船弁慶


凡例

1. 本文の底本は、岩波文庫「謡曲撰集」(野上豊一郎校訂1935年5月15日刊)である。
2. 本文は、謡曲を正しい読み方によって読ませようと編纂された。
3. 難読の漢字には()内にひらがなを現代仮名遣いにて付した。

2001.12
佐藤弘弥 記
 船弁慶(切能物)  観世小次郎信光 作

シテ方 金剛流
ワキ方 下掛宝生流
狂言方 大蔵流

登場人物

子  方(判官)――風折鳥帽子、白色鉢巻。長絹、着附・厚板、白大口、腰帯。太刀、扇。
ワ  キ(弁慶)――兜巾。篠懸、水衣、着附・厚板、白大口、腰帯。小刀、扇、イラタカの数珠。
ワキヅレ(立衆)――梨子打鳥帽子、白鉢巻。側次、着附・厚板、白大口、腰帯。小刀、扇。
ア  ヒ(船頭)――狂言上下、腰帯。扇。
前ジテ (静)――面・孫次郎、鬘、鬘帯。唐織、着附・箔。扇。物着で静鳥帽子を被る。
後ジテ (知盛の幽霊)――面・怪士、白鉢巻、黒頭、鍬形。法被(右肩を脱ぐ)、着附・
     厚板、半切、腰帯。太刀。薙刀を持つ。
場面
第一場 尼ヶ崎大物の浦。
第二場 同上。
第三場 海上


 囃子方(笛・小・大・太鼓)、地謡、着座。
 

第一場 尼ヶ崎・大物の浦

シダイで、子方・ワキ・ワキヅレ、登場。


ワキ立衆(次第) 今日思い立つ旅衣、今日思い立つ旅衣帰洛をいつと定めん。
 

 地 今日思い立つ旅衣帰洛をいつと定めん。


ワキ(名乗) これは西塔の武蔵坊弁慶にて候。さても我が君判官殿は、頼朝の御代官として、驕る平家を亡ぼし給い、天下一統の御代となし給いて候。然れどもさる仔細あって、西国の方へ御下向候間、今日夜をこめ、津の国尼が崎、大物の浦へと急ぎ候。

立衆 頃は文治の初めつかた、

ワキ立衆 頼朝義経不快のよし、既に落居し力なく、

子方 判官都を遠近(おちこち)の、道狭くならぬそのさきに、西国の方へと心ざし、

ワキ立衆 まだ夜深くも雲井の月、出づるも惜しき都の名残、一年平家追討の、都出には引きかえて、ただ十余人すごすごと、さも疎からぬとも船の、

ワキ立衆(下歌) 上り下るや雲水の身は定めなき習いかな。

ワキ立衆(上歌) 世の中の人は何とも石清水(いわしみず)、人は何とも石清水、澄み濁るをば、神ぞ知るらんと高き御影を伏し拝み、行けば程なく旅衣、潮(うしお)も波も共に引く大物の浦に着きにけり。大物の浦に着きにけり。

ワキ 御急ぎ候程に、津の国尼が崎、大物の浦に御着きにて候。この所に某(それがし)存じの者の候間、御宿を申し付けうずるにて候。

立衆の一 尤もにて候。

ワキ 先づかうかう御座候へ。
 

ワキ いかにこの内へ案内申し候。

アヒ 案内とは誰にてわたり候ぞ。イヤ武蔵殿にて候か。唯今は何の為の御下向にて候ぞ。

ワキ わが君を御供申して候。御宿を申され候へ。

アヒ 畏って候。

ワキ 御忍びの事にて候間、奥の間を用意せられ候へ・また、さる仔細あって西国の方へ御下向候間、船をも用意あって給わり候へ。

アヒ 心得申して候。先づかうかう奥の間へ御通り候へ。(狂言座にくつろぐ。)

 子方以下脇座に順次に着席する。


ワキ まさしく静は御供と見え給いて候。某申し留めばやと存じ候。
 

ワキ いかに申し上げ候。まさしく静は御供と見えさせ給いて候。今の折節、何とやらん似合わぬように候えば、これより都へ御返しあれかしと存じ候。

子方 ともかくも弁慶計らい候へ。

ワキ 畏って候。
 

五  

ワキ 日本一の御機嫌に申し上げて候。やがて静の家へ立ち越ようずるにて候。

 ワキ橋掛の詰に立ち、幕の方へ向いて、
ワキ いかにこの内に静のわたり候か。君よりの御使に、武蔵が参じて候。

シテ(幕を上げさせ) 武蔵殿は何の為の御使にて候ぞ。

ワキ さん候我君の御諚には、これまでの御参り、まことに神妙に思し召され候さりながら、はるばるの波涛(はとう)を凌ぎ伴われん事、人口然るべからず候間、これより都へ御帰りあれとの御事にて候。

