「DOCUMENTARY BOX#15」―日本のドキュメンタリー作家インタビュー#13―(2000.4.15)


ジェロー(以下G):まず土屋さんの映像のバックグラウンドについてお聞きしたいんですが、今でも映像に興味を持っている若い世代は必ずフィルムでなくちゃならないという人が多いんですけれど、土屋さんはビデオを選んでますね。どうやって映像に入って、そして何故ビデオにしたかについて、ちょっとお聞きしたいと思います。

土屋(以下T):もともと大学に通っていた時からずっと映画ばっかり見ていて、映画好きだったんですね。その頃は、学校通ってもあんまり周りと上手く行かないし、自閉的だったというかあまり友達がいなかったですね。(笑)バブル絶頂の時期で、社会の事とかあんまり考えずに、楽しんでいる人達がいたんですけど、どうもそういうのには入り込めなくて。そういう社会に違和感を持っていて、ただそれを話せる仲間があまりいなかったので、映画館という場所が1番自由な場所だったんですよ。普段のそのモヤモヤした感じを映画館で発散するみたいな所があって、ずっと映画館に通っていたんです。それで映画を見ると、批評を読むようになりますよね。映画批評の中で僕は粉川哲夫さんがすごく好きで、粉川さんは映画の作られた背景にある社会や政治の問題につなげた格好で書くじゃないですか。そういう見方が僕のその時の気持ちとすごくマッチした訳ですよ。映画館が自由であるということと、社会のその何かモヤモヤとしたイヤな感じっていうのを、批評の中でつなげてくれたのが粉川さん。そういう意味で徐々に社会に目覚めていったところがあるんですね。それで見ている内に、まあ何か作りたいなと思って、その時点でフィルムにしようかビデオにしようか全然悩まずに、もう目の前にあったのがビデオなので、たまたまあったものを使ったというだけなんです。後から考えれば、1人で今ここにカメラがあればすぐにでも始められるっていう特性は、その後の作品作りに活かされていると思っているんですけど。それでビデオアートみたいなのをやり出して、最初はメディアに翻弄される自分、メディアの中で自分自身を見失っているんじゃないか、みたいなことをテーマにしていて、3作目くらいに『Identity?』(1993)という作品を作ったんですね。自分の顔がどんどんモーフィングで変形していく、3分位の作品なんですけど。普段よく見ているテレビキャスターの顔に土屋豊が、久米宏になったり筑紫哲也になったり、どんどん変わっていくんです。メディアの反映でしかない自分っていうのを、それを作る事によって飛び越えたかったんです。ただ、作品の中では飛び越えられなくて、結局アイデンティティって何だろうって感じで終わったんですけど、作り終えたことによって、何かこう抜けちゃったっていうか、「もういいや。こんな自分探しみたいなの、もうやめようよ」ということになって。そこからもう、何か行動しようというふうに考え出して、次に撮ったのが『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか?<新宿篇>』■(1996、以下『新宿篇』)です。

G:確かに何か、土屋さんと同じ世代の人達も自分探しのビデオとか映画をよく撮っていますけど、全くそれを社会的背景や政治的な問題につなげようとしない人が多い中で、土屋監督はちょっと珍しい存在のように思われます。なぜそういう政治の問題を考えるようになったんですか?

T:それはね、たぶん育った環境。ずっと僕、群馬で家族が兼業農家で、オヤジが肉体労働の人だったんですね。建築現場でガラス入れるような人で。大変なんですよ、農家の仕事って、朝早くてドロドロになって、何かこうワーッとやってて。それで朝終わってから仕事に行って、帰ってきてどうのこうのやって、すごい大変な姿を見ていて。それで父親がこう新聞見ながら「俺がこんなに苦労しているのに、あの政治家はどうした。田中角栄がどうしたこうした」ってことを僕に聞かせる訳ですね。そういうので偉い人とか、権威のある人とか、お金持っている人とかを嫌いになったんですね。(笑)で、一生懸命真面目に働いている人にお金が回ってこなくて、何か適当にやってそうな人にお金が行っているような、この社会のおかしさみたいなのが、オヤジの言葉でつながった。基本はそこだと思うんですよ。

G:社会問題に関心を持っている若い劇映画の監督たちも、特に昔の左翼とかに対してすごく違和感を持っていて、「僕らは政治にはタッチしていないんです」と言うんです・・・土屋さんの場合、例えば60年代の新左翼などに対して、最初はどう思ってましたか?

