飛鳥坐神社 (1)社殿
●「坐」の字が付く神社は比較的多いのではないか。飛鳥坐(あすかにいます)神社は、各 地にあるその神社の一つ。場所が飛鳥なので、石舞台や酒船石なんぞを見学したつ いでにちょっと寄って見物することができる。僕は、例によって元バニー嬢と訪れた。

●有名なのは、春の例祭「おんだ祭」(2月第1日曜)で、性器像、和合の踊りを 伴った奇妙なお祭りだそうだ。これは随分後に成立したものらしい。境内、今現在は 少々ジミだけど式内(大)社である。そう言われて、ここでふと明治の「淫祀邪教」に 対する排斥で、式内社と言えど、へんてこな祭をしているし厚遇されなかった のでは?などと、ふと思った。

●ここの祭神は

とされている。三神は判るにしても、飛鳥三日比売命とは、たれぞ?たぶん飛鳥の 自然神であろう。これは想像だが、3女神を祭ると言うところに由来するかもしれ ない。コトシロヌシは言うまでもなくオオモノヌシの子神である。そして国譲りし た張本人である。

●オオモノヌシ=オオクニヌシの構造は錯綜しているように見える。専門の方に詳 しく伺いたいところ。飛鳥、大和の地主神としての側面、 国譲り神話における主体、つまりは地方(山陰)勢力の象徴、そしてその裏面に見え 隠れする非征服神。つい、もう少し後の時代のアナロジーで考えてしまうが、 非征服神の御霊を鎮めるということはこの時代には未だ、なかったのだろうか?

●何れにしても、ここの社がそういった大それた?まつりごとに関係しているよう には、少なくとも今現在は見えない。オオモノヌシは言わずと知れた大神神社の祭 神である。大田田根子、大三輪氏の祖である。そして大三輪氏は、グレート三輪氏 (笑)と考えてはいけない。オオ氏である。

●場所は、例の飛鳥寺跡のすぐ東側。大和風情のこんもりした鳥形山の中腹、ちょ っとした石段を登ったところにある。運動不足だとこの程度の石段でも息が切れる。 登り口には飛鳥寺を見物している観光客達が停めたらしき貸し自転車が沢山並んで いた。途中に折口信夫の歌碑がある。

ほすすきに夕ぐもひくき明日香のや わがふるさとは灯をともしけり

彼の祖父はこの神社の宮司であったそうだ。

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YABUGUCHI,Ichiro vanilla@st.rim.or.jp