「社会新報」―「自分がないから天皇に向かう」右翼題材に現代の問題を浮彫り―(1999.11.10)


(前半部分省略)

 〜中でも話題になったのは、国際映画批評家連盟の審査員から特別メンションを贈られた日本のビデオ『新しい神様』。右翼ロックバンドで「天皇陛下、万歳」を絶叫する雨宮処凛(かりん)。「私には自分がない。自分なんか信じられない。でも、何かを信じたい。だから天皇」と、にっこりほほ笑む彼女を、土屋豊監督はドキュメンタリービデオ『新しい神様』で追う。右翼も左翼も同じ。皆お酒を飲んでくだまいて−と、見たまま感じたままをしゃべり続ける雨宮がビデオを独占していく。シリアスでシャープで、笑いが止まらない。

 最初は三人が平等に登場。皇軍をたたえるロックをつくり、バンドリーダーを務める右翼青年、伊藤秀人。自殺未遂をした果てに生きる場所を右翼ロックに見い出した雨宮。そして『あなたは天皇の戦争責任について、どう思いますか?』とのインタビュー・ドキュメンタリーで、伊藤から殴り込みをかけられるはずだった土屋豊。伊藤は、土屋が天皇制のことを真剣に考えているのを知ると、立場は違うものの真摯(しんし)さに共鳴してディスカッションを重ねる。

 雨宮は土屋が彼女の話にちゃんと耳を傾けるのが嬉しい。彼女は赤軍派のメンバーに案内されて北朝鮮にビデオカメラを持ち込み、映像日記を撮ってくる。伊藤も土屋も日本に残り、雨宮だけがよど号をハイジャックした赤軍派の面々と会う。「私、左翼にさせられそう」と心細がっていたのが、いざ会うと「楽しい人びと」と喜ぶ。しかし「政治の話になると、みんな顔も声も違って赤軍って感じになる。恐い。帰りたい」とビデオにささやく。ところが翌日、サーカスに連れて行かれて御満悦。「ずっと北朝鮮にいたい」。帰ってくれば右翼の勉強会で帰朝報告。

 雨宮処凛、お前は誰?

 これは彼女が、いつも自分に向かって発する言葉でもある。自分はないという雨宮に反論する土屋に対し、雨宮は自分がないから天皇に向かうのだと主張する。これは平成のミーイズムだ。ファシズムにも右翼思想にもミーイズムにも対応できる天皇制の不思議。土屋の提起した問題は予想以上に巨大である。

(田中千世子)


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