シテ あら思い寄らずの御使や。いづくまでも御供とこそ思いしに、
頼みても頼み少なきは人の心ぞや。あら何ともなや候。

ワキ 仰せ尤もにて候。さて御返事をば何と申し候べき。

シテ 妾(わらわ)御供申し、君の御大事になり候はば、とどまり候べし。

ワキ あら事事しや。御大事まではあるまじく候。唯御とまりあるが肝要にて候。

シテ よくよくものを案ずるに、これは武蔵殿の御計らいと思い候えば、みづから参り、直に御返事を申さうずるにて候。

ワキ それはともかくもにて候。さあらばやがて御参り候へ。(ワキ・シテ舞台に入る。)
 

ワキ いかに申し上げ候。静の御参りにて候。

子方 こなたへと申せ。

ワキ 畏って候。(シテに向いて)こなたへ御参り候へ。
 

子方 いかに静、われ思わずも落人となりたり。先づこの度は都に帰り時節を待ち候へ。

シテ さては我が君の御諚にて候ひけるを、よしなき武蔵殿を恨み申しし事、
返すがえすも面目なうこそ候へ。

ワキ いやいやこれは苦しからず、唯人口を思し召すなり。御心変わるとな思し召しそと、涙を流し申しけり。

シテ いやとにかくに数ならぬ、身には恨みの無けれども、これは船路の門出なるに、

 地 波風も静をとどめ給うかと、静をとどめ給うかと、涙を流し木綿四手(いうしで)の、神かけて変わらじと、契りし事も定めなや。げにや別れより、まさりて惜しき命かな、君に二度逢わんとぞ思う行末。
 

子方 いかに弁慶。

ワキ 御前に候。

子方 静に酒を勧め候へ。

ワキ 畏って候。げにげにこれは御門出の、行末千代ぞと菊の盃、
静にこそは勧めけれ。

シテ 妾は君の御別れ(おんなかれ)、やる方なさにかきくれて、涙に咽ぶばかりなり。

ワキ げに御歎きはさることなれども、旅の船路の門出の和歌、
唯一(ひと)さしと勧むれば、
折節これに鳥帽子(えぼし)の候。これを召して一さし御舞い候へ。

 ――物着(シテ烏帽子を被る。)

一〇

シテ その時静立ち上り、時の調子を取りあえず。渡口の郵船は、風静まって出で、

 地 波頭の謫所(たくしょ)は、日晴れて見ゆ。

シテ 立ち舞うべくもあらぬ身の、

 地 袖打ち振るも恥かしや。

 ――シテのイロエ。

シテ(サシ) 伝え聞く陶朱公は勾践(こうせん)を伴い、

 地 会稽山に籠もりいて、種種の智略をめぐらし、終に呉王を亡ぼして、勾践の本意を、
 達すとかや。

 地(クセ) 然るに勾践は、二度世をとり会稽の恥を雪(すす)ぎしも、陶朱功を成す
 とかや。されば越の臣下にて、政(まつりごと)を身に任せ、功名富み貴く、心の如く
 なるべきを、功成り名遂げて身退くは天の道と心得て、小船に棹さして五湖の遠島を楽
 しむ。

シテ かかる例(ためし)も有明の、
 地 月の都を振り棄てて、西海の波涛に赴き御身の科(とが)の無きよしを、歎き給は
 ば頼朝も、終には靡く青柳の、枝を連ぬる御契りなどかは朽ちし果つべき。

 地 唯頼め。

 ――シテの中の舞(或いは序の舞)

シテ 唯頼め、標茅(しめじ)が原の、さしも草、

 地 われ世の中にあらん限りは。
シテ かく尊詠の偽りなくは、
 地 かく尊詠の偽りなくは、やがて御代に出船の、船子どもはや纜(ともづな)をとく
 とくと、はや纜をとくとくと、勧め申せば判官も、仮の宿りを出で給えば、
シテ 静は泣く泣く、
 地 烏帽子直垂(ひたたれ)脱ぎ捨てて(烏帽子を脱ぐ。)涙に咽ぶ御別見る目も哀れなりけり見る目も哀れなりけり。
 
シテ中入。

 