T:本当に何も分からなかった時は、寺山修司の昔の映画見たりして、「ああ、みんなきっと充実してたんだろうな」と思って。単純に「なんか、かっこいいじゃん」と思いましたね。だから、その時生まれていた方がよかったのかな、とか思いました。少しは憧れがあったと思う。ただ、知るようになってからは、幻滅と言うか。結局ね、天皇反対やっているグループはグループの中でまた天皇制が出来ていくし、セクトのくだらない争いとか、全共闘の世代の人たちも結局言うことは言うけど何もやっていないとか。一緒に話していて面白いし、求めているものは似ているので、毛嫌いなんかしないんですけど。僕はそういうとこに入ってどうのこうのは嫌で、やっぱり個人的に何か動きたいなと思っています。

G:何か行動しなきゃならないということになって、例えばビデオを使ったり、W-TV(Without Television)を設立されたりしたわけですが、それはどういう目的だったのか、背景について聞かせて下さい。

T:それはね、俺が作った作品の最終って、どっかのフェスティバル出して、何とか賞を取って、それで人に見せてそこで終わっちゃうとか、美術館に入れてお金が入ってきたとかではなくて、やりたいのは作品を見せることによって、人と交流し合ったり、相手を揺らした中でこっちも揺れて、相互で変化していくことなんです。それで、ビデオデッキなんて誰だって持っているんで、単純にパッケージにして売ればいいと思って。ダビングとか本当に安く出来るので、最初は1本500円位で売って、自分で各店舗へ持って行って、委託で置いてもらったんですけど。これを売ることによって、広げることによって、そこから始まることの方が僕の目的なので、そういう形にしたということです。

G:特に関心を持ったのは、パッケージの表紙に「どうぞ自由に複製して配布して下さい」。いくら政治的な行動をしようとしても、お金が必要という資本主義社会の世の中で、政治的なビデオや映画を撮っている人は、結構高い値段で売らなくちゃお金が入らない。それに比べて土屋さんは、「どうぞ自由に複製して」・・・金銭的な面ではちょっと大変じゃないかと思うんですけど。

T:ただね、500円のものを5,000円にして売ったって絶対儲かる訳ないんですよ、無理なんです。それだったらもっと戦略的な意味で、複製自由なんだっていう、そのコマーシャルの方が後々返ってくるもの大きかったりするし。結局ちゃんと買ってくれる所は、学校で使いたいのでライブラリー価格で買いますからと言って、じゃあ3万円で、とか言っているんで、あんまりその辺は影響ないんですよ。

G:作る側の目指していることの1つとして、そういうビデオなどのメディアを使って観客とのコミュニケーション、あるいは社会の中のコミュニケーションを促すということなんですけども、観客とのアプローチはどういう風に考えていらっしゃるのでしょうか?

T:今まで自分のビデオをコピーフリーで普及、流通させるということによってそのフィードバックがあって、感想を聞いたり、それからまた連絡したり、とやっていこうとは思っていたんですけど、やっぱりビデオを売った後って手が離れちゃって、思った以上には返ってこないですよね。上映会の方がやっぱりいろいろ交流はあって、すごく出会う場所なんで、小さい上映会やりたいなという風に思っていて。面白いのは『あなたは天皇の戦争責任についてどう思いますか<96.8.15靖国篇>』(1997)の上映会やって、わりと僕に近い、天皇に反対しているような人たちの多いところで上映すると、みんなすごい怒っちゃうんですよ。天皇反対の人だってもっといるはずなのに、なんで天皇に賛成し、かつての天皇の戦争責任はなかったみたいなこと言う人たちばかりの意見を出すんだって。私はもう気持ち悪くなったみたいなことを言う人がいたりして。そういうのがすごい楽しくて、僕はだから8月15日の靖国神社ではこういう意見が出ていて、そのインタビューされた人の答えも、私は天皇を信じていますとか、単に文字で出てくるんじゃなくて、発する瞬間のその表情とかを見た上で想像力を膨らませて、いろいろ考えて欲しかったんです。そこから対話が始まりますよね、僕とあなたの意見は同じかもしれないけど、僕が言いたかったのはこういうことであって、実はそういう右翼的な発想を持っている人々でも、何か瞬間にこう詰まったりとか、そう言わざるを得なくなってしまって、それを戦争責任はあったとか言っちゃうと自分を否定することになっちゃうことになるような、そういう世の中なんだみたいなことを対話できるんで。今回の『新しい神様』の主人公として出てくる右翼の伊藤さんも、『靖国篇』非常に感動していて。こんだけ国のことを考えている人がいるんだ・・・みたいな。両方に見せていろんな反応があるんで、すごい面白くって。やっぱり『靖国篇』とかに関しては、とにかく上映ある所は絶対自分が行って話さないと意味がないような気がしていて・・・見終わった後に観客に「あなたはどうですか」って聞きたいんですよね。

G:W-TVのような組織を作って、作品を製作することのほかに、去年ビデオアクトという、複数のオーガニゼーションを連帯するような組織が出来たんですけども、それはどういうきっかけですか?

