「POPEYE 584」―生きちゃってるし、死なないし。―(2000.04.10)


(前半部分省略)

 〜今年7月に渋谷ユーロスペースで公開されるドキュメント映画『新しい神様』の主人公もそんな女の子だ。

 自傷癖のある暗い人形作家(プータロー)だったけど、誘われるままに右翼団体に入り、民族主義にかぶれて一度はそこに〈自分の居場所〉を見つけるものの、〈団体に保証されないと何も出来ない自分〉がだんだんイヤになってきて、右翼パンクバンドを結成し、右翼団体を脱退。

 政治運動で出会った左翼の元闘志に誘われて北朝鮮を視察したり、バンドがイラクに招かれて王子と会えたり、この映画を撮影する監督が好きになったりと、自分が動けば動くほど増殖する出会いの中で、「そのままで(何の努力もなしに)注目される自分」がちゃんとあるって気づいたんだよね。

 今日、僕らはフリーターだろうが、親の金だろうが、食うのに困らない。そうなると、途端に「生きる理由」なんていう(昔ならヒマな貴族しか考えなかった)高尚な問題が首をもたげてきて、ウツロさが丸出しになり、そんな自分の無力を受け入れられずに〈捨て身モード〉の行動に走る。

 "生きちゃってるし、死なないし"。僕らはその間で揺れながら、〈ヒマ問題〉を生きている。これが、長らく大樹の陰に身を寄せる事で安心し、"個人としての自分"の力を問題にしてこなかった日本人の姿なんだ。だからこそ〈信用補完システム〉(いわゆる"護送船団方式"ッスね。)は生まれ、「一人で生きる自信」の無い人を温存させてきちゃった。

 でも、自信の無さで連帯するシステムは壊れ始め、今日ではそんなシステムに頼らずに生きられるバイパスが随所に出てきてる。(だから『完全家出マニュアル』を書いた)。

 映画では描かれてないけど、その後×××は○○し、彼女は自ら監督した続編を準備中で、しかも自叙伝も出版されるという。映画を撮る前後で彼女の人格は、確かに変わった。明るく、元気な"ミニスカ右翼"を自称するしたたかさも身につけた。だからと言って、「100%ハッピー! 」なんてことはない。

 映画が終わっても、人生は終わらない。彼女は、苦しみの薄め方と自家製の楽しさが出会いの増殖によってある程度可能だと発見したにすぎない。

(今 一生)


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