冒険家河野兵市氏消息を絶つ



 


残念な知らせだ。また一人日本を代表する冒険家が、北極海で消息を絶ち、その生存が絶望視されている。その人物の名は河野兵市氏(43歳)。河野氏は、愛媛県生まれの冒険家で、24才(1982年)でユーコン川(アラスカ)いかだ下りに挑戦。翌年(1983年)マッキンリー登頂成功。32才(1990年)でサハラ砂漠縦断。39才(1997年)で日本人初北極点単独徒歩到達。などの冒険を成功させて、まるで世界的な冒険家故植村直己氏の遺志を受け継ぐようにたった一人での冒険を志向する世界的な冒険家であった。

今回遭難した冒険は、「河野兵市リーチングホーム2001」と銘打った全行程1万5千キロに及ぶ壮大な冒険計画であった。旅のコンセプトは、「鮭や渡り鳥が遥かなる生まれ故郷をめざすことを意味する「リーチングホーム」」である。まず北極点を今年の3月中旬にスタートし、アラスカに到着。そこからカヤックでユーコン川を下り河口に着き、そこからベーリング海をカヤックで渡るために北上し、ベーリング海をカヤックで渡る。そして故郷である愛媛を目指しロシアの大地を南下しユジノ・サハリンスクに到着。ここまでの旅の年月が2006年の予定だから丸5年の旅を続けて、いよいよ船で稚内?札幌?本州?四国愛媛と歩き通す予定であった。

そして3月26日午前10時10分(日本時間3月27日午前0時10分)、スタート地点と定めた快晴の北極点を、河野氏は意気揚々と、歩き始めたのであった。それから一が月半余り、河野氏は、1日約20キロを目標に、ただ黙々と歩き続けた。それから約一ヶ月、北極点から約315キロの付近ではホワイトアウト(吹雪や水蒸気の発生により視界が悪い状態)と言われる気象条件の悪化によりのこと)により、停滞を余儀なくされながらも、現地時間5月11日には、北極点から540キロの地点まで到着したとの知らせが、河野氏から彼をサポートしているベースキャンプに届いたとのことだ。

しかしこの時、気になる知らせも同時にもたらされていた。その地点で休憩で立ち止まった際に「極点の方向へと向かうソリの引き跡を見つけた」というものだった。 このソリの跡は、河野さんとは逆にワードハント島から、無補給単独徒歩による北極点を目指す英国冒険家のものと見られており、河野氏がそのソリの跡をたどって行くと、その跡を追うように進むシロクマの足跡を発見したというのである。故植村直己氏も、かつて餌を探しに来たシロクマに二度襲われ、銃にでこれを仕留めたことがある。シロクマは経験的に、人間の匂いのあるところに食糧があるということを学習しており、河野氏の近くに体重1tにも及ぶ白い北の怪獣がいることも考えられ、非常な緊張感をもって歩行を続けているとのことだった。

そして17日の連絡を最後に河野氏からの連絡は途絶えた。定時連絡が途絶え、19日ベースキャンプから、河野氏捜索の為のチャーター機が飛び立った。そして河野氏からの最後の発信地から南東へ約13キロ離れた地点(北緯83度49分 西経74度34分)で、彼の愛用のソリとスキー1本、スキーのストック2本が発見されたのであった。付近は氷の裂け目もあり、非常に危険な為、チャーター機は、氷上に着陸できる状況ではなかった。そしてついに5月20日には、ベースキャンプからの要請に応えたカナダ軍機が飛び立って本格的な捜索を開始したが、安否を確認できる情報は得られなかったのである。5月22日には、カナダ空軍は「生存の見込みがない」として空軍機による捜索の打ち切りを通告してきたものとみられている。

こうして河野氏の壮大な夢の冒険計画は、僅か2ヶ月で最悪の事態を招いてしまったことになる。個人として河野氏の無事を祈らずにはいられない。冒険とはいったい何であろう。優れた冒険家の、心を魅了し、死の危険を忘れさせる冒険の魔力とはいったい何であろう。それは己の限界に挑戦し、恐怖を乗り越えた瞬間にかいま見える浄土の如き心の充足であろうか。それとも小さな自分が、自然に挑みそれと一体化し、エベレストの頂きでしか拝めない聖なる景色を見るが為であろうか。いやまた自分の存在の証明や生きた証のようなものを、冒険の中に記したい為であろうか。それとも止むに止まれず、ただそこにある聖なる山河に登ってしまうのであろうか。

いずれにしても日本でも様々な優れた冒険家、登山家が志(こころざし)半ばにおいて花が散るように逝った。例えば植村直己氏(1984年2月12日没)をはじめ、加藤保男氏(1982年12月27日没:世界で初めて冬のエベレストへの単独登頂に成功)、長谷川恒男氏(1991年10月10日没:日本人で初めてマッターホルン北壁の冬季単独登頂に成功)など、優れた技術と精神力を持った人物が、自然の猛威の前に次々とその命を奪われていく。それでも冒険を志す若者は次々と現れてくる。この河野兵市氏のように。きっと河野兵市氏が故植村直己氏の志を受け継いだように、その熱い思いに心を揺さぶられて、新たな冒険の旅に出る若者が必ずや登場するであろう。

河野さん、ご無事で生還してください。あなたは、日本人が失いつつある大切なものを持っていて実に勇敢でかっこいい。まさに旧き良き日本男児だ。そして何よりも夢を見る天才でもある。最後に河野氏が、この「河野兵市リーチングホーム2001」の旅に出る前に語った言葉を記しておこう。佐藤

夢を共有し、6年間一緒に楽しもうではありませんか」 



 *この文章を書くために河野氏を支援する公式HP「リーチングホーム」を参考にさせていただきました。http://www.reachinghome.org/index.html
 

 


2001.5.22

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