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白旗神社の義経藤

2003年4月29日、義経公を祀る神奈川県藤沢市の白旗神社に参詣した。

四月三十日が、義経公の命日、つまり義経忌なので、自然と藤沢に足が向いた。小田急線の藤沢本町で降りると、やや日は西に傾き始めていた。まず向かうのは、義経公の首洗い井戸である。相変わらずマンションと民家に囲まれた狭い路地を抜けると、殺風景極まりない義経公首洗い井戸が現れた。手向けた花もない。石碑の横には、種屋さんのトラックが横付けされていた。

そのトラックには、黒いビニールに花の芽が積まれていた。井戸の周りの紅葉の若葉が、春風に揺れている。急に寂しさが込み上げてきた。ベンチの前には、この首洗い井戸の由来を記した板碑があるのだが、義経公が亡くなった年を文治四年(1188)と間違えている。二年ほど前、藤沢市の教育委員会に、電話を入れて、「間違えていますから、速やかに直した方がいいですよ」と、言ったのだが、まだ直していない。また。これは後で聞いた話だが、首洗い井戸に、種屋の女将さんが、花を植えたところ、勝手なことはするなと市の職員からお咎めを受けたというのである。実に情けない。市の関係者は、日本史上屈指の武将にして英雄の源義経公の史跡を、いったいなんと考えているのだ。

 藤沢の史跡と云うは名ばかりで板碑の誤記すら直す気市になし

若葉とマンションの間をぬって、白旗神社に向かう。神社の前に、何かけばけばしい看板が立っている。見れば、ラーメン屋や焼き肉屋など複数の店が入っているパワーステーションというようなビルが建っている。聞けば三井不動産が建てたものらしいが、実に周囲の景観とマッチしていない。建設も突貫工事のようにして、二ヶ月ほどで、住民の反対もものかは、あっという間に建ってしまったようだ。「藤沢市の建築許可も下りていて、何もできないままこのようになった」と、近くの商店の主人から話を聞いた。

考えて見れば、この辺りは、「藤沢宿」と言われる古い宿場街の面影を今に伝えている場所だから、景観を考えた条例なども考えないと、どうしようもない殺風景な街になってしまう危険がある・・・。

 白旗の社の前にけばけばしパワーステーションの無礼千万

神社の境内に入って、手を清め、本殿に向かった。若葉が眩しく輝いている。鈴を鳴らし、義経公に手をあわせる。社務所に向かい近藤宮司に挨拶をした。義経藤と弁慶藤の話を聞いた。義経藤は、純白で美しい。いかにも義経藤の名にふさわしいと感じた。現在、30cm位だが、大体40cm位に連休までには成長するということだ。

「今年は紫の弁慶藤の花芽の付きがどうもよくありません」宮司は、境内の南奥にある弁慶藤を見ながら言った。確かに純白の義経藤と比べると、花の房がまばらであった。この弁慶藤は、7,8年前に埼玉の青葉園の藤を頂いて咲かせているそうだ。大体連休の頃には、房の長さが、120cm〜140位まで、成長するそうだ。そして色の方も初めは、淡い紫だったものが、どんどんと濃い色に変わってゆくそうだ。

 藤の花春たけなわと咲き誇り英傑去りし日を偲びたり

佐藤
 

 


2003.4.30

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