「自然と人間第46号」―座談会ドキュメンタリー映画『新しい神様』をめぐって―(2000.04.01)


○司会
これからドキュメンタリー映画『新しい神様』を監督した土屋さん、『天皇と接吻』で読売演劇大賞を受賞した劇作家兼演出家の坂手洋二さん、演劇評論家の七字英輔さんに天皇・天皇制と映画・演劇について語っていただきましょう。

○土屋
もともとビデオアートの短い作品をつくっていましたが、世の中に何か発言してマスメディアの状況や社会状況を変革させたい、そんな風に思う人たちと結びつきができて、民衆のメディア連絡会を運営してます。『新しい神様』を去年の6月に完成させました。

○坂手
「燐光群」という劇団を17年くらいやってきました。『天皇と接吻』という芝居は、ニューヨーク在住の映画研究家、平野共余子さんの10年くらい前の英語の論文が翻訳され、ご本人からこれは芝居になるんではないかという示唆を受けまして、一種の挑戦状みたいなものだから受けて立たねばなるまいと思ってやった仕事でした。

○七字
最近の演劇についていえば、80年代に較べて90年代は表現の質がいくらか厚くなったかなという気がします。問題意識がそれぞれの劇作家のなかではっきりしてきた。そのひとつが天皇と国家の問題を演劇という枠組のなかで考えていこうという動き。特に昨年は日の丸・君が代の法制化もあって、その問題が集中的に出てきた。野田秀樹が書いて2劇場で競演した『パンドラの箱』や、大阪の劇団「199Q太陽族」の岩崎正裕作・演出の『永遠の雨よりわずかに速く』がそうですが、ことに『永遠の〜』は坂手さんの芝居に近いものがある。日の丸・君が代をめぐる教育現場での右傾化の問題、神社と国家神道の問題、さらには神社と右翼・暴力団との関係などが扱われています。

○司会
『新しい神様』は2月のベルリン映画祭ヤングフォーラム部門で上映されたのですね。

○土屋
解説文からみんなすごい政治的な、右と左が激突するものを想像してたらしい。そのため政治的な問題を個人の等身大の視点から描いてる、あるいは個人の思いから政治的なものを捉えてるところに評価ととまどいがあったかなという気がします。評価としては、「国家とかそういう大きな物語を崩すためには、この場の小さな物語を積み上げていくことでしかできないんだ」っていう僕の主張を理解してくれた。とまどいという部分では、「この映画のなかでは左翼と右翼という思想をまるで新しい車を買い換えるように、今度は右翼にしておこうという風に見えるが監督自身どう思ってるんだ」とか、あるいはこの中に出てくる雨宮さん(右翼バンドで絶叫する女性歌手)は、民族派っていうのは想像力から発するものだから、それがあって右翼を選んでるのかと思ったら、「単に寂しがりやのばかな女の子がより所を求めるためにふらふらしていて最終的には個人的な問題を監督の愛で解決しようとするありきたりの話じゃないか。100分も費やす映画じゃない」と言われて・・・個人がはっきりしてるじゃないですか、あるいははっきりさせなきゃいけないんでしょうが、ドイツでは。だから映画に出てくる自分探し、一体自分はどこにあるの?みたいなのを見てイライラする人と、実はその気持ちがわかるという人の二通りいて面白かったですね。

○坂手
観客の年齢によって反応が違う?

○土屋
ええ。やっぱ日本でも同じなんですけど、年齢が高いとお前、右翼わかってないとか左翼わかってない、と。

○七字
オーストリアが右翼政党と連立政権を組んだことでドイツ人に危機感はありましたか?

○土屋
ドイツの人からは聞けなかったんですけど、オーストリアのテレビ局の人に取材されたので、その人に話を聞いたんですよ。「何故そういう政権が誕生したのだと思いますか」って。僕と同じ年くらいの彼は「退屈だからじゃないかな」と。「失業率もたいしたことなく、すごい社会的な問題があるわけでもないし、退屈してるから世の中ちょつと動かしたいと思ってるんじゃないかな」と言う。それは『新しい神様』の雨宮さんたちの心情と近いものがあるんでびっくりしましたね。

○司会
そう答えたその人は、退屈だからハイダーの党を選んだということを自分でどう受け止めていたんでしょう。恐いことです。退屈だから国民の多くが極右を選んだなんて。ところで坂手さんは『新しい神様』をどうご覧になりますか?

