父は生きていた ── 新人賞選考委員の憂鬱
                     
                     山田 消児

 

 「短歌研究」二〇一四年十月号に「特別寄稿」として掲載された加藤治郎の文章「虚構の議論へ 第57回短歌研究新人賞受賞作に寄せて」について書く。
 副題にある第五十七回短歌研究新人賞で加藤は選考委員を務めており、三十首から成る同賞受賞作品は、選考委員四人による座談会の記録を主とする選考経過とともに「短歌研究」九月号に掲載された。そこでは連作全体に通じる主題として父の死が詠われているのだが、「虚構の議論へ」によれば、作者の父は存命で、実際に亡くなったのは祖父であったという事実が、受賞作が決まったあとになって判明したのこと。つまり肉親の死に関して読者にはわからない形で虚構が導入されていたわけで、そのことの孕む問題点について、加藤は、選考委員として同作を強く推した者の立場から述べているのである。急遽書き上げたものらしく、見開き二ページの中にいくつかの視点が羅列的に提示されている未整理な文章ではあるが、自分自身が選考に携わった賞の受賞作に対して疑問を投げかけた異例の内容だけに、その後、各紙誌の時評欄等で相次いで取り上げられるなど、反響を呼んだのも当然の成り行きであったろう。
 だが、加藤のこの文章には、本人の意図とはおそらく正反対に、新人賞の選考委員の発言としてはいささか不適切ではないかと感じられる物の考え方が見え隠れしており、私は読んでいて何度も首を傾げずにはいられなかった。本稿では、そのあたりを掘り下げて考察するとともに、短歌における虚構の問題や新人賞の選考のあり方について論じていきたいと思っている。
 まずは、加藤の文章から一旦離れ、発端となった新人賞受賞作「父親のような雨に打たれて」三十首を読むところから始めたい。作者は平成元年生まれ、二十五歳の石井僚一である。

  父危篤の報受けし宵缶ビール一本分の速度違反を
  遺影にて初めて父と目があったような気がする ここで初めて
  ネクタイは締めるものではなく解(ほど)くものだと言いし父の横顔

 連作では、父の死とその前後の出来事を描いた作品の間に、個人的な事情とは関わりなく同時進行していく日常の風景を父への思いと重ね合わせた歌が鏤められている。掲出三首はいずれも父のことを直接詠んだ歌だが、簡明な表現の中に父を亡くした子の心情を滲ませて、静かな共感を誘われる。
 だが、三十首全てを読んだあとに残る読後感は、右の三首から受ける印象とはかなり異なっている。その要因の一つ目は連作冒頭の七首にある。そこでは病床にあるらしい「老人」が詠われており、加藤をはじめとする四人の選考委員はそろってそれを父のことだとして鑑賞している。「老人=父」という点については、連作全体を視野に入れて読んでみれば、最も妥当な解釈だと私にも思える。だが、それでもこの冒頭部分の存在には違和感を拭えない。その理由の一つとして、趣旨のわからない歌が七首中三首も含まれていることが挙げられる。

  神様を引き摺り出して紙の上のユートピアから閉鎖病棟
  「被写体は残らず殺せ写真には命あるものを決して入れるな」
  「未来ならこないだちょっと行ったけど若葉マークが群れで飛んでた」

