天才の育て方

浅田真央を育てたスケート連盟 の才能発掘プログラムに学べ


天才をどのように発掘し育てるか、そんな天才 論の側面から現在の日本のフィギュアスケート界を見てみると面白い。日本のフィギュア選手に有望な選手が、急に集まってきたように見えるが決してそうでは ない。ここまで来るには、日本スケート連盟の地道な教育システムがあることを忘れてはならない。才能ある若者達は、子供の時代から、全国から選抜され、一 流のコーチがついて指導する。またその教育プログラムには、メンタル面の指導も含まれるというから素晴らしい。

今やその頂点に立とうとしているのが、15才の天才少女と言われる浅田真央だ。才能というものは、持って生まれた 生来の感覚であり、原石そのものである。人は様々な才能を持って生まれるが、自分の中にある原石を発見されぬまま一生を終える人が多い。原石を発見して も、その感覚を一流のコーチが磨かなければ輝くこともない。

さて少し話を変えて、2002年ニュートリノ天文学でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊東大名誉教授のことを考 える。小柴先生は、学生や研究者を前にした講演のなかで、「自分は学生時代むしろ劣等生に近かったが、これならやれると思える宇宙線の研究(ニュートリノ の観測)に出会えたのが幸いした。自分にとって、これならできるというものと出会うことこそ大切だ。そうなると、何も苦にならなくなる。皆さんもどうか、 そのようなものと出会ってください」というような話をされている。

浅田真央の演技を見ていると、滑るのが楽しくて楽しくて仕方ないように見える。彼女はスケートが大好きで、大好き で、小柴先生が言った「これならやれる」と思えるものをきっと見つけた少女なのである。人間誰しも、面白いと思わないものを実行することは苦痛になる。今 はできないことでも、きっといつかはできるようになるということを、浅田真央は信じているのである。「浅田は、まだ挫折がない。けがなどで挫折してからが 勝負だ」という人がいる。確かにそうだろう。しかしあの屈託のない表情の中には潜在的な賢さが見える。それもまた「賢さ」という原石なのである。

小柴先生は、今こそノーベル賞受賞者となって、世界中の憧れの存在になっているが、その小柴先生が初めて教壇に 立った時、黒板の右端に「宇宙」を、左端に「素粒子」を書き、その中間に「ニュートリノ」(宇宙線?)と書いたそうだ。要するに、「極大な宇宙」と「極小 の世界」を自分の研究が繋ぐというイメージだ。先生は、漠然としたイメージで書いたそうだが、今や先生が研究してきた「ニュートリノ」という物質(?) が、宇宙の謎と物質の究極の姿を解くキーになるかもしれないというところまで来てしまった。世界中の誰も知らないことを、自分が紐解いてゆくのである。何 ものにも代え難い快感があるに違いない。

様々な教育システムがある。天才などいらぬ。平均点を取れる子が多くあればよい。無理をさせることは禁物という考 え方もあれば、いや天才を発掘して、その子をヒーロー、ヒロインにして、底辺を拡大すればよい、という考え方もある。日本はどちらかと言えば、天才を発掘 するよりは、平均点が高くなるような教育を志向してきたきらいがある。

しかし資源のない日本という国が、今後世界の先進国と伍してゆくには、やはり知的資源の発掘を通して、より付加価 値の高い製品や芸術を産み出してゆくしか道はない。とすれば、小柴先生や第二の浅田真央のような極めつけの人材を発掘し、その才能を磨いてゆく教育システ ムを作ることが大切となる。その意味で、日本の教育機関は、スケート連盟が取り入れた才能発掘プログラムから学ぶべきであると思うがどうであろう。

2005.12.21 佐藤弘弥

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