○坂手
僕が80年代にやっていたこととつながるんじゃないか。「秋の嵐」の仲間の「テーゼ」というバンドに芝居の音楽をつくってもらったり、他にも政治意識を持った音楽グループと一緒にイベントをやることが多かった。僕らは80年代の前半に、「数年後にヒロヒトは死んじゃうだろうからそれに向けていろんなことが起きるだろうけど、表現者の対応が遅れてるんじゃないか。自粛とか当日の社会的な規制とか、向こうのプランは出てる。それに対応する表現者のアンチ・テーゼとしての葬式イベントをやろう」と、CRYの(泣くではなく) 叫ぶ方、騒いでわめこうと。京都大学に西部講堂があって、あそこの連絡協議会からまず京都でクライデイ・イベントという企画がドーンと出てきて、東京でやる方のグループを東京クライデイって呼んでた。天皇が死んだ日から4日3晩ぶっ通しの100時間イベントをバリケードをつくって西部講堂でやったりね。大葬の日、新宿区で唯一、一日中ぶっ通しのイベントをやったのが僕らだった。僕は「秋の嵐」派とは若干方針に齟齬があって・・・彼らの考え方のままだと、ヒロヒトが死んだ後に運動は失速するだろう、と。その予想があたって、実際みんな反天皇を中心に立てた形ではほぼ裁判闘争のみに移行してしまった。だからこの10年は自分自身も含めて直接的なことはあまりしてないという忸怩たる思いがあって、映画を見て僕自身いろんなことを思い出した。僕らは一応フィクションとしての演劇をつくってるんだけど、現場でものをつくるってことは、自分自身が社会の中でどういう風に書き、どういう意識をもって生きているかということの反映だし、出演者自身もどういう意識をもってそこにいるか。それが映像では写っちゃうし、舞台ではダイレクトに感じさせてしまうから、表現というのはどんなものでもある種ドキュメンタリーだと思う。その時代を、時代の風潮・思想を反映してる。だから僕は劇団という形で一種のドキュメンタリー表現をやってるんだという意識がある。僕が『新しい神様』で面白かったのはビデオカメラを雨宮さんに預けて監督は帰っちゃって、部屋で彼女が自分で撮るところ。撮ってるのは彼女本人だから監督してるのも彼女じゃないか。お前(土屋)、監督なのか、と。冗談で思ったり。もちろんある関係制を掌握してその責任をとるというのがディレクション(演出・監督)の仕事だから、それ(土屋さんのやり方)もありなんでしょうけど。テーマでいえば国家とか、大きな問題を考える時に、身近な問題、目の前にある問題を通過しないとだめなんじゃないか、ということは確かにあると思う。それがやっぱり対幻想とか、家族とか共同幻想とか・・・個人幻想からだんだん大きな幻想にひろがっていく時の過程みたいな意識というのは必要だと思う。演劇でもある時期から共同体を描く時に家族にテーマを持っていく方向にいっちゃった人がわりと多い。しかし、家族ということで国家などのものごとを測るには、今はものごとがより広域に複雑化しているんじゃないかなと思っている。

○七字
雨宮さんは映画の中で自分は「寺山オタクだった」と言ってますよね。寺山修司は60年代に『あなたにとっての日の丸って何ですか』というTVドキュメンタリーをつくっていて、土屋さんが『新しい神様』の前につくったドキュメンタリー『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?』と発想の上で似てるから、それで土屋さんは雨宮さんに興味を持ったのか、とも思ったんです。ただ、寺山はドキュメンタリストとしても確信犯で、基本的には天皇制否定論者だった。その点、同じように一般の人々のインタビューで構成したドキュメンタリーといっても、土屋さんの『あなたは天皇の〜』は、かなりナイーヴです。靖国参拝にきた老人たちが対象だから回答もある程度察しがつくし・・・

○土屋
そのある程度察しのつく回答の中にどういう裏腹な思いが隠されているのかを直接のやりとりの中から探りたくて、96年8月15日に靖国でインタビューすることにしました。その前の95年には新宿編をつくっていて、こちらでは通行中の若い人やいろんな人にきいています。