 連作一首目に「「スピードは守れ」と吐きし老人がハンドルをむずと握るベッドで」、六首目に「己が青春に造りし道路を守らんと徘徊老人車に開(はだ)かり」という車に関わる歌があるので、「若葉マーク……」についてはそれらとの関係を意識して読むべきなのかとも思うが、それでもやはり、何が言いたいのかよくわからないことに変わりはない。
 初読時、私は、連作の最初の方を病院か介護施設のような場所を舞台とする職場詠的な作品なのかなと思いながら読んでいたので、八首目で「父危篤……」の歌が出てきたときも、頭に浮かんだのは、そういう施設で働いている人が父危篤の報せを受けて勤務先から父の元へと急いでいる場面だった。そのときの読みを思い出しながら右に挙げたわからない三首のことを考えているうちに、私は、カギ括弧の付いた二首について、ある一つの読み方を思いついた。
 カギ括弧で括られているということは、たぶん一首全体が誰かの発した言葉なのだろう。では発話者は誰か。私の出した答は、病院に入院している統合失調症患者である。つまり、この連作の一首目から七首目までは、医師か看護師の視点で精神病院内の患者たちの姿を描いたものだということになる。統合失調症の人が妄想や幻覚をそのまま述べた言葉としてカギ括弧付きの二首を読み直したとき、それまでわけのわからなかった歌が、常識的には意味不明でも発話者当人にとっては現実そのものである想念や情景となって迫ってくるのを、私は感じ取ることができる。わからない歌のうちカギ括弧の付いていない一首は相変わらずわからないままだが、「閉鎖病棟」という結句を介してあとの六首とのつながりだけは維持されていることを確認して、とりあえず先に進むほかはない。痴呆症の老人と統合失調症患者を一人の医師や看護師が同時に担当するという状況が現実にどの程度ありうるのか、私にはわからないが、こう解釈することで冒頭七首がひとつのかたまりとして描いている情景が俄然くっきりと見えてくることは確かなのである。
 ところが、父危篤の報を機に病院から離れたストーリーは、そのあと一度も病院に戻ってくることなく終わってしまう。かといって「老人=父」だと確信できるような材料が提示されるわけでもなく、八首目以降と七首目までの歌との関係が曖昧なままに、連作は父の死を軸とするドラマとして進んでいくことになる。そして、最後を締めくくる三十首目。作者はようやく読者の前に、解釈のための大きな手掛かりを差し出してみせる。

  助手席を永遠の生き場所とする法定速度遵守のあなたの

 それまでの流れから、「あなた」とは亡くなった父のことであり、また「法定速度遵守」は第一首目の「スピードは守れ」という台詞を承けたものだとわかる。ここにおいて、一首目の「老人」は、はじめて主人公の父と明確に重なることになる。上句は、「助手席」という人任せな位置に永遠にいていいのかという疑問を抱かせもするが、車を運転するときには常に法定速度を守るような堅実な生き方をした「あなた」のことを決して忘れないという亡き父へのメッセージを比喩的に表現したものとして、素直に読んでおくべきなのだろう。
 三十首を全部読み終わり、冒頭と末尾に置かれた二首の関連性に気づいたとき、この連作における歌の配列が作者の確固たる構成意図に基づいてなされていることを読者は認識できる。だが、その瞬間、先に私が示した冒頭七首の解釈は大きく揺らがざるをえなくなる。一首目の「老人」が医師や看護師から見た入院患者ではなく子から見た父であるならば、そこに彼ら親子とは無関係の統合失調症患者が登場するのはかなり無理があるといわざるをえない。こうして、連作全体の構造が明らかになるのと引き換えに、わからない歌三首は、再び鑑賞困難な最初の状態に戻ってしまったのである。
 次に、連作の趣きが普通の挽歌集と異なっているもう一つの要因として、ところどころにはさまる作意の目立つ歌の存在を挙げておきたい。

  神は糞(くそ)を拭かない公衆トイレから喘ぐように歌わるる讃美歌
  かつて父親を殴った水筒で墓前の花に水を与える
  雨上がる竹藪のなかエロ本のごと汚れたる聖書ありけり

