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「週刊金曜日No.280」―ビデオカメラの力―(1999.08.27)


(前半部分省略)

〜ビデオカメラを駆使して、今日の風潮の一端に光をあてて、わたしたちに問題を投げかけている作品がある。土屋豊監督の『新しい神様』がそれだ。8月16日の『 ニュース23』でも「日の丸パンクロッカーの叫び」と題して、この作品の登場人物 たちにインタビューを試みていた。

 わたしはかつて靖国神社に参拝する人々に対話を求めた土屋の前作『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?』をみて、技術的に未熟だが、その発想の斬新さに驚いたことがある。テレビがタブー視していた問題を参拝者にぶつけ、多様な参拝の意味をひきだしていたからだ。『新しい神様』はその延長戦上にある作品といえようか。

 このビデオがきっかけとなって、土屋は民族派の若い男女と知り合い、一方が反天皇、他方が天皇尊重という思想上の違いは違いとして認め合いながら三者の奇妙で危うい交流がつづく。それをそのまま撮ったものだ。 右翼の男女は一緒に日の丸を掲げてバンドをやっているが、ここでは特に女性の雨宮処凛に証明をあてている。彼女はいじめと自殺未遂の経験があり、それを救ってく れたのが右翼団体という。土屋はその彼女に日付入りのビデオカメラを渡し、彼女は丸で鏡に向かって独り言をつぶやくようにカメラに日々の出来事や心の動きを語りかける。これが面白い。自分を自分で撮る映像に彼女自身が突き動かされ、それによっ て自分の生き方も変えていこうとする。その彼女の内面の軌跡が良く分かる。その間、彼女は元赤軍派の塩見孝也と北朝鮮に旅行したり、その見聞録を一水会の集会で報告したり、民族派から脱退したりとめまぐるしい。ただ、彼女はひどく依存心が強 く、天皇とか金日成とか何か権威あるものに寄りかかり、そこから物事をみることで 安心したいという(日本人の古いタイプによくある)性癖があり、それが右翼思考に傾斜しやすいこともわかってくる。  

 いまやビデオカメラは既成の映画観をひっくり返す民衆の側の自己表現の”神様” になりつつある。

(木下昌明)


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