T:もともとは民衆のメディア連絡会が、91年12月にアメリカのペーパータイガーテレビジョン(パブリックアクセスのチャンネルで、自分たちで番組を作っている)を呼んだんです。「テレビをコントロールしよう」ということで集会をやって、それを基に民衆のメディア連絡会が出来上がったんですよ。今350人くらい会員がいますけど、インディペンデントのビデオもやっている人もいれば、労働運動家もいれば、市民運動家もいれば、インターネットやっている人も・・・とにかく何らかのメディアを使って自分の意志を表明して、社会を変えて行こうという人たちが集まっている所なんです。その中でビデオ製作者たちが集まっていつも言ってたことは、作るまではなんとかなったと。小型カメラが高画質で、値段も安くなって、編集もなんとか出来ると。で、作った後の見せるところで、いつもみんな困っていて。上映会1回やって、まあだいだいよく知っている人が来て(笑)、見て、ああよかったとか言って。それがパッケージ化したとしても、そういう組織の人達には回るけれども他にはなかなか普及しないと。なんとかそういう流通のことを上手くできないかということになって。結局各自がお店に持って行って委託でやって、ビラをまいて、DM書いて・・・すごい無駄じゃないですか。そしたら、ここの宣伝とここの宣伝をどこかが一括してDMまいちゃえば同じ事になるので、苦労している部分をシェアする形で1つにまとめたカタログを作ればお互いに良いんじゃないかっていうことで、ビデオアクトが始まったんです。ビデオアクトは主に流通の取り次ぎをやりますけど、ニュースレターも出していて、大体月2回の割合で上映会もやっています。今後はインディペンデントビデオの情報を集めて提供する、情報センターみたいになれればいいなという風に思っているんですけど。

G:ビデオアクトは、海外との交流もやっていますか?

T:そうですね。僕がビデオアクトを作る前に1回ニューヨークのパブリックアクセスチャンネルの視察に行ったり、インディペンデント作家がどういう環境で作品を作っているのかっていうのをリサーチしに行ったこともあるので。韓国と西海岸と日本の関係は、ビデオアクトが出来る前から元々あって、これもレイバーニュースプロダクションというビデオを作っているビデオアクティビスト。ビデオアクトが出来たことによってその関係も強まったし、去年はオランダ、アムステルダムでネクスト・ファイブ・ミニッツっていう、インディペンデントメディア、或いはメディアアクティビストたちの集まるイベントみたいなのがあって、僕そこにも呼ばれて行って、シュー・リー・チェンとか、ヘアートロフィンクもそこにいました。

G:海外の状況を見学する時、どういう印象を受けてますか?例えば日本とかなり違うなあとか・・・

T:やっぱりねえ、向こうの人達は、すごい楽しみながらやっているんですよ。義務感とか、もっと言えば悲壮感を持って「こうせねばならない」と言ってガッとやっているんじゃなくて。日本だとそういうアクティビストで何とか活動をやっているとかって言われると、ちょっと違う人達みたいな感じがあるじゃないですか。でも他の海外の人達は普通で、アーティストとアクティビストがあんまり分け隔てなく一緒になってやっている感じあるけど。日本だと、なかなか活動家とアーティストが、まだまだ交流が少ないみたいなところがあるので、その辺はもっと自分も楽しんで、なお且つ社会と関わって行くような、社会変革を目指すような、広がった風になればいいと思いますね。

G:日本におけるビデオアクティビズムはそのような交流から影響を受けていると思いますか?

T:うん。やっぱり今までもそんなに長くビデオアクティビズムの運動っていうのは日本でもなかったと思いますけど、やっぱりこう広げて行かないと、いろんな運動と同じように、どんどん自分たちの中に閉じこもって、なかなか外にいけなくなっちゃうので、海外との交流を通じてもっと広げられるのが1つ。あと、同じテーマで同じように追っかけている人が日本と韓国でいるわけなんですよ。今回両方で交流すると解決策が見つけやすくなると思うんですよね。政治的にはすごいグローバリズムの流れの中で、アメリカを中心として全体的に1個にまとめ上げようみたいなのがあると思うんですけど、それとはまた違う意味のグローバリズムっていうか、僕らは僕らで政府通さないで、直接交流し合うんだっていう。イメージとしてあるのは、国とかをすっ飛ばしちゃったコミュニティを作りたいなと思うんですよ。

G:ビデオアクティビズムは、その中でいろいろな違うかたちでやっている人が多いんですけど、一般的な定義としては、支配的なメディアは1つの現実しか伝えないので、それに出てこない話をするとか、そういうオルタナティブなメディアとしてビデオを使ってそれをやる、ということです。それに対して土屋さんは、違うアプローチしているんじゃないかと思いますけど。