 掲出一首目は、場面としては、誰かが喘ぐような声で歌う讃美歌が公衆トイレの中から聞こえてくるというもので、歌の並びからして、危篤の父の元へ車で向かう途中に出くわした情景だろうと推測される。「神は糞(くそ)を拭かない」は、トイレと讃美歌という意外性ある組み合わせから導き出された発想だろう。「神は糞をしない」なら普通だが、ここでは「拭かない」となっているのがミソである。「しないから拭かない」「するけど拭かない」どちらの意味にも取れるが、私見によれば、たぶん後者だろう。神や讃美歌に象徴される崇高、敬虔、純粋といった価値もまた、人間社会の汚辱と共にしか存在しえないというこの世の現実を描いた歌として読んだ。
 二首目は、かつて父に反抗した自分と、その父が亡くなった今になってようやくわだかまりが解けたような気がしている自分とを、思い出の品である水筒を介して一つに融合させた歌だろう。わかりやすいが、やや出来過ぎの感がなくもない。
 三首目は、「エロ本のごと汚れたる聖書」が肝であり、また、読解の分かれる部分でもあろう。竹藪の中の聖書は実際に汚(よご)れているのだろうが、喩えに持ち出されたエロ本は通常、特に汚(よご)れているわけではない。よって、この「汚れたる」は「よごれたる」と「けがれたる」という二つの読み方を掛けて、外面だけではなく中身の汚(けが)れのことをも言っていると解釈するのがよさそうである。ただ、その場合、聖書がモノとして汚(よご)れているのみならず内容面においても汚(けが)れているということになり、鑑賞は一筋縄ではいかなくなってくる。
 雨が上がったばかりの竹藪に汚(よご)れた聖書が転がっているという情景を素直に描くだけでも、読者の主体的な想像力を?き立てるに十分な一首ができあがった可能性は高い。だが、この歌では、そこに「エロ本のごと」という特定の方向性を持った修飾句が付されている。聖書に対してエロ本という対極にあるものをぶつけることで生まれる効果を狙ったのかもしれないが、いかにも過剰であり、作者の意識が表に出すぎている感を拭えない。また、この歌では「聖書」、先の歌では「讃美歌」が出てくるにもかかわらず、連作全体からは特にキリスト教にまつわる主題や背景は読み取れず、それらが便利な小道具として記号的に使われているように見えるのも気になるところである。
 もう一点、この連作には、内容面とは別に、言葉の使い方において疑問符の付く歌が少なからず含まれていることを指摘しておきたい。右の「エロ本」の歌もその一つで、具体的に言うと、初句の「雨上がる」と結句の「ありけり」とで時制の整合が取れていない。連作の流れに従うならば、主人公は父の葬儀よりあとの比較的近い時期にこの光景に出会ったと考えるのが自然であり、助動詞なしの終止形で切れる初句「雨上がる」は、「今まさに雨が上がったところだ。」という意味に受け取れる。ところが、最後になぜか「ありけり」が出てきて、時制がいきなり過去に飛んでいるのである。これでは、読んでいる方は、いったいいつの出来事なのかと混乱してしまうだろう。もし仮に過去のこととして書きたかったのなら、初句は素直に「雨上がりの」とでもしておけばよかったのであり、「雨上がる」とした作者の意図が私にはさっぱり見えてこない。
 ほかにも、「祈る皺くちゃの手に囁くように「いただきます」と「ごちそうさま」と」は、選考委員たちは「祈る」で切って読むことで納得しているようだが、私には、「祈る」が「皺くちゃの手」にかかる、つまり、「祈る皺くちゃの手」が一つの名詞句で、お祈りの形に手を合わせている状態を言おうとして無理やり言葉をつなげたもののようにしか思えないのである。また、「ふた裏のヨーグルトさえ執心を持つ御棺には縋りそびれた」は、自分自身がヨーグルトに執着するということを言いたかったのだとすれば、当然「ヨーグルトにさえ」と「に」が入らなければおかしいだろう。
 ことほどさように欠陥や疑問点が多く見出されるにもかかわらず、選考委員は石井の作品を新人賞に選出した。そのあたりの判断の根拠は、選考座談会におけるたとえば次のような評言から窺い知ることができる。

  挽歌だけれども、歌われるのは父親との関係のほかに、今を生きている何かやるせない感じが折々に噴出するような強さで出てくる。そういうところがとてもいいと思いました。(米川千嘉子)
 
  親の挽歌というのはそんなに簡単ではないんですね。ウェットになりすぎたりする。この作者はこの伝統的な短歌に新しい領域を、挽歌の領域に半歩、酷薄な現代性、あるいは都会性をつけ加えたのではないか。(加藤治郎)

