貴乃花の十五日間


 
貴乃花の15日間の進退をかけた闘いが終わった。結果は12勝3敗。優勝は出来なかったものの、横綱の一年4ヶ月振りの復帰としては、堂々たる成績だった。千秋楽で、全力を尽くして、正面より貴乃花を寄り切った横綱武蔵丸にも拍手を送りたい。

優勝インタビューで、彼ははっきりと言った。
「ずっと、彼(貴乃花)が帰ってくるのを待っていた。(その時、観客から、貴乃花に勝っての優勝でおめでとうと、いう声援が飛ぶ)・・・12回の優勝で、今回の優勝が一番うれしい」

貴乃花が負傷した足を引きずりながら、優勝決定戦で、この武蔵丸を豪快な投げで下してから、武蔵丸はずっと苦しみ続けていた。「あれはワザと負けたのでは・・・」という心ない声も聞かれた。だからこそ、武蔵丸は貴乃花が復帰してくるのをずっと待っていたのだ。「うれしい」という言葉の裏には、様々な武蔵丸の思いが含まれている。

貴乃花が帰ってきて、「うれしい」
貴乃花に勝てて、「うれしい」

力士は、土俵でこそ雄弁に語るものだ。そのことを今秋場所で初めて知らされた気がした。最近しゃべりすぎるタレントの如き力士が多い中で、今場所の貴乃花ほど、無言を通した力士も居なかった。誰が何を聞かれても、答えなかった。とにかく土俵の刹那の勝負に掛けていた。兄弟子の貴闘力が引退の挨拶に来た時も、うわの空だったと言う話だ。分かる気がする。もう他人のことを考えられるような心境ではないのだ。

貴乃花の集中にはある種の狂気すら感じる。私は今でも思っている。一年四ヶ月前、貴乃花が負傷した武蔵丸との優勝決定戦の時、二子山親方は、千秋楽の一番はともかく、優勝決定戦は不戦敗にして、貴乃花をどんなことがあっても止めるべきではなかったのか、と。もしも親方が駄目なら、理事長自らが行って言い含めるべきであった。まさにあの時、貴乃花は、鬼のような形相で、武蔵丸を打ち破り、男ぶりを示した。

もちろん奇跡の優勝と言われた。その時に、首相の小泉さんは、「感動した」などと叫んで、世間の話題を呼んだが、少なくても私は何も勝負のことなど分かっていないと感じた。結局は、あの時の親方ないしは理事長の判断のミスが、貴乃花に一年四ヶ月という長期の療養を強いることになったのだ。

闘いの場にいるものは、とかく目の前に倒すべき敵がいれば、絶対に後に退くことを嫌がるものだ。特に貴乃花クラスの人間は、死んでも土俵に立つ位の意志力はある。ちょうど衣川の館で、立ち往生しながら、死んでも己の使命を全うした武蔵坊弁慶のようなものだ。あの時に、止めていれば、この相撲界の至宝を傷つけずに済んだと思う。私はあの相撲を、痛々しくてまともに見れなかった。貴乃花の負傷した足は、ブラブラの状態で、自分で関節をはめるという有様だった・・・。しかしもう愚痴を言うのはよそう。

とにかく相撲界の至宝貴乃花は返ってきた。今場所の貴乃花から、人はそれぞれに何かしらのインスピレーションを貰ったはずだ。私は人生の岐路に立った時の身の処し方を習ったような気がした。誰だって人には試練の時というものがやって来る。人はその試練にたった一人で立ち向かわなければならない。その時に如何にあるべきか。状況を変える唯一の方策は、貴乃花のように、ただただその日その取り組みに集中し、自分を信じ切ること。それ以外にはない。そう学んだ。佐藤

克つ以外ほかに道なき彼の人の勝ちにこだわる生き様称ふ
 

 


2002.9.20
2002.9.24
 

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