第二場 同上

一  

アヒ さてもさても唯今静の、君に名残を惜しませらるる体を見申し、われ等ごときの者までも、そぞろに涙を流し申して候。また君の御諚には、はるばるの波涛を凌ぎ伴われんこと、人口然るべからずとの御事、これも尤もにて候。また世上に存ずるには、鬼神よりも恐ろしき平家を滅ぼし給う上は、御兄弟の御仲日月の如く御座あるべきを、いかなる者の讒言申して候やらん。御仲たがわせられ、西国の方へ御下向なされ候御事、御痛わしき御事にて候。さりながら上は御同一体の御事なれば、おッつけ御仲直らせられ、御上洛あらうずるは疑も御座ない。イヤ、云われざる独り言を申さずとも、最前仰せつけられたる御座船のことを、武蔵殿まで伺い申さばやと存ずる。
 

 アヒはワキの前へ出て、
アヒ いかに武蔵殿へ申し候。唯今静の、君に名残を惜しまらるる体を見申し、われ等如きの者までも、そぞろに涙を流し申して候が、武蔵殿には何と思し召されて候ぞ。

ワキ 何と唯今の体を、方方もそれにて見られたると候や。

アヒ なかなか見申して候。

ワキ 武蔵も涙を流して候。また君の御諚には、はるばるの波涛を凌ぎ伴われんこと、人口然るべからずとの御事、これも尤もにては候はぬか。

アヒ げにこれも御尤もなる御事にて候。

ワキ また最前申しつけたる、船をば用意せられて候か。

アヒ なかなか随分足早き船を用意任りて候。いつにても御諚次第、出し申さうずるにて候。

ワキ さらばやがて出ださうずるにて候。

アヒ 畏って候。
 

三  

ツレの一  いかに武蔵殿に申すべき事の候。

ワキ 何事にて候ぞ。

ツレの一 我君の御諚には、今日は波風荒く候程に、御逗留と仰せ出だされて候。

ワキ 何と御逗留と候や。

ツレの一 なかなかの事。

ワキ 某きつと推量申して候。静に名残を御惜みあって、かやうに仰せでださるると存じ候。先づ御心を静めて聞召され候へ。今この御身に御なりあって、かやうの御心中、天晴(あっぱれ)御運も末になりたかるかと存じ候。その上一年(ひととせ)、渡辺福島を御出ありし時、以っての外の大風なりしに、君御船を出だし給い、平家を亡ぼし給いし事、今以って同じ事ぞかし。
急ぎお船を出だすべし。

ツレ げにげにこれは理りなり。いづくも敵と夕波の、

ワキ 立ち騒ぎつつ船子ども。
船頭船を出だし候へ。

アヒ 畏って候。(幕に馳け込む。)
 

  えいやえいやと夕汐に、つれてお船を、出だしけり。


 アヒ作物(船)を持ち出し、脇座の前に、舳先(へさき)を正面に向けて置き、自分は
 艫(とも)に乗る。

アヒ 皆皆お船に召され候へ。

 子方は舳先に床几にかかり、ワキとワキヅレの一人(オモヅレ)は胴の間に坐り、他の
 ワキヅレは船に乗った心で作物の外に下にいる。
 
 

第三場 海上

アヒ(竿をさして) さあらばお船を出だし申さう。エイエイエイ。エイエイ。いかに武蔵殿へ申し候。今日は君の御門出の船路に、一段の天気にてめでたう候。

ワキ げにげに一段の天気にて、武蔵も満足申して候。

アヒ また御座船へは、屈竟の舸子どもをすぐって乗せ申して候が、武蔵殿には何と御覧ぜられて候ぞ。

ワキ 一段と舸子が揃って祝着申して候。

アヒ イヤ武蔵殿の左様に御覧ぜらるれば、われ等も満足申して候。エイエイエイ。さてまた武蔵殿へちと訴訟申したき事の候が、これは何と御座あろうずるぞ。

ワキ それは何事にて候ぞ。

アヒ イヤ別なる事にてもなく候。唯今こそかやうに御仲たがわせられ、西国の方へ御下向なされ候へども、上は御同一体の御事なれば、追っつけ御仲直らせられ、御上洛あらうずるは疑も御座ない。左様の時は此の西国の楫取(かんどり)を、某一人に抑せつけらるるように御執成(とりなし)あって下されいかしとの申し事にて候。

ワキ これは方方に似合いたる望にて候。君世に出で給わぬ事は候まじ。その時はこの海上の楫取をば、方方一人に申しつけうずるにて候。

アヒ それは近頃ありがとう候さりながら、御主の御用の時はいかようなる御約束をもなされども、思し召すままになれば、必ず忘れさせらるるものにて候間、構えて御失念あって下され候な。