 彼らは、既成の挽歌の枠組みに囚われないこの作品独自の視点や発想を高く評価し、また、個々の歌についても、いくつもの具体例を挙げながらその魅力について言及している。この賞が新人賞であることを考えれば、よい部分に着目し、多少の未熟さ、不完全さには目をつむって受賞作とする判断は、普通にありうることだろう。実際、石井の作品については、座談会の中でも、無理のある表現やぎくしゃくした韻律に疑問を呈したり、どんな場面を描いているのかわかりにくい歌がいくつかあることを指摘したりする声が、複数の選考委員から出ている。彼らは、それらの欠点を承知したうえで、評価すべき点と比較考量し、この程度なら受賞の妨げにはならないと判断して新人賞を与えたのである。
 なお、「短歌研究」の誌面を読む限りでは、わからない歌について選考座談会で解釈を試みるなど、突っ込んで検討を加えた形跡は見られない。結果的にこの作品が受賞しているだけに、これは非常に物足りなく、スルーしてしまって本当にいいのかという疑問を抱かされたことを、率直に表明しておく。

 さて、受賞作について一通り述べ終わったところで、話を加藤治郎の小論「虚構の議論へ」に戻したいと思う。やや渾沌とした様相を呈している文章の中から、加藤の主張の根幹に最も近いと思われる部分を以下に抜き出しておく。

  主題は「自分自身の父への思い」である。「自分自身の」ということは現実のつまり生身の私を起点にしているということだ。(〜一部略〜)祖父の死を父の死に置き換える有効性はあるのか。ありのまま祖父の死として歌う以上の何かが得られたのか。虚構の動機が分からないのである。父の死とした方がドラマチックであるという効果は否定できないが、それは別の問題を引き起こす。演出のための虚構である。肉親の死をそのように扱うのは余りに軽い。

