「部屋」
『Esカント°』第15号(2008年6月)掲載
安らけき午後のひととき盤上を震えながらに分針進む
まろ
水槽に浮きつ沈みつこれの世を映すいく対の円き魚眼は
プランターひそと窓辺に置かれあり昼には昼の日差しを溜めて
主なき部屋につながる意思ありて春、唐突にファクシミリ来る
ちっぽけな青い光がひとりでに録画中だけ点いては消える
雫ひとつ落ちて眼下にはじけ散るまでをシャワーの穴が見ており
なだ
書見台の傾りにうすく積りたる塵に指紋を残せり風が
湯は熱きままにてそこに貯めおかるひねもす暗き厨のほとり
しずかなる家居を包むとめどなく桜吹雪の屋根を拍つ音
や
ぬち
屋内にも時流れいて机上なる写真の中の人も古りゆく
その籠にかつて生きいし小ネズミが回し車をときおり回す
何ごとか伝えしのちの永遠を木の状差しに咲く紙の花
衣桁より下がれる千の色彩をぬけて出でくる白き影あり
窓ふいに翳るときのま玉のれんの玉と玉とがはつかにこする
その角を定位置として雨の日も開かぬままに刺さる雨傘
まだ来ない季節待ちつつ除湿器のとぎれとぎれに吐く熱い息
夕日差すわずかなあいだ静脈のごとく浮かべる壁紙のしわ
知らぬ間に紛れ込みたるひとり蛾の死体の足が何ぞ抱うる
なり
いずれ記憶の一部とならむしどけなき形にて椅子に垂るるうすぎぬ
へこ
ときどきは寝ねているらしやわらかく人のかたちの凹みをつくり
この日ごろ磨かれおらぬ階段を深夜昇りてゆきしものあり
覚めぎわの天井に見き ある朝はひとの面輪に似たる木目を
カーテンの紗を濡らしいる月かげの夜明けとともに乾きゆくなり
無垢ならぬ水切るるまでぶるぶると躯体を揺らしいる洗濯機
音立てて硝子のふたに降りかかるパンの中なる油滴の雨が
いっこく
凍結を解かるるまでの一刻を電子レンジに皿ごとまわる
外側にドア開くときいっせいに影のごときが出でてゆきたり
ひとつずつ靴に包めるうつせみの足にて固き道を踏みしむ
と しる
車椅子におもかげの妻運ぶとき把っ手に著く伝わる軋み
共通の青空の下きららかに世界はようやく夏へと向かう