ワキ いやいや武蔵に限って失念はあるまじく候。

アヒ 武蔵殿の左様に仰せらるれば、某が訴訟はざっと叶うたと申すものにて候。エイエイエイ。
(目附柱の上を見て)ヤアああら不思議や、今までそっとも見えなんだが、あの武庫山の上へむつかしい雲が出た。いつもあの雲の出れば得て風になりたがるが、今日は風にならぬようにいたしたいものぢゃ。エイエイ。
(竿を両手で突っぱり)ヤ、さればこそ、少しの内にしたたかに雲を押し出し、風が変わり、海上の体が荒うなった。
(片膝をついて右の肩を脱ぎ)皆皆勢を出して押し候へ押し候へ。
(立って)エイエイエイ。さりながら船頭が自身櫓に取りついては、いかようなる波風なりとも押し切ってまいらうずる間、必ずお気づかいなされ候な。エイエイエイ。
(目附柱の方を見て)さればこそあれからしたたかな波が打って来るわ。アリヤアリヤアリヤアリヤ。波よ波よ波よ。叱れ叱れ叱れ叱れ。シイシイシイシイエイエイエイ。かやうに申すをかしましう思しめされうが、波と申すものはやさしきものにて、叱ればそのまま静まるものにて候。エイエイエイ。さればこそ
(脇正面を見て)またあれから波が打って来るわ。波よ波よ波よ。アリヤアリヤアリヤ。叱れ叱れ叱れ叱れ。シイシイシイシイ。エイエイエイ。

ワキ あら笑止や風が変わって候。あの武庫山おろし、譲葉(ゆづりは)が嶽より吹下す嵐に、この御船の、陸地に着くべきようぞなき。皆皆心中に御祈念候へ。

ツレの一 いかに武蔵殿に申すべき事の候。

ワキ 何事にて候ぞ。

ツレの一 この御船にはあやかしが付いて候。

ワキ ああ暫く。船中にて左様の事をば申さぬ事にて候。何事も武蔵と船頭に御委せ候へ。

アヒ ああらここな人は、最前船にお乗りやる時から、何やら一言いいたそうな口元であったが、したたかなことを云い出た。船中にて左様の事は申さぬ事にて候。

ワキ いやいや船中不案内の事にて候間、何事も武蔵に免ぜられ候へ。

アヒ イヤ武蔵殿の左様仰せらるれば申さうではござないが、あまりな事をおしやるによっての事にて候。エイエイエイ。(幕の方を見て)またあれからしたたか波が打って来るわ。アリヤアリヤアリヤ。波よ波よ波よ。叱れ叱れ叱れ。シイシイシイシイ。エイエイエイ。
 

ワキ あら不思議や海上を見れば、西国にて亡びし平家の公達、おのおの
浮かみ出でたるぞや。かかる時節を窺いて、怨をなすも理なり。

子方 いかに弁慶。

ワキ 御前に候。

子方 今更驚くべからず。たとひ悪霊怨をなすとも、何程の事のあるべきぞ。
悪逆無道のその積もり、神明仏陀の冥感に背き、天命に沈みし

 地 平家の一門雲霞の如く、波に浮かみて見えたるぞや。

 早笛で後ジテ登場。薙刀をかたげて幕を出、橋掛から欄干越しに子方を見込み、幕の内
 まで後退りして薙刀をかい込み、再び出て舞台に入る。
シテ 抑もこれは、桓武天皇九代の後胤、平の知盛、幽霊なり。
ああら珍しやいかに義経、
思いも寄らぬ浦波の、
 地 聲をしるべに出船の、聲をしるべに出船の、


シテ 知盛が沈みしその有様に、

 地 また義経をも海に沈めんという波に浮かめる薙刀取り直し巴波の紋あたりを払い、
 潮を蹴立て悪風を吹きかけ、眼も眩み心も乱れて、前後を忘(ぼう)ずるばかりなり。

 ――シテの働。

子方 その時義経少しも騒がず。
 

 地 その時義経少しも騒がず打物抜き持ち現の人に、向くが如く言葉を交わし戦い給え
 ば、弁慶押し隔て打物業にてかなうまじと、数珠さらさらと押しもんで、東方降三世南
 方軍茶利夜叉西方大威徳、北方金剛夜叉明王、中央大聖不動明王の索にかけて、祈り祈
 られ悪霊次第に遠ざかれば、弁慶船子に力を合わせ、


ワキ 船頭勢を出だし候へ。

アヒ 畏って候。エイエイ。
お船を漕ぎのけ汀(みぎわ)に寄すれば猶怨霊は、慕い来るを追っ払い祈りのけ、また引く潮に揺られ流れ、また引く潮に揺られ流れて、跡白波とぞなりにける。

 シテ退場。続いて、他一同退場。(作物はアヒが持って入る。)



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2001.12.20
Hsato