 加藤の記すところによれば、石井の父が存命であることは、選考座談会終了後に「短歌研究」誌の編集長が本人に受賞を知らせる電話をかけた際、はじめて明らかになったとのこと。さらに、数日後、北海道在住である作者の受賞を地元紙「北海道新聞」(七月十日付朝刊)が報じた記事の中でその件が取り上げられ、「死のまぎわの祖父をみとる父の姿と、自分自身の父への思いを重ねた」という作者自身のコメントが紹介されている。右の文中に出てくる「自分自身の父への思い」は、加藤がこの「北海道新聞」の記事から引用したものである。
 さて、ここから読み取れるのは、加藤が、肉親の死はきわめて重いテーマであり、それゆえ、歌に詠む場合には実体験に即して詠むべきだという考えを持っているということである。
 先に見てきたとおり、この連作では、体験や心情を素直に言葉にするだけではない、さまざまな趣向が凝らされている。作者は徘徊老人が車の前に立ちはだかるところを実際に見たのかどうか、父親を殴ったことのある水筒で本当に墓前の花に水をやったのかどうか、歌を読んだだけでは誰にも判断できないわけだが、加藤の言葉を借りれば、いずれの場面もいかにも「ドラマチック」であり、フィクションが導入されている可能性ははじめから垣間見えていたように思えなくもない。
 では、もし、父の死そのものではなく、歌に詠まれたこれら個々のエピソードが実体験ではないと判明したのだとしたら、加藤はどのような反応を示していただろうか。その場合、特にそれを批判的に取り上げるようなことはしなかったのではないかと想像する。加藤が短歌で虚構を詠うこと自体を否定しているのでないことは、右の引用文中で「虚構の動機」に言及したり、別のところでは前衛短歌を引き合いに出して「虚構の純度」を問うたりしていることからも明らかである。亡き父への思いを表現するために有効だと作者が判断するなら虚構の歌も詠んでいいと、たぶん加藤は考えるのではないか。ところが、石井の作品においては、大元にある父の死が事実ではなかった。加藤はそこを問題にしているのである。
 ここから先、話はどうしても二つの方向へと展開していかざるをえない。ひとつは作者の側の問題、もうひとつは読者の側の問題である。だが、両者は無関係でいられるはずもなく、常に複雑に絡み合う。そこが非常に面倒なのだ。
 まず作者の側から。これについては、私の考えは単純で、ひとりひとりの作者が自らの短歌観にしたがって自由に歌を作ればいいということに尽きる。短歌とは何かと問われたときに、ほぼ全ての人が同意できる答は「五七五七七の定型詩」というものだろう。定型を意識して作るという以外に守らなければならないルールは何もない。肉親の死のような重い出来事を虚構によって描くべきではないという加藤の考え方は、彼自身が歌を作る際の作歌信条としては当然尊重されなければならないが、それを他人にまで押しつけるのはお門違いというほかないだろう。自分が父を亡くしたことがなくても、小説家は父の死を書くことができるし、役者は父を亡くした子を演じることができる。なのに、なぜ同じことが歌人にはできない(または、すべきではない)と自ら決めてしまわなければならないのか。テーマの重さ如何に関わらず、自分が生きているのとは違う人生や体験したことのない出来事を想像し、また創造することは、作品を豊かなものにするためにきわめて有効な手段の一つだろう。それをわざわざ制限するような考え方が出てくることが、私にはどうにも理解できないのである。
 次に、翻って読者の側について考えてみよう。
 一般読者の目に触れやすい新聞の投稿歌壇を思い浮かべてみれば、短歌は作者その人の生(なま)の声であり内容は実話に基づいているという前提で読むのが世間的には普通であるという現状が見えてくる。投稿する側も、多くは自分の体験や心情や主張を短歌形式に嵌め込んで送ってきており、作者と読者の間に基本的な共通認識が存在しているともいえる。ただし、そこに虚構の歌がこっそり紛れ込んでいないという保証はどこにもない。むしろ、実話に基づいているはずという前提があるだけに、選者も読者も、見るからに作り物めいた作品でない限り、安易にどれも事実だと信じてしまう状況が生じているように思われる。自己を表現することよりも入選する栄誉の方を優先して考える投稿者であれば、そこにつけ込んで、共感を誘いやすい設定を仮構して歌を作るぐらいのことはやってもおかしくはない。つまり、ここに成り立っているかに見える事実主義こそが、実はひとつのフィクションにすぎないかもしれないのである。
 これが、文学としての短歌を志す人の作品になると、読む側もそこまで安穏としてはいられなくなってくる。確かに、新聞歌壇の延長線上で、専門歌人の作品であっても作者個人の自己表現の言葉として読む人は、世の中に少なくないだろう。だが、ひとたび本格的に短歌に関心を持ち、自分でも歌を作るようになり、先人たちや同時代の歌人たちの多彩な作品を読んだりしているうちに、短歌とはもっとずっと複雑で懐の深い詩型であることを、誰もが実感するはずである。そこから生まれてくるべきものは、作風や短歌観の異なるさまざまな書き手の存在を念頭に置いた自由で柔軟な読みの姿勢ではないだろうか。