T:そうです。何々について私はこう見たということではなくて、何々について私はこう考えている私がここにいるんだけど、これってここにこういう関係もあるかもしれないし、こういう関係もあるかもしれないっていう自分がここにいるっていうか・・・僕のその作品の作り方そのものが、僕の今考えていることの全てなんですよ。単に取材者だったりとか、客観的な人物で自分はいられないんです。そういう意味でジャーナリスティックな視点でどうのこうのっていうのはあんまりないと思うんです。

G:だから土屋さんの作品の中では、ただ客観的に何かの事実を伝えるというよりも、自分と社会や、他の人が考えていることとのつながり、ということが中心になっていると思います。ご自身の映像もよく出てきますね。でもそうなると、スタイルの問題が出てくると思います。ビデオアクティビズムの中では土屋さんの作品は実験的な方なんですが、それについてはどうでしょうか?まあ1つの例としては、作品の中でただ1つの映像を見せるんじゃなくて、それを2重写しとか3重写しのように重ねて、見せることが多いんです。

T:表面的な映像のスタイルというか、単に手法ということに関しては、あんまり重要視してはないんですよ。作品全体の構造を、すごく気にしているんですね。例えば『靖国篇』だったら、あれはもう最初から構造が決まっている作品なので、そういう意味でああいうふうに全ての映像をモニターの中に入れて、複数の映像が連関するように動かしたということがあって。あのモニターを取っ払っちゃたら、僕は同じ内容喋っていても、僕にとっては全く違う作品になるんですよ。「あんなモニターなんか外しちゃって、人の意見だけストレートに聞かせればいいじゃん」ていう人の意見もよくあるんですけど、そうだとすれば、あれは僕の作品にはならないんですよ。だからそういう意味で、構造上のスタイルというのは考えるんですけど、ここでOL(オーバーラップ)してどうのこうのということに関しては、まあその方が気持ちいいからとか、その程度の理由だったりしますけどね。

G: おっしゃったように、インタビューの対象が映っているだけじゃなくて、さらにモニターに出ていると。それはメディアやテレビといった問題も前面に出てくる。いくつかの映像の存在が同時に出てくることは、作品の中でかなり重要になっているじゃないかと思うんです。それから、もう1つの土屋監督らしい映像は、インタビューする人をよく記念写真のようなポーズの中で撮る場面です。例えば靖国神社の前での記念写真など。

T:何かね、顔ってすごいもの言うじゃないですか、黙ってても。この人一体何なのかっていうことを、すごい想像出来ますよね。で、その人がどういう人間なのかがイメージとして分かりやすい構図やアングルや時間で、カメラ見てもらって見ていれば、全体は掴めないけれども、何となく分かるんじゃないか、それがまず1つですね。後はまあ、静止しているんだけど動いている時間みたいなのがわりと好きなんで、スタイルとしてかっこいいからというのはありますよね。

G:そうですね。静止画と動く画の合わせ方はかなり重要だと思います。特にこういう2つのとらえ方は、2重3重のイメージにつながっているという印象受けるんです。例えば、『戦争責任 <靖国篇>』では、土屋さんは自分の頭の上にカメラを持っていたんですけど、必ずもう1つのカメラもつけていましたね。『涼子・21歳』(1998)でもありましたけど、2つのカメラを使って撮るということは、人の複雑性が出てくるんじゃないかと思うんです。

T:多分『靖国篇』に関しては、こうやって頭にカメラつけてインタビューしていたのは、インタビューしている人のことも当然表現したいからです。インタビュアーは何も喋んない、基本的には議論したりとか「でも私はこう思う」ということは言わないんですけど、やっぱりどうインタビューしているかっていうことが分かることによって、伝わるものが広がってきますよね。ニュースのインタビューとか、マイクだけ出て「ニュース2 3(ツー・スリー)」とか書いてあって聞きますけど、それだと何か嘘っぽいじゃないですか。こっちの人はどういう感じで聞いて、いつこうお辞儀したんだろう?その辺の、聞いている側の主体性みたいなのを出したかったんですよね、『靖国篇』に関しては。

G:先ほど、メディアに翻弄される自分に対してのお話をなさったんですが、ご自分の位置について、例えば既成のメディアに対する抵抗的なメディアなのか、どのように思っていらっしゃるんですか?

