バーミアンの仏よ永遠なれW

−破壊と創造について−


 
遂にその時がやってきた。
信じたくないが、バーミアン石仏が破壊されたことは紛れもない現実であった。本日の新聞各紙で、破壊された跡が、カラーで掲載されている。

バーミアンにある石仏は、爆弾によって吹き飛ばされ、石窟の中は、、大仏という千五百年来の主を無亡くして、ぽっかりと穴の開いた空虚な空間になっている。つい最近までそこには顔を削がれ、無数の弾痕を受け、手足をもがれながらも、凛として立つ仏が存在していた。

世界中の報道陣の前で、大仏を破壊したタリバーンの兵士は胸を張って次のように語ったと言う。
「これでやっとこの地はイスラムの土地になった。爆破まで20日もかかって大変だった」
おそらく上司から与えられた任務を終えて、誇らしい気分で、しゃべったのであろう。残念ながら、この兵士が、自分のしたことの愚かさに気づくことは永遠にないのであろう・・・。

私には爆破された石窟が、まるで岩で象(かたど)られた棺桶のように見えた。誰の死骸がそこに寝るというのだ。いったい誰のためにこの巨大な棺桶は造られたというのか。

今鎌倉のある一角では、人類の願いを無視して破壊されたバーミアンの石仏を弔うために、平山郁夫氏が、渾身の念いを込めて、バーミアン石仏の画を描いている。もちろん38mも55mもある画ではない。ほんの1m数十センチの画である。しかし平山氏の脳裏に残るバーミアンの仏が、氏の指先の運びによって、現実味を帯びながら、仏の命が吹き込まれている。やがてこの画は公開され、かつてバーミアンにあったはずの石仏の偉容を未来に伝えていくであろう。

確かにバーミアンの石仏は破壊されて、この世にはもう存在しない。しかしバーミアンの石仏が、伝えている思想というものは、何人によっても、どのような強力な爆弾によっても、吹き飛ばすことはできない類のものなのだ。平山氏だけではない。世界中のありとあらゆる分野の芸術家が、宗教の狭隘な谷を越え、人種と言語の違いを乗り越えて立ち上がるに違いない。

つまりバーミアンで失われた人類普遍の文化を、未来永劫、人類の遺産として残すために、詩人が、歌人が、俳人が、小説家が、映画監督が、創造の翼を拡げて立ち上がるであろう。

彼らは、失われたバーミアンの仏のために祈りつつ、バーミアン石仏の鎮魂のための作品を、瞬く間に創り上げてしまうであろう。石仏破壊は芸術家の創造の翼に風を送ったことになる。バーミアンの仏よ、永遠なれ。佐藤
 


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2001.3.27