○七字
寺山オタクの雨宮さんが何故右翼にいくのか。雨宮さんもいわゆる小劇場系の演劇少女に多いタイプで、自意識が満足できるならそれが演劇でも天皇でもどこでもいいんじゃないか。さっきのオーストリアのTVジャーナリストの言葉でいうなら、日常が退屈だからということでしょう。ただし、退屈だからといって簡単に天皇主義にシフトすること自体はやはり考えさせられるけど・・・しかし、『新しい神様』を見る限り、右翼バンドのリーダーの伊藤さんも含めて「天皇」という時の言葉が、借り物の言葉をしゃべっている感じがして、いかにも弱い。だから結局ふたりは右翼団体から離れるということにもなるのだろうけど。

○司会
土屋さんはベルリン映画祭で左翼のあなたが何故右翼を撮ったのかと聞かれたとか。

○土屋
「あなたは左翼?右翼?」って言われると、「いやあ・・・」って思うんです。自分が自由に生きていくために天皇制はなくした方がいいと思っているだけであって、それを左翼と言われてもわかんない。人が左翼というレッテル貼って安心して僕を見るとしたら、それはちょっと違いますよ、と。新車を買い換えるように右翼・左翼を変えるのかに対しては、「思想とか生き方とかはそうコロコロ変えられるものではないから新車を買い換えるのとは違うけれど、自分は左翼であるとか○○主義者であると思った途端人間おかしくなる」と僕は答えています。雨宮さんたちに近づいたそもそものきっかけは、小林よしのりの「戦争論」がなんで売れたかということを考えたかった。あんなの売れるのおかしいと思うが、売れた原因を探らなきゃいけない。あの本を批判する人は資料合戦をしている。それも大事ですが、売れた原因を探らない限りこういう本は売れ続けるだろうから原因を探りたい。「戦争論」を支持している人の心情も探りたいし、その心情って僕が持ってる社会に対する違和感と近いような気がした。違和感ていうのは、自分と社会との接点をどこに見いだすか・・・俺が動いたらこの社会変わるんだろうか。何やっても資本の膜に覆われてるような感じがする。たとえばインディーズ・バンドもインディーズということが金になったりする。こんなんでどうすんの、僕達?みたいな、そういう生きづらさ、閉塞感。自分の存在感がわからなくなってる。雨宮さんも自分は何かの役に立ってるだろうか、必要とされているのか、と。

○七字
『新しい神様』を見て僕がフラストレーションを起こすのは、彼らのそうした違和感が天皇崇拝にいく根拠が明確にならない点です。

○土屋
寺山オタクだった彼女は、寺山がカッコよかったから。翻って自分は半径何メートルの世界にしか生きていないと。

○七字
「半径何メートルの自分」って言葉も寺山からの借り物ですからね。彼女は寺山の作為的なアジテーションをそのまま受け止めている。寺山オタクなら『藁の天皇』を読んでいてもいいと思うけど。日本の天皇制は宗教以前の呪術だと彼は言ってます。そういう類感媒体としての「天皇」利用の政治が、天皇史のもうひとつの側面だ、とも言っている。寺山は、だからもうひとつの類感媒体として演劇を組織したので、本来なら寺山オタクは右翼には行かない筈なんだ。

○土屋
雨宮さんの場合は、かつては社会との接点がリアルにあったということへの憧れだと思う。今の世の中は消費のなかに人は自分を見出していく。消費社会の中で彼女はすごく抑圧を感じた。誰かよりもっと綺麗にしてなきゃいけないとか、さまざまな抑圧から降りたくなった。降りてみると、自分は寺山のように社会と密接に関わりたいと思った。左翼というか、反体制の人との出会いもあったようですが、しっくりいかなかった。多分、言葉がストレートに彼女に通じなかったんだと思う。ストレートに感じられたのは、かつては社会のことを考え、国のために一生懸命に戦って自分の欲を抑えて死んでいった人がいたんだよと言われた時。彼女自身相対的に見ているところはある。そんなものは物語であってウソであって、それだけじゃないってわかってるけど信じたい。物語のさきっちょに天皇がいる。綺麗な物語を信じることによって今のだめさ加減から逃げたい、と。

○坂手
全共闘世代の新左翼って自己否定から入るじゃない。彼女にすれば右翼に走った理由としてこんなに抑圧されてるんだから、この上自己否定を求められたくないっていうのもあるんじゃない(笑)?