T:アンチマスコミでオルタナティブな何とかを、という対抗関係というのは、僕はもうやめた方がいいと思うんですよ。例えばあっちがメジャーでこっちがマイナーな僕ら、マスがあってミニコミの僕ら、そんなことじゃ全然力を持ち得ないので。ある時は戦略的にマスコミを利用しながら、今出来ることをやっていくべきだと思っていて。今のマスコミがダメって言う人や、潜在的にストレートな意志の表明というのを待っている人たちっていうのはたくさんいる訳で、そういう意味では僕らがマスかもしれないし。マスもミニもなくやっていけるんだよっていうのが、まず全体的な考え方としてあって。それで僕自身は、まあマスコミと言えるかどうか分からないけど、MXテレビ(東京メトロポリタンテレビ)で『涼子・21歳』をオンエアーしました。そういう所と一緒に仕事出来る関係が築ければ、やりたいと思っていて、ただ『涼子』に関しては、今回山形で上映したのがいわゆるディレクターズカット版で、オンエアーの時はそのまま流せなかったんですよ。だから、そういうせめぎ合いはあるんですけど、それでもオンエアーすることによって、やっぱり見てくれる数は違いますから。まあ可能性があればこっちの言いたいことを崩さないで出来るように頑張りながら、マスコミとの関係は続けて行きたいなと思っていて。僕の方がそういう所で何か関係を持つことによって、前は受けているばかりで、嫌がったり、翻弄されてたんだけど、それはちょっと考え方変えるだけで、僕はマスコミの方に参加出来るし、マスコミをこう逆にコントロールすることが出来るんですよ、やろうと思えば。

G:『新しい神様』を見させて頂きまして、かなり面白いと思いました。まずどういうきっかけでその2人と会うことになって、作品をとることになったのか聞きたいんですが。

T:直接的なきっかけは小林よしのりの『戦争論』、あれがすごい売れましたよね。40万とか50万とか売られていて。僕の知人、友人たちは『戦争論』に勿論反対で、資料の信憑性を争うような論戦をやってみたり、反対の本を書いて裁判をやってみたり、いろいろありましたよね。で、それはすごい大事なことだから、やるべきだと思うんですけど、ただそれをやっても、『戦争論』が50万売れた原因っていうのは潰せない。僕は何で50万部売れたのかということについてすごく考えたかったんですね。逆に言えば、いわゆる右翼に反対している人々も、そういう資料合戦とかやってもいいんですけど、なぜ50万売れたかっていう視点をその人たちにも持って欲しかった。僕が考えたのは、やっぱり今のこの世の中で、なかなか自分が社会に対しての接点を持てなくて、その接点の無さがいろいろな方向に行っていると思うんですね。つまり『涼子・21歳』じゃないですけど、自分の存在っていうのは本当に重要なのか、という思いは、社会との接点の無さということの現われだと思うんですね。その社会と接点を持てないこのフヤフヤとしたこの退屈な、「終わりなき日常」の中で。

G:宮台真司を引用すると。

T:そうそう。その「終わりなき日常」の中で、じゃあ僕等はどうすりゃいいんだろうという不安になっていると思うんですよ。まあ楽しければねえ、いろいろ紛らわす方法があって、落ち込んでこう考え込んじゃうのが嫌だから、抗鬱剤ずっと飲んでいるもいたりするんですね。そういう状態なんだから、過去の戦争で、もう明日死ぬか分からないような時に、俺は社会のために死ぬんだという物語が絶対的にあって、その物語を信じていれば退屈も何もなく、自分の死というのが誰かのためなんだ、自分はもう必要とされまくっているんだ、ということを信じられるような物語があった時代に対して憧れる気持ちは分かりやすいと思うんですよ。

G:『戦争論』の中には、戦争は楽しかったという物語も結構長く出てくるので、それも伝わります。

T:そうそう、そういう物語が伝わりやすい気分は分かるので、じゃあそういう気分で『戦争論』を読んでる人を探そうと思ってたんですよ。それで新宿で『戦争論』についてのイベントがあって、一水会の木村さんとか、自主日本の会の塩見さんが主催して、しゃべる機会があって、その時に2人(伊藤さんと雨宮さん)が出ていたんです。それで、「ああ、この人だ」と思って取材申し込んだのがきっかけなんです。

G:ただ取材してインタビューして、作品を作るというやり方もあるんですが、土屋さんは(雨宮さんに)実際カメラを渡して「自分を撮って下さい」というやり方をとっていたのはどうしてでしょうか?