 以上の点を踏まえたうえで、ここからは、新人賞の選考のあり方に焦点を定めて話を進めていくことにする。
 石井僚一の受賞作には、特に表現面で欠点も目立つことは先に述べたとおりだが、今回、加藤治郎が虚構のありように関して疑念を表明した文章を読んだとき、私の頭に最初に浮かんだのは、歌を支えているのが亡き父への作者の思いだという選考委員たちの思い込みが作品を過大評価させることにつながったのではないかという疑いであった。だが、選考座談会を読み返してみると、少なくとも発言内容を見る限り、そうした偏りが明らかに表れているような部分は見当たらなかった。
 作品に描かれている世界と作者その人の生きている世界とを重ね合わせて捉えようとする傾向は、加藤治郎においていちばん強く感じられる。それは、彼が、作品の書き手ではなく、作中で父を亡くした主人公を指して「作者」と言っている(微妙なところもあるが、ほぼそう取れる)ことからもよくわかる。
 ほかの選考委員では、穂村弘が「作中主体」という言葉を使って、作品世界と現実世界を区別して考える姿勢を覗かせている。また、栗木京子が、歌の中で行動したり感情を動かしたりする主体のことを、この連作に関しては一貫して「自分」と表現しているのにも興味を引かれた。いささか身振りの目立つ作風に虚構の匂いを嗅ぎ取って慎重な言い回しをしているのではないかとも思えるが、それは私の単なる推測の域を出ない。
 いずれにせよ、作者の個人的な心情表現として優れているからとか、そこに表現された心情自体が読者に感銘を与えるからといった理由で、彼らは作品を高く評価したわけではないと受け止められ、その意味では、私の問題意識からしても、選考のあり方に殊更な疑問を差し挟む余地はなかったといえる。
 ところが、新人賞発表の次の号に加藤治郎が件の文章を発表したことで、事情は一変してしまった。
 すでに述べたとおり加藤は受賞作における虚構の用い方を批判し、ついには「虚構という方法を通じて新しい〈私〉を見出さなければ、ただ空疎なのではないか」とまで書いている。文脈からして、彼は、父を亡くしていない作者が父の死を詠った受賞作品が、虚構という方法を通じて新しい〈私〉を見出してはおらず、それゆえ同作品における虚構のあり方は「ただ空疎」だと断じていることになる。短歌研究新人賞の選考において、加藤治郎は石井僚一の「父親のような雨に打たれて」を候補作二十四編のうちの第一位に推している。だが、それは、作品に描かれている父の死が事実だと思い込んだ結果であって、もし虚構だと知っていたら評価はもっとずっと低くなっていただろうということを、彼は、「虚構の議論へ」を書くことで、自ら世間に向かって暴露してしまったのである。
 内心悔いがあったとしても黙っていればそれで済んでしまうものを、ずいぶん正直なことだとは思うが、公募制の賞の選考のあり方を考えると、簡単には見過ごしにできない重大な問題が、ここには含まれていると考えざるをえない。
 歌の背後にある作者の私的な事情をも視野に入れた鑑賞のし方は、当然あってかまわないと思うが、それは、読む側が作者のことを多少なりとも知っていてはじめて可能になることである。ところが、今回、加藤は、歌だけを根拠として、そこに書かれている父の死が作者自身の実体験だと判断し、その判断に基づいて歌を読み、評価した。一読者としてなら、当たっているかどうか確かめようのない推測や想像を背景に置いて鑑賞するのもまた当人の自由であろうが、賞の選考委員としては、やはり迂闊であったといわねばならない。
 選考の段階で、加藤の目に、石井の歌が本当に父を亡くした人によるもののように映ったとすれば、それは歌がそれだけ真に迫っていたということの証左であるともいえる。だが、加藤にとっては、歌の言葉がどれだけの力をもって自分に訴えかけてきたかよりも、事実に基づいているかどうかという、作品外の事情の方が重要であったらしいのである。
 ともあれ、結果として、加藤の思い込みは事実と違っていた。確認しておくが、石井が加藤を騙したのではない。彼は作品のどこにも「これは実体験です」などとは書いていない。加藤が勝手にそう思い込み、勝手に間違えたのだ。そして、彼は、賞の主催者である雑誌の誌面を使って、選考委員として歌と向き合うときの自らの姿勢について検証を加えるのではなく、歌の作者に批判の矛先を向けたのである。
 それでも、虚構の質を問題にしているうちは、話はまだ文学の領域にとどまっていたのだが、加藤はさらに次元の異なる次のような主張を展開してみせる。

  どう情報を開示するかは、作者の自由である。ここで問題になるのは、情報の格差である。北海道新聞の読者は父の死が事実でないことを知り、おそらく「短歌研究」の読者の多くは(地方紙のため)それを知らないだろうということである。私は、選考委員の一人であり当事者である。「短歌研究」の読者への説明責任があると考える。そして、父の死が事実でないことは、読者の作品の享受に影響を及ぼすと想定できるのだ。読者を無視した作品はありえない。

