飛鳥坐神社 (3)ファロス

●ご覧の通りのファロスである。もう少し大きいのもあったと思うがこの写真しか 撮っていない。目消しならぬカリ消しまで入っているけどご勘弁。

●恐らく「おんだ祭」で夫婦和合のシュミラクルを始めたのは新しい時代のことだ ろう、そういう記述を見かける。性器を型どった神体や道祖神は近世以降珍しくも ないので、それもそうかなと思う。しかし、各地にあるこのあっけらかんとした性 は何なのか?俗の世界である。正直言って、この面でも僕は不勉強。

●祭はしばしば冒涜性をともなう。僕達が直接目にする「祭」の中にデュルケイム あるいはオットー的な聖別された空間が見られることこそ稀である。例えば聖俗は 昼夜で区別されることがある。秩父の夜祭りは俗性であり、公式な神儀は昼 に行なわれるという。また、逆に府中の大国魂神社では夜に公式行事が行なわれる。 伊勢の遷宮も夜だった(これは、太陽信仰にも関係しているだろうが)。たんじゅ んに考えるならば、祭はそこに聖俗インターフェイスを作る作業に見える。

●後に折口が書いた「芸能」はこのインターフェイスの俗側が独り歩きしつつある 姿であった。「おんだ祭」もまた、芸能化するインターフェイスの姿なのだろうか。

●さて、性的な部分が歴史的にかなり新しいものである、と言われてもう一つ妄想 にかられるのは、例えばある種の「石棒」のようなより古い時代(縄文末期とか) のファロス遺物が後の人々によって見出された地域で、新たな信仰や宗教行事が発 生することも無かったろうか?ということなのだけれど、これはホントに妄想。

●飛鳥時代は、女系から父系へ社会構造が変わってゆく時期に当るような印象があ る。それに加え、女神から男神へという視点もあろうが、ややこしくなるばかりである。 カヤナルミ(カヤナルヒメ)やウスタキヒメは飛鳥の自然神であろうが、何れも飛 鳥川の流れを象徴する女神のようだ。後代、特に壬申の乱以降、国史編纂が開始さ れる頃から男神が神話の中心に据えられてくるのではないか?

●ところで彼女等、飛鳥の女神達は始め「神奈備山」に祭られていたとされ、後に 別の場所に移されたらしい。神奈備山はここからもう少し飛鳥川の上流石舞台古墳 の近くまで行ったところにあるミハ山に同定されるらしい。

●その移された場所が一方で、飛鳥川の上流、他方でここ鳥形山。2つの説がある ようだ。実際、この社の近傍にカヤナルミ、ウスタキヒメを祭るとされる窟がある。 「山におわす神に、男性シンボル」という類型が想起される。

●勿論、アマテラスも女神だが話は別....。山にはいそうもない。はたしてそうか? ただし、近世にこの飛鳥坐神社にもまた「本伊勢」であるとの信仰があったという ことは注意すべきかも知れない。

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YABUGUCHI,Ichiro vanilla@st.rim.or.jp