T:まず雨宮さんという女性は、すごいサービス精神が旺盛な人で、カメラが回っていると余計なこと言ったりオーバーに言ったりして、本当の自分は一体どこにあるの?という感じで、僕カメラでちゃんととらえる自信がなかったんです。もともとこの人、自殺未遂を繰り返していたりとか、ああいう人形を作っていたりとか、奥がすごく深いんですよ。そういうのをインタビュー形式で捉えられる自信がなかったし、多分出てこないと思ったんです。なので、まあカメラ渡してみようかなと思って。そうすれば自分の部屋で、何の質問もなしに、彼女は自分で考えて自分のことを語ろうとしますよね。最初は、それでどんなことが起こるかなという実験だったんですよ。まあ使えなきゃいいけどという感じでやっていたら、すんごい面白くて、もうこれはいけると思って。

G: ある程度雨宮さんの映像日記的な要素があって、今の若い作家に流行っているパーソナルドキュメンタリーというものが作品の中に入っている。でもそれ以外のところで、パーソナルドキュメンタリーに対する批判とまではいかないんですけど、土屋さんが先程おっしゃった自分の自分探しに対して、ちょっと呆れるところがあったりする。『新しい神様』は、自分探しの映像に対する考え直しということが入っているんじゃないかというふうに思ったんです。

T:それは勿論あると思うんですけど、パーソナルドキュメンタリー或いは自分探し映画みたいなのに対してよりもむしろ、自分探しをしている考え方に対して、と言うか、なかなか社会とつながっていけない、タコ壺的な状況に対する批判ですね。生きていること自体もう、社会なり政治なりとつながっている訳だから、そのことを何でこうつなげられないんだろうか、ということをやりたかったですね。だからこうやって雨宮さんが家で「今日は本当何も喋ることない、疲れた」って言っている、そういう日常的なものも、別に政治がどうのこうのって何も喋らないけど、すごい抽象的な言い方で言えば、もうそうやって「疲れた」って言ったところに政治は転がっているような、そういうことを言いたかったですよね。

G:最後の方に土屋さんがカメラを返して欲しいという場面で、雨宮さんは「私にはこのカメラが必要」「なんでこのカメラがもう無くなっちゃうの?」とか言うんですが、これは今の若いパーソナルドキュメンタリーを撮っている人と同じで、つまり国家や天皇でなくても、カメラがあれば自分を定義できるとか、そういう存在が1つのテーマになっているんじゃないかと思ったんです。

T:多分やっぱり必要とされているかどうかということなんですよ、つまり「じゃあカメラを買ってあげるよ。はい」ってプレゼントしても全然喜ばないんですね。カメラがあって、そのカメラを僕が見て、なお且つそれを編集して誰かに見せるという過程で、最終的に私はみんなの前に現れるんだっていうのがあって。だから、単にカメラを渡しても全然ダメで、そういう自分を撮ってくれるカメラがあって、そのカメラを通して自分はものを言えて、それを見てくれる人がいるっていう、そういうつながりって言うか必要とされている、その楽しさっていうのはやっぱり当然みんなあると思うから。単純に言えば目立ちたいっていうことなんだけど。

G:カメラを渡すもう1つのねらいは、結局作品の中に土屋さんの考えや意見を押し付けるんじゃなくて、彼らの考えも聞いて、お互いに自分の違いや自分の孤立している声を分かり合って、それから始めようという・・・その点ではこの方法はぴったりあったんじゃないでしょうか。

T:そうですね。

G:でもそれに対して、政治的作品、例えば(今特集をやっている)ヨリス・イヴェンスは、国家の問題に対してはいくつかの意見があるけれど、それを客観的に撮るんじゃなくて、自分のポジションをとらなくちゃならない、と言っています。その結果彼はかなりプロパガンダ的な作品を撮ってますけど。そういうような立場からこの作品を見て、2人をどうしてもっと批判的にとらえなかったか、という疑問が必ず出てくると思いますが、それに対してはどうお答えになるのでしょうか?

T:それはね・・・自分の立場とか考え方っていうのが、正直に言って僕そんなにはっきりしていないし、逆に言えばそんなはっきりする必要ないと思っているんですよ。「反天皇の思想を持っている人間は、こうせねばならない」みたいなのは、縛ることになっていくので。それは右翼の伊藤さんが映画の中で「実はこう言いたいんだけど、右翼としては人前ではこうしてなきゃいけないんだ」と言ってるのと似てると思うんです。だって自分の立場がはっきりしていたら、生きててつまんないでしょ。変わるじゃないですか、人と話していて。だからそういう作りが、僕の考えていることそのものなんですよ。自分だって疑えるわけですもん、「何故こんなに天皇に反対しているんだろう」ということを。はっきり分かんないですよ、やっぱり。それは映画の中でも言ったけど、天皇制があるからこの日本はダメなんだと思いたがっているフシはかなり多いと思うんです。「なぜ天皇制はあっちゃいけないの?」ってことを、逆に自分に問い返さないと、やっぱ運動もダメだと思うんですよね。

G:『新しい神様』の、観客の反応はいかかでしたか?想像したようなものでしたか?