 しかし、この言い分はさすがに無茶というものだろう。どのように条件を整えたところで、作品や作者に関わる情報の格差がなくなるなどということはありえない。事実とセットで作品を読む読み方は、事実をめぐって読者間に生じるであろう情報の格差を甘んじて受け容れることなしには、決して成り立たないのである。なのに、加藤は、「作者の自由」だと前置きしておきながら、結局、格差を生じさせた責任を作者に問い、「読者を無視した作品はあり得ない」と言って非難している。ここまで来ると、もはや無理難題以外の何ものでもないだろう。
 歌の内容が事実であるかどうかを読者が知った場合、それが鑑賞に影響を及ぼすというのはそのとおりだろう。作品は作者の個人的な事情とは切り離して読むべきだという考えを持っている私でも、虚実の別に限らず、諸々の付随的な情報が耳に入ってきたときに全く何の影響も受けないと自信を持って言い切ることは非常に難しい。だが、だからこそ、新人賞の選考のように公平性が要求される場では、作者に関する情報を全て伏せ、作品だけで審査するという方式が採られているのではないか。
 加藤がもし、短歌は作者についての情報と込みで読むべきだという自らの考えを賞の審査においても貫きたいのであれば、そもそも匿名審査をルールとする賞の選考委員を引き受けるべきではなかった。逆に、引き受けた以上は、自分本来の歌の読み方が通用しない場であることを意識して、もっと注意深い態度で審査に臨むべきだったのである。
 もっとも、これは加藤ひとりが抱える問題ではない。たとえば、同じく公募制の新人賞である第六十回角川短歌賞の選考座談会(「短歌」二〇一四年十一月号)を読んでみると、俎上に載せられたほとんどの候補作について、作品から読み取れる作者像を確認しながら議論が進められており、むしろ、作品と作者を一体のものとして審査するのが基本となっているようにさえ見受けられる。そして、そこでは、最終的に受賞作となった作品の作者が男か女かで選考委員の判断が二分されたり、福島第一原発で廃炉作業に従事している人を主人公とする作品でフィクションの可能性が取り沙汰されるなど、事実性にこだわる審査のあり方に由来する困難も何度か表面化している。
 おそらく、これまでも、作品から想像した作者像が作者の実像と食い違っていたことはあったはずである。選考委員を務めるような立場の人たちも、本稿で論じてきたような問題が存在することは重々承知したうえで、そのときどきの状況に合わせて折り合いをつけたり、あえて思考停止を決め込んだりして、やり過ごしてきたというのが実態ではないだろうか。その意味では、今回の加藤治郎の問題提起は、結果的にそうしたなあなあの現状に一石を投じたものだと見ることもできる。
 少なくとも加藤自身についていえば、論として磨かれているとはいいがたい「虚構の議論へ」一編をもって事を終わらせるわけにはいかないだろう。本人も書いているとおり、彼は新人賞の選考委員の一人であり当事者である。たぶんこれからも何度となく選考委員を務める機会があることだろう。受賞作の虚実について説明する責任はないと思うが、ひとたびあのような文章を公にしてしまった以上、今後どのような姿勢で選考に臨むのかを自ら明確にしておく責任はあるのではないか。
 匿名審査をやめて記名、もしくは年齢、性別など作者の基本的なプロフィールを明らかにしての審査に改めたとしても、この問題はなくならないだろう。それどころか、記名審査であれば、選考委員がたまたまその作者を知っている場合とそうでない場合とで条件に大きな差ができてしまうだろうし、性別にまつわる固定観念など、プロフィールが付いているがゆえに生じる決めつけ、偏見、思い込み等々が入り乱れて、事態はますます複雑になるだけだと私は考える。たとえば、石井僚一は二十五歳なので徘徊老人の父がいるのはフィクションかもしれないと選考委員たちは疑うかもしれないが、五十代以上で子をなす男性は現実にいるのであり、もし疑いが当たっていなかった場合、作者は事実に則って歌を作っているにも関わらず、事実性を重視する選考委員によって作品の評価が下げられるという、奇妙奇天烈な状況さえ発生することになりかねない。
 新人賞の選考について私が考える理想の形は、純粋に作品は作品として、作者とは切り離してその出来映えを評価すべく審査が行われることである。それなら、ここまで述べてきたようなややこしい問題は生じないですむし、何よりも、それが文学作品を評価する際の本来のあり方だと思うからである。
 だが、短歌の世界の現状を鑑みれば、残念ながら、その理想が実現する可能性は限りなくゼロに近い。ならば、せめて、作品から読み取った作者像は事実とは違っている可能性があり、どれほど事実らしく見える歌でもフィクションの可能性があるということを、選考委員は常に念頭に置いて審査をしてほしいと願うほかはない。結果的に間違えてしまうことはもちろんあるだろう。あとで自分の間違いが発覚したそのときには、慌てず騒がず、心の中で「チッ、しくじった」と舌打ちでもしておけばいい。そうなりうる選考のし方をしている以上、そこは受け容れるしかないのであり、私も、一つの現実として賞の選考のそのようなあり方を頭から否定しようとは思わない。

