日本プロ野球改革私論 

ー日本プロ野球の閉鎖性についてー


2004年7月1日、今のままでは、日本プロ野球が危ない。直感的にそう思った。近鉄とオリックスの合併という話の件だ。どうも話は、地下深くで潜行していて、いつの間にやら、1リーグ制やむなしの流れになってしまっている。どこかおかしい。ふと考えていると、お年寄りの球団オーナーたちと頭の固い両リーグのコミッショナーが野球ファンの気持ちを無視して闇の中で暗躍している姿が透けて見えてきた・・・。

どうも、日本のプロ野球は、どこかの一国社会主義の政権のようにも見えてくる。世界は、もう日本のプロ野球などお構いなしに、新しい時代に流れて行っているのだ。いつまでも、日本国内だけで日本プロ野球を「興行」して行けるなどと考えていたら、壁を築いて、日本の選手が夢を無くして、アメリカのMLBに向かうのを、制度的に抑え付けるしかなくなってしまうのは当然の結果だ。

考えてみれば、何故、野球の最高のステージであるMLBでやっていける才能のある選手が、一国社会主義的の経営感覚の日本の球団で、何年も滅私奉公させられなければならないのであろう。ここが分からないのだ。今回、経営難に陥っているのは、近鉄とオリックスであるのは、何やら象徴的な意味を持つようにも思える。

というのは、近鉄球団とは、かつて野茂投手が、「11」番の背番号を付けて颯爽と活躍した球団である。そのマークは、世界的な芸術家岡本太郎がデザインしたものだ。野茂がアメリカに行こうとした時、亡命者か裏切り者でも見るような目で、野茂はリスクを負って海外に渡った。その強い気持ちが今日の野茂の成功の背後にはある。

オリックスには、天才イチローがいた。はじめ巨人OBの土井監督時代に新人として一軍に上がってきた時、「振り子打法を止めなければ、一軍では使わない」とかなんとか云ったそうだ。しかしイチローは、「振り子打法」を操って、首位打者を何年もとり続けてついには、MLBを目指して太平洋を渡ったのである。

日本の野球とアメリカのベースボールの違いがよく言われる。この際細かいことを云っても仕方がない。一番の違いは、一国社会主義の経営とインターナショナルの違いと言っていいかもしれない。日本のプロ野球は、自国の選手を、徒弟制度の職人のようにして囲い込もうとする。それに対して、アメリカのベースボールは、世界中の選手に門戸を開いている。MLBの試合を見ていても一目で分かるが、アメリカ人選手の数は、本当に少ない。中南米の選手を中心にして、才能豊かな選手たちが、日本の野球のように「外人枠」などという差別的な待遇を受けることなく、どんどんと球団の中心選手に納まり、自国では考えもつかないような高額の報酬を受け取っているのである。まさにアメリカンドリームがここにあるのだ。

日本の「外人枠」という馬鹿な制度を維持するつもりであれば日本野球に明日はない。今後日本の野球機構が改革すべきは、まず一国社会主義的体質を直ちに払拭し、日本のプロ野球をアジアに向け、世界に向けて、解放すべきである。アジアリーグ構想というのも、ひとつの考え方だ。例えば、日本と韓国、台湾には、すでにプロ野球があるのだから、これらを結ぶ。と同時に、香港や中国本土の上海や北京などの大都市に、球団を拡げて行くことも可能だ。広いアメリカで、どのように選手たちが動いているかを考えるならば、中国経済の発展とも相まって、野球が東アジアの人々の心を結びつけることに通じて行くかも知れないのだ。何と夢のある話だろう。

今、世界の経済界では、FTA(自由貿易協定)という言葉が盛んに使われるようになった。アジアではまだこの考え方は、まだ教科書の中の、単なる「理念」のようにして使われているが、EUやアメリカ大陸では、既に現実に機能している。これまでの常識は、貿易に関税という障壁を設けて、自国の産業を保護するやり方が一般的だったが、自由貿易協定の及ぶ地域とすることで、貿易のやり方が劇的に変わるのである。弱い自国の産業を保護するというやり方では、いつまで経ってもその産業は強くならない。思い切って障壁を取り払って、自由に良い商品を流通するようにするのである。これまで、日本の農業は、弱い産業とばかり思われていたが、最高の品質が好まれる食料品の世界においては、リンゴや柿、サクランボ、米さえも、他国の追随を許さない高級食材として認知されつつある。これらは実に利益率の高い競争力のある商品である。

そんな中で、日本のプロ野球というものについて、私は産業的に弱いものだとはちっとも思わない。問題なのは、「このままでは大リーグに優秀な人材を引き抜かれてしまう」と否定的な感覚に囚われて、ますます門戸を貝のように固く閉ざす傾向にあることだ。だから、みんな縮こまって、「人気チームの巨人との試合ができれば収入は増えるのでは」などとせこい皮算用をして、一リーグ制に流れてしまっているのである。

例えば、今や日本プロ野球を代表するプレーヤーとなったダイエーの城島捕手が、盛んにMLB行きを口にするようになった。その度にダイエーの幹部は、渋い顔をする。でも逆に言えば、大リーグの一流選手を見返りで、取ってくればいいだけのことではないか。要は「人材を取られる」という一国社会主義的な感覚がある限り、日本のプロ野球に未来はない。日本選手でも、アメリカの選手でも、他のアジア諸国の選手でも、ファンは、ただただ最高のゲームが見たいだけなのである。

結論である。日本のプロ野球機構は、もっともっと若返って、門戸を世界に。そして選手は、年棒アップを言う前に、もっと技を。ファンは、もっと大人になって、鐘や太鼓の学生野球の応援スタイルからの脱却を。・・・目指してして欲しい。そんなことを思った。了

 

 


2004.7.1

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