T:こう捉えて欲しいなと思った風に捉えてくれた人が多くて。民族派の2人が「天皇陛下万歳」とか叫んでいる作品を、僕と同じような思考や思想を持った人が見たらどう思うだろうということは、やっぱりちょっと不安で。僕はだからあの2人のことに対する偏見とかっていうのを、あの2人というか民族派とかそういう言葉に対する偏見みたいなのを何とか削ぎ落とせるような作品にしたいなあと思ったんですよ。それはわりと成功していて、みんな気持ちは分かる、みたいな感じになってましたね。

G:ビデオアクトのカタログの土屋さんの『Without Television 』の解説の中で、「出口はどこ?」という言葉があるんですけど、そういう閉鎖された空間で出口のない感覚を、この作品を理解するためにもうちょっと話して頂ければと思います。

T: さっきも話が出たように、わりと平均的な人は、何となく楽しく生きられる。ちょっとそこからこぼれちゃうと、もうつらいんですよね。ちょっと変な考え方を持っちゃって、社会がどうしたって言っちゃってる人、或いは今の商業的に決められた美しさからこぼれる、太っている人、胸がちっちゃい人、何でもいいんですけど。それでそうやって広い集まりの中にいられない人、こぼれちゃった人はすごく生きづらくなっちゃう状況があるのが1つ。あとはさっき出てきたような、日常こう生活していても何かこう毎日退屈だ、何も変化がない、次も次も、何をしても明日はやって来て、今日また何も起こらない日々が続いていくという退屈な日常がきっと恐らく永遠続くであろうっていう最初から諦めていることっていうのもあり。あともう1つは、自分が何か一言発したからと言って、社会はきっと何も変らないであろうという状況。インディペンデント、音楽なんか分かりやすい例ですけど、インディペンデントで音楽をやっていた人すらも、それがもう商業的な資本で、商品になっていると。その商品になっていることもインディーズの人達ももう分かっていて、ここでやっていれば金になるからメジャー行っちゃいけないんだよ、ここでやりましょうよっていう、そこでまた新たに商業主義が出来上がっていて、もう全てが包まれちゃっていて、もうどうもなんないよっていう中。それに気づいたこぼれた人っていうのが、ちょっとつらいなと思った瞬間に、じゃあ出口どこなのって探していることだと思うんですよ。その出口ってどこかなと思って、僕もずっとそれを考えていて、まだ分かんないですけど、大事なのはコミュニケーションだなと思って、そういうことを話せばね、分かるんですよ。例えば『涼子』にしても、自分の存在がすごいつらい時に、存在感がなくなっちゃって、必要とされているのかどうか分からなくなった時に、つい伝言ダイヤルにかけちゃうんだと。それで性行為に及ぶのは分かっているけど、そうやって誰かに求められるってことはいいことで、お金ももらっちゃえば別にただやらせている訳じゃなくて、これはそういうもんだから、という、そこで自分が落ち着けるみたいな状態になってたわけです。だからあの『涼子』の中のように、手紙に書いてみたりとか話してみたりとかすることによって、そのつらい状態はまず越えられるんですよ。次のステップに進める状況作りがまずはコミュニケーションをとれるような場所作り、メディア作り、環境作りっていうか。そこから先って絶対1個じゃないはずなんですよ。その先はもうバラバラで、そのバラバラがまたこう繋ぎあってコミュニケーション始めてっていうようなそういう社会の構造が、僕はこの先の出口だと思っていて、自律した個人なりなんなりがお互いコミュニケーションを取りながら、成り立っているような世の中っていうのが、わりと出口の方向かなと思ってはいるんですけど。

G:今の人が自分探しをしているのは自分がないから、ということはよく言われていて、そういう人は消費や映像によって自分を探そうとしていることが多いですけど、土屋さんの場合は言葉やコミュニケーションによって、大きい概念としての社会ではなく、もっと小さい概念としての社会的な定義が出てくるということではないかという感じがします。『涼子』の1つ面白いところは、ただ涼子からもらった手紙を紹介するんではなくて、他の人にそれを見せてコメントたりする。話し合いを作る場としての作品ということは、すごくいいんじゃないかと思います。

T:そうなんですね、それやりたかったんですよね。

G:世代的なことについてちょっとお話しになりましたけど、こういう問題に直面している他の作家は、例えば庵野秀明さん(『ラブ・アンド・ポップ』)や青山真治さんなどフィクション映画の人たちや、個人作家、ビデオ作家の中にも多いです。そういう人たちに対して、土屋さんの感想をちょっとお聞きしたいんですが。