○七字
むしろ僕は、坂手さんの『天皇と接吻』に出てくるような、暴力も辞さない反動的な右翼「日本史研」の高校生に興味があります。何を求めていいかわからない若者たちが流動している状況・・・オウム真理教に行ったり、風俗的に言えばカリスマ美容師にたかる少年少女が増えているなかで、そうした若者を政治的に右翼として組織しようという同世代の若者たちがどの程度出てきているのか。それが気になりますね。

○坂手
知り合いの教師が言うには、彼女の勤める私立の進学高校に小林よしのりの『戦争論』を受け売りしてる優秀な生徒がいて、彼がみんなを煽ってるって。『天皇と接吻』の高校生たちの原像は、自分の高校時代の記憶からつくったけど、『戦争論』が売れてるということで、僕も何かしなきゃいかんと、まずは去年の夏、演劇人の君が代・日の丸反対署名運動をやった。なんで『戦争論』が売れてるかというと、ひとつはマンガだから。読みやすいから。あと、この10年間で完全に左翼的なものが弱くなったから。昔は僕らがあること(表現活動)をすると、右翼や何かがいろんなこと(攻撃)をしてきたんですが、『天皇と接吻』では何もない。昭和の間は右側の人達は、天皇についての言論や戦争責任の問題は表面化させるな、というのがあった。ところがこの10年間は「言論化していい」と変わった。特に去年あたりから完全にスイッチを変えてきてる。僕が天皇制を否定するひとつのやり方はその同義反復性を突くことなんですね。信奉者たちにとっては、天皇は何故えらいかっていうと、天皇は天皇だからえらいんだ、と。そういうトートロジーの論理があってそれが僕にとっては敵である。小林よしのりや雨宮さんのように「美しいしっかりしたもの」を過去に求める人たちは、そういうものが昔はあったのに「戦後民主主義」の人たちが汚してる。だからそれ以前の時代に戻りたい、と。しかし、昔にあったそれが何故いいものだったかについて疑わない。ほんの10数年前までは戦争は遠い過去であって、その頃20代だった人が歴史を語る時に見ていたのは戦後民主主義の歴史だった。例えば安保ですね、60年であれ70年であれ。左側の中で全共闘世代を攻撃した人たちも戦後の民主主義がどういう風になってきたかというその10年の違いをもとにしたモノサシで歴史を読みとっていく作業をしていた。ところが今、小林よしのりの『戦争論』的なものが出てくることができるのは、戦後民主主義の40年間、50年間の歴史がポーンとなかったことにさせられてるから。彼らにとっての現代日本の歴史は今の若者が知ってるこの10年間、あとは戦争の話。その間は何かあったけど大したことなかったって、基本的にその部分が隠蔽させられてる。戦後民主主義の軌跡がなめられまくってる。だから右派的な人たちが平気でものをしゃべられるんです。戦後民主主義的な言論には迫力がないからもう大丈夫なんだ、と。で、一見彼らに不利に見える戦争責任論も今はでっちあげの反論や言い訳がいっぱい用意してあるから少々のことはやってもいいというのがこの2、3年。厭な風潮です。5年くらい前の「朝まで生テレビ」で20歳くらいの子が、「自分たちに国に誇りが持てるようにしてください」って、大人たちに言う。何なんだ!(笑)誇りを持ちたいということこそが、愚かな他力本願であって、獲得的なことでもなく、本質的に「日本にそうあってほしい」という甘えと思考停止でしかない。「すばらしい日本」が今はないから昔あったんだろう、と安直に寄りかかろうとする。ウワア、気持ちが悪いと思った。

○土屋
国っていうのを自分がつくってるんだという感覚はいつになったら日本は持てるんだろうと思いますね。その辺の問題を自覚させたい。それがねじれた形で雨宮さんは国家主義的なものにいっちゃったけど、自分らでつくってるんだという意識をいかにつくり出していくかを『新しい神様』でも考えてたつもりなんです。

坂手洋二/七字英輔/田中千世子/土屋豊


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