明石さんの言葉

 

元国連代表のの明石康さんが、学生の頃(四十数年前)の留学先であるバージニア大学に行ってしみじみと言った。

アメリカという国は、建国からの歴史は浅い。アメリカ人とは、アメリカ建国の精神に共鳴した人がアメリカ人であって、最初からアメリカ人という人はいない。いわばアメリカ人は、自分の意志で、アメリカ建国の精神に忠誠を誓ってアメリカ人となる。その厳しさを経ているところが、アメリカのアメリカたるすばらしさだ。それに対して、日本人は、はじめから日本人として生まれてくるようなところがある。ちっとも厳しさがない。

確かにアメリカ人は、国というよりは、建国の精神そのものであるアメリカ合衆国憲法に忠誠を誓うことでアメリカ人となる。大事なことは、アメリカ独立の精神を深く理解していなければ、アメリカ人とはなれないということだ。

アメリカ人にとって、独立の精神を盛り込んだ憲法は、アメリカのアイデンティティそのものであり、絶対的な意味を持つものだ。当然アメリカ大統領の就任式でも、新大統領は、その憲法に手を置いて、宣誓式を行う。議会で何かを証言する時でも同じだ。

これが日本では、総理大臣に指名されると直ちに、皇居に参内して、天皇陛下から総理大臣の認証を貰うしきたりとなっている。森首相が、「神の国」と発言する裏には、「明治憲法」の立憲君主制へのノスタルジー(郷愁)のような感覚がどこかにあるのかもしれない。つまり森首相をはじめとして、どこかで日本人は、第二次大戦の敗戦を真に敗戦と受け取っておらず、そのことから現行の「日本国憲法」を継子扱い(ままこあつかい)しているところが見受けられる。

要するに日本人は、「日本国憲法」の精神に対して、真に忠誠を誓っているとは言えない。だから自国の憲法に尊敬の念を持っていないような森氏のような人物が、国民の意に反して、一部の政治家の談合によって、政治のトップの座に就くのである。これで民主主義と言えるだろうか。はなはだ疑問が残る。民意が反映してこその民主国家ではないか。最近、問題の人、森首相は、衆院選の応援演説の中で「四割いる無党派の連中が、選挙に来てくれなければ良いが、」という意味の発言をして、物議を醸している。

「頭にきた。馬鹿にしている。絶対選挙にいきます」とインタビューで若い女性が怒っていた。当然だろう。それでも怒らない人がいたら、民主主義は、いつまで経っても、日本では実現しないはずだ。いつになったら日本人は、自己のアイデンティティに目覚めるのか。その前提として、少なくても目前に迫った選挙を棄権することだけはしてはならない。佐藤
 


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2000.6.22