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戦争の記憶忘るまじ
 

−56回目の終戦記念日−

 
 また今年も終戦記念日がやって来た。今年で56回目となる。まず我が家族の蒙った戦争被害から語らせていただこう。それは何も被害者としての自己を強調するためにそうするのではない。ただあの悲惨な戦争というものを、歴史というよりは、まずは己の家の事として、また激しい痛みを伴った記憶として、あるいは心に深く刺さった棘として、私自身の心の内に焼き付けるためにこそそうするのである。おそらくこれからあの戦争(第二次大戦)は、否が応でも歴史として本の中の記述として語られる傾向になるだろう。私はそれがたまらなく歯がゆいのである・・・。

我が家族にとって、大戦は寝耳に水の悲劇であった。それにしても、いったい我が家族にどんな罪があったというのだろう。当家で期待されていたはず若き跡取り主は、南方の戦線に送り込まれ、ルソン島で悲惨な最期を遂げた。その時、幼子を抱えた若い母は、何がなんだか、分からないままに、戦争未亡人となってしまった。この時母は、まだ二十二才であった。その時から、母の人生は明確に変わった。そして彼女の中で時間が止まってしまった。それからというもの、戦争の二文字が、母の脳裏から消えることはなかった。

概ねこれと同じ悲劇のドラマが日本各地で繰り広げられたことだろう…。

自国を神国と教え込まれ、軍国主義教育を受けた我が親たちの世代の若人は、死ぬことの意味すら分からぬまま、ある人は特攻機に乗り、ある人は人間魚雷となって、自国の勝利を信じながら、巨大な米国艦隊に体当たりをして海の藻屑となって死んでいった。

そんな悲惨極まりない戦争の原因は、いったいどこにあったのか。我々日本人は、そのことを問い続ける義務がある。たとえどんなことがあっても、「若者の純粋な愛国心」等という美しい言葉で、あの大戦の悲惨を飾ることは、絶対に許されるべきでない。あの大戦にとって、救いなど、どこにもなかった。ただそこにあるのは、偏った情報を信じ込まされた民衆の悲惨と誰も責任を取ろうとしない戦争遂行者達の醜い姿が、そこに在るだけではないか。実際は、負けている戦況を、あたかも勝っているかの如く報道をした大本営が悪いのは当然だが。その情報操作には、少なからずマスコミも荷担していたという現実もあった。

パールハーバーの奇襲作戦を立案した山本五十六連合艦隊司令長官(1884−1943)は、敵となるアメリカという国家の国力を正確に把握しており、奇襲から早い時期に、何らかの外交的手段によって、アメリカと講和しなければ、持ちこたえられないと戦況を読んでいたと言われる。しかしそんな長官の願いは、何処かに押し流されて、頑迷な戦争遂行派の軍人たちに率いられた我が日本は、最後には、人類史上最大最悪の最終兵器原爆をもって、徹底的に叩きのめされてしまうハメに陥った。

戦の書「孫子」の冒頭(計篇)には、次のように書かれてある。
「戦争は国家の大事であり、存亡の分かれ道だ。だからよくよく熟慮してかからねばならぬ。しかも…戦争とは、詭道(正しくない手段)である。」要するに戦争は、政治が思うように機能しない時に、政治の詭道として国家同士で行われるいざこざなのである。もしも国家が、外交手段に頼らず、己の軍事力にのみ活路を見い出す時、その国の未来は、危ういものとなってしまうことは、古今の歴史が教えている所である。その意味でも、あの大戦を指導した人々の心の根源にあった軍事と戦争関する考え方がまずは問われなければならない。

結論である。終戦記念日が、一年又一年と、繰り返されて、今年で56年の歳月が流れた。しかし事、私の家の母の心ひとつを見ても、けっして戦争は彼女の心の中では終わっていない。つまり私の母は、一生戦争の傷を背負って生き、死んでいくしかないのである・・・。かといって今さらこのような取り返しのつかない永い悲劇を民衆に与えた責任の所在を、もはや処刑されてしまったA戦犯東條英樹(1884−1948)の亡霊に科すことは不可能である。そのような今日にあって、我々は、戦争被害者の子孫としての一方で、アジアの人々に対しては、戦争における加害者であった軍人の末裔であることも忘れてはならない重要な側面である。その上で、自らの内にある記憶としての戦争を、民衆の経験として、あるいはまた日本人の心の傷として、この戦争そのものを語り継いでいくべきではあるまいか。佐藤



  終戦記念日の母に捧げる歌 六首

終戦の黙祷捧ぐ母の目に56回目の涙誰も触れ得ず
大戦の苦労を背負い一身で家を守りし母を誇りとす
忘るまじ戦争の日の記憶こそと常日言いし翁逝き給う悲し
わが母は玉音放送聞くようにテレビの菊に頭を垂れし
母に取り時は止まりぬ終戦の玉音放送聞きし時より
生者焚く藁の火に乗り亡者はや還り給うや黄泉の国へと
 

 


2001.7.30

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