは、「自分で救急車を呼んで入院し、そのまま帰らぬ人となった」(前掲書266頁)のであった。命日は1998年12月26
日。享年88歳であった。
そのことを多田さんは、エッセイの冒頭で、「白洲さんがなくなられて日がたつにつれ、私にはどうにも胸につかえて、つらいことがあった。思い出すと胸が痛
くなる」(前掲書264頁)と書いている。
多田富雄さんは、それからずっと、この1998年の師走の夜のことが気に掛かり、考え続けた。そうしているうち、2001年、多田さん自身が、旅先にて脳
梗塞で倒れ、死の淵を彷徨い、左半身不随となり、言葉を失ってしまった。その意味が自分なりに解けたと感じておられるようだ。あの日の白洲正子さんは、自
らで別れの儀式を行おうとしたというのが、多田さんのお考えだ。
それは、あの日、あの時、能の「姨捨」(おばすて)のごとく、白洲正子という老女の最後の美しい「序の舞」が予定されていたのを、自らの一言で、最後の舞
を舞わせる機会を奪ってしまったのではないかということだった。
つまり多田さんは、「少しお休みになったほうが」という自らが発した一つの言葉により、白洲正子さん自身の最後の命の輝きを台無しにしてしまったと思った
のである。それ以来、白洲正子さんを「姨捨」にしてしまったという後悔の念が多田さんの心をずっと支配していたのである。
多田さんはこのように「姨捨」の能を語る。
「更科山に捨てられた老女の霊は、月光のもとに白衣の菩薩のような姿で現れ、すべて
を超越したような静かな『序の舞』を舞うのである。そこは月光の支配する国なのだ。そして、限りなく現世を懐かしみながら、大宇宙の仲に帰ってゆくのであ
る。」(前掲書266頁)
まさに、多田さんをすっぽんに誘った白洲さんは、この白衣の菩薩だったことになる。すべてを察した多田さんは、脳裏の中で、「姨捨」の序の舞と謡(うた
い)を反すうし、涙が止まらなかったそうだ。
このエッセイを思い出し、私も胸が詰まる思いがした。
人の縁のふしぎ
人の縁(えにし)とは、まことにふしぎである。それは、時の間に間に咲く花のようなもので、咲いたと思えば散ってしまう類の刹那の花だ。正子さんにとっ
て、能の作者でもある多田さんは、特別な存在だったに違いない。
私は昨年、ここに初めてきた時から「武相荘」の中で、正子さんの書庫に一番惹かれるのである。そこで気になるのは、書籍の棚の中で、特に多田富雄さんと故
河合隼雄氏の著作が目立って多いことだった。おそらく、正子さんは、多田さんの著作を繰り返し読みながら、その奥に流れる真理への飽くなき探求心と能とい
う共通の嗜好から来る日本文化への憧憬の深さに感じ入っていたのではあるまいか。
正子さん風に言えば、多田富雄氏と河合隼雄氏のおふたりは、小林秀雄氏や青山二郎氏同様、世界を学び、人間を理解し、日本文化を追求する上で、師であり、
同志であり、特別な「男友だち」だったに違いない。
多田さんは、世界的な免疫学者である。「生命の意味論」(青土社)の出版は、日本社会に衝撃的な出来事だった。何しろ、免疫というものを、スーパーシステ
ムと位置づけ、自己と非自己の認識を人間が、無意識的に行っているという、シンプルな発想は、目からウロコが落ちた感じがした。そんな研究者が能の作者で
もあるというのは、実にユニークである。
一方、ユング心理学の世界的な権威である河合隼雄氏は、人間の深層心理に眠る集合的無意識を語り、日本神話の中に、中心が空っぽという構造(中空構造)を
発見し、神話学や歴史学、社会学にまで影響を及ぼすに至っている。白洲正子さんを敬愛する文化人は、他にも数え上げれば切りがないほどいる。
当代一流の学者や文化人、芸術家が、何故これほど、「武相荘」に引き寄せられ、縁という花を咲かせたのだろう・・・。そんなことを思いながら、武相荘を後
にしたのであった。
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余
韻を聞く
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006-05 |
武相荘までの道筋
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