童話 山形先生の四十九日間の旅 

山 形隆昭先生の御霊に捧げます

中尊寺蓮

 
早いもので、明日(2003年8月29日)は、
山形隆昭先生の四十九日の法要の日にあたる。
今頃、山形先生は、どの辺りを歩いておられるだろう。
四十九日間の旅は快適だったろうか。
そんなことを思いながら、目を瞑ると、こんな情景が浮かんだ。

遠くに青く高い山が霞んで見える。須弥山だろうか。
ともかく一本の道が、その山に向かって野を越え谷を越えて延々と続いている。
野山には色とりどりの花が咲き、蝶たちが花の周囲を舞っている。
鳥たちの語らいも聞こえる。

山形先生は、ハイキングにでも行くような格好で小さなリックを背負い、
道の中央を、楽しげに歩いている。
その周囲には、年の頃なら十才位の子供たちが、数人ばかり先生を取り巻いている。

知り合いになった浄土の子たちだろうか。
きっと先生の話が面白いので集まってきたのだろう。
「どうだ。少し休もうか。おにぎり食べよう。おいしいぞ」
「先生。おにぎりって何ですか?」
「まあ、食べたらわかるさ」
道ばたの大きな石に腰を下ろすと、先生はリックから、おにぎりを取り出して、
「ほら、これがおにぎりというものだよ。食べてみなさい」と、一人一人に優しく手渡した。
子供たちは、おっかなびっくりで、手にしたおにぎりをしばらく見ていたが、
「よし、食べるぞ」と云ってひとりが、食べはじめた。
「何てうまいんだ。みんなおいしいよ」
するとみんなは夢中になって、おにぎりを食べはじめた。
子供たちの口の周りには、白いお米がついて、みんな他の子の口を指さしながら、クスクスと笑った。

先生は、おにぎりを頬張りながら、子供たちに、こんな話をした。
「今、娑婆世界ではね。とっても子供たちの心が荒れているんだ。君たちはいいな。こんな平和できれいな世界に住んでいてね。娑婆では、いたるところで戦争 が続いていて、子供たちが傷ついている」
すると、ひとりの子供が答えた。
「ぼく、知ってるよ。アフガニスタンとパレスチナとイラクの子供たちでしょう。この前、何十人も、この道を真っ青な顔で歩いて行った。『どうしたの?』っ て聞いたら、『爆弾にやられた』って悲しい顔で泣いていたよ。」

「そうだったの。僕はね。歴史の先生だったけれども、まさか、自分の生きている時代がこんなに人間同士が傷つけ合う世の中になるとは思わなかった。私たち の時代は、ふたつの大きな戦争を通り過ぎたばかりで、今度はヒトラーのような指導者を出してはならないし、広島や長崎に落とされた原爆のような悲劇を二 度と繰り返してはならない、という強い思いが、世界中の人々には在って、それが社会を間違った方向へは、導かないはずだ、ということを思っていた。ところ がそれが見事に裏切られたような気がする。『戦争をなくすのは戦争しかない』って云った政治家もいたが、それは間違いだ。結局、歴史に おいて戦争が無くならないのは、人間自身が、戦争に一定の意味を持たせて神話化してしまったことにあると思うな。」

「神話化って何?」

「ごめん。ごめん。理屈を付けて、みんなに戦争を正しい行為と思わせたことだな。悲しいことだよ。戦争を起こしてはいけない。戦争で犠牲になるのは、子供 たちなんだ。今、娑婆世界では、世界中の罪もない子供たちが戦争によって傷つき泣いている。そしてみんな のように教育も受けられずに、貧困に喘いでいるんだ。この平和の浄土から、私たちのメッセージが届くといいね。そう思わない。」

山形先生が、そのように云うと、浄土の子供たちが、みんなで肩を組み、大きな声で、
『平和・平和・平和よ・来い』と叫び始めた。すぐに先生も子供たちのスクラムに加った。そして何度も何度も
『平和・平和・平和よ・来い』と叫んだ。最 後には、みんな涙を流し、汗と涙で顔をクシャクシャにしながら、それでも 『平和・平和・平和よ・来い』と叫んだ。先 生も子供たちも声がかすれるまで 『平和・平和・平和よ・来い』と叫んだ。

すると不思議なことが起こった。東の空に、白い雲が集まって来て、空一杯に、
『平和・平和・平和よ・来い』(ピース・ピース・ピース・カモン)という字が並んだ。
「そうだ。これでいいんだ。すごいな。いや、君たちすごいな。君たちの思いは伝わる。絶対に伝わる。ほんとうに戦争をしちゃだめなんだ。
君たちすごいな。

そう云って先生は笑った。子供たちも、花のような笑顔で笑った。

「じゃあ、僕は行くよ。また君たちとどこかで会えたらいいね」
「先生、きっと会えますよ。僕たち、娑婆のことを聞いて、とても黙っては居られません。娑婆に生まれて、平和の世を創るために、役に立ちたいと思います。 先生は、大切な人が待っている娑婆世界に、また戻られるのでしょう。後で参ります。先生と一緒に平和な世界を創りたいな。」

「へえ。ありがとう。ありがとう。うれしいな。とってもうれしい。絶対に会おうね。待ってるね」

浄土も日暮れが迫っていた。
西の空には紫の雲が低くたなびいていた。
子供たちとさよならをした先生は、とても爽やかな気持ちになっていた。
心の中で、希望のような思いが入道雲のようにモクモクとわき上がってくるのを感じた。
四十九日間で、もうすっかり旅慣れた様子の先生は、まるで西行か芭蕉のように見える。

俄(にわか)西行の先生の心に、ふと歌が浮かんだ。
忘れたらたいへんだ。
先生は、ガサガサと備忘録を取り出すと、
「死ぬことは 浄土に行って しみじみと わが人生を振り返ること」
「旅慣れて 浄土の空に書く平和 浄土の子らと肩を組みつつ」
「よく生きて よき友 よき妻 よき子らに 囲まれ生きて感謝あるのみ」と詠んだ。

備忘録をパラパラとめくると、昨日、記した言葉を、浄土の群青色に染まった空に向かって発した。
「人生はやるしかないのだよ。人生はなるようになる。そんなに根を詰めて、頑張らなくていい。未来は生きているお前たちの心の中にある。今正しいと思うこ とを精一杯に考え行動すれば、きっと良き未来は目の前に在る・・・」

じっと空を見上げながら、先生は大事な人たちのことを思った。
ひとりひとりの顔が浮かんだ。
自分の訃報に傷つきながら、必死で立ち直ろうと する人たちの今が浮かんだ。
先生は、ほっとした。
すでに浄土の世界は、夜の帳が降りて、
世界中の宝石という宝石を空に鏤(ちりば)めたような星空がどこまでも広がっている。

先生はポツリと呟く。
「早いもんだな。明日は四十九日目か。自分を見つける旅も今夜が最後か。還相回向(げんそうえこう)の時は、もう間近だ・・・。」 その言葉が言い終わる か 終わらないうちに、
須弥山の背後から金色に 輝く浄土の月が昇ってきて、先生はそのまばゆい光に包まれて見えなくなった。
二〇〇三年八月二十八日
 佐藤 弘弥 

 


2003.8.28
 

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