中尊寺の美しさの源泉

−奥州一の古寺で永々と守られているもの−

金色堂の上に掛かる白い月

金色堂の上空に昇った白い月
(2003年12月30日佐藤撮影)

白き月やがて黄金に輝きて金色堂の上に掛くれば

衣川の岸辺を小一時間ばかり散策した後、衣川橋を渡り、関山中尊寺の本堂へと続く北坂を登った。杉の古木に囲まれた道に入った途端、別世界に誘い込まれた ような気がした。それまで、衣川河口付近一帯に野積みされた護岸工事のためのテトラポッドなどでを見て、散々気が滅入っていたので、北坂の静寂に身を浸し た瞬間、安らぎのようなものを覚えた。喧噪は消え、とても静かだ。道は掃き清められ、塵ひとつない。何か特別なものがあるわけでもない。杉木立と曲がりく ねった小径が続いているだけだ。しかしその楚々とした佇まいそのものが、何とも心地いいのだ。

ふと往時の都市「平泉」を思った。その中にあって、関山中尊寺は、まさに祈りの中心地であった。この奥州一の古寺は、初代藤原清衡公が、その昔、奥州全土 を巻き込んだ戦争によって焼け野原となった奥州に生きそして死んだ人々を弔うために造営したものだ。当時、幸い奥州には、黄金という有り余る財源があっ た。そして都市「平泉」は瞬く間に大きな都市に成長した。当時の人口は、十万とも二十万とも言われる。

奥州に来れば、理想の勉学ができる。平和に暮らせる。そして豊かになれる。そんな夢を抱いた人々は、怒濤のように平泉という都市に流入した。位の高い僧侶 から金鉱掘りの職人や金商人まで、様々な職業の人間たちが、清衡公の建設した都市の評判を聞いて集まった。かつて、奥州は辺境の地と見られていた。しかし この地平泉に清衡公が高い平和への理想を掲げ、仏の祈りを実現しようとした時、奥州は世界でも最先端の理想の平和都市に変貌を遂げた。

往時の「平泉」は、目映いばかりの国際都市であった。北方の民は、大陸を越えて、アザラシの皮やトナカイの角などを運び、朝鮮半島からは、陶磁器が運ばれ た。それこそ様々な人種、民族が訪れては定住し、平泉は、「黄金の都平泉」として世界中に喧伝されたのである。

この北坂には、往時を偲ばせるものは何もない。しかしこの地で永々として守り継がれている思いというものをひしひしと感じる。北坂の勾配は、つづら折りと まではいかないが、結構急である。何か私の背後で、「呼吸を整えろ」という声がした。仏の声だろうか。それとも清衡公の声か。道の端に根を張っている杉の 古木に会釈をし、樹皮に軽く触れた。頬を当てる。すると、「ゴー」とばかりに命の音がした。

しばらく歩くと、道の右に瀟洒な墓地が拡がっている。正月を前にそれぞれの墓は綺麗に掃き清められてある。軽トラックが坂を下って来た。会釈をすると、向 こうも丁 寧に頭を下げて去っていった。寺坊が見えた。塀に囲われた庭から形の良い松の木が顔を覗かせていた。ふと観れば、その松の頭上遙か向こうには、白い月が懸 かっていた。雲ひとつ無い青空で清らかな光を放つその月を観ながら、出来上がったばかりの光堂の頭上で輝く白い月のイメージが心に湧いた。

その光景は、平和を象徴する白色だからこそ意味がある。やがて白い月は、落日の中で艶やかさを増し、黄金色に輝いて、光堂を煌々と照らしはじめるの だ・・・。

今や、世界中で、戦争が人々の平穏と生命を脅かしている。中東でもイラクでも人々は、美しい月を目の前にしながら、それを美しいと 感じることのできない切迫した状況に置かれている。清衡公が、夢想した平和への祈りは、今や世界中の戦争の犠牲になった人々を優しく包み、励ます希望の光 である。だ から今こそ、平泉は、「人類理想の平和都市」として、「世界遺産」に登録されるべきなのだ。

ところが、現在、平泉で行われている一連の世界遺産登録運動の実態は、その「今、何故平泉なのか?!」というもっとも根元的な問いかけを忘れているといえ ないだろうか。今の運動は、「観光資源」の確保と、村おこし、町おこしの運動が意味もなく展開されているに過ぎない。

「何故今、平泉が世界遺産に登録されるべきか!?」
この自己認識(アイデンティティ)こそ必要なのだ。平泉市民は、もう一度、清衡公が、願文に託した建都の精神を学び直すべきである。その上で、「今、世界 中が戦争の脅威に怯えている時代だからこそ、平泉は、平和都市として、世界遺産になる価値がある」、と堂々と主張したらどうだろう。重要なのは、「中尊寺 供養願文」に刻印された平和の精神そのものなのである。

北坂は次第になだらかになり、月見坂と一体になる。そこに中尊寺本堂は、堂々と聳えていた。新年には、この寺に多くの初詣客が訪れる。様々な祈りが、この 場で行われるだろう。平泉に集う人々の祈りが、神仏に通じ、清衡公の祈りが、実現することを祈りつつ、清衡公が眠る金色堂に向かった。


心もて寺僧ひたすら守り来し久遠の祈りこの古 寺にあり

佐藤

 


2004.1.30
 
 

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