 加藤治郎の「虚構の議論へ」が載った次の号の「短歌研究」十一月号では、もう一方の当事者である石井僚一が「『虚構の議論へ』に応えて」という文章を発表している。「虚構の……」と同じく「特別寄稿」となっているが、文中の記載によれば、同誌側から「書いていいですと言われた」から書いたそうだ。そこで石井はいろいろと釈明めいたことを述べたあと、最終的に、「言葉という虚構を積極的に利用する側」にこれからも立ち続けることを、やや暗示的にではあるが宣言して稿を閉じている。また、編集長から抽象的すぎると言われて書き直す前の原稿には、「書かれた言葉なんて全て虚構だ!」などといった類の主張が書き連ねてあったらしい。この文章を読めば、若く歌歴も浅い石井僚一という作者が、言葉によって作品を書くということの本質を早くも見抜いているのがよくわかる。
 たとえ事実を書いているつもりでも、書いた瞬間にそれは事実そのものではなくなってしまう。このことは、意識的に虚構を活用しようとする作者よりも、実は、事実を重んじる書き手や読み手にとって、より重要な意味を持っているはずなのだが、彼ら自身にどこまでその自覚があるかといえば、相当に心許ないというのが現状であろう。

  (〜前略〜)はっきりいって父親が生きているとすると受賞作はそこまで面白くないと思う(ああ、自分で言ってしまった……)。
 そんなわけで僕としては受賞作に不出来を感じていて、(〜中略〜)だから受賞の報せを受けたときは「嘘だ!」と思ったし、その後で選考座談会を読んだりして「あぁ、やはり誤解だ!」とも思った。

 一見自省や謙遜の言葉のようでもあるが、私は、勝手にこれを、選考委員、とりわけ加藤治郎に向けられた痛烈な皮肉として読んだ。石井の作品については少々辛口の書き方になってしまったが、思いがけぬ局面に遭遇してなお、若干の韜晦に紛らしつつも自らの立ち位置をきっちりと世に表明した彼の態度を、私は断固支持したいと思う。この次は正攻法で書いた本格的な論考をぜひ読ませてほしい。
 本稿と部分的に重なるような内容を含め、私はこれまでも短歌における虚構や作者と作品との関係のありようについていくつもの文章を書いてきた。今回、新人賞の選考委員という社会的な影響力を持った人が問題の根幹に関わる発言をしたのを承けて本格的に議論が広がっていくとすれば、短歌界にとっても益は非常に大きいはずである。今後の展開をしばらく注視していきたいと思っている。


 初出:「Es風葬の谷」28号(2014年11月)
 ルビはネット上での見やすさを考慮してカッコ内に入れたが、原典では縦書きの文字の右側に付されている。