「山形新聞」―現代日本の不安な若者像―(1999.11.20)


(前半部分省略)

 〜ところで、今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭での最大の収穫は、土屋豊監督の『新しい神様』との出会いだった。子供のころ、手ひどいいじめに遭い、自分は誰からも相手にされないのけ者と思い込んできた女性が、超国家主義思想に触れ、自分が信じられるのは天皇しかいないと右翼の団体に入り、民族派パンクバンド活動を行う。土屋監督は彼女にビデオカメラを持たせ、カメラに向かい日々の想(おも)いを語らせる。彼女は、カメラに向かっても、超国家主義のバンドリーダーにも、反天皇制の土屋監督にも徹底的に語る。

 前半で彼女は、元赤軍派議長の塩見孝也と意気投合して北朝鮮に同行する。そこで塩見のかつての同志、連合赤軍「よど号」のっとり犯メンバーとも交流し議論をする。そして、この「よど号」メンバーが、彼女が帰国する前の晩に送別会を開き、カラオケで「昂(すばる)」を肩を組んで歌う様子は、どこにでもいるおじさんそのもので面白い。この自然体の女性の前では、だれしもが、身構えた心の鎧(よろい)を脱いでしまうようである。自分では、信じられるもの、よって立つもののないつまらない人間と思い込んでいる彼女だが、彼女に関わる人間はみな、彼女に好感を抱く。観客である私も例外ではない。

 認められることで、少しずつ自身をつける彼女は、間もなく右翼団体を脱会する。当初は、軽薄なだけの女性に思えた彼女が、ラストでは、なんと知的で可愛(かわい)らしく魅力的に映ることか。

 彼女の第一印象そのものに“キワモノ”と思えた本作は、この雨宮処凛(かりん)という女性の自立の物語であり、彼女というフィルターを通した現代日本の若者が抱える不安を照射した快作であった。

(荒井幸博)


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