T:ほとんど交流ないんですよね、作品もあんまりは見てないんですけど。

G:青山さんは例えば『シェイディー・グローヴ』(1999)や『Helpless』(1996)で、ずっと若い世代の虚無感について撮ってきています。例えば『Helpless』で、主人公の健次はオヤジが死んで自分を定義するものが何もない。そして、戦後生まれですから、日本が抱えている過去の責任というのは、自分の世代としては何も知らないんです。だからそれを実感したいがために、殺す行動にはしるというところもある。でも、結局日本を脱出することが出来なくて、閉鎖された空間はそのままで残る。でも彼は最後にちょっと女の子を抱えて、彼女を保護することでちょっと将来の道があるという風にみられます。土屋さんの作品は、全然別の捉え方、でやっていますね。他の作家と交流があまりないという風におっしゃったんですが、みんな個別にそういう世代的に、もしくは時期的に同じような問題を扱っていると僕は感じます。

T:そうですね。やっぱ同時代的な気分や思いは考えてみると同じで、そんな傾向はいろんな他の作品にも、「ああ俺と同じ感じのこと考えているんだな」っていうのはありますよ。

G:政治の話の続きですが、それでも「自分は政治的な映画を撮っていない」と言いますが、土屋さんは率直に自分がやっていることは政治的と認めて、ある程度政治という定義を変えなくちゃなりません。

T:なんでそう、「いや政治とはまた別の話だから」となっちゃうのかは、ちょっと僕は分からないというか。やっぱそこは、作品を作ってから先のことにどれだけ重きを置いているかということだと思うんですよ。いい作品が出来ましたっていって、みんな見てくれました、よかったということで終わるんじゃなくて、作品が出来たらばいろんな人に、あそこで見てもらおう、ここでも上映会をやってみよう、あそこの右翼の団体で上映会をやってみようっていう風に考えて、そうやったことによって行動が結ばれて、「あ、ちょっと変った」、それが1番嬉しい訳ですよ。そうさせる為にも、作品は面白くなきゃいけないし、当然認められたいと思いますよ。作品として何とか映画祭行ってどうのこうのって、いろいろやりたいと思っているけども、やっぱもっとその先みたいなのを考えたくって、それが社会性というか政治性というか、もっと簡単に言えば世の中が変えたいっていうことなんじゃないかなと。これが政治だって言うよりも、それを作ったことによってやっぱ変えたいっていう変革の意志が、作家というか監督の中で強い人がいっぱいいればいいなと思いますね。

G:締めくくりとして、『涼子』と『新しい神様』には、同じセリフが出ているところがあるんです。「自分はどうでもいい」とか「自分が必要とされていない」に対して、「人は必要とされている」が出てくる。

T:『涼子』の時は必要とされているんだと言おうとしたけれど、空々しいのでやめているんですね。そういうメッセージあるじゃないですか、『ラブ・アンド・ポップ』も映画では浅野忠信が「必要とされているのがいるんだ」とかって言うけど、あれちょっとかっこ悪くて、ウソっぽかったんですよ。本当に必要とされているかどうかについては、本人が考えなきゃダメなんですよ。そういうことを『涼子』では言いたかった。伝言ダイヤルとかの依存的なことで自分を立たせようとするのはやっぱりダメで、自分が必要とされているんだと自信を持てるようになろうね、と。俺もあの時伝言ダイヤルにはまっている訳ですから、立場同じなんですよ、だから別に偉そうに諭すんじゃなくて、じゃあ話をしようよみたいなことで終わっていて、『新しい神様』に関しても僕の主張は同じです。「そんな天皇なんかに依存しないで、自律してやればいいじゃないですか」って。全体としては、自分に自信を持って自律しようってことを言いたかったけども、そんなに自分って、あやふやなもので自分だって自信を持ってもっと頑張ってって自分に言うんだけど、それも幻想の自分のこと言っているのかなって気がして、自分には自分っていうものがあるって思いたがっているっていうだけであって、雨宮さんが幻の天皇って言ったのと同じように、僕も幻の自分みたいなものを追い求めているような気がしていて。だから最終的には、他のものに依存して生きていく生き方じゃなくて、もっと自分で自律できるような人間にまず頑張っていけるような方向に行こうよっていうのと、そういう人達が自信のなさも含めて、上手くコミュニケーションが出来るような世の中っていうのは、結局天皇制じゃないでしょ(笑)っていうことですかね。

G:最後にこれから先のことをお聞きしたいんですが、何を作るという考えや、もう準備に入っているものはありますか?

T:いや、全然なくて、どうしようかと思っているんですよね。1回ちゃんと、あらかじめシナリオのあるものを撮りたいなとは思っているんですけども、それくらいしか考えていないですね。ただ、やっと『新しい神様』でちょっとだけ見えた、次どうするかということが。もう1回また元に戻って同じことをやったら、繰り返しになっちゃうので、その次のことを中心にした内容のものにしたいなあとは思っているんですけど。すごい難しいですね、そこは。

G:本当にありがとうございました。

T:ありがとうございました。

(聞き手/アーロン・ジェロー)


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