キース・ジャレットの新譜
「アップ・フォー・イット」を聴く

願うことの勝利
(The Triumph Desire)

これを2003年2月に書いている。(中略)僕たちの国は、イラクとの戦争に突き進んでいる。今や世界は目立って詩的感性が欠如しているかに見える。その結果、世界はこれ以上喜びや超越性というものが育ち辛い世となってしまった。野心に燃えながら、偉大なものに向かうことは、すべてにおいて僕たちが知っている過去のマネでしかないのだ。マーケッティング(売買)がすべてだろうか。(中略)若者は内面を見詰めるという自身の仕事を忘れ、金と名声だけがすべての動機となってしまった。この世界に対する誠実さとはいったい何か?その意味とは?何故、音を紡ぎ出すのか?創りあげたものの違いとは何か。(キース・ジャレット自身のライナーノートより)佐藤訳。
キース・ジャレットの新譜「アップ・フォー・イット」(UP FOR IT)を聴いている。新譜に針を落とす度に数えきれないほどの驚きを与えてくれたキースも今年で59歳になる。自らは、数年前に慢性の疲労性症候群という難病に苦しみながら、音楽の神が授けたような瑞々しい音楽を淀みなく発表し続けている。

彼の30年以上にも及ぶ音楽活動を振り返る時、矛盾に満ちたものを抱えながら、ひたすら歩み続ける天才の孤独を感じて何故か切ない気持ちとなる。何をもって、人生の成功というのかどうかは、人それぞれだ。キースの音楽一筋の生涯が、いったいどのようなものか、それは平凡な日常を送る私には想像も付かないことだ。ただ、彼の音楽には、当初から、どうにも言葉にできぬ心からの熱狂、興奮、神聖さ、愛らしさ、優しさ、神秘なまでの静謐(せいひつ)など、音楽の全ての要素が備わっていた。初めて彼のまったく主題のない即興演奏(フリー・インプロヴィゼーション)を耳にした時の感動は、今も忘れられない。

どうしてこのような音楽が、神ではなく、一人の個人の中から瞬間瞬間に生まれて来るのかと思ったこともある。ベートーベンの即興演奏は、実に素晴らしいものだったと聞く。ベートーベンの生きた時代には、クラッシック音楽にも即興演奏の流れが残っていた。あの大ドイツ的で構築的な音楽の背景には、実は構築的とか意図的とか論理的といったものを一切排除したディオニソス的な狂喜と熱情がはじけるような即興演奏のエッセンスが織り込まれていることになる。

キースの主題なき即興演奏には、神の祝福にも似た神聖さが随所に感じられる。かつて、キースは、「即興演奏には、準備しない時間が必要だ」というようなことを漏らしたことがある。クラッシック音楽は、いつしか、即興的な演奏スタイルを忘れて行った中で、アメリカに渡った黒人たちの民族的感性が、ブルースを生み、やがて20世紀の音楽革命となるジャズに継承されて今日に至っている。ジャズの神髄は、言うまでもなく主題を自由に展開してゆく即興演奏(モチーフ・インプロヴィゼーション)にある。しかし今日のジャズは、袋小路に入って、本来のみずみずしさを失いつつあるのは確かだ。

様々な天才たちが、この袋小路を乗り越えようと挑んだが、キースでさえもこの袋小路から抜け出せないで、苦しんでいる。人間は、誰しも大いなる矛盾の中で、もがき苦しむ存在だ。キースは、この袋小路を主題なき即興演奏ではなく、ジャズのスタンダードを演奏する中で、見いだそうと、今から20年前に、ドラマーのジャック・デジョネット、そしてベーシストのゲーリー・ピーコックと共に、「スタンダーズ」というピアノトリオを結成した。ピアノトリオは、ジャズの伝統の中でも、人気の高い演奏スタイルだ。考えてみれば、キースは、白人天才ピアニスト、ビル・エバンズが亡くなったことに大きく触発されてこのトリオを結成したのであろう。

ビル・エバンズは、1959年以降、1980年に亡くなる5日前まで、強じんな音楽家魂でジャズピアノの神髄を聴かせてきた人物だ。ジャズピアノの巨人ビル・エバンズの死は、キースの心の中で何かがはじけた瞬間であったであろう。死ぬ間際まで、熱のこもったタッチでしかも抒情性(リリシズム)に満ちた演奏を聴かせていた一人の天才がこの世から消えたのだ。おそらくキースは、自分の中の空白を埋めるようにジャズのスタンダードを、ピアノトリオで、紡いでゆくことを決意したのであろう。時代は天才をもって変化する。音楽の神さまはきっとキースを選んだ。そして神は、キースにこのような啓示を与えたのだ。
「今度この世界を引っ張って行くのは、キースよお前なのだ」

