★★★★★★ 解 説 ★★★★★★


『新しい神様』の革新性

 それはまさに新しい体験だ。日本人は天皇に依存せずに自立して生きるべきだという主張を持つひとりの映像作家が、「天皇万歳!Long live the tenno!」とステージで絶叫する右翼パンクバンドの女性歌手の心情と行動の推移を追う。

 この映画はヨーロッパで時々つくられるネオナチについてのドキュメンタリー映画と大きく違う。というのは作り手である土屋は、右翼の女性歌手を批判もしなければ利用もしないからだ。土屋は何をするか。土屋は彼女が何故天皇を渇望するのかを彼女にデジタルビデオカメラを預けて彼女自身に考えさせる。それはアナーキーに民主的な方法である。

 ビデオカメラを手にすると彼女は大層きまじめに自分の考えをカメラに向かって語っていく。時々とてもユーモラスなシチュエーションが彼女と彼女の同志の右翼青年の間に生まれ、「えっ、あなたは右翼なのに天皇を信じてないの?」といったアイロニーの強い会話が交わされたりもする。

 興味深いことに、映画のラストで女性歌手はビデオカメラを手放せなくなる。ビデオカメラは彼女にとって天皇にかわる<新しい神様>になっているのだ。その<新しい神様>は彼女の精神的飢餓感を吸収し、彼女の心を慰め、彼女の自己拡大願望を具現してくれるのだ。それは古来日本人が時に強く、時に弱く天皇に民族的心情を託してきた歴史のコピーである。この映画は、そうした日本人の心情が天皇制を維持してきたことを明らかにし、そこからの潔い訣別を提唱しているのである。それゆえ『新しい神様』は優れて革新的な傑作なのである。

 1999年山形国際ドキュメンタリー映画祭で私がFIPRESCI賞審査委員長 : マルセル・マルタンの審査員のひとりだった時、審査団はこの映画を特別メンションに選んだ。

(映画評論家・田中千世子)


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