好現代のブッダ逝く

 
中村元さんを偲ぶ



 

 


現代のブッダ逝く

心の中で密かに尊敬していた人物が平成11年10月10日、亡くなった。中村元という仏教学者である。この人の偉さは、学問に対する直向(ひたむき)さである。とにかく膨大な著作を機関車のようなバイタリテイーを持って書き続けた学問一筋の人であった。 
 
氏の人となりをよく物語るエピソードがある。東大で仏教哲学を教えていた時、中村氏は20年という気の遠くなるような時間を掛けて全3巻の「佛教語大辞典」を完成させた。ところがこの原稿を出版社が紛失してしまった。ど んなにかショックだったはずだ。しかし中村氏は、少しも慌てず、またその担当者を責めずに、また更に8年という歳月を掛けて、再びその原稿を書き上げたのであった。 

氏の学問の真骨頂は、仏教研究者という立場に固執せず、比較という考え方を取り入れていることだ。よく考えてみれば、仏教の中道という考えそのものが、比較そのものの教えと言えるかもしれない。その面でも、氏はブッダの真の体現者と言える人物だ。氏は比較によって、西洋と東洋の違いを認識し、そこから文明の相互理解の道を模索した。物事は比較によって、相対的に判断してこそ、真実が見えてくるものである。 

そこから氏の興味は、インド思想から、西洋哲学に及び、多くの世界の学者との間で思想の比較研究を進めた のである。このことが世界的にも評価され、アメリカの大学に招請されてスタンフォード大、ハーバード大、ニューヨ ーク州立大などで教鞭をとった時期もあった。こうして中村氏は、仏教学の世界的な権威となったのだ。 

東大退官後は、各大学からの教授就任や、各教団からの顧問就任の要請を断り、既成の学問のあり方に自分なり の批判を込めて、神田に私塾「東方学院」を設立した。そして一般人にも広く門戸を開いて、仏教の根本思想の教 化に尽力された。氏の口癖は、「今の大学制度を後生大事に守っていては、本当の学問は育たない」だった。 

86歳の今年7月まで、杖を付きながら、週一回の講義には、欠かさずに出席された。自ら寺子屋と称した「学院」の評判は全国に広がり、今やその教室は、氏の後輩たちによって大阪や名古屋にも作られるに至っている。また昨年までNHKの教養講座などにも出演していたので、温厚な口調で優しく語り抱える中村氏の講義を目にした人もいるかもしれない。 

特定の教団には一切関係せずに、ただひたすらブッダのように最後まで、やさしく仏教を講義し続けた中村元氏は、まさに現代のブッダだったかもしれない。もしそのように私が言ったとしても、氏は必ずこのように謙遜するに違いない。 

とんでもありません。私などそんなりっぱな人間ではありません。最後まで迷いに迷っているただの凡夫に過ぎません。私のようなものはただ精一杯努力するしかなかったのです。仏教は学問ではありません。生き方そのものです。」と。 

惜しい人がまたこの世を去った。是非この際、中村氏が訳編集した岩波文庫の「ブッダのことば」を読むことを薦めたい。佐藤
 


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1999.10.11