以来、キースは、文字通り主題なき即興演奏とジャズのスタンダード演奏という相矛盾するスタイルを抱えながら、ジャズミュージックを牽引してきたのである。

新譜「「アップ・フォー・イット」は、昨年(2002)7月にフランスの保養地コートダジュールのジャズ・フェスティバルでの演奏である。これ時、大変な雨が、降り続き、とてもコンサートができる状態ではなかったようだ。最後の最後まで、中止か、どうかで悩んだ末に、始められた演奏だったと聞く。この時、ベーシストのゲーリーは、ガンの手術を終えた病み上がりで、中止を望んでいたと、キースは自らが書いたライナーノートに記している。しかしその時、エスプレッソを頼んで、ふっと西の空を見上げた時に、雨の向こう側に、一瞬夕日が、姿を見せたそうだ。この瞬間に、キースは決断をした。
「よし、やろう。僕たちには、治療が必要だ。僕たちには音楽が必要だ」

しかしそれでも雨は、ますます強くなる一方。サウンドチェックでも、ピアノが水浸しで、悲鳴のような音を出す始末だった。そして不安いっぱいで演奏が始まる。しかし奇跡が起きた。その瞬間に、彼らは別の次元にいた。そこは一瞬にして音楽の神の殿堂となった。そして音楽の神は、この三人の決断と勇気を祝福し、彼らの演奏の成功を見守っていた。

素晴らしい演奏。素晴らしい瞬間というものは、完璧な天候や完璧な健康の中でばかり生まれてくるものでない。今やキースのレコードの中でも、伝説的なエピソードになっている。「ソロコンサート」(1973)の演奏の時は、キース自身体調が悪くて、いったい自分が何を演奏したのか、分からないほどであった。後にこれをキースは、「私は創造の神を信ずる。事実このアルバムは、私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものだ」と語っている。この新譜のライーナーの最後をキースはこう締めくくっている。

「演奏の最中、ステージで演奏する以外には他のことなど、もうどうでも良かった。僕たちは紛れもなく音楽というわが家に居た。これを20年以上僕たちの音楽に耳を傾けてくれたみんなに贈りたい。」

特にラストの「枯葉」からキース自身のオリジナル「アップ・フォー・イット」に向かっての集中と緊張、そして熱狂を聴いて欲しい。ここには紛れもなく音楽の神の祝福がある。人は一切の虚飾を脱ぎ捨てた時、その魂が持つ本当の力が現れる。確かにキースがライナーノートに記しているように、「創りあげたものの違いとは何か」(What difference could it make?)という自己自身の問いかけへの回答がこの演奏として結実しているのだ。すなわち昨今の癒し全盛の安易なバックグラウンドミュージックとキースが全身全霊で紡ぎ出す音楽の質の違いは、まさに異次元という他はない。

ヨーロッパが、千年に一度の洪水に見舞われている最中でも、キースの感性は、少しも乱されることもなく、すべてを超越して、天を翔るペガサスのようであった。キースの新譜「アップ・フォー・イット」は、まさに「願う者」への神からの贈り物だ。それは自分を見つめ直し、世界をもう一度、希望に満ちた社会にしたいと思っている人、あるいは詩的感性を取り戻したいと願う人への音楽の神からの贈り物そのものである。佐l藤


追想

さて、このアルバムタイトルの「UP FOR IT」である。何故、「その・ために・上る」というものになったのだろう。キースは、ライナーの中で、何もそのことについては触れていない。物事が、謎があるからいいのだ。すべてを語らないことこそ意味である。ミステリーがあるから膨らみが産まれ、伝説も生まれる。

ソクラテス・孔子・ブッダ・キリスト、これらの人類の偉大な教師たちも、何も語っていない。みんな後にその人柄に触れた弟子たちあるいは敬愛する人々が、想像力を交えて、その人物を創りあげた。

同じように、私も想像力を巡らせて、「UP FOR IT」の命名の秘密をこのように考えたい。すなわち「UP」はステージに上がること、「FOR」は○○への敬意を表すること、そして「IT」は音楽そのもの、と。したがって、僕たちは大雨だったけれど、「ただ音楽のために舞台に上がった」となる。こうしてキースの音楽をこよなく愛する私たちにとって、「UP FOR IT」は、忘れられない伝説の一枚となった。2003.6.13

